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ガマガエル

残酷な表現はありませんが、不快に思われるような表現が多数含まれております

 雨の日の通勤時間。通勤電車の座席にて、私の目の前にはガマガエルが座っておりました。

 厚ぼったい唇に、イボの多い肌、血色の悪い肌の色に、垂れた目、そして僅かに笑みを浮かべているその表情は、意識をせずとも私の視界の端に映り込み、思わず吐き気にも似た不快感を抱かせるほどのものでした。同じ電車に乗り合せてしまったことを私はいたく後悔しております。

 仮に過去に戻れるとするのならば、私は全財産を投げ売ってでも過去に戻る事でしょう。

 どうしてこうなったのかを思い返せば、悔しい想いで私の感情が満たされるのです。


 このような事になってしまったのは、少しばかり早起きした私が普段よりも20分も出発の早い電車に乗り込んでしまったのが原因なのでしょう。

 本日の朝も通勤のために電車に乗る必要があったのですが、昨晩は先輩社員に付き合わされた飲み会で帰りが遅く、睡眠時間もまともに取っていないのに、どういうわけか早起きをしてしまいました。ストレスが溜まっていると睡眠時間が短くなりがちだと、聞いたことがございますので、恐らくその類では無いかと私は考えております。ですが私の貧相な知識や想像力ではこれが限界でございます。きっと頭の良い方々ならば、私の話を聞けばきっと原因が分かる事でしょう。

 そして、普段よりも30分ほど早いばかりの起床ですから、これから二度寝をするわけにもいきません。一度寝てしまえば、ちょっとやそっとの刺激では、目覚ましを3個使っても目を覚ましもしない私がそんな事をしてしまっては、仕事の開始時刻には到底間に合いそうにありません。目が覚めてしまった私は仕方なく固いベッドから出ました。

 私は起きてからすぐにテレビのニュース番組を付けました。この時刻に起きてテレビのニュースを見たのは、意外な事に私にとっては初めての事でしたから、この時刻に起きるといつも見ているニュース番組ではスポーツの特集が見られることを初めて私は知りました。ですが、私はスポーツなんぞにはたいして興味はありませんので、そんな情報は大して私には有益ではございませんでした。しかし、あと一ヶ月もすればオリンピックが開催されて、テレビのニュースも世間もその話題でいっぱいになるのだと思うと、少しばかり私の気分も高まってきました。私は流されやすい性格でございますので、普段はスポーツに興味がなくとも、オリンピックが開催されれば大衆の風潮に流されるようにオリンピックの競技を視聴するようになり、結果に一喜一憂するのでしょう。

 私はニュース番組を見ながら、シリアルを食べました。シリアルは後少しで無くなりそうで、今日や明日には買ってこないといけないとは思っています。しかし、脳の小さな私では帰りの時間まで覚えているのか、仮に覚えていたとしても帰る時間によっては買うこともできないかもしれません。もう少し考えて買うべきであると思うのですが、面倒くさがり屋の私はそれを怠ってしまうのです。

 そして、朝食を終え歯磨きを済ませた私は髪の毛を整えると、会社に行くべく身支度を整えます。身支度を整えると普段より20分ほど早い電車に乗ることができると分かりました。早起きをする事で仕事までに少しばかりの余裕ができ、いつもよりも落ち着いて仕事をする事ができるのではないかと思うのです。

 しかし、時間を早めてしまいますと、いつもならば家を出る直前に見ていた少しだけ美人なキャスターが解説をしている天気予報が見られない事もわかりました。しかしこのご時世ですから、天気なんぞ携帯端末でいつでも確認をすることができます。すなわち、家で天気を確認する程度の無駄な時間をとる必要はありません。駅に着いてから、もしくは電車の中で確認すればよろしいのです。


 今、このように振り返ってみると、この時に本日の天気が曇り後に雨が降る事を確認していなかったのがマズかったのではないかと思われます。私は常時折り畳みの傘を持ち歩いておりますから、雨が降っても強烈な風が吹かない限りはそれほど困ることはありません。しかし、雨が降れば普段はあまり顔を見せないような生き物が顔を見せるものです。私はそれをすっかり失念しておりました。


