10. よく平気だな
アルベローニ家の領主館へ、立派な四輪馬車が到着した。ジェラルドとともに屋敷の前へ降り立ったランドルフは、興奮さめやらぬ様子で目を輝かせている。
「最新型のキャリッジは、サスペンションが凄いですね。乗り心地が最高でした。ふかふかの座席は青菫色で、装飾はシックにまとまってて、くうぅっ、洒落てるぅ!」
とびきりの馬車に乗せてもらえた男子児童は大喜びだ。護衛をかねたカゼッリ家の従者たちが、口もとを綻ばせているのに気付いていない。
「ははは、ランドルフは乗り物が大好きだな。僕は普段、違う馬車を使っているんだが、こっちにして正解だった」
「滅茶苦茶よかったです!」
「僕こそ、フィネトの拳闘試合は、とても楽しかった。兄上が、羨ましいと仰られてな。なかなか無いことだから、ちょっと得意になってしまった」
小都市フィネトは、フィネッティ子爵家の領地である。商業で栄え、娯楽が豊富。ミラノス王国でもそこそこ発展した地方都市のひとつといえる。
先日、ジェラルドと和解して、なんと友達になってしまった。遠慮しないタイプのランドルフは、その日の内に拳闘観戦へ誘っていた。
紳士や貴族も観に来る普通の興行試合である。王都で流行りだしたので、さっそくフィネトでも商売を始めた。ジェラルドが殴り合うスポーツを好むかどうか、若干不安だったが、気に入ってくれたようだった。
お返しにと招かれて、カゼッリ伯爵領へお泊まりしてきた。社交辞令なら帰ってくればいいやと思ったメンタル強者ランドルフは、迷うことなく泊まりに行った。ちゃんと歓迎を受け、問題など起こらなかった。
ジェラルドに案内されたカゼッリ領は、俗で雑多な活気あるフィネトとは、全く違っていた。
雄大で緑豊か。どこもかしこも素朴で、そして美しかった。領民が暮らす大平野には、よく手入れされた畑が見渡す限り広がっている。森や丘陵、湖畔のある自然の中へ足を踏み入れると、気持ちのいい風が吹き、鏡のような湖面へさざ波をたて、やわらかく草木を揺らしていくのだ。
そこへ白馬に乗ったジェラルド様が颯爽と現れて、遠乗りに行こうと誘ってくれる。なんというか、いい意味での貴族らしさに、ランドルフはぐっときた。
こんな調子で、すでに互いの領地を行き来している。真逆なのが却って噛み合い、二人はすっかりうちとけていた。
「今日は、一緒に来てくれて助かった。気を悪くしないで欲しいんだが、僕はお前の婚約者が、なんというか、苦手でな」
本日、ヴァイオレットとフィリッポが、カゼッリ伯爵の名代としてアルベローニ家を訪問する。返却するものがあるらしい。ジェラルドは、彼らのお目付け役として立ち合いを任された。ランドルフは友人から付き添いを頼まれて同行している。
不和な家族の中へ一人で放り込まれるのかと、胃が痛くなっていたジェラルドは、『え、いいの?』と付き添いを快諾されて、ずいぶん気が楽になったと感謝していた。
「人間、合う合わないがありますからね。むしろ役得でした。なんか申し訳ないくらいです」
「役得?」
「俺に縁談が回ってきたし、ジェラルド様と友人になれたでしょ。ヴァイオレット嬢とも懇意にできたらいいんですが。そこまでは、さすがに無理かな」
遠乗りしたとき、カゼッリ領内の、ある土地へ案内された。そこは薬の原料になる薬草栽培が盛んで、効能研究と栽培試験場を兼ねた薬草園が運営されていた。この土地を代々預かっている領地管理人の一族、それがトゥッチ家だという。
ロゼッタの異母姉、ヴァイオレット・トゥッチ。彼女の母親は、このトゥッチ家の縁者だそうだ。アルベローニ家の別邸で産まれ、今もそこで暮らすヴァイオレットを、いつかここへ戻してやりたいのだと話してくれた。
ヴァイオレットの出自について、ジェラルドが教えてくれたのはそこまでだった。
私生児のはずのヴァイオレットが、カゼッリ家で軽んじられていない理由がわかった。フィリッポだけでなく、母方もまたカゼッリ家の身内なのだ。
ヴァイオレットは薬草の下処理が上手で、簡単な薬茶くらいならもう煎じられるとジェラルドが褒めていた。ロゼッタの件は別にして、自分の知らない分野の話を聞いてみたいと思うのは、ちょっと虫が良すぎるだろうか。
「ヴァイオレットは、人見知りしない明るい性格だぞ。ランドルフとは相性がいいと思う。だがなあ……」
