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第二話 音楽室の怪音

 数日後。夜。

 こうして夜な夜な学校に侵入する度に思うのは、夜の学校は昼間のそれとはまるで別の空間だということである。


 人の居ない静まりかえった廊下に、私達の足音だけがパタパタと響いた。


 「舞花……やっぱり止めとこう……? ほら、いきなり会いに行ったら、向こうだって今日はご機嫌ナナメかもしれないし……」

 「大丈夫だよ~。きっと今回のお化けさんは優しいタイプな気がするんだ~」

 「それ、今までも全く同じ事言ってたよね……?」


 舞花と一緒に学校の七不思議探検隊を結成してから二日。

 本当はわざわざこんなことをする気になどこれっぽっちもなれないのだが、彼女に私のためと言われてしまうと、その輝く瞳も相まって断るに断り切れず。

 いずれ彼女も飽きて自然解散と相成るだろうと目論みながら、夜の学校、暗闇、怪談等々の恐怖にも何とか打ち勝ってここに至るのだが。


 ……なかなか飽きてくれない。


 「夏奈子。お化けさんはね、敵じゃないの。本当はきっと、私達のことを()()()()んだよ! 今日の音楽室の亡霊だってね、……」

 「はぁ……」


 舞花の「お化けさんはお友達」理論は続いていく。

 きっと君の辞書に「恐怖心」という単語は無いのだろう。ああ、分かっていたさ。このスリル狂が。


 「お化けさん達はね、きっと寂しがり屋なの。だから、皆に自分の存在に気づいてもらいたくて、自分は()()()()()()()()って示そうとしてるだけなんだよ」

 「…………」

 「寂しいよね。私も……()()()()()()()()


 階段を上る舞花は下段にいる私に振り返り、にこりと笑った。


 ――薄暗い夜の階段に、ふわりと花が舞った。


 心の奥の寂寥感を押し殺しながら浮かべるその微笑みは、周囲の闇を明るく照らしていく。

 思いもよらぬ彼女の言葉に、私は僅かに両目を見開いた。


 ああ、きっと。彼女は刺激欲しさでこう言っている訳じゃないのだろう。

 本気でそう思っているのだ。


 薄暗くて不気味な夜の学校で、周囲を照らすその微笑みがただ眩しかった。

 天真爛漫で、怖いモノ知らずのスリル狂。心のどこかで彼女を変人と罵っていた自分が恥ずかしく思えた。


 「舞花は……誰に対しても優しいな」


 私は、暗いところが怖い。

 暗いところにいると、自分がどこかへ連れて行かれてしまいそうな気持ちになるから。


 あの夢を思い出すから。


 《私を出して……ここから出してくれ……!》


 私という存在はちっぽけで、自分がいつか消えてしまうかもしれない恐怖に怯えることしかできずにいる。

 いつかこの幸せな日常が崩れ落ちて、大事な何もかもが掌から零れ落ちてしまうのではないかと――そんな悪夢に怯えている。


 でも、彼女は違う。


 彼女が笑ってお化けの話ができるのは、

 彼女が暗い闇を歩けるのは、

 彼女が恐怖に怯えることがないのは、


 きっと彼女が。彼女自身が――


 「はて、夏奈子は急にどうしちゃったのかな?」


 階段を登りきった彼女が、きょとんとした顔つきでこちらを見ていた。

 丸眼鏡の奥でつぶらな黒がぱちくりと瞬きを繰り返している。


 「ん? な……何か変?」


 数刻の間、珍しいものでも眺めるような面持ちでこちらを覗き込む少女。

 真夏の夜の校舎に、冷たい隙間風が吹き抜けた。


 「だって~、夏奈子が私のこと優しいねって言うから~」

 「え、あ、いやそれは」

 「んふっ。こういう話で夏奈子が私にプラスの発言をした試しが今までに無かったもので、ついつい照れてしまったのです」

 「あーはいはい、すみませんね、いつも否定的なコメントで」


 ぽってりとした桃色の頬に両手をあてながら、件の乙女は階段の上でくねくねと小躍りを始めた。

 階段を上りきった私は彼女の肩に手を置き、「気色の悪い動きやめ」と冷たい視線を送る。


 「ねえ夏奈子。私のことそんな風に言うなんて、もしかして何かに乗り移られたりしてるんじゃない?」

 「そんなわけないでしょ……はは」

 そ、そういう冗談は、もっと明るい場所で言ってくれ。

 「早急に確認が必要と見ました」

 「何言ってるの舞花……って、やめ、やめてくすぐったいから! ちょっやめ、あは、あはは……」

 「その下品な笑い方、本人に間違いなし、と」

 「……確認ありがとう」

 お礼に今度同じ仕打ちをしてあげるね。


 私が恨みがましく舞花を睨みつけていたところで、事件は起こった。

 どこかからポロン、と怪しい物音がした。その音が、聞こえてしまった。


 「ま……舞花……今の、聞こえた……?」

 「うんうん、絶対今日のお目当ての教室からだよ~!」

 うわぁ、わくわくしてやがる。


 私達の本日の調査は、「誰もいないはずの音楽室から聞こえてくる、謎のピアノ音」。


 今までに調査したものは二つだったが、正直、理科室の人体模型が歩き回るとか、体育館で霊の子供が自分の生首をボールみたいにして蹴って遊んでるとか、そういったのは現実味がないというか。

 そういった明らかな作り話モノは、流石の私でも耐えられるのだ。

 真実を解き明かすも何も、翌朝に人体模型が倒れているのは風のせいだったし、生首を蹴る子供についてはそもそも気配すら確認できず(でもまあ確認できたらその瞬間に”さようなら”だったけど。生きているって素晴らしいね)。


 でもやっぱり、こうして妙にリアルなのが来てしまうと、なかなか足が進まない。


 音楽室で夜中にピアノを弾く者などいるのだろうか?

