デリィの工房1(アユの過去)
壁に吊られているレンチは、用途ごとに分けて並べられている。
長さ順にもなっており、見る鋼人のほとんどが、使用者がきちんとしているのだと感想を浮かべるはずだ。その他にも棚や大型機器が整理されて置かれている。
アユとデリィは二機でアジトの工房内にいた。
キュルキュル、と開いたアユの腕内をドライバーで弄っている。
「見つからないねブラックチップ」
「そうだね」
「もう二週間も経ったんだよ。それなのにまだ具体的にどこにあるかも掴めてない」
「うん」
機体調整に集中しているが、返事をしてくれるデリィ。同じ空間にトモがいないと、こうして会話にも応じてくれる。
ピリピリとして他人を寄せ付けない雰囲気も発さないでいた。
塵犬では、デリィはメカニックを担当している。
機体について不備があったら修理したり、部品を入れ替えて強化させたりする。
工房は、仕事の際にカンプチップを扱っているトモと同じ倉庫内を共用している。だから部屋は、今いるデリィが普段使いしている整理整頓された空間と、使い終わった機器がそのままで掃除もろくにされていないトモが使用している空間で半分に分かれていた。
「ありがとう」
「何が?」
「いつもありがとう」
「出たな感謝癖」
楽しそうな声で呆れるデリィ。
久しぶりにまともに話せることに嬉しくなるアユだった。なのでついでに、今まで訊けなかったことについて質問してみた。
「最近いつもついてる汚れや傷って、もしかしてブラックチップを探してくれてるの?」
「……」
「どうなの?」
「……そうだよ。組合のジャンク漁りに参加してる」
「やっぱり」
古びた液体燃料による染み、指先の窪みや切り傷。
見慣れた傷跡や汚れだったため、アユたちは薄々そうではないかと感じていた。
デリィは報酬をほぼ無償にする条件で、抜けたはずの組合で働かせてもらっていた。様々なゴミ山で働くことで広い範囲を探して、現場の鋼人から情報を得たりもしていた。
「トモのこと許してくれたの?」
「許すも何も決まったことなんだからしょうがない。ボクは目的のために頑張っているだけさ」
言った後、デリィは首を左右へ振った。
「そもそもボクが悪いんだ。理由もなく勝手にモトダのことを疑って。今回はトモのほうがよっぽど賢い選択をしてるさ」
「思ったんだけどさ。なんでそんなにモトダのこと嫌いなの?」
「……モトダも嫌いだけど……何よりも、あのトネヤマがボクにとってはおぞましい」
一目会った瞬間から、怒りの炎が頂点まで昇った。
それを抑えるだけでも苦労していたのに。トネヤマが一言喋るたびに悪寒と殺意が同時に湧いてくる。モトダという言葉が出た時には、聞くだけで針が耳穴の奥まで刺さるような痛みがした。
デリィにとって、あの時間は拷問にも等しかったらしい。
「何かあるのかな?」
「分からない。でも理屈でどう考えようとも、ヤツらを目の前にすると抑えきれない」
デリィ自身もどうやら不明なことのようだ。
アユもこれ以上はまだ突っ込むべきではないなと話題を変えた。
「そういえばさ。デリィは天空郷に行ったら最初に何する? 俺は天文台に行きたいな。天空郷は恐怖王が届いてない場所まで飛べるらしいから、そこから本物の宇宙が見たい」
「ロマンチックというか、子供みたいだな」
「それでデリィは?」
