GME教
「おいタコ」
「誰が全身真っ赤のブサイク野郎だって!?」
「そこまで言ってない」
恐怖王漏れ事件から三日後。
アユとトモはさらなる情報収集のためにチップ屋に来ていた。
頭の天辺から爪先までゼンマイまで赤色に塗られている店主に、ブラックチップについて尋ねている。
「ブラックチップのことは目撃情報だけで、他のことはオイラも知らないな。それに関しても、せいぜい見間違いだろと思っていたから流しもしなかったわけだし」
「オヤジも駄目か」
「悪いな。オイラの店以外だと他にどこ行くんだふたりとも?」
「他の闇市の店主あたりを当たるつもりさ。組合傘下や他のチームにも声をかけたいのが本音だが、どいつもこいつも聞きつけた途端にブラックチップを狙って襲ってくるか法外な代金の要求してくる連中ばかりだろうからな。こうして話を聞きにくるだけでも神経使う」
「オイラたち神経ないけどな。まあそれが正解だな。金にも暴力にも飢えてるからあいつら」
「それでも情報が無かったら、最終的にはGME教の教会に行くしかないな……でもな、あそこはな」
「おいおい。信者の前でその発言はないだろ」
「タコも入信したのかよ。最近、増えてきてないかあそこに入る鋼人」
GME教は、八年前に発足した新興宗教だ。
トモからすると他の胡散臭いカルト教団と違いはないが、泥兎街では入信する鋼人が後を絶たなかった。
「神なんて信じないんじゃなかったのか?」
「まあそうは言ったけどな……」
苦笑いする店主。
それは失言を弄られて恥ずかしがるからとかではなく、過去の発言の後悔からくるものだった。 圧力に屈したわけでも他の誰かから強引に入れられたわけでもなく、彼自身の意思でGME教の信者になったことを裏付けしていた。
「……帰るぞアユ。これ以上ここにいても意味はない」
少し棘を刺すような言い方になってしまったのは、トモが周囲の変化に対して一抹の寂しさを感じてしまったからだった。
(タコもデリィも。なんだよ……やっとチャンスが巡ってきたっていうのに)
デリィは今日もアジトに残って、ブラックチップ探しには付いてこなかった。日増しに機体の汚れや傷が増えてもいた。
トモは不機嫌になったまま、外へ出ようとする。その前に、店主が声をかけた。
「待ってくれ。トモには話があるから残ってほしい」
「……アタシだけ?」
「そうだ」
トモを残して、アユは別の店へ行った。屋内は、店主とトモだけの空間になる。
「話ってだ?」
「トヨダから渡されたヘイシン持ってきてるか?」
「ああ」
先程までとは打って変わって真剣な声だ。トモは、バックパックから取り出す。
「貸せ」
チップ屋店主はヘイシンを受け取ると、起動させる。
操作すると、店内のチップ情報が揃いも揃って画面に浮かんだ、
「すげえなこいつは……座標も大きさも個数も正確なら、内部情報にも間違いがない。これだけ多くの探査先がああってもズレを起こさないなんて。しかも見るやつが見れば構造も完ぺきに把握できちまう」
「そのおかげで企業製のチップの今まで不可解だった部分も把握できるようになった。おかげでアタシのチップカスタマイズ技術も飛躍的に向上したよ。昨晩の修理なんか二時間でノルマどころか余ってたものまで全部終わっちまった」
「今度の仕入れが楽しみだな」
「……ところで、なんでヘイシンを? タコも使いたかったのか?」
「いいや。そういうわけではない……どうやら誰もいないようだな」
レーダーの反応から、店外から十五m圏内で盗聴の類が行われていないことを確認する。
しばらくヘイシンに触れてから、チップ屋店主はトモへ返却した。
「オイラの心配はどうやら杞憂だったようだ」
「どういうことだ?」
「トヨダの悪い噂を聞いてな。ヘイシンに細工が施されていないか確かめた……といっても大企業なんだから謂れのない妬みのひとつやふたつあるのは当たり前で、別にそこまで心配することじゃなかったんだが、知り合いが関わるとなると、どうも気がかりになっちまってな」
「そういうことか……ありがとう」
「急に神妙になるなって。そういうのオイラ苦手だよ」
「ならやめるよ」
