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02. 花言葉

 アルベローニ伯爵家への訪問は月に一度、お茶を楽しみ、親交をはかる方針で決定した。半年ほど伯爵家の領主館で交流し、問題が無ければ条件をつめて婚約を結ぶというのが両家の意向だ。


「ロゼッタ嬢は、余暇は何をして過ごされるのですか?」

「わたくしに余暇などございませんわ」

「伯爵家の後継者教育となると、私には想像もつかない大変なご苦労がおありなのでしょうね」

「義務ですもの。当然のつとめです」

「……アルベローニ家には立派な書庫があると伺いましたが、ロゼッタ嬢のお好きな本は」

「勉学以外で読書などいたしませんの」

「…………」

「…………」


 まるで話が弾まない。このお茶会が、すでに三回目だと信じられるだろうか?

 ランドルフ自身、信じられない。会話しようとロゼッタへ水を向けるたび、話題をひねり潰されて未だに趣味ひとつ知らない状態だ。膝の上で扇を握りしめているらしく、彼女の方からミシミシと軋む音が聞こえてくるのも、威圧感たっぷりである。


 この深い隔たりをどうにかしようと、ためしに微笑みかけてみるも、ギン!と、ひときわ険しく睨めつけられた。


「ひぃっ!」

「なんですのっ! 他にも何か、お知りになりたいことがございましてっ!? 遠慮なくご質問されたらいかがかしらっ! わたくし、全てお答え致しますわよ!!」

「い、いえ。なんでもありません」

「…………そうですか」


 何故、こんなに毛嫌いするのだろう。理由を問い詰めたい欲求を、ぐっとこらえる。


 情けない気持ちで、ロゼッタの手紙を思い出した。ランドルフには、心のこもった手紙に見えた。下の立場の人間へ、こんな気遣いができる女性なら、仲良くなれるのではないかと期待したのは否めない。


 交流を始めて三ヶ月。あの手紙を励みに親しくなろうと努力してきた。その結果がこのザマである。

 ロゼッタは傲慢なだけの人物ではない。大人びた気配りができる優秀な少女だと知っている。そんな彼女をもってしても、ランドルフの何かが耐え難いのだと、やるせない結論にたどり着いた。

 きっと生理的に無理なのだろう。同じ部屋にいるだけで虫酸がはしるほど、ロゼッタから嫌われている。


 さすがにもうお手上げだ。彼女の我慢を前提に結婚したところで、お互い幸せになんてなれそうにない。

 こんな悲しい交流は今回限りでやめようと、ランドルフは決意した。子爵家側から断るために、親父にどう泣きつこうか、それを考えると頭が痛い。


「薔薇、お好きなんですね」


 物思いにふける彼は、テーブルに飾られた薔薇を眺めて、ひとりごちた。いたたまれない沈黙のたびに花瓶の花を観賞し、時間を潰したものである。

 他にやることが無く、本数を数えた。一、二、三……十本の薔薇が生けてある。過去二回の茶会でも、たしか十本の薔薇が飾られていた。


「そういえば、花には意味があると母が言ってました。花言葉だったかな。ロゼッタ嬢は詳しいですか?」

「…………」


 返事は無い。疎まれ過ぎて、とうとう無視される段階に至ったらしい。彼女を見たところで睨まれるだけだと、ランドルフは花から視線を動かさなかった。


「薔薇の場合、色ごとに花言葉が違うそうですよ。本数や組み合わせにも意味があるらしいですね。ほら、手紙といっしょに紅薔薇を下さったでしょう。あれを見た母がニヤニヤしながら、俺に花言葉の本を押し付けてきたんですよ。あなたは俺なんかに、深い意味をこめて花を贈ったりしないでしょうし、まだ読んでないんですがね」


 帰宅したら、今度こそ縁談を断るつもりのランドルフは、肩の力を抜いていた。素に近い、くだけた態度はそのせいだ。開き直って一方的に話をしている。


「さっき気付いたんですが、俺が来るたび、決まって薔薇を十本飾っておいでのようだ。もしかしたら、母の邪推ではなく、あなたからのメッセージなんだろうか。家に帰ったら、さっそく意味を調べてみようかな。楽しみですよ、ははは……」


 きっと『今すぐ消えろ』とか『目障りなカス野郎』とか、そんな花言葉に違いない。あまりの虚しさに乾いた笑いをこぼしていると、椅子が揺れる音がした。

 勢いよく立ち上がったロゼッタ。彼女の足元に、ひしゃげた扇がぽとりと落ちる。とっさに視線を向けたランドルフは、目を見張った。


「え!?」


 きつく引き絞られた眉間は、いつもと変わらない。だが、眉尻が下がっている。ロゼッタの顔は真っ赤に染まっていた。キツいはずの双眸は、涙の膜が張り、弱々しくうろたえている。何か話そうとして、何も言えずに開閉する唇が、頼りなくわなないていた。


