ジリツ第2戦 2
バランスを保てず、地面に落下したアユはその場に倒れる。
「……はあはあ……しゃあ!」
さっきの回し蹴りは、アユ自身にとっても予想してなかったものだ。
〈ゲルトキャッチ〉がそもそもあんな風に受け止められことを考えていなかった。改造された〈ゲルトキャッチ〉はアユの素の機体性能では耐えきれずに放った拳とは逆方向に自分自身が倒れてしまう代物だった。
その補佐に付けていた〈脚力強化〉を、とっさの思い付きで利用したのだ。
結果から考えると。自分で自分を褒めたくなる名案だったとアユはちょっとニヤける。
「さすがに……終わりだろう……」
アユはジリツの敗北を確認するため、首を上げた。
そこには、鬼がいた。
角が折れ、面頬が半壊して表情を作っている。大口を開けて、牙を立てていた。
恐怖にかられながら、アユは膝立ちのまま戻ってきた右拳でストレートを放つ。
シュゥゥゥ。
水たまりを滑るように移動して、瞬時にジリツはアユのバックを取った。
アユの足とジリツの足が交錯する。抵抗する暇もなく、アユは仰向けにされた。ジリツの両足がアユの太腿を挟んで、右の踵を肘の裏側に引っかけて捻っている。
足緘だ。柔術が柔道に変化した際、その危険性の高さから禁止された技。
急転直下の激痛に、アユは仰け反る。
「ぎゃぁあああああ!」
膝と足首が同時に極まっている。ふたつの部分が、一斉に本来なら曲がらない方向に曲がろうとしている。ロックを解除しようとするが、できなかった。〈ジュウジュツ〉が発生させる磁力場によって、関節を
固定しているのだ。固まっている部分が、強引にねじ切られていく。
このままではアボートしてしまう。
関節技を直接解く方法なんてものは〈ナイト〉にない。アユはメインタンクの燃料を右腕のサブタンクに移して、右拳を構えた。
(このまま〈ゲルトキャッチ〉を――)
右拳を目の端に捉えた途端、ジリツは足緘を解く。
息をつく間もなく、油のようにアユのボディ上を纏わりつきながら移動する。アユが気付いた時には、ジリツはもう脇の下を潜っていた。
肩を跨ぐように左膝の裏をアユの首に引っかけ、アユの右手首を握りながら腕を両足で固定して倒した。
ガチャン。
(腕ひしぎ十字固め。こっちが本命だったか!)
最もダメージを与えられる攻撃。それがジリツの狙いだった。
鋼人にとっての痛みとは、破壊される部品の量と重要によって決まる。
一気に破壊されるものが多く、それが機体の動作に重要なほど痛みは強い。ならば機体の半分以上もの部品量を占めていて、さらに四肢のひとつであるアユの右腕を壊してしまえばどうなることか。
結果を想像するのはたやすいが、おそらく訪れるダメージは想像できないほどのものとなる。
そのうえ右腕が破壊されたら、もう〈ゲルトキャッチ〉が使えなくなってしまう。
悶絶するアユ。
抜け出すために、必死にもがく。
(磁力の影響で〈ゲルトキャッチ〉は発動できない)
解除するにはパキッ蹴るしかピキィッ蹴った駄目だ余計に食い込んだ他にどうすれガシャッ関節が外れた電撃が走ったような痛みボキボキボキこいつの脚にビキビキ噛みつく噛みつく噛みつく噛みつくビシッ肘の辺りが粒子単位で潰れていく脆くなっていく壊れる離してくれメキッ助けてお願いポキッ壊れる壊れるベキベキベキ壊れるやめろ壊れる壊れる壊れる壊れるやめ
バキィンッ!