「……別にボク天空郷に行きたくないしな」
ギュル。ギュル。ギュル。ギュル。
虚空に螺子を回す音が何度か響く。呆然としていたアユが覚醒する。
「え~!?」
「すごいボイス。初めて聞いたよ。まさに素っ頓狂って感じだ」
「え、いや、なんで?」
戸惑いが抑えきれないアユを、デリィはからかうように笑った。
「だってボクは、アユとトモといられればそれでいいもの。環境なんてなんだっていいのさ。だからあの時にああ言ったんだ。ボクを置いて、ふたりだけでも行けばいいとも思ってたから」
ジリツと逃走した後の会話を思い出す。あの発現は混乱して言ったのではなかった。
困ったような顔をした後、ドッと疲れたように肩を落とすアユ。
デリィは心配の声をかける。
「どうしたの?」
「いや。なんて返せばいいか分からなかった……今でもこの感情を言葉に出来ない」
「みんなずっと目指してたからね。でもこれはあくまでぼくの気持ちだから、アユはアユで頑張ればいいと思うよ……でも逆にさ、アユはなんでそこまで行きたいと思うの? 都落ちしたトモはともかく、ボクと一緒で記憶がないっていうのに」
アユもデリィも記憶喪失だった。原因は、鋼人化手術の後遺症だと思われる。
しかもアユの場合は左腕が金属化現象によって動かせなくなってもいた。
アユの最初の記憶は、スクラップの海に自分が溺れていたことだった。
左腕があるはずなのに動かせず、右腕だけでもがいてなんとか地上へ這い上がった。バックパックに両親のタグと医療記録が記された記憶媒体とカンプチップが入っていた。
ちなみに都落ちというのは、処罰によって天空郷から追い出されたことだ。
十二歳になる頃、父親が犯した罪のせいで唯一の娘だったトモは都落ちした。両親は処刑されて、機能停止にされたそうだ。
「こんな地獄みたいば場所から抜け出したいって思うのは当然のことじゃないか? デリィ」
スラムで生きるというのは苦しいことだらけだ。
特に何もないの、他の鋼人の襲撃や頻繁に起こる事故に巻き込まれて、ボディが壊されてそのまま永遠に動かなくなる事態だってある。
アユがそう言うと、デリィははっきりと答える。
「そうだよね。普通はそうだと思う……でもね、ボクはそれでもふたりが一緒ならいいんだ。だからまあボクだけ残るっていうのは辛いけど、ふたりが幸せならそれはそれでいいかなって。例えボクだけが地獄で一生を過ごそうが命を落とそうが、構わないよ」
「デリィ……おまえそこまで……」
アユの胸が苦しくなる。寂寥感が機体を苛んでくる。あんなにも天空郷に行きたかったはずなのに、デリィとトモと一緒なら大地に残ってもいいと思い始めている。
アユは感情を声に出そうとした。
しかしマイクから発されるはずの言葉は、自分が思っているものと違ったため寸前で止めた。
(ありがとう。そう言おうとしていた……違う。当然、感謝はしている、だけど今伝えるべき言葉はそうじゃない……でも感謝したい。猛烈に俺はデリィへ感謝をしたい。考えていることとは別の強い感情が、心の奥底からふつふつと湧いてきやがる)
俺もデリィと一緒にスラムへ残りたい。
でもその言葉を口にしようとすると、強い拒絶に阻まれ、後悔がくると予感してしまう。
(俺はビビっているのか? こんな仲間想いの男を捨ててまで、俺という人間はひとりで幸せになりたいというのか?)