「お……」

「お?」

「お調べに、ならないで」


 消え入りそうな、か細い声でロゼッタが懇願する。ランドルフは、まじまじと彼女を凝視した。不躾な視線に耐えられなくなったのか、首筋まで赤くなったロゼッタは、両手で顔を隠してしまう。


「わたし……わたし、どうしたらいいの……こんなはずじゃなくて……ううっ……もういやぁ」


 やけに可愛い悲鳴をあげたロゼッタは、客間から逃げ出した。聞き間違いでなければ、鼻につくお堅い口調が、ふにゃふにゃに崩れていた気がする。

 驚きすぎて阿呆と化したランドルフは、パカッと口を開いて、走り去る令嬢の背中を見送った。


「あの、ランドルフ様」

「はぇ?」

「主人がとんだ失礼を。申し訳ございませんでした」

「え、あ、いや、うん」


 逃亡した伯爵令嬢の代わりに謝罪したのは、ロゼッタ付きの侍女である。ぽっちゃりした年配のご婦人だ。


「ロゼッタお嬢様は、照れてしまわれただけなのです。ランドルフ様にご覧いただくのだと、いつも嬉しそうに、手ずから薔薇を飾られるのですよ。来月も、どうぞ遊びにいらして下さいましね」


 照れた? 嬉しそうに? 高慢ちきなロゼッタが?


 ランドルフが知っている彼女と、侍女の言うお嬢様が、同一人物なのか確信が持てない。


 まさか別人にすり替えられた!?


 いやいや芝居じゃあるまいしと、ランドルフはかぶりを振った。

 ロゼッタには姉が一人いると聞いている。彼女の姉は、父親とともに別邸で暮らしているそうだ。しかし、いくら実の姉妹とはいえ、入れ替わりが成立するほど顔が似ているとは考えにくい。


 静かに混乱している自覚があった彼は、侍女へ曖昧な返事をし、とりあえず帰宅した。




 子爵家へ戻ったランドルフは、ふわふわした足取りで自室へ向かう。途中、親兄弟や使用人から話しかけられたが、「はあ」だの「うあ?」だのと、腑抜けた返事をしていたら、皆、気味悪そうに早く部屋で休むよう勧めてきた。


 部屋にこもった彼は、花言葉の本を開き、薔薇の章に目を通す。ロゼッタへ語り、彼女がひどく狼狽した、薔薇の本数による意味を調べるために。

 手紙と一緒に貰った一輪の紅薔薇が頭をよぎる。あれにも意味があったのだろうか。落ち着かない気持ちでページをめくる。


≪一本の薔薇 『一目惚れ』≫


「ふおお……」


 いきなりガツンときた。いや駄目だ、まだ偶然の可能性があると、彼は吹き飛びかけた意識を保つ。


≪二本の薔薇 『世界に二人きり』≫

≪三本の薔薇 『愛しています』≫


 やたら情熱的な言葉がならび、ランドルフの手に汗が滲む。緊張に顔をこわばらせ、気ぜわしく文字をたどる。四本、五本と説明が続く。


「じゅ、十本はっ、十本の薔薇は、どんな意味なんだっ」


≪十本の薔薇 『あなたは完璧な人』≫


「ふぁっ!?」


 目障りなカス野郎どころか大絶賛である。完璧などと誰かに褒められたのは初めてだ。

 衝撃を受けた彼は、へなへなと椅子に腰かける。


「これじゃ、まるで、俺のことが好きみたいじゃないか」


 ランドルフは呟いて、ハッと右手で口を覆った。好き()()()、ではない。花言葉のとおりなら、初対面からずっと、ロゼッタは彼に好意を寄せている。


 どおりで、母がニタニタ笑って本を押し付けてくるわけである。そういえば父も、増長するなと釘を刺してきたが、ロゼッタの好意そのものは否定していない。


 あの手紙から感じた彼女の温かさは、間違いではなかった。理由は分からないが、鼻持ちならない振る舞いのほうが偽りらしい。

 花言葉の控えめな告白を明け透けに指摘され、涙目で赤面した姿こそ、ロゼッタの正体だ。


 真相をつかんだ途端、じわじわと顔が熱くなる。豪奢な銀髪をかきまぜて、彼は呻いた。


「あんな態度で、好かれてるなんて気付くかよ!」


 とんでもない人物と関わってしまった。彼女の些細な行動に翻弄されて、右往左往するばかりだ。文句のひとつも言ってやらねば気がおさまらない。勿論、手紙などではなく面と向かって話し合うべきだろう。


 必ずロゼッタに会いに行こう────そう決心したランドルフは、自室で一人、恥ずかしさに身悶えた。

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