 私が駅に着きますと、そこにはいつも見ているようなスーツ姿の大人から制服の高校生がおりましたが雨であるためか、少しばかりいつもとは様子が違っているようで、今までよりも少しばかり人数が増えているようでございました。乗車人数が増えることは混雑を生むことになりますので、私は電車に乗る前からうんざりしてしまいました。私は混雑と言うものが本当に嫌いで、見ず知らずの他人が体を寄せ合って、あの狭い空間に詰め込まれるという事に納得がいきません。何故もう少しだけ電車を増やさないのでしょうか。通勤時間なのですから、もう一本だけ増やしても構わないじゃないですか。

 しかし、混雑が嫌いだからと言って自家用車を買えるほどの収入はありませんし、買ったとしても乗る機会と言うのが通勤くらいしかありません。それに、私は車を運転することできませんので、今から自動車免許を取るというのは非常に苦労するというものです。

 私の住んでいるところと言うのは都市ではありませんから電車の本数も20分に一本程度しか無く、二人分並んだシートが向かい合った四人席も存在する通勤電車が走っております。そうするとその四人のために電車内のスペースが取られてしまうものですから、電車内に座れるものや立てる者の数は少なくなってしまいます。


 私の通勤先というのはこの駅から40分間乗り続けた先にある終電駅なものですから、ずっと立っているというのは非常に疲れるものなのです。そのため、私はなるべく席に座りたかったのです。今の私にとっての一番の問題は睡眠不足でした。連日の残業と言うものは非常に体力を使われますし、気づかれもするものですから寝てもあまり寝たような感じはしません。

 昨今では高校生のアルバイトですら、拘束時間が10時間を超えるのです。社会人がそれ以上会社に拘束されるのは当然と言えましょう。

 そうこうしているうちに電車が到着しました。幸いなことに、私が予想していたよりも乗っている人数は少ないようであり、この次の電車ではいつも座れない程に混雑しているものですから、少しばかりほっとした気分で空いている席に座りました。空いている席はまだありましたが、それでも立ったままの方はちらほらと見受けられます。そんな方々は少ししか電車に揺られることは無いのだろうと私は勝手に推測して、膝の上に自分のカバンを乗せて、抱きかかえるようにして他人の邪魔にならないように座っておりました。そしてそのまま、電車がわずかに揺れるのを意識の片隅に置いて目を瞑ったのです。意識はだんだんと、だんだんと薄れていきました。



 ぼんやりと意識が浮上しては沈んでいきます。私はそれを数度繰り返したのでしょうが、その度の記憶などはありません。人はどうでもいいことは忘れるように、意識の外に外れるようにできておりますので、その度の記憶などを残しておくようにはできていないのです。

 私にとってまさにその時間がどうでもいい時でしたが、その時の私はぼんやりと浮かんだまま違和感を覚えて意識を戻しました。

 私はとりあえず自分がどこにいるのかを確認しようと、左の手首を確認しました。私が電車に乗ってからまだ30分も経っていません。窓の外を確認すれば、今まではあまり注意して見たことのない風景がありました。水田ばかりが広がる中にポツリと立っている建物や住宅街の不統一な屋根の色など、普段はどうでもいいことなのでしょうが、その時の私には新鮮に感じられました。

 私と同じようにスーツ姿で町を歩く者もいれば、社会人でも私服のようなラフな格好で歩いている者もいます。学生は友人と一緒に歩いている者や、音楽を聴きながら一人で歩いている者、足早に向かっている者などそれだけでも様々で私はその多様性に驚いたのです。

 そんな風に考えてはいるものですが、それでも自身の中ではあまりそう言った感心はあまり深くないようでして、すぐに興味を失ってしまいました。私はすぐに電車内に視線を戻したのです。


 この時ほど、私は気付かない方が良いという言葉を使いたくなったことがございません。確かに私は過剰な表現をすることが良くありますので、このような表現を改めて使ったとしても大げさにしか感じられないと思います。何度も大げさな表現を使い続ければオオカミ少年のごとく他人からは気にされることすらなくなることでしょう。

 しかし、この時ほど私は自分の気持ちを信じてほしいと思ったことはありません。表現を誇張ではなく、そのまま受け取ってほしいと思ったことはありません。他人にとってはこんな話を聞いても特に何も思わないでしょうけども、私にとってはあまりにも耐え難い出来事だったのです。