猛烈な音とともに、肘から先の右腕が千切れた。
声にならない絶叫をアユはあげた。
次は左足に技を仕掛けるため、ジリツは視界を妨げている壊したアユの右腕を捨てた。
「いない……! まさか!?」
ジリツは見上げた。自分の真上に、アユが飛翔していた。
跳躍に右腕が壊された勢いが足されていた。高所から降下してきたアユは、立てた膝をジリツの喉元に突き落とした。
一瞬、静止する二機。
どちらも立ち上がると、距離を取った。
開始時と同じ距離で、お互いに相手へ目線を向ける。
「……」
アユとジリツの戦いぶりに、味方も声を出せずに静観していた。
まさに死闘だった。どちらの機体もアボート寸前で、闘争が終わっても修理なしでは動けないほど機体が壊れかけている。
両機ともに執念ともいえるほど粘りつくしたが、次の技の応酬で決まるとどちらも予感していた。
一見、右腕を失ってそのうえ右足が故障しかけているアユのほうが不利ではあった。
(色が飛んでいる。光の明暗でしかヤツを認識できない。さらにノイズによって映像が歪み、ヤツの体が複数あるように見えるとは)
頭部への激しいダメージ。首への一撃でいくつもの配線が切れた。
しかしジリツもまた外から見えない部分で、多大な損失を受けていた。
条件はほぼ一緒。そう分析すると、苦しい状況にも関わらず、ジリツの気分は高揚した。
(闘争とは、この世で最も正確に他者と自らを比べ合える手段だと己は思う)
古代における素手の殴り合いでも、人間同士でではどうしても条件に差が出る。練習量の差、体格の差、才能の差、環境の差、貧富の差。その他の差も含めると、個人同士で勝負する前にどうしても条件が不釣り合いになってしまう。
それらを含めて自分個人と思うものもいるだろう。だが、己は違った。
それらの差は、全て自分ではない他者によるものだ。家が裕福ならば、与えられる。才能に関しても、高額な遺伝子改造手術のおかげだ。己を取り巻く全ては、決して己自身ではない。
では何が自分の存在そのものなのかというと、それは己にも分からない。
ただ闘争の中にその答えはある気がした。チップのレアリティと数、機体もデチューンして性能を相手に合わせれば他者からの要因による差はほぼなくなる。
(けれど、どれだけ戦っても答えは見つからなかった。いくら勝っても、得るものは栄光と金品と周囲からの賞賛だけ。そんなものを得るために、己は闘争をしようと決めたわけでない……だがアユ。貴様との闘争でやっと分かるかもしれない)
初めて己に地面を舐めさせた男。初めてここまで己に食いついてきた男。初めてここまでの傷を己に負わせた男。
頭の中が目の前の男しかいなくなる。雨もゴミ山も消えて、アユだけが視界に残る。
そのアユが目の前で笑った。
(この男は本当に凄いな。地獄のような苦痛を味わっているというのに……それと比べると己は……)
(こいつ本当に強い。全性能が一段階は伸びたはずなのに、前回よりも強く感じる)
体が重いと、アユは感じる。自分の体なのに、脱ぎ捨ててこの重みから解き放されたい。
そうさせた張本人が前にいる。憎しみ、怒り、殺意。ここまでの傷を負わせてくれた敵へ、それらの感情は湧き上がる。
(けど、それ以上に楽しい……アンタもそうなんだろ?)
いつのまにか面頬が崩れたことで、ジリツ自身もアユと同じく笑みを浮かべていた。
肉体が同調し、精神が同調する。
二機の思考が一致する。もうお互いに、どう動くかは分かっていた。
アユは走って迫る。
射程に踏み込んだアユは、右後ろ回し蹴りを放つ。軸足さえまともならば、キックの威力はそこまで落ちない。そのうえで最も遠心力の強い技を選んだ。
対して、ジリツは構えて待つ。
カメラの異常によって狙いがつけられないから、当て身は外れる。もらったうえで投げる。掴めば、見えてなくても技を出せる。防御すれば逃げられる。
アユが蹴りで仕留めるか。ジリツが耐えて投げるか。
「――」
排気が済んだ瞬間、アユが動いた。勢いのままに、ジリツの頭部へ右ハイキックを叩き込む。
接触した部分から、鮮烈な火花が散った。
ボチャン。
水しぶきを上げて、一機が水たまりに落ちた。
もう一機は立ったままだった。
「……ジリツ……俺の勝ちだ」