眠れない夜
ガバッ。
目の前の視界が、木造りの壁になる。
「はあ……はあ……」
眠っていたはずなのに、アユはいつのまにか起き上がっていた。
休んでいたのに、まるで闘争直後のように疲れたようだ。
機体も一部がまったく回復していない状態だぅた。
「何なんだ……夢っていうのは、本当に……」
緊急時以外でスリープモードが解除されるなんて異例だった。回復していない部分はそこまで重要でもないが、これじゃおちおち使えなくなってしまう。
「今日はもうとりあえず、このまま起きていよう」
アユは機体を作動させたまま、その場に座っている。
不必要に外に出たところで、意味がないからだ。
停止したまま、考え事をする。
(ダークチップ……ブラックチップと見た目は似ているらしいが、その中身はまったく違う)
トモが言うには、以前、スラムのどこかの街でそのチップを使って住民を襲った鋼人たちがいたそうだ。そいつらはとんでもない力で自警団ではとても捕まえられなかったが、ある日、ふいに急死した。その時に使われていたチップは全部、溶解炉に入れて塵も残さないようにしたらしい。また作っていた工房もそこにいた鋼人も同じ道を辿ったそうだ
倒れていたAの息子も、全身が金属化現象によって蝕まれて死んでいた。
ダークチップ使用者の原因不明の死に関しては、当時、襲われた住民の証言があった。
彼らが言うには、ダークチップを使っていた鋼人たちは日を増すごとに挙動がおかしくなっていって、死ぬ前日には悲鳴のような言葉を発しながら仲間同士で殺し合っていたそうだ。
どの機体も修理不可なほどズタズタに壊れていて、凄惨な光景だった。
(街中を探して、ダークチップはその破片すらも存在を抹消したそうだ。モトダとOWのお墨付きもあって、トモは黒いカンプチップと聞いても安心して考えなかったそうだ)
正確には、トモは可能性を感じてはいた。
けれど事件自体が百年も前で当事者でなかったことが、思考を鈍らせていた。それでも念のため、店から帰る前にチップ屋店主から映像を見せてもらったのが功を奏して、Aの息子が持っていたダークチップを判別できた。
(トネヤマにそのことを話すと、とりあえず俺たちは今日のところは待機で。自分は本社に戻って、報告をしてくるらしい。二日、三日後に連絡がくるそうだ)
やることもなかったので、夜になるとアユはこうして自宅に帰ってきた。
そして眠っていたはずが、原因不明で起きてしまったのが現状というわけだ。
(とりあえず待っている間は壊れた部分を修復する。トモと俺だけではおそらく完全には治すことはできないが)
アユの思考がそこで途切れる。
すべきことを考え終わると、もう自分でわざわざ答えを出す必要があることがなくなってしまった。
夜はまだ明けない。
眠らない夜が、こんなに長いとは思わなかった。
そういえば疲労の蓄積で先に眠ってしまって、アユは両親への報告を済んでいなかったのを思い出した。
箪笥を開いて、両親の名前が刻まれたタグを拝む。
「……ん?」
そこでタグが半分に開けそうなことに、アユははたと気づいた。
時間経過による素材の劣化で閉じていた部分が離れたせいで、カメラに映らなかった接合部が見えるようになったようだ。
アユは慎重に手に取ると、父親のタグを先に開封した。
「……」
〈日記〉というカンプチップが、落ちてきた。
アユは、そのチップを読み込む。
『一月十六日。状態は良好。自分の名前は、ケンシン ジョウスギ。これは自分の日記だ』
カメラ映像に、文字が映った。
そこに出てきた人物のファーストネームは、タグに刻まれた父のものだった。
『正直、自分はこういうものに不慣れだが、やれと言われたのでやる。まずはとりあえず自己紹介からだ。自分は闘争のプロ選手で、先日、天空闘技場で無階級チャンピオンになった』
天空闘技場は、天空郷にある闘争の試合が行われる場所だ。しかも無階級は、重量にも装備にも制限がないルールの試合が行われるクラス。
父がそんなにも凄い存在だったことを知って、アユは驚きと嬉しさに包まれる。
ページを切り替えると、日を跨いだ。
『一月十七日。状態は良好。この有り余る自分の元気を、愛しの息子アユに分けてやりたい。アユは現在、記憶喪失を頑張って克服しようとしている。六年前に行方不明になって、三年前に無事に帰ってきたのだがその時には、もうこの状態になっていた。また一部の肉体が機体に変換されてもいた……誘拐した犯人が見つかったら、この手で殺してやりたい……医者が言うには、今のアユは三歳児ほどの記憶と知能しかないそうだ。既に脳が成長していても、土台の記憶すらないためにどうしても最初は覚えるのが遅いらしい。でも妻が協力してくれたおかげで、今はそれなりに喋れるようになって、自分たちの名前もようやく覚えてくれた』
誘拐?
三年前に記憶喪失?
自分自身のことなのに、知らないことが書いてある。
沼の底まで引きずり込まれるようにアユは無我夢中になって、ページをどんどん読み進めていく。




