白衣の王子様
この逼迫した状況にも関わらず、呑気なボイスが聞こえてきた。
少女と両親の近くに、パイプのように背の高い鋼人がいつのまにか立っていた。金属の体に似合わない真っ白な衣を纏っている。
深く腰を曲げて、耳元に囁くように両親へ声をかける。
「この子はあなたたちのお子さんですか?」
「は、はい。でもガスを浴びてしまって。助けようにもお金もなくて」
「ほう~」
「悪いが見物したいだけなら帰ってくれ。最後くらい、家族水入らず三機だけにさせてほしい」
「違いますよ~お父さん~。一機じゃなくて一人で~す。ですが~そういうふうに自分がさせてもらってもいいですよ?」
「どういうことだ?」
「あっ、先生じゃないですか?」
「その特徴的な偏ったバランスの片腕はアユくんだね~お久しぶり~」
「知っているのか?」
「うん。この前、お世話になったお医者さん」
油沼で溺れている男を救ったアユだが、彼はもうすぐでメインCPUが壊れるほど衰弱していた。病院にも間に合わず、諦めかけていたのを救ってくれたのがこの白衣の鋼人だった。
「普段は患者以外の名前は覚えないけど~君のことは気に入ったからよく覚えてるよ~」
「ほ、本当にお医者さんなんですか? でもうちにはお金がなくて」
「お金はいりません~無償であなた方の娘さんを救いましょう~疑り深いのなら支払いは後でということで~」
「ほ、本当ですか!?」
「はい」
驚く両親に、白衣の鋼人は頷いた。
医者の名は、キュウマといった。いきなり医者を名乗る鋼人なんて両親はとても信じられなかったが、〈ドクター〉のカンプチップを持っていたため、この鋼人に賭けてみることにした。
〈ドクター〉は普通のチップと違って店で買えず、厳しい国家試験に合格することで授与される特殊なジョブ系だった。承諾を受け取ったキュウマは、少女を仰向けに寝付かせて、自分は横で膝立ちになる。塵犬たちへ振り向く。
「アユくんとさっきまで治療していたキミ~。キミたちに自分を手伝ってほしいな~」
「俺、不器用だよ」
「だいじょ~ぶアユく~ん。大掛かりな作業や邪魔な物をどかす作業を任せるだけだから~」
「分かった」
「キミは器用そうだから色々頑張ってもらうよ~」
「問題ない」
デリィは毅然とした顔で答えた。アユとデリィの協力を得て、キュウマは治療を開始する。
「これから鋼人化手術を始めま~す。メ~ス」
「うおっ!」
キュウマの音声に反応して、左右の指が全て変形する。
鉤、メス、ハサミ、持針器、針ホルダー。
その他も含めてあらゆる手術に道具類が取り付けられている。
「ボクたちいるのこれ?」
「予備、そしてまだ足りない別の道具がそこのカバンに入っていま~す。用途の違い、変形、滅菌が間に合わないもの。わずかなミスや遅延が救えたはずの命を奪ってしまいま~す。キミは自分の指示に従って、取り替えてくださ~い」
「素人にそんな重要なこと任せるか普通!?」
「出来なきゃ~この子が死ぬだけで~す。それでは頑張ってくださ~い」
「くっ」
初めて感じる多大なストレスに苛まれながら、デリィとアユは体を動かした。
「ワタシは今~君の左手を握っているんだけど~どういう感覚がします~? 痛~い? 熱~い? それとも今は腹の上に感触がある~?」
「分かん……ない。石みたいに……カチンコチンでどこも動かなくて……」
「ではこちらの麻酔をうちましょう~。最新の技術で作られたものをワタシなりにカスタマイズしたもので~す。意識を保ちながらも、感覚だけを二四時間ほど完全に眠らせます」
キュウマは注射への薬液の装填を中止すると、電気メスの電源を入れた。
まずキュウマは左腕に取り掛かった。肩口と手首をメスで一周して切ると、手を掴む。
「も~し痛かったら~素直に言ってくださいね~」
コクリ。
少女が頷くと――腕を骨ごと引っこ抜いた。