 目を開けて目の前の座席を見た時、私の目の前にはガマガエルが座っていました。

 その厚ぼったい唇は常にモゴモゴと咀嚼するように動いていて、少し口を開くとニチャッと粘り気のある音がしています。血色の悪い肌の上には不規則に歪なパーツや汚らしいイボが置かれていて、汚らしい形をした垂れ目の周りにもいくつかイボは見受けられました。

 でっぷりとしたその体系は非常に動きにくそうで、荒い息遣いをしながら、はち切れそうなスーツをシートにすり合わせて何度も何度も姿勢を整えるその動きは、まるで大きな麻袋を動かしているようにも見えました。


 私は思わず目を閉じてしまいました。私の目の前にあったものが現実であると瞬時に理解しましたが、生理的な嫌悪感をこれほどまで抱くような存在が目の前に座っていることをすぐに受け入れられるほど私の器量は大きくありません。私の心もそれほど強くないのです。

 今この瞬間も、ニチャリニチャリと不快な音が耳に届きます。意識をするまいと思うのですが、むしろそれが逆効果でした。更にしっかりと耳に深いな音が届くようになった私は、一度でも目の前の汚物を意識してしまったことを何度も何度も後悔しました。


 私は目を瞑って俯き、必死に別の事を考える試みをしましたが、他の事を考えようとするたびに目の前の存在が意識に入り込んできてしまいます。何度やっても結果は同じでした。

 結局、私は目の前のガマガエルを意識せざるを得なくなってしまったのです。私にとってこのことはとんでもない失態であり、一生忘れることは無いでしょう。


 私は何とか不快感を忘れようと努力してからもう一度目をあけました。目を開けなければ良いだけの話なのですが、私は人を軽蔑してしまう癖がありまして、目の前の存在を蔑もうとその価値を見定めようとしてしまったのです。



 ガマガエルはでっぷりと脂肪の着いたあごの皮を垂らして、手に持っている旧式の携帯電話を見ていました。その画面で何を見ているのかはわかりませんが、その動作の一つ一つが不快でございまして、私は何度も嫌な気分になりました。

 何かあるたびに鼻息を立てながら姿勢と表情を変えていきます。何かあるたびに臭い息を目の前の私に吐き付けてきます。そして、その様子から私はこのガマガエルが心の底から嫌いになりました。


 何より私がこのガマガエルの事が嫌になったのは、このガマガエルが人間のような行動を、何の疑いもなく行っているということです。携帯電話をいじり、時に考えるような素振りを見せる、そして僅かに体を動かしてから再び携帯電話をいじる。


 私にはその事だけで実に不快でした。


 お前のようなガマガエルごときが、人間のような素振りを見せるべきではない。

 人間と言うのはお前とは違い、鼻が高く、綺麗な髪の毛をしていて、肌が白く滑らかで、背の高いスマートな存在だ。お前のような肌も白くない汚らしい存在とは違うのだ。お前のようなそこにいるだけで不快にさせるような存在とは違うのだ。


 私はそのような蔑みの言葉を胸の底に置き、目の前のガマガエルを直視しないようにしていました。こんなにも不快にさせるような存在がどのようなものなのかを見極めるためです。自分はこのような存在にはなりたくないと何度も自身の心で考えました。



 しかし、そこであるアクションが起きました。ガマガエルが手に持っていた電話が大きく高鳴り、それを耳に当てたのです。

 ガマガエルはそれからしわがれた大きな声で、偉そうに電話の受け取りをします。周囲の方々も、どうやらこのガマガエルが通話を始めたのを見てこちらを見ましたが、すぐに興味を失ったように各自手元の端末を見始めました。

 ガマガエルはどうやら誰かに指示を出しているようであり、その内容から目の前のガマガエルがそれなりに優秀で、立場もある程度上の存在であるということがうかがい知ることができました。確かにガマガエルは優秀なのでしょう。評価もそれなりに高いのかもしれません。しかし、所詮はガマガエルです。そのようなことも、私の中では少しばかり価値が上がるだけで私にとって不快な存在であることには一切の変化はありません。目の前にあるものがすべてなのです。

