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14. 傷

 南部貴族にとって恒例行事と言えるのが、アルベローニ家で開催される春のガーデンパーティーと、夏に行われるカゼッリ家の夏至の宴である。


 どちらも歴史ある集いだが、それほど堅苦しい内容ではない。軽食や飲み物を楽しみながら、薔薇を愛でたり自然を満喫する和やかな集まりだ。南部貴族の結束を強める懇親会のようなものである。


 前回は婚約披露として、特別、秋にガーデンパーティーが開催された。お披露目では招待状まで送ったが、本来は申し込み形式で行われる。

 主催者の政略に左右されるし、定員があるため、どうしても同一派閥の客へ片寄るのが実情だ。けれど原則的には、派閥を越えて申し込み可能な、南部貴族全体を対象としたパーティーなのだ。


 数年前、父フィネッティ子爵は、アルベローニ家のガーデンパーティーへ潜り込んだ。そのとき、同行したのが五男坊のランドルフである。


 その年のパーティーは子連れの貴族が目についた。父がランドルフを随伴に選んだのは、有力者のお友達枠を狙っていたのかもしれない。そこまで大物でなくても、アルベローニ派の誰かが引っ掛かればいいと考えたのだろう。


「友人をつくってこい、ランドルフ。多ければ多いほどいい」

「わかった!」


 ヤパンガ国の鵜飼いよろしく、父はランドルフを薔薇庭園へ放り込んだ。

 ランドル鵜は、なかなか良い仕事をした。外見だけなら美少年で明るい彼は、すぐに他家の子供たちと打ち解けた。


 子供たちはまず、薔薇の生け垣の迷路へ向かったが、遊ぶことはできなかった。

 入り口に紐が張られており、使用禁止の札がかけられていたのだ。ランドルフは迷路にはそれほど惹かれておらず、あっさり引き返した。


 かくれんぼしようと提案したのは、誰だったのか。散り散りになった彼らは、テーブルの裏や木立の影など、美しい薔薇庭園に微笑ましく身を潜めた。


 ここで、異分子ランドルフは思ったのだ。血統は良いのに育ちがいいのか微妙な彼は、ハッと思い付いてしまったのだ。


「これ、庭の外に隠れたら、絶対みつからないヤツじゃない?」


 領主館の裏には馬屋や井戸、護衛の詰所など、使用人の領分がある。きらびやかな貴族生活の舞台裏だ。二大伯爵家の裏側はどういう造りになっているのか、想像するとワクワクしてきた。


 お庭で遊ぶという暗黙の了解を、彼は当然理解している。一応、父から領主館へ侵入するな、敷地の外へ出るなと注意されていた。しかし、領主館の裏へ回るなとは一言も聞いていなかった。


 聞いてないなら、知らないのと同じではないだろうか。暗黙の了解なんて小難しい事柄を、いとけない自分は、きっと知らなかったのだ。未知の場所をうろつく児童は、迷子と相場が決まっている。誰かに見咎められたら真実を告げればいい。


 我こそは哀れな迷子、保護を求めて歩む者なり、と。


 よし、これでいこうと決定したランドルフは、捻り出した屁理屈を掲げると、不可侵領域へ足を踏み入れた。かくれんぼから探検へ、すっかり目的が変わっていた。


 使用人の出入り口付近へ行ったときだ。子供が言い争う声がした。


 身なりの良い青髪の少年が、うずくまった使用人の男の子を捕まえて、叱りつけていた。


「泥棒め! こんなことをして、恥ずかしくないのか!」

「ちがう……きいて……」

「見苦しいぞ! こっちへ来い!」


 青髪の少年は、使用人の手を引っ張って、屋敷へ連れ戻そうとしていた。

 痩せっぽっちの使用人は、すっかり怯え、震えている。弱々しくかぶりを振って、必死に抗おうとしているが、ズルズルと引き摺られていく。頬を涙でぐっしょり濡らし、違うと、話を聞いて欲しいと、途切れ途切れに訴える声は、青髪の少年に黙殺された。


「なにやってんだっ!」


 ランドルフはカッとして叫んでいた。見れば、相手は弱っちいモヤシではないか。申し開きを聞いてやり、本当に泥棒ならボコボコにすればいい。話も聞かず怒鳴りつけるとは何事かと、むかっ腹が立ったのである。


 ランドルフは血筋のせいで、他家で物品が紛失したとき、疑惑の目を向けられてきた。そんな背景が、怒りの原因になっている。よく回る舌で潔白を訴えてきたランドルフは、事情をきかない青頭のわからず屋が、どうしても許せなかったのだ。