「あ、今度こそ焼き餅ですか?」
「まさか。僕らは兄妹みたいなものだ。ヴァイオレットだってそう思ってる。素手で熊を倒せそうな男が理想らしい」
「じゃあ、お披露目で一番幼稚だったのは、やっぱり俺か。ちぇ」
「そうなるな」
ジェラルドがふふっと笑い、それから静かに口をつぐんだ。真面目な顔をした彼が、アルベローニ領主館をじっと見上げる。
「僕はロゼッタが……いや、この家そのものが苦手なんだ。小さい頃は、怖かったよ。どこか陰湿で、じっとりと暗い何かが、体にまとわりついてくるようで……」
記憶をなぞるジェラルドの横顔は、真剣だった。ロゼッタを貶めたいわけではなく、かつて感じた気持ちをありのままに、ランドルフへ語っている。
「今は、ずっとマシになった。だが、時々見える歪さが、薄気味悪くてゾッとする。お前、よく平気だな」
「うーん?」
「だって、おかしいと思わないか。領主が不在で、子供だけで住んでいるんだぞ」
「いや、それはロゼッタの父上が、別邸で暮らしているからでしょ」
「それくらい知ってる。ボルジャンノ夫人の自宅が王都近郊なのも、領地運営は家令や小領主を使って賄っていることもな。そうじゃない、何故わからないんだ」
困惑するランドルフへ、ジェラルドがもどかしそうに眉をひそめている。
「領主の補佐はいるのに、どうして女主人の補佐を置かない? 何故みんな平然と、それを放っておくんだ。前任者はどうなった。尋ねても、みんな僕の質問自体、無かったことにしてしまう」
「え、女主人に補佐って、必要なんですか?」
「当然だろ。アルベローニ家ほどの規模だぞ」
ジェラルドがハッとした。意志疎通できない原因に合点がいったらしい。
「そうか。爵位や領地、富の上下で、運営の仕組みが変わるのか」
「そりゃそうですよ。うちは執事とか従者が一応いますけど、下位貴族じゃ、そこまで雇わない家だって多いですし。俺、家令なんて見合いしてから初めて見ました」
一口で貴族と言っても、これだけ差がある。貧しい貴族に至っては、住み込みのメイドを雇う余裕がなく、定期的に通いで来てもらう程度だ。
「いいか、ランドルフ。女主人がいなかったり、いても能力が不足していることがある。そういった場合、富裕な高位貴族は、相談役を……」
急ぎ足で近付いてくる人の気配がした。ジェラルドは説明をやめると、ランドルフにだけ聞こえるように、早口で囁いた。
「後で教える。話題にだすな」
ジェラルドは御曹司の態度で背筋を伸ばす。頼りない友人を守ろうとする気概を感じた。
出迎えに現れた執事に連れられて、二人の少年は領主館へ入っていった。
ロゼッタは貴族らしい挨拶で、ジェラルドとランドルフを歓迎した。
「ようこそおいでくださいました、ジェラルド様、ランドルフ様」
ランドルフが付き添いとして、ジェラルドに同行すると事前にしらせてある。当たり障りのない話題を選んで、ジェラルドと親しく会話しながら登場してみた。和解した様子を見せても、彼女は驚いたりしなかった。
自分とは不仲な従兄と友人になり、喜んで交流する婚約者。その姿に彼女は何を思い、どう対応するのか興味があった。
演技とはいえ、一度は愛称で呼び合ったはずが、名前に『様』と敬称をつけてきたのが、ロゼッタの答えなのだろうか。
どうもわからんと考え込むランドルフを置き去りに、高位貴族の少年少女は、冷たい火花を散らしている。
「今日は立ち合い人として来ただけだ。叔父上たちが用件を済ませたら、すぐ帰る。ランドルフもな」
「あら、残念ですわ。ゆっくりしていってくださればいいのに」
「余計なもてなしは結構だ」
「ほほほ、相変わらずですわね。お茶をご用意いたしました、どうぞおかけになって。わたくしが恐ろしくて、すぐ逃げ出せるよう立ったままでいたいと仰るなら、ご自由になさったら?」
眼光鋭い笑顔と、苛立った無表情で睨み合う二人。険悪な空気をよそに、むーん?と悩むランドルフは、遠慮せず席についた。
勝手に茶を淹れ、焼き菓子に手を伸ばし、サクサク食べる。途中、動揺している侍女に気付いて、おかまいなくと笑顔で片手を上げたきり、ランドルフは再び思考の海へ潜り込んだ。
ランドルフ様と呼んだロゼッタ。
こんなとき、身内の女たちなら、男をとろかす甘い声でランディと呼んでいる。
あらランディ、ジェラルド様とお友達になったのね!