 きっと、このガマガエルを雇っている会社もガマガエルの行動や汚らしさをいけない事と思っていない、ガマガエルと同等の頭のおかしい人物なのでしょう。きっとそうに違いありません。そうでなければ、こんなガマガエルを誰かの上司にしたいとは思うはずがありません。



 電話が終わるとガマガエルは再び電話の画面を見つめましたが、そろそろ降りる駅なのか携帯電話をカバンに戻し、立ち上がりました。私はガマガエルの足が当たらないように体ごと足を引き、深く座りましたが、それでも相手の太い足が私に触れ、私は汚されてしまった自分の足を今すぐにでも洗いたくなりました。



 ガマガエルは電車から出ていきます。足取りは非常に悠々としていて、自身がこの世界に生きていることに全くの疑念を抱いていないようでした。私は非常に不快に思いながらも、その事を吐き出す相手も、吐き出す居場所も無いわけでございます。



 私は、再び自分の荷物に顔を伏せました。あの汚らしいガマガエルの存在をどうにかして耐える事ができたのです、私は。全世界から称賛されるべきでしょう。

 ガマガエルが目の前から去った事で私は非常に心が楽になりました。これで目の前の不快な存在は姿を消したのです。私が最も嫌いな存在は姿を消したのです。

 それでも一度目を閉じてしまえば、あのガマガエルの姿だけは瞼の裏に映ります。あの存在は私の気分を最悪にし、後遺症まで残すのです。もしも裁判に持ち込めばほぼ確実に勝つことができるでしょう。

 私は窓の外を眺めていました。私の職場である高いビルが窓から一瞬見えましたが、すぐに見えなくなりました。



 私は電車を降りるとまっすぐに改札に向かいます。しかし、私の気持ちはぬぐえません。あのことは私の心にずっと残り続けることでしょう。こんな何気ないことも根に持ってしまうのが私なのです。醜く、どうしようもない、社会では何の役にも立たない私なのです。

 私は足早に改札を抜けると、手に持っていた傘の開く準備をします。今日は雨なのです。きっと、ガマガエルが出現したのもこの雨のせいでしょう。全て雨が悪いのです。

 私はこの雨に全てを押し付けることにしました。私が寝不足なのも、あんな出来事に出くわしてしまったのも、そんな日に出勤をしなければならないのも。



 私が職場につき建物に入ると、私が通った近くの人は、一度私の顔を見ますが興味を無くして目をそらします。誰も私の顔など見ようとはしません。彼らは興味がないのでしょう。私のような存在はこの世界の人間にはどうでもいいのです。私は、自分の荷物を足早に所定の位置に置くと、出発前に行き忘れていたお手洗いに一度向かいました。



 用を済ませ、私は手を洗います。まだ造られて間もないこの施設はお手洗いもとても綺麗で、毎日掃除もされているからか洗面台は純白の輝きを放っています。私が使うには非常に勿体ないほどに美しい場所です。

 私は毛深い手を洗い、鏡を見ました。



 大きな鏡には猿が映っていました。醜い容姿をした黄色い肌の猿です。鼻も背も低く、人間には好かれそうにない顔立ちや直し様もない猫背をしています。手は毛深く、人間の白い肌とは程遠い黄色の肌をしていて、黒色の髪の毛、黒色の目をしています。


 猿は鏡の中から私を見つめます。いつもの事です。私は鏡を見るたびに、自分を見つめ直さなければならないのです。私が醜い黄色の猿であることを。私が白色とは程遠い、汚らしい存在であることを。

 その事が私にとって苦痛でした。私には、高い鼻も、高い背も、金色の髪の毛も、青色の目も、綺麗な白色の肌もありません。私が持っているのはこの薄汚い黒や黄色の色彩ばかりです。



 私はお手洗いから出ると仕事に向かいました。私がするのはこの施設の掃除です。汚れる仕事など、人間様のやる仕事ではありません。これこそが、このような仕事こそが私に相応しい仕事なのです。


 私は仕事に向かいます。抜け毛で施設を汚さないように肌が見えないようにし、帽子や手袋をしっかり身に着け、アルコール消毒を済ませると、私は掃除用具を持って部屋を出ました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >こんな何気ないことも根に持ってしまうのが私なのです。醜く、どうしようもない、社会では何の役にも立たない私なのです。  ここの部分がぶっ刺さりました。  散々貶した後だからこそ、貶す自分…
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