「誰だ! 関係ない奴は、あっちへ行け!」

「そいつ、違うって泣いてんだろうが! 話くらい聞け、この野郎!!」

「お前には関係ないと言っているだろ、不審者め!」

「なんだと!」

「そっちこそ!」


 ランドルフと青頭は短い口論の末に、相手をやっつけてやろうと飛びかかった。こうして、取っ組み合いの喧嘩が始まった。


 揉み合いの最中、視界に入った使用人の少年は、地べたにへたりこんでいた。加勢されるとは思わなかったのか、驚きに目を丸くして、まだベソベソと泣いていた。

 もし自分が泥棒なら、これ幸いと逃走するだろう。だからこいつは無実かもしれないと、ランドルフはここでようやく彼を信じた。


 これがガーデンパーティーでの喧嘩騒動である。記憶はここでぼやけ、途切れている。


 ヴァイオレットの話を聞き、『ガゼボ』というヒントを貰えなければ、額を負傷した同日の出来事だと認識できずにいただろう。



 次の記憶は、どんどん迫ってくる石柱。ずっと心当たりが無かったが、あれはガゼボの石柱だ。

 額に受けた衝撃。痛み。額が割れて血が流れた。そのうち父が駆けつけて、ランドルフを抱えて馬車へ走った。

 頭を打った人間を動かすのは危険だ。そんなことさえ忘れてしまうほど、あの父が動揺していた。


 その場では治療せず、ランドルフは大至急フィネトへ運ばれた。負傷した息子を自分の巣に連れ戻さなければ、父は安心できなかったのだろう。


 帰宅してからが大変だった。顔中、血まみれのランドルフは、インパクトが凄かった。臨月で留守番していた母はショックで破水し、兄たちが号泣した。大混乱の中、医者と産婆がフィネッティ家へ呼び出された。


 幸い、ランドルフの脳みそは無事だったが、傷は縫わねばならなかった。まだ幼いという理由で、コカの木から抽出した局部麻酔の使用は控えられた。麻酔無しで傷を縫合される激痛に泣き叫び、やめてと暴れるランドルフの体を、父とリベリオが押さえていた。


 ランドルフは知らなかったのだ。父が青ざめて震えるのも、リベリオが啜り泣くのも。どんなに強い男でも傷ついたり、悲しくなったり、涙が出たりするのだと、ランドルフはその時、初めて知った。


 翌朝、ランドルフの弟が誕生した。末弟フィーバーが始まり、前半の喧嘩騒動を忘れていった。ただ、怪我をして以来慎重になり、何か気になっても詮索や突撃を控えてきた。


 ロゼッタに出会うまで、ランドルフはずっと、無茶をしてまで何か知りたいとは思わなくなっていた。


 □


 寝台へ仰向けに横たわったランドルフは、あまりの申し訳なさに苦悶した。


「うぅ、あの喧嘩相手、たぶんジェラルド様だよ」


 ヴァイオレットの馬車を追い、スッ転んだランドルフは、現在、静養中である。

 積み重ねたクッションへ、患部を固定した左足を乗せている。医者によると、骨にヒビが入っているそうだ。自室で大人しく療養するよう命じられ、時間だけはたっぷりとれた。


 この機会を利用して、アルベローニ家に関する資料を読みふけっている。薔薇庭園の朧気な記憶を形にしたり、気になることを調べたりと、頭のほうを動かしていた。


「顔は忘れちゃったけど、髪の色は青だった。ローズの従兄だから、アルベローニ家の身内として、堂々と出入りできる立場だもん。どう考えてもジェラルド様だな、うん」


 ジェラルドの性格をふまえれば、使用人の子供を叱りつけていた状況が推測できる。実際に窃盗があったかはわからない。だが、ジェラルドが窃盗だと判断する具体的な根拠はあったのだろう。


 あの時、庭園ではパーティーが開催されていた。無実を主張する使用人の子供へ、申し開きがあるのなら邸内でやれと、彼は怒って連行しようとしていたのである。

 そこへ不審者ランドルフが現れて、やめろ!と止めたのだ。ジェラルドは当然反発する。


「あれ? じゃあ、なんで俺に謝ったりしたんだろ」


 ジェラルドの謝罪を思い出す。


 ────僕たちはタイミングが悪かったのだと思う。


 確かにタイミングは悪かった。そして、話を聞けと詰ったくせに、ジェラルドの話を聞かないランドルフは最悪だった。


 ────お前にしてしまったことは、年齢やめぐり合わせの悪さを理由にして、赦されることじゃない。


「やっぱ、この傷のことなのかな……」


 ランドルフは額の傷に触れた。彼が謝罪したということは、あの喧嘩と負傷は、たまたま同じ敷地内で起きた別の出来事ではない。喧嘩騒動の延長上で、ランドルフは怪我を負ったのだ。


 ジェラルドが怪我を負わせた?


