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13. 音の無い言葉

 表玄関の前へ辿り着く。二階の手摺を掴んだランドルフは、玄関ホールを見下ろした。背を向けて歩み去ろうとしていた父娘へ、大急ぎで声をかける。


「ヴァイオレット嬢!」


 立ち止まった二人。ビクッと肩を揺らして振り返ったフィリッポは、あきらかにランドルフを恐れていた。開かれた玄関扉の向こう側に、横付けされた馬車が見えた。


 これ以上近付いて刺激すれば、娘を抱えて逃げるだろう。この距離から話しかけたほうがいい。悠長に話し合う余裕は無さそうだ。

 少しでも長く引き留めるため、まず興味を持ってもらおうと、ランドルフは注意をひく言葉を選んだ。


「あれ、ハンカチだろ!」


 いきなり何かと、可憐な少女が目を丸くする。反感が無いことに安堵しながら、階下の彼女へ話しかけた。


「ハンカチで、招待状を包んでくれたよね。君は、ローズが皆から責められるのが嫌だったんだろ。招待状だとわからないように返そうとしてくれたんだな!」

「……あ、あれは」


 ヴァイオレットが動揺し、眉尻が下がる。やはり、ロゼッタを心配してくれたようだ。母親が違えど、やはり姉妹。かあっと赤くなる反応が、妹とよく似ていた。


 遠い異国ヤパンガ国には、袱紗(ふくさ)で封筒を包む文化があるらしい。だが、この国にそんな習慣は無い。重要な書簡なら、貴族はトレーやビロードの台へ乗せて相手に渡す。あれは、平民女性らしい気遣いだ。


 全員が見守る前で、侍女がハンカチをほどいて招待状を取り出したとき、ヴァイオレットは青ざめていた。


 今の彼女はロゼッタに利用されたと勘違いしている。裏切られてなお、妹を案じる彼女には、事情を伝えておくべきだ。


「信じられないかもしれないけど、君を利用したのはローズじゃない! そもそも、姉さんを嫌ってなんかいないんだ!」

「やめてよ! もう、嘘はたくさん! ロゼッタは私を、いつも睨んでたわ!」

「悲しいと、ああいう目つきになっちゃうんだよ! 俺だって見合いした時から、三ヶ月も睨まれっぱなしで、嫌われてると誤解したくらいさ!」


 一方的に相手を理解しろと要求するのは、本来なら身勝手な押し付けだ。けれど、このまま見過ごすことが出来なかった。

 ロゼッタとヴァイオレットを取り巻く環境は、善意が悪意へ反転する、奇妙な構造になっている。精巧なのはうわべだけで、ところどころにある綻びが目に余る。まるで、出来損ないの蜘蛛の巣だ。誰も得をしない邪魔な罠など、ランドルフは取っ払いたくて仕方ない。


「君はこんなに心配してるのに、ローズには全然伝わらないんだ! 自分は姉さんから嫌われてると信じ込んでる! 手に触ったり、近付いたりすると、姉さんに何か起こるって、すごく怖がってるみたいなんだ! だから話しかけちゃだめだと思い込んでて……!」


 先ほどロゼッタへ感じた疑問を、ランドルフはヴァイオレットにも問いかけた。


「なあ、君ら姉妹は、誰かに妙なことでも吹き込まれてんじゃないのか?」

「!!」


 ヴァイオレットが息をつめている。フィリッポも、心当たりがあるらしく、苦しそうに顔を歪めた。ロゼッタやジェラルドと同じ反応だ。


 ランドルフは、このまま追及したい衝動をぐっとこらえた。時間が無い。優先すべきは過去じゃない。新たな反目を回避しなければ、再び姉妹が傷つきかねないのだ。

 これからの行動を忠告しておく。


「この家は、すごく変だ。もし、ローズが心配でも、原因がわかるまで迂闊に近付いちゃだめだと思う! いざってときは、親父さんを引っ張って、カゼッリ領へ逃げちゃえよ!」

「でも、妹が!」

「ローズは貴族だ、簡単に潰されやしないさ。でも、君は違うだろ。お披露目で利用されたことを忘れるな。下手したら、お義父さんや妹を操るための人質にされかねないぞ!」

「私が、人質……? 手に触ると……? ああ……なんてこと……。じゃあ、あれは、全部……、ああっ!」


 ヴァイオレットが悔しそうな顔で呻いている。せっかくの愛らしい顔をくしゃくしゃにして、地団駄でも踏みそうな勢いだ。


 彼女が憤慨する理由は不明だが、とりあえず伝えたいことは、全て伝えた。何を信じ、どう行動するかは、ヴァイオレットが決めるだろう。ランドルフを信じず、妹と反目しながら生きていくのだとしても、彼女の選択を尊重するだけだ。


「なあ、質問してもいいか!」

「なに?」

「俺たち、お披露目より前に、会ったことある?」


 ランドルフは自分の額を指さした。


「さっき、ここ、見てたよね? 右だか左だか、位置まではわからなかったみたいだけど! 君、知ってんの?」


 ヴァイオレットは、応接室から退出するとき、ランドルフへ視線を向けた。父譲りの顔面を盗み見られるのは慣れている。しかし、ヴァイオレットの視線は上にずれていた。頭か額か、その辺りを見ていたようだ。


 ランドルフには傷跡がある。額の右側に。


 今より小さい時分にできた傷跡だ。生え際近くで、前髪に隠れているので、髪をかきあげなければわからないものだけれど。


 普段なら気にしなかっただろう。銀髪だって珍しい。髪でも見たかと考えて、違和感など覚えなかったはずだ。

 だが、ジェラルドから奇妙な謝罪があったばかりだ。過去に一度、ジェラルドとランドルフは諍いをおこしているという。

 その時、従妹のヴァイオレットとも、出会っているのだろうか?


