2 ヴィータル
気がつくと何もない唯々白い空間に僕はいた。
両手で握りしめていたはずのクリスタルもいつの間にかなくなっている。
「は……何これ、ここどこ?」
一瞬パニックになりかけるがまずは周囲を見渡すことにする。
うん…360度見渡しても何もない、果てすらも分からない広大な地平線が広がっていた。
落ち着けー落ち着くんだ、こういうときは深呼吸、それが鉄板。
息を大きく吸い込んだとき、突然後ろから声をかけられる。
「初めま…」
「ひゅごっ―げぇほっ!!」
驚きすぎて吸気が変なとこ入った。しばらくむせ込んだ後、後ろを振り返ると、そこには見たことがない女性が立っていた。先程までは誰もいなかったはずなのに…。
「大丈夫ですか?ごめんなさい、驚かせてしまって」
髪の毛1本1本がまるで金糸のように美しい金髪のロングヘア、その肉感にあふれた身体を豪奢なドレスに包んだ美女がしなを作りながら、僕の顔をのぞきこんでいる。
「大丈夫です…落ち着きました」
細かく咳払いしながら応じる。
「お姉さんもプレイヤーですか?」
今度はこちらから質問を投げかける。
「ふふ……あらためて、初めまして、綺羅星 昴さん、私はナビゲーションAIのヴィータルです。これからよろしくお願いしますね」
その見る者に優しげな印象を与える顔に微笑みを浮かべながらヴィータルさんがお辞儀する。
「ナビゲーションAI !? あなたは人間ではないのですか?」
質問しながら僕は内心驚愕していた。
彼女は自身がAI、つまり人工知能だと言ったからだった。
見た目は完全に人間を再現している。
いくら出来の良い人形に言葉を流暢に話させたとしても違和感が残るものだが、彼女からはその違和感などは全く感じられない。それどころか現実世界でも会ったことがない程の美女だ。
表情や仕草の一つ一つがとても魅力に満ちている。
「はい、あなた方プレイヤーとは違い私は現実世界、つまり地球上に肉体は存在していません。かといって思考や判断能力、知性自体は綺羅星さんの思われる人間とあまり差異はないでしょう。ところで立ち話も何ですので少し場を変えますね」
ヴィータルさんが場所を変えると言うので先程と同じように周りを見渡すがこの空間、仮にログイン空間と呼ぶが本当に何も無い。
大地も空も白一色。まるで何も描いていないキャンバスの中に迷い込んだかのようだった。
一体、どこに行こうというのか?
「んーっと、どんな場所にしましょうか……きれいな場所が良いですね…うん、決めました!」
ヴィータルさんが独りごちていると。
突如、強烈な光が瞬いた。
発光源たるヴィータルさんを直視していたは僕は…
「目がぁ!目がぁあああ~!!」
どこかの大佐が如く、目が焼けた。
「あらあら、大変」
あまり慌てているような声音ではないヴィータルさんの声が聞こえたが僕自身はそれどころではない。
目を瞬かせるがなかなか回復しない。
まるでFPSゲームで何度も使ったことがあるスタングレネードを自らくらったかのようだ。
スタングレネードはその爆発音で耳にもダメージを与えるらしいが、耳には異常はない。
その代わりに目からは涙が止まらない。
その時、フワリと優しい花のような香りを感じたと思ったら目を押さえていた僕の手の上に何かスベスベした物体が触れているのを感じる。
「痛いの痛いの、飛んでいけ~」
そんなんで、治るわけないだろ!内心怒りを覚えたがそれを言葉として発する間もなく目の痛みが嘘のように引いていき、いつもの調子を取り戻した。
まるで魔法のように。
前触れもなく消えていく痛みに驚くがそれを上回る驚きが次の瞬間、僕を襲う。
視力を取り戻すと、ヴィータルさんがほっとしたような表情を浮かべている。
ここまではまだ良い。
問題は周囲の状況だ。
そこは湖畔だった。先程まで無とも呼べるほどの真っ白な世界だったのに目の前に広がる光景の中にはそんな異質さは欠片も見受けられない。
大地には色鮮やかな草や花が生え咲き誇り、海と見紛うほどの巨大な湖は太陽から降り注ぐ陽光を反射し、きらきらと輝いている。
目が使えなかった間に瞬間移動でもしたのかと思ったが、瞬間移動だろうが何もない空間から湖が湧き出たのだろうがどちらにしても常識の範疇を明らかに逸している。
常識の埒外の景色に意識を奪われているとその光景を作った人物から声をかけられる。
「あちらでお話しましょうか?」
ヴィータルさんは白くすっと伸びた指で指し示した。
その指し示した先には立派な木の下に上品なテーブルや椅子がひっそりと並んでいる。
側には創作の世界で見たことがあるアンティークのティーワゴンにお菓子や紅茶セットが置いてあり、大自然の中でくつろぎを得るための場所が演出されていた。
驚きの連続で未だ何もしていないのに若干疲れを感じ始めていたが、そのもう一つの世界とも言うべき世界の精緻さの片鱗をこの身で味わい、心が躍って仕方がなかった。