恐怖王
街中の紫霧の色合いに変化が生じ、赤みが増した。
それは泥兎街の夕方時を示す合図だった。
アユが合流地点に行くと、そこにはアジトに残っていたはずのデリィが単機でいた。
(アジトから出かける前に場所と時間を伝えておいてよかった)
アユは安堵する。
そして自分たちを待っているはずのデリィの姿の変化に気付いた。
「えっ」
朝と違って、デリィのボディには廃油やヘドロが付着していて、カラーリングが剥がれている。
パーツの所々に内部まで見える傷があった。
小汚い恰好でいると、近くを通りかかる鋼人たちにときどき不審な目で見られる。
小柄で大人しそうなため危険性はないと判断されたため自警団への通報はなかったが、すぐ視線を離されて、呼び止められもしない。
大勢の鋼人が周囲にいるはずなのに、孤立している彼には寂しさを覚えた。
アユは自分から声をかけようとした。
「……来たのか?」
「……うん」
その前に、トモが合流した。先に村長との会話を終えて、来ていたのだ。
喧嘩中の二体は、気まずそうに視線を合わせないようにする。
シーンとした空気が漂う。
彼らがいる狭い空間だけ、誰も声を発しない時間が続いた。
「その汚れと怪我どうした?」
沈黙を破ったのはトモだった。
「別に……何もないよ……」
「そうかよ」
また無音の空間になる。
(今回の喧嘩、しばらく尾を引きそうだな……)。
憂鬱とした気持ちになるアユだった。
いいかげん、アユは二機と合流することにした。
「ふたりとも、遅れてごめん」
「あ、アユ」
「来たのか」
「占いちゃんの話が長くてね」
「そりゃ大変だったな」
彼が間に立つと、ぎこちないながらも会話のキャッチボールが続くようになった。
そのおかげでとりあえず今後どうするかを話す。
酒場が開店するまで時間がまだあるため、トモが街長から入手したブラックチップの在処かもしれない近場まで向かうことになった。
闇市を抜けて、ゴミ山まで来た。四機は歩きながら情報交換する。
「きょうは恐怖王が薄いな。いい天気だ……それでトモたちはどうだった?」
「目撃情報と、そこから次に出現する可能性が高い場所をジジイと絞り込んだ」
「……」
黙っているデリィ。場を和ませようと、大げさに明るい声でアユは話す。
「そうか。やっぱり凄いなトモは。これでかなり前進したかな。俺は言われた通り、占いちゃんのところへ行っていたよ。情報に関しては空振りだったけど、代わりに占ってもらった」
「よくあんな胡散臭いもの受ける気になったな……今時、占いはないだろ。天気も経営も、未来予測は全部演算で行われる時代なのに」
「でもたまには当たるからね」
「そうは言うがな……前にアタシが占ってもらった時は『今日行く場所に酸が飛び散っているから気を付けろ』って結果が出たのに……」
「デリィが踏んで、踵が溶けたんだよね?」
「……」
話を振られても何のリアクションもしないデリィ。完全に沈黙状態だった。
その態度にキレかけるトモ。また喧嘩にならないようアユはどうにか意思疎通をしようと話しかけた。
バコーン。
突然の爆音に、三機は会話するのもやめて一斉に驚いた。
「何だ急に!?」
「恐怖王が濃くなってる! 除去機の故障だ!」
異常事態に対して、進路を変更して除去機を走って目指す塵犬たち。
辿り着くと、二体の鋼人と一人の幼い少女がいた。
「人間だ……」
「おいあんたら。何があった?」
「娘が……娘が汚染除去機から大量の恐怖王を体に受けてしまって!」
「マジかよ……」
隣の鋼人が影になるほど、ここら一帯だけ紫霧が濃くなっている。
有害物質除去のため集めたものが凝縮されているのだ――そんな濃度の恐怖王を受けた少女の肉体は、腐りかけていた。
皮膚が石でも詰めたように膨れあがり、どす黒く淀んでいる。
空洞がいくつも出来ており、そこから液状化した肉が漏れていた。既に顔面は半分以上が変形していて、元の顔なんて全く分からない。
「なぜここへ連れてきた!? 人間のまま恐怖王を浴びればこうなることは分かってただろ!」