 アルベローニ家の不可解さに直面すると、どれだけ勘繰っても、考えすぎとは思えなかった。


「額に怪我をしたって話を、後から聞いただけ。私、あなたに会ったことはないの!」

「そっか」

「だけど、あなたが怪我をした時、近くまで行ったわ。声がしたの……悲鳴と、けたたましい嗤い声がして……。私、怖くて……とても怖くて……先に進めなかったのよ!」


 悲鳴? 嗤い声? そんなホラーめいた状況に、まるで覚えがない。


「俺、全然、心当たりが無いんだけど!」

「ええっ、忘れてるの!?」


 完全に忘れている。ランドルフは自分の努力でどうにもならない事柄は、くよくよ引き摺らないタイプである。幼児期のランドルフにとって、どうでもいい出来事だった可能性が高い。


「あのね、あなたは……!」


 ヴァイオレットの言葉を遮って、フィリッポが彼女の体を抱き上げた。


「やめなさい、ヴァイオレット! 関わってはいけない!」

「きゃっ!」


 フィリッポの忍耐が限界をむかえたようだ。娘を抱えて外へ飛び出し、大急ぎで馬車へ乗り込む。

 ランドルフは慌てて、両階段の片方を駆けおりると、玄関ホールを直進した。屋外へ出たときには一歩遅く、既に馬車は出発していた。


 もう、諦めるしかない。しかし。


「もうちょっと! ねえ、お義父さん! もうちょっとだけ、俺とお話ししませんかあぁ!!」

「ひいぃ!」


 ランドルフは馬車を追いかけた。フィリッポの悲鳴が聞こえた気がしたが、きっと空耳に違いない。

 貴族の息子が従者もつけずに、単独で領主館の門扉をくぐりぬけた。そのうえ、路上を全力疾走するなど、通常あり得ないことである。だが、やった。走った。どうしても、知りたかったのだ。


 ランドルフは懸命に走ったが、馬の脚にはかなわない。どんどん距離が開いていく。ヴァイオレットが馬車の窓に張り付いて叫んでいる。彼女の声は届かない。けれど、ランドルフへ必死に何か伝えようと、大きく口を開いている。


 ヴァイオレットの唇の動きを、ランドルフは読み取った。


『ガ』 『ゼ』 『ボ』


 無音の言葉を目に焼き付ける。その瞬間、ガツッと道の窪みに爪先を引っ掛けた。前方の馬車へ集中し、全ての注意をそそいでいたランドルフの体は、受け身を取ることも出来ず、激しく地面へ叩きつけられた。


「がぁっ!」


 転倒の衝撃と酸欠で、心臓がバクバク飛び跳ねている。息苦しさに喘ぎながら身を捩ると、足首から脳天へ電流のような痛みが突き抜けた。冷や汗が吹き出して、ランドルフの肌を不快に濡らす。


 激痛の波をやり過ごし、冷静さを手繰り寄せた。弱気を叱咤し、自分の状態を探る。反射的に地面から顔を背けたらしく、鼻や歯は無事のようだ。足首の負傷と、あとは擦過傷くらいだろう。


 アルベローニ家とカゼッリ家の手打ちは済んでいる。ヴァイオレットには、ロゼッタのことをちゃんと伝えた。迂闊にこの家へ近付くなと忠告もしておいた。今のところ、差し迫った脅威は感じない。

 ヴァイオレットを乗せた馬車は行ってしまったが、足を引き摺ってまで追いかける必要は無さそうだ。


 安堵すると同時に、疲弊した体が根をあげて、立ち上がる気力が尽きてしまった。


 曇天の空から、雪がひとひらランドルフの頬へ舞い落ちる。冷たい感触に気付いて、目だけ動かし、空を見上げた。


「迷路……しばらくっ……無理、かな。痛てて……」


 今より、もっと小さい頃、アルベローニ家のガーデンパーティーへ行ったことがある。


 美しい薔薇庭園。石畳の小道。生け垣の迷路。そして、迷路の奥にあるガゼボ。雪に埋まってしまったら、自然な調子でロゼッタを散策に誘い出すのは難しそうだ。


 ロゼッタに絡みつく違和感の原因を、ひとつひとつ暴いてみたい。時間をかけて丁寧に調べ尽くして、丸裸にしてやりたい。そんな衝動を、ランドルフはもて余している。



 しばらく呻いていると、ランドルフを呼ぶ声がした。


「ランディ!!」

「ランドルフ!!」


 足首を押さえ、路傍に寝転がったまま目を凝らす。血相変えた伯爵令嬢と御曹司が、ぞろぞろと使用人たちを連れて、走ってくる姿が見えた。


「転んだのね。どうしよう、どうしよう……!」

「立てないのか!? だっ、大丈夫か? 医者だ、医者を呼べ!」


 彼らの心を土足で踏み荒らす真似はしたくない。


 力の抜けた指先で額の傷に触れた。できた経緯はろくに憶えていないが、その後の出来事なら鮮明な記憶がある。それが、ランドルフを慎重にした。

 何か見えても、深く意味を追及せず、そっとしておくようになったのだ。


 お茶会の薔薇。花言葉の本。古参使用人がお嬢様へ向ける心配そうな眼差し。コンサバトリーへ行く前に交わされた老夫人と伯爵令嬢の不安げな目配せ。お披露目でランドルフを見たジェラルドの動揺。


 そして、ただの一目惚れにしては、最初からやけに自分へ執心している婚約者。


 見えていたのに、できるだけそっとしておいた。どこまで放置して、どこまで追いつめていいのか、ランドルフには判断できない。


 まず手始めに、断片的な記憶の整理からはじめようか。自分自身の内側を探るなら、誰も傷つけずに済むだろう。

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