まあランディ、遠乗りなんて素敵だわ。どこまで連れて行っていただいたの?
そう、トゥッチ家の小領地まで。
これだ。
わざわざ不信感を表明するあたり、ロゼッタは気合いの入った性悪じゃない。おかげで、ヴァイオレットがどんな目に合ったのか、カゼッリ伯爵の返却物が何なのか、わかってしまって憂鬱だった。
「もう、やらかした後だし……してやれることなんて、あんまり無いよなぁ……」
これから来訪するフィリッポ・アルベローニへ考えをめぐらせる。妾をつくった入婿。この時点で変だと思うべきだった。
彼は本当に、耐えるばかりの健気な妻を足蹴にし、尻軽女の妾をつくり、別邸をぶんどる極悪人か?
入婿の身で、そこまでいい仕事をこなせる奴が、ヴァイオレットを認知する力が無いなんて矛盾している。好き勝手に振る舞っているようで、別邸に籠り、母屋……いや領主館を狙わず、アルベローニ家の意向に従っているのだ。
チラッとジェラルドをうかがうと、思った通り、こちらを見て凍りついていた。ランドルフは笑顔で、乾杯するみたいにカップを掲げる。
「座って、お茶飲んでいいって言われたじゃないですか。その通りにしてるだけですよ。ジェラルド様もどうです?」
「な……おま……」
ロゼッタとの険悪なやり取りを忘れ、驚愕の表情でランドルフを凝視している。
ジェラルドはこの程度の図々しさでショックを受ける品行方正な少年である。
そんな彼が、女にだらしない屑男を叔父上と呼ぶか? 同情心くらいで、放蕩のあげくできた私生児を、妹みたいな従妹だなんて認識するか?
先代アルベローニ女伯。彼女の行動原理が不可解すぎる。ヴァイオレットは、フィリッポが外でこっそりつくった娘じゃなかった。彼女が産まれたのは、先代女伯が所有していた別邸なのだから。
すでに死んだ女。夫の妾を容認し、別邸の使用を認め、妾の子供と同じ歳の娘を産んだ女。ロゼッタの母親。
親族がこれほど拗れる中で、彼女はいったい何をして、そして何をしなかった?
彼女は本当に、夫から虐げられた被害者なんだろうか?
「ほら、座りなよ、ローズ。君の家なんだから、まず君がくつろがなくちゃ」
「あ……」
なんだそれ。『あ……』だって。可愛いかよ。可愛いよ。
平然と話しかけたら、ビクッと怯える。そのくせ切なそうに頬を染めるロゼッタへ、ランドルフは頭を悩ませた。
さっき、アルベローニ家をうろついて、よく平気だなとジェラルドから言われた。居るはずの人間がいないのは何故なのかと。そんなことをほのめかされたら、全然平気じゃいられない。
ランドルフは本来、隠されると知りたくなって、ウズウズするたちなのだ。趣味を聞き出すのに三ヶ月かけるくらい、気だって長い。
「あのさ、ローズ。知られたくないことは、ちゃんと隠さなきゃ駄目だよ。特に、俺みたいな奴からは」
可愛い婚約者は、隠しごとを暴かれたいのだろうか。親しくなるきっかけになった、十本の薔薇みたいに。ランドルフが悩んでいるのは、それだけだった。
ロゼッタの揺れる瞳を見ていると、無遠慮に覗きこんでみたくなる。
ランドルフは、彼女から目をそらして窓を眺めた。薔薇庭園が上から見渡せる。秋薔薇が終わって、どこか寂しい風景だ。
白い石畳の小道、蔓薔薇の巻き付いたアーチ、薔薇の生け垣で作られた迷路、その奥にあるガゼボ。春になったら、また見事な薔薇が咲き誇るのだろう。
そういえば、せっかく婚約したのに、庭園をちゃんと散策していない。この状況をやり過ごし、婚約したまま春を迎えられたら、ロゼッタの手を引いて迷路でも遊んでみようか。
もうじき、フィリッポとヴァイオレットが到着する。