「私たちずっと子供が出来なくて。何度も人工授精して、やっと出来た娘だったんです。だから大事に育てていたんですが、今日もこの子に外をお散歩したいとお願いされて。前からずっと言っていたし、今日は恐怖王も薄いからいいかなって……それがこんなことになるなんて」
「こんなことになるなんてじゃねえよ! お願いだろうとなんだろうと危ないことしそうになったら叱ってでも止めるっていうのが親ってもんだろ!」
「そんなこと、おまえ如き子供を持ったこともない若造に言われんでも分かっているわ!」
「分かってねえから、こんなことになってんだろ!」
「待ってトモ。そしてあんたたちも……今は言い争っている場合じゃない」
少女の両親とトモの言い争いを、アユが諫めた。
そのまま少女を治療しているデリィに尋ねる。
「デリィ。なんとか出来そう?」
「駄目だ。機体と人体じゃ勝手が違いすぎる。国営の緊急病院に連れていくしか……」
「無理ですそんなの!」
大声で病院への搬送を拒否する母親。父親が訳を説明する。
「今まで貯めた金は全てこの子を生むために使ってしまった。治すというのならもう借金するしかないが、返すあてもないのにそんなことをしてしまったら結局は殺されるだけだ。いや、もっとひどい目にあうかもしれない」
「この人はただのジャンク漁りなんです! 保険にも入ってないから手術するにも膨大な治療費が要求されますし、私も含めて身内なんてどこにいるかも分からないからとうていお金なんて借りられません」
「だからって見捨てるのかよあんたら! 自分たちで勝手に生んでおいて都合が悪くなったら捨てるなんて最低だよ!」
「最低なんかじゃない!」
トモの怒りを否定したのは、塵犬の誰かでも両親でもなかった。
倒れている少女自身が、叫んだのだ、
その場にいた全員が戸惑い、視線を一点へ集める。わずかに残った唇を震わせながら少女は両親を責めていたトモへ抵抗するように言った。
「……お父さんもお母さんも頑張ってあたしを産んでくれた……自分の体が壊れていくのも構わずに一生懸命に育ててくれた……だから最低なんかじゃない……」
「でも、こいつらをあなたを見捨てようとして」
「うるさい。ふたりを悪く言う人なんて、大っ嫌い。どっか行ってよ……」
「ミリィ! ミリィ!」
少女の名を呼び、死ぬ寸前の肉体を抱きかかえる両親。
涙を流す機能がついていない彼らが泣くはずなどないのに、悲しみのあまり号泣しているように見えた。
「ごめんよ。父さんが稼げなくて。情けない父さんで。本当にごめんよ」
「すぐに父さんも母さんも同じ場所に行くから待っててね」
強く抱きしめればしめるほど空洞から生命が零れ落ちていく。弱めてしまうと、どこか遠くへ離れていってしまうように感じる。
もうすぐ離されてしまう家族の様子を遠目に見つめている塵犬たち。
「ちっ」
トモが舌打ちした。
アユのほうへ顔を向ける。
「今うちの資金どれくらい残ってる?」
「一〇三万一八四五Gだよ。それがどうかしたか?」
「それ全部、あの子の手術代に使うぞ。足りなかったら道具も売る。それでも足りなかったら、アタシの機体片っ端から売れ」
憐憫の瞳を、トモは親子へ向ける。
すると今まで黙っていたデリィが、振り返って怒鳴りつけた。
「トモ! その資金は第四工場跡を譲ってもらうために、三年かけてみんなで貯めたものだぞ! それに見ず知らずの誰かのために君が犠牲になる必要なんてないだろ!」
「ブラックチップさえ手に入ればチャラだ……もし本当は渡したくないなと思っているのなら言ってくれ。言ったやつが納めた分はしっかり残しておく。もちろん恨みなんてしない。あくまでこれはアタシの我儘だ」
深く頭を下げるトモ。言ったことに嘘偽りはなく、本当に恨むつもりもなかった。
デリィは苦しそうに顔を歪める。
彼だって人命が大事なことは理解している。だから治療の手を止めたりはしていない。
けれど、彼にとってもっと大事なものが別にあるのだ。
言い争っている暇はない。デリィを引き離してでも、トモは少女を医者の元まで運んでいくつもりだった。
「大変ですね~これは」