「キャアアアアア!」
悲鳴をあげたのは母親。ショッキングな映像に耐えきれなかった。
肝心の少女は、
「痛くないですか~?」
「何かしたの?」
「ううん。何もしてませんよ~」
苦痛が一切なかったのを確認すると、少女の問いをキュウマはにこやかな笑顔で否定した。
すぐに次の段階へ移る。
「キミ~名前はなんて言うの?」
「ミリィ」
「ミリィちゃんか~素敵な名前だね~。かつては世界でも有数の透明度を誇ったマレーシアでの環礁。ロシアではあのロシアクインテットを纏めた偉大な作曲家。タイトルにも使われているハリウッド映画の主人公のキャラ名。ハワイの言葉では、可憐を意味する――女の子に付けるには~本当にいい名前だよ~」
「そうなんだ。知らなかった」
「ワタシはね~キュウマっていうんだ。球と球――救と魂でのダブルミ~ニング」
「へー……なんかすごいねお医者さんって感じで……」
「嘘で~す。ごめんね~本当は今考えた」
「嘘って……クスクス。もう」
「いや~ミリィちゃんに負けないようにおにいさんつい虚勢張っちゃった~」
少女は初めて笑顔を見せた。
キュウマは会話を続ける。
この行為には、リラックスさせるためと意識を手放させない目的があった。もし意識を失ってしまえば肉体はすぐに負傷具合に従って死に陥ってしまうからだ。
その目的を見抜いていたデリィは不思議に思った。
病は気からいう言葉通り、実際、精神がかなり肉体の状態を左右するのは確かだ。ではなぜ意識があれば人は死なないのか? むしろ逆に、死ぬ状態になったから意識を失うのではないか?
今、気にしても仕方ないか。
デリィは悩むことを放棄して、キュウマの命令通りに動く。
「ミリィちゃん~好きな食べものとかある~?」
「ごはんはきらい……だって……何食べてもおいしくないんだもの……」
「分かるよ~昔はワタシもよく支給されたもの食べませんでしたから~」
「違うよ……だってお兄ちゃん……ロボットじゃん」
「ははは~たしかに~。これは一本取られました~」
大笑いして場を和ますキュウマ。
反対に、周囲の鋼人たちは複雑な表情をする。
「ミリィちゃんは賢いね~」
「うふふ……でもそれ本当? 嘘じゃない」
「嘘じゃないですよ。じゃあそんなミリィちゃんは好きなものとかあるのでしょ~か?」
「……本が……好き……」
「本?」
ポツポツと少女は語り出した。
「……うちにね一冊だけ絵本があるの……その本が好きなの……」
「あたしね生まれてからずっと家の中にいたの……外は紫色のガスが危ないからって一歩も外に出ずに……太陽も雲も月も外にしかないものはみんな窓越し……お母さんもお父さんもずっと一緒にいてくれたけど、時々、あたし独りになると体が丸まっていくみたいで苦しかった。このまま外に転がっていたサッカーボールみたいになっちゃうのかなって……」
「そう何回も思っていたときね、お父さんがプレゼントを買ってきてくれたの……これまで渡せなかったけど誕生日プレゼントだって……あのときは誕生日なんてよく分からなかったけど、それでも銀のリボンが大きな箱を包んでるのにワクワクして開いたの……そこにあの絵本が入ってたんだ……王子様が呪われたお姫さまを助けるために旅に出る話……森があって……海があって……動物もいて……王子様は過酷な旅をしながらも最後には薬を手に入れてお姫様の呪いをといてあげるの……」
何度も噛んだり詰まったりしながら、今までの自分の人生を教えてくれた少女。
キュウマは笑みを作って、応じる。
「『地球の王子様』ですね~。ワタシも好きで~す」
「また……また読みたいな……」
「え、絵本のデータ程度ならまた買ってくる!」
「母さんも働くわ! だから戻ったらいっぱい絵本を買ってあげる」
最高の応援で~す。
キュウマが言おうとしたことを両親が言った。やはりずっと一緒にいた肉親の言葉のほうが響く。