否定するため、アユは残ると言おうとする。しかし出かかる音声は、感謝だけだった。
感謝では駄目だ。
それではデリィだけ残ることを肯定してしまう。
感謝癖をここまで疎ましく思ったのは、アユにとっても初めてだった。
「こうしてると思い出すな」
デリィが言った。
するとアユの意思が、工房に戻ってくる。とりあえず今は自分の感情を言葉にするのをやめて、会話を繋ぐことにした。
「何を?」
「アユがこの右腕を付けた日」
その音声を皮切りに、デリィは過去を語り始めた。
トモとデリィ。塵犬は最初はトリオではなくコンビだった。
二機が組んだ目的は、理不尽な組合費を払わせようとする組合からの脱退だった。
チームを結成したと同時に、二機は組合からすぐに退会。組合から抜けることで安定した収入は失ってしまったが、得意分野のボディとチップの修理によって、それまで以上の収入が得られた。資金を貯めていつか天空郷の住民になることを目指し、仕事に励んだ。
しかし、すぐに夢は閉ざされた。
マフィアやギャング紛いの他チームから抗争を仕掛けられたのである。
仕事の邪魔もしくはルール無用で襲撃されて、資金も在庫の商品も奪われていった。彼らを止めるには代表者同士による闘争で勝たなければならなかった。けれどショバ代を払っていたチームの鋼人では闘争をしても勝てず、挙句の果てにそのチームは塵犬を裏切って、敵対していたチームの傘下に入ったのだった。完
全に後ろ盾を失った塵犬は、組合にいた頃よりもひどい搾取にあった。
まさに弱肉強食。エネルギーの強引な摂取をしてパーツの急激な消耗も気にせず、無理にでも働いたが、稼げば稼ぐほど金をむしり取られていく日々が続いた。ついには借金までしたが、それでも二体とも限界を迎えて、いよいよチーム解散を考える。
そんな時だった。両腕が子供用パーツの鋼人――当時のアユがアジトに現れたのだ。
「『闘争がしたいなら、ここに行けと言われた』……最初に出会った時、キミはそんなことを言ってたな」
ゴミ山から脱出したアユは仕事を探して、街長に会った。
老人に何がしたいと質問されると、持っていたカンプチップを見せて、この〈キックボクシング〉というシルバーチップを活かす仕事がしたいと答えた。それならば闘争が一番いいだろうと、塵犬を紹介してもらったのだ。
駄目元で、トモたちはアユを闘争に参加させた。
するとなんと足技だけで敵のギャング紛いの鋼人に勝ったのだ。塵犬から金をせしめていた他のチームも挑んでくるが、アユは一度の敗けもなく勝利を重ねていった。
その内に稼いで、借金を返済したトモとデリィ。仲間と認められたアユを含めて三機は笑って、祝福の宴をした。
「けどまあ、そこからが最大の難関だったね」
ようやく仲良くなった彼らの元に、当時スラムで最強と称される鋼人が現れた。
アユが倒した鋼人たちが所属するチームが傘下だったらしく、ケジメのためアユを破壊しに来た。その場で戦ってみたが、アユはボロ負けした。部下たちの前で壊さないと意味がないと最強の鋼人は言って、その場は見逃してくれた。
「どうしようと必死に悩んだよあの時は。でもそんな時にキミは、強いパンチが打てれば勝てると断言した」
三機は、唯一、動くアユの右腕を大幅に改造することを決めた。
最強の鋼人との闘争は三日後だったため、一から作ることはせずに素体を探す。そして発見したのが、製品テストでは歴代でも最高峰のパワーを誇ったものの、製造の難易度に製造が中止になったクレーン重機のブームだった。
これを鋼人の右腕にして、闘争も行えるようにデリィが改造する。
トモは〈キックボクシング〉の左手を行使するデータは消去して、右拳の技をクオリティアップさせる。アユは二機の手伝いと、敵が使っていたチップの勉強と得られた闘争の動画から動きを観察した。トモとデリィはまったく睡眠を取らずに、三日間を丸々費やした。
苦労の末、アユは勝利した。晴れて塵犬はしばらく抗争から逃れられた。
「それからちょっと前までは、着実に少しずつ稼いでいたね。二週間前に売りに出された第四工場跡を買おうとして、久しぶりにいざこざに巻き込まれたけど」
「今も真っ最中だと思うけどね」
「確かに」
嬉しそうに笑うデリィ。
仕事の件を認めたというより、昔話をしてつい気分が高揚してしまったのだ。アユの右腕を、楽しそうにつつく。
「こいつはボクたち塵犬の想いがこもった結晶だ。みんなで探して、みんなで作った」
「ありがとう。今度はあのジリツにも負けないように頑張るよ」
ブラックチップを探すため、ジリツは未だにこの街に滞在していた。
トモの読み通り、第四工場跡以外で発見された情報も掴んでいたのだろう。こちらも探している内にかち合って、いずれ戦うことになるかもしれなかった。
あの当時最強の鋼人以上の、アユの人生の中でも最高の強敵。
不安にかられながらも、塵犬のために勝利を心の中で誓う。