ケロっといつもの態度に戻るトモ。からからうような表情の下で、密かに楽しそうだった。
「それはそれでムカつくなおまえ」
「ところで、その悪い噂って具体的にはどんな?」
「社長は既にこの世にいなくて悪徳幹部たちが乗っ取っているとか、パーツを偽造して売り捌いているとか違法な研究をしていたとかかな……あと昔、天空教で子供たちが誘拐されたかなり大きい事件があっただろ?」
「十二年前に起きたあの事件か。二年間の内に数人ほど攫われて、今でも家族の元に戻ってこない子供もいるらしいな」
「そうそれだ……その事件にモトダが関わっているって話だ。根も葉もないのに、こじつけるようにモトダのせいにしやがって。別にモトダを庇うわけじゃないが、ひどい話だよまったく」
嘘が嫌いなチップ屋店主は腹を立てる。
トネヤマさんの前では話題に出さないほうがいいなと、トモはメモリに記録しておいた。
「ところで、話はこれで終わりかい? アユに任せっきりなんて怖いし、さっさと行きたいんだけど」
「いやまだある。ブラックチップについてだ」
「知らないんじゃなかったのか?」
トモが尋ねると、チップ屋店主は悩むように間を開けてから答えた。
「……もしかしたら黒は黒でも。別の黒なんじゃないかって思ってな」
「アタシも考えたがそれは有り得ない。もうそっちの黒いほうは製法も品も消えたはずだ」
トモは怯えたように語る。もし血が通っているのならば、今の彼女は青ざめていただろう。
「それにその消滅の仕方は、ブラックチップとはまた違う。あれは鋼人文明から意図的に抹消されたいわば黒歴史だ。同じカンプチップでも伝説と謳われているブラックチップと違って、世界から求められちゃいない……あと、そんなことならこの辺のカンプチップの流通を担当しているあんたが知らないわけがない」
「いくつかの馴染みの工場に商談にもいっていたが、あれを作っている様子なんてものは全くなかったな。どこもいつもと同じだった」
「……あんなチップはもう生み出しちゃいけない。あれには最悪のデータが詰まっている」
「……そうだな」
二機の心中は同じであった。霧が深くなったことで増した影が店内を包んだ。
しばらくしてトモが帰ろうとすると、店主は言う。
「トモ。もしGME教に寄ることになったら、オイラは忙しくて一か月は教会へ行けないって伝えといてくれ」
「分かったよ……でも言っちゃ悪いけど、アタシには宗教なんてそこまで信じられねえよ」
トモの言い分に、古びた鏡を見つけたような気分になる店主。
「若い頃はオイラもそうだったよ。死ねばスクラップ、天国も地獄もこの世にないってな」
「若いっつってもつい最近までだろ……ほんとどんな心境の変化があったの?」
「――死が怖くなったんだよ」
店主は淡々と、だが穏やかに心情を語る。
「死因はそれぞれだが、オイラみたいに歳をとると幾人もの鋼人が死ぬのを見ることになる。ある日から急に人形みたいに機体が動かなくなったり、金も無ければ助ける人もいなくてボディがペシャンコのままだったり、もう戻ってこないところに踏み込んでしまったりって。そういうのを見ている内に、オイラもいつかこうなるんじゃねえかって思っちまって……」
「空と違って、大地はそんなものだろ?」
「頭では分かっていたんだけどな。こうして老けちまうと実感がな……それで、そう考えると死ぬっていうのは滅茶苦茶怖いなって思えるようになっちまって。若い頃のように杞憂だと跳ね飛ばせないで、毎日毎日、死に怯えてしまうんだ。店番で立っているだけでも、突然オイラは数秒後に死んでしまうじゃないかって不安になっちまう。眠ったらもうこのまま起きられないんじゃないかって、瞼も閉じられなかった」
店主の言い分は、納得はできずとも、そんなものかとトモは受け取った。
けれど少しだけ違和感があった。
なぜそこまで恐怖しているのに、動揺がなくまるで世間話でもするように気楽に話せるのか?
それについて、店主の次の発言を聞いて腑に落ちた
「でもGME教では、いずれ鋼人は不老不死になるというんだ。神を信じていれば、オイラはもう平気なんだ。死が怖くないんだ」
彼は、GME教に既に救われていたのだ。