現実に、先程まで悪化の一途をたどっていた少女の容態が安定した。
願ってもなかった進展に、キュウマは内心でガッツポーズを決めた。
「ミリィちゃんは~絵本を読みたいの?」
「うん……もっと読んでみたい……見たことないものを見たい……感じたことなかったものを感じてみたい」
「それならよかったですね~」
話している最中にも作業は続く。
腕、足、小腸、大腸、腎臓、十二指腸、肝臓、胃、乳房、肺と次々と捌いていく。
その凄まじい速度と狙った個所からymも狂わない正確さにデリィもアユも舌を巻いていた。ついていけるようにかなり前段階から指示を出されているが、ハプニングのような出来事にも対応しているのは、もはや未来予知をされている気分だった。
少女への微笑みを絶やさないキュウマの後ろで、手伝いの二機は忙しなく働いていると、
「言われたもの持ってきたぜ。闇市とアジトからかき集めてきた」
子供用鋼人のパーツをトモが持ってきてくれた。
「ありがたいで~す。手持ちではどうしても合わない部品がありましたからね~。アユくん~滅菌処理頼みました~」
「はい」
仲間からパーツを受け取ったアユは、言われた通り滅菌のための液体をかけた。
手術はそれからさらに白熱した。
密閉されたテント内での手術は、街が暗闇に陥っても続けられた。外に出ていた塵犬たちが、あらかじめライトを持ってきてくれたおかげで、スムーズに進行できたが、長時間の活動で消耗した手伝いの二機は入れ替わりで途中休憩を挟むこととなった。しかしキュウマは冷却用の液体を失っても、注入しながら手術を続ける。少女を励ましながらも、手を止めない。
手術が終わったのは、朝日が昇る頃だった。
その日は、普段なら光を阻む紫霧さえも輝かせる眩しい太陽だった。
「……」
「あー動いたー!」
テントの中央にいる金属人形――少女が手を動かしたことに声をあげた。鋼人になった彼女の体から既に
肉の部分は消失していた。
マネキンのような体になった少女を、両親は抱きしめる。
「生きてる! ミリィ! 君は生きてるんだね!」
「ミリィ! ミリィ! ああよかった!」
「もう、カツンカツン鳴らさないでよお父さんお母さん。ミリィはちゃんとここにいるよ」
金属同士が当たる音が響く。
生存を確認した両親は、近くで倒れているキュウマへ頭を下げた。
「娘を救ってくださり、ありがとうございました」
「自分は医者として当然のことをしたまでですよ~むしろたまたま近くを通りかかっただけでここまで付き合ってくれた彼らに~その言葉をかけてあげてくださ~い」
テント内では、スリープモードに入っている塵犬たちが機体を伏せていた。
彼らにも感謝する両親。その間に隣で、キュウマはカンプチップを取り出した。
「これはなんですか? 初めて見ますね」
「手術の予後治療のためのカンプチップで~す。それを差しておくことで、術後の副作用を防げたり、娘さんがすぐ機体に馴染めようになりま~す」
「じゃあまさか金属化現象も」
「機体の一部の感覚が消失してしまって、ただの金属材料のように動かなくなるという代表的な後遺症の事例ですね~。当然起こりませ~ん」
「そんなものまで。本当にありがとうございます。先生にはいくら感謝してもしきれません」
「この人も金属化現象のせいで動かない指があったりしたため、出世も断られたのです」
「それは大変ですね~。よければ後で自分の医療所に来ますか~? 力になりますよ~」
両親は喜んですぐに承諾した。
片付けのためそろそろ立ち上がろうとするキュウマへ、少女が近づいてきた。
「キュウマ~キュウマ~」
「なんですか~?」
「これお礼ね」
カツンッ。
「おやっ」
「あのね。キュウマはね、あたしの王子様だから」
「それは~嬉しいですね~」
頬から唇を離すと。照れる少女。初々しい求愛に、キュウマは微笑んだ。