デリィを救え! 2
倒れろ! 倒れろ! 倒れろ!
デリィはアユに馬乗りして、上から拳を叩きつける。
下が泥のため、頭が沈んでいく感触がする。
「もういい加減に眠ってくれよ。この分からず屋」
ボクがブラックチップの実験体になる代わりに、アユたちは邪魔をしなければ見逃してやるというのがサキタとの約束だった。
だからここからもアジトからも離れてどっか行けって言ったのに。
「なんで言うこと聞かないんだよ。バカのくせに!」
「そっちこそ説明が分かりづらいんだよ!」
「分かったら言うこと聞いてくるのか!?」
「聞くわけねえだろ。頭でっかち!」
アユはブリッジして、ボクの体勢を崩す。そこからボクごと転がって、今度はアユが上になって馬乗りをする。
「そもそもなんでモトダの言うことに素直に従ってんだよオマエは! そんな口約束なんてアイツらは破るに決まってんだろ!」
「何度も説明したろうが。バカだから記憶もろくにできないのかそれとも」
「嘘が下手くそなんだよ。騙すならもっと上手く騙せ」
鉄槌打ちを顔に浴びせられる。
ああクソ。なんで分かるんだよ嘘って。
そうだよ嘘だよ。
本当はモトダになんか行きたくないよ。
でもボクにはこうするしか、キミたちを守れる手段がないんだ。
「ごぼぁ」
デリィのヤツ。金的を殴りつけやがった。
俺が痛みのあまり一瞬止まると、デリィは俺を押し倒してきた。
またマウントから殴るつもりだなこいつ。
〈ボクシング〉には寝技の掛け合いによるモーションは本来ないため、威力は半減しているがそれでも一方的に打たれるといつかは倒れてしまう。
そうはいくか。
俺は右腕を強引に振って、遠心力がかかった状態で当てて吹っ飛ばした。
お互いに泥まみれで転がる。どちらも立ち上がろうとしたところで、相手を邪魔して倒れた。
技なんてない足の引っ張り合いが始まる。
「ぐぼっ」
泥が口内に入った。苦い味がしやがる。神人っていうのもいいことばかりじゃないな。
味覚センサーが残っているデリィもそうなのか嫌悪の表情になっている。
同じだ。
そして、いい表情だ。
さっきまでの無表情よりも、よっぽど本心が出てる。
「ぶっ倒れろ」
「さっさとアボートしやがれ」
デリィ。お前の本心はもう分かっているんだ。
そりゃ何から何まで細かいところは分からねえよ。俺はオマエじゃないんだから。
でもモトダの仲間なんかには決してならないっていうのは分かる。
だってオマエは、かつて俺をあそこから脱出させてくれた男なんだから。
「ごばっ」
「ざまあみろ。だから素直にボクの言うことを聞いておけばいいんだよオマエは!」
母が残してくれた行方不明者のリストにオマエが載っていたことでようやく思い出した。
オマエはあそこで俺が苦しんでいる時に助けてくれて、さらに自分を犠牲にしてまで俺を救ってくれた夢にも出てきたあの子だ。
俺の感謝癖は、オマエにお礼を言いそびれたからだ。
あそこで何も言えなかったことをずっと後悔していたからだ。
怖かった。
サキタに会うと、かつて実験されていた時のことを思い出して思考が恐怖で塗り潰されてしまう。
アユをあそこから連れ出した後、ひとり戻ってきたボクに待っていたのは地獄だった。
拷問紛いの人体実験。人を人と思わないヤツラによって、ボクの肉体はいつも傷つけられた。
最初は脱走したことによる制裁目的だったが、実験結果が他の子たちよりも優秀だったことが判明したため、さらに強い反応が期待できる実験の対象にされた。
毎日、肉体も精神も八つ裂きにされるような思いを味わった。
そんな辛い日々を続けていたボクはついにダークチップに適合してブラックチップを生み出した。
その力を使って脱走しようとすると工場が爆破。多分、爆発物を取り扱い中の鋼人のチップ効果が切れて誤爆したのだろう。
そんな非常事態に紛れて逃げ出したボクは、気付いたら記憶を失っていた。
「だらあっ!」
泥の中、殴り合う。
本当は分かっている。サキタが約束を守らないなんて。
でも拒絶できないんだ。アイツの命令が。
声を聞くだけでゾクリと背筋が冷えてしまう。体がアイツの命令通りに従ってしまう。
それにモトダに逆らったところでボクたちに何ができる?
ボクたちは所詮ただの三人のチーム。向こうは万を超えた私兵と他にも大量に金で傭兵やマフィアを雇える。
アイツらに目を付けられた時点で。いや、あそこに入った時点でボクたちの人生はもう終結してしまったんだ。
だからアユ。
せめてボクが犠牲になっている間に、キミたちはどこか遠くで生きていてくれ。
「ありがとう――とでも言うと思ったかこの不器用が!」
殴られながら立ち上がるアユ。
右手で掴んでデリィを持ち上げると、地面へ叩きつけた。
ボチャアン!
「謝罪も感謝も、もうしようとは思わねえ!」
あの日、本当は俺はデリィを助けたかったんだ。脱獄に失敗してもいいから、ふたりで逃げ出したかったんだ。
ありがとうやごめんは、もう後戻りできないからこその言葉だ。
「今回こそは、絶対に一緒にやってやる」
「モトダに逆らうのか! 今回の不祥事が表に出ても、ボクたちじゃどうしようもできない力でヤツらは復讐しにやってくる!」
「どうしようもないなんて勝手に決めてるんじゃねえ! 俺とトモ、そしてデリィがいればなんだってできる!」
「世迷言を!」
二本足で立ったデリィはひたすらアユを殴った。
ワンツーからの左右のフック。
左ボディアッパーからの右オーバーハンドブロー。
後退したところに踏み込んで左ショートフックからの右ボディにコークスクリューブロー。
機体の状態を無視したコンビネーション。
急造で戦闘もできるよう調整されたとはいえ、元々は闘争を考えられてなかったボディは悲鳴をあげる。
「……」
拳からデリィの意志がアユに伝わってくる。
もう他人を殴りたくないと悲しんでいる。
モトダが怖いと怯えている。
助けてくれと手を伸ばしている。
闇を切り裂く光が欲しいと、自分を助けてくれる誰かを求めている。
「分かった」
「なにが分かっただ! この程度を捌けずになんだってできるだと!? 甘いことを言うんじゃない」
「できる。できるさ」
最短距離で伸びる左ストレート。
アユは屈んで躱すと、右拳をデリィの腹にくっ付けた。
「その動きは!?」
「……ああ。かつてオマエに教わった動きだ」
アユはこの闘争で初めて右拳に力を込めた。
「それじゃいくぜ――零距離ゲルトキャッチ!」
デリィが作ったこの右腕で、トモが作ったチップで、アユが技を撃つ。
射出された右拳はデリィをゴミの集まりで運んで、押し潰す。
アユは残っている全エネルギーと魂をこの一撃に注ぎ込む。
「戻ってこいデリィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」
放たれるエネルギーが限界を超えた。
右拳が落ちても、デリィはゴミに埋もれたまま立ってこなかった。
アユは呆然と見守る。
その内、空に変化が訪れた。
黒い雲が失われて、日の光が泥兎街を照らす。まっていた恐怖王も台風と一緒にひとまず去っていった。快晴に包まれる。
街中の鋼人が外に出てきて、平和と美しい景色を祝福した。