 記憶に無い以上、判断できない。あくまで、『自分の行動のせいでランドルフが怪我をした』とジェラルドが考えているだけである。


 他の人間が相手なら、お前がやったんか!と思うところだが、ジェラルドであれば話が別だ。彼の人柄を誤解して、すでに二度も対立している。


「ガゼボの場所がひっかかるんだよな。喧嘩したのは領主館の裏側だ。でも、ガゼボは薔薇庭園の中だろ。ガーデンパーティーが開かれてたところを通りぬけて、迷路を進んだ先にある。なんで俺、そんなとこへ行ったんだ?」


 ずいぶん距離がある。幼児の喧嘩が、どんな経緯でそこまで移動したのだろうか。

 それに、生垣迷路は封鎖されていた。禁じられた迷路を通ってまで、ガゼボに行く理由など心当たりがない。


「ヴァイオレット嬢も、変なこと言ってたし」


 ────あなたが怪我をした時、近くまで行ったわ。声がしたの……悲鳴と、けたたましい嗤い声がして……。


「私生児とか邪険に扱っといて、なんでヴァイオレット嬢が領主館にいるんだっつうの。あとなあ、悲鳴はわかるけど、嗤い声ってどういうことだ。俺、怪我してんだぞ」


 誰かが嗤っていたのを、ヴァイオレットが聞いている。ランドルフは笑っていない。痛くて悶絶していたのだ。悲鳴はあげたかもしれないが、笑う余裕など全く無かった。


「ジェラルド様がガゼボに居合わせたとしても、悲鳴担当だろ。あの人は怪我人見て笑わないって」


 いくつかの疑問が解消し、不可解な謎が更に増えた。ランドルフは喧嘩騒動をもう一度整理する。


 数年前、アルベローニ家のガーデンパーティーにいた青髪少年の正体は、ジェラルドだった。領主館の裏にいた彼は、窃盗容疑で使用人の少年を拘束。屋敷内へ連行途中、楽しく散策していたランドルフと遭遇した。ランドルフが連行の邪魔をし、ジェラルドと喧嘩になった。


 領主館の裏で喧嘩していたはずのランドルフは、その後、薔薇庭園の封鎖された迷路を通り抜け、ガゼボまで移動した。移動理由は不明である。


 ガゼボの石柱に額をぶつけて、ランドルフが負傷。負傷の経緯や周囲の状況の記憶はなく、ジェラルドがガゼボにいたかどうかさえ定かではない。彼はランドルフの怪我に責任を感じている。


 この時、ヴァイオレットはアルベローニ家にいた。本来、別邸住まいの私生児という立場の彼女が、領主館にいた理由は不明。彼女はガゼボの側まで行き、悲鳴とけたたましい嗤い声を聞いている。怯えて近付けなかった彼女は、ランドルフと会っていない。


 父に抱えられたランドルフは、フィネトの自宅へ帰宅した。阿鼻叫喚の地獄状態に陥った子爵家だが、翌日、末弟が誕生。赤子に夢中のランドルフは、喧嘩騒動を忘却する。


 今のところ、喧嘩騒動で不明なのは、大まかに三つだ。


 領主館裏からガゼボへの移動理由。

 ガゼボで負傷したランドルフの身に何が起こり、悲鳴と嗤い声をあげたのは誰なのか。

 ヴァイオレットは何故、領主館にいたのか。


「…………」


 ランドルフは、頭の下から枕を引き抜いた。そのまま顔へ押し当てて、思いの丈を爆発させる。


もがががー!!((知りたーい!!))


 本気で疑問を解消したければ、簡単な方法がある。関係者へネチネチ質問すればいい。きっと誰かは知っている。図太いランドルフなら、聞こうと思えば平気で聞ける。


 だが、しない。この件は保留する。


 ランドルフの目的は警吏ごっこではない。関係者には将来自分の、奥さん、義姉、親友、義父になっていただきたいのである。

 ただでさえ、全員トラウマ持ちのセンシティブピーポーの線が濃厚になってきた。心抉る質問など極力せずに、喧嘩騒動は一旦、棚上げにしておくのが無難だろう。


 こそこそ嗅ぎ回るなら、別件が優先だ。実は、書物や資料で少しずつ調べている。記憶を探るかたわら読んでいた、アルベローニ家の資料のことだ。驚くほど成果があがらず、不審に思っていたところである。


 先代アルベローニ女伯プリシラ。


 ロゼッタの母親プリシラ・アルベローニの行動原理を知りたくて、資料を漁った。二大伯爵家の当主になった人物だというのに、不自然なほど情報が乏しい。


 婚家の馬車さえ忌避する男、フィリッポを伴侶にした女性。アルベローニ家に歪みがあるとすれば、先代とフィリッポの結婚こそ、関係者全員の苦悩の中心に見える。


 ロゼッタとヴァイオレットは、互いに相手から嫌われていると思い込んでいた。反目しやすい出自ながらも、親しくなりたがっていた姉妹。二人の間に介入したペテン師の臭いを、ランドルフは嗅ぎ付けている。


 不和の元凶はプリシラか?


 ランドルフは鬱憤をぶつけた枕を、再び頭の下へ差し込んだ。天井を睨む彼は、すでに気持ちを切り替えている。


「君にとって母親ってのは、どんな人間なんだろうな、ローズ」


 ランドルフは真剣に、プリシラ・アルベローニについて考えをめぐらせていた。

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