 誰が好き好んで、こんな真っ暗な夜中に。


 いるとすれば、それは――


 「やばい。なんかヤバい予感がする、舞花。今日のところは大人しく引き返しておこう」

 「え~。誰か居るのかもしれないんだよ? 七不思議3つ目、音楽室の謎の音の正体は、実はその昔ピアノの前で自殺して死んだ音楽教師だったりして!」

 「そんなに明るいテンションで自殺とか言わない! まったく……そうやっていかにも平気そうにしてる人から連れてかれるんだって相場は決まってるんだ、って舞花?! 待ってよ、舞花!」

 置いてかないで! この状況で取り残されたら私、多分明日あたり廊下の亡霊になってる。


―――――――――――――

第二話 音楽室の怪音

―――――――――――――


 軽やかな足取りで音楽室へと向かっていく彼女と、その場に取り残された私との距離は、みるみるうちに広がっていく。


 非常灯の緑色の光だけが照らす暗い廊下を走りながら、彼女の名前を呼ぶ事で何とか恐怖を紛らわす。

 しかしターゲット(獲物)を前にした彼女は予想を遥かに超えるスピードで、程なくして彼女の姿は闇の中に消えてしまった。


 「舞花ぁ……はぁ、はぁ……待ってくれ……!」


 暗闇に一人取り残された私の喉から、情けない声が漏れ出した。

 暫くしてようやく彼女の背に追いついたかと思えば、そこは既に目的地の前だった。


 舞花は音楽室の扉の前で、私のことを待っていた。


 「遅いよ~、夏奈子~」

 「はぁ、速過ぎるんだ、舞花が、はぁ……」

 「すごい疲れてるね~、夏奈子。まだ若いんだからちゃんと日頃から運動しとかないと」

 「うっ」


 私は普段の自分の行いを振り返った。

 ……そこにはポテチを食べながら漫画を読み漁る自分しかいなかった。


 「まぁそんなことはさておき。いよいよだね、夏奈子!」

 「そ、そうですね……」


 ああ、帰りたい。


 それにしても舞花の目が異常に輝いているのは、残念ながら気のせいではないのだろう。

 この子の中の感情はきっとこうだ。

 →✕お化けさん怖いからどうか会いませんように。

  ○お化けさんにどうか会えますように。


 音楽室の扉からは、異様な寒気を感じた。

 中に何かいるのかもしれない――そう思うと、足が竦んでしまう。


 きっと彼女もそうに違いな……


 「こんにちは~、誰かいませんか~。お化けさんいたら返事してくださ~い」


 彼女はガラン、と勢いよく扉を開けると、暗闇の中へ意気揚々と踏み込んでいった。

 さすが変じ――おっと、先刻自分を戒めたばかりなのについつい失言をしてしまった。


 廊下は薄暗い緑色の明かりがあったから、不気味とはいえど何も見えないわけではなかった。

 しかしこの扉の向こう側の世界は完全に闇だ。明かりのない夜の教室からは妖しい気配しか感じない。


 ゴクリ、と唾を呑み込む。

 私は勇気を振り絞って、教室の中へと足を踏み入れた。



 教室の中は、何も見えなかった。


 時折ヒュゥ、と冷たい風が肌を撫でる。季節は夏のはずなのに、ここはまるで冬だ。氷の国にでも足を踏み入れたような感覚。全身の皮膚を覆いつくす寒気で感覚がおかしくなりそうだ。

 音楽室独特の少しかび臭い香りが、何処からともなく鼻に纏わりついてくる。時折ゴトっと物音がしているのが舞花のものなのかはよく分からないが、とりあえず、そういうことにしておこう。しておくんだ。


 「舞花、どこに……」


 どうする。ここではぐれたら、今度は私が音楽室の亡霊になりそうだ。

 いや、冗談じゃない。助けてくれ舞花。


 ――バクン、バクン

 心臓の鼓動が嫌という程耳元で鳴り響いた。吐く息は荒くなり、顎がガタガタと音を立てる。

 ――バクン、バクン

 手探りで道を探していると、突然()()()()()()()がするりと足の間を掠めた気がして、思わずヒッと小さな叫び声をあげた。



    何 か い る。



 ぞわ、と寒気が脊髄を這い上がり、全身の産毛が一斉に直立する。


 (ヤバいヤバい。電気付けよ、電気)


 電気……どこだ?


 「まいか……?」



 暗い。

 一人だ。

 怖い。



 私を一人にしないでくれ。



 助けて……



 舞花の返事は返ってこなかった。

 時折聞こえる物音が彼女のものであることを切に願った。


 もしかして。もしかして。もしかして。

 嫌な予感が身体中を駆け巡る。


 さっき舞花が無礼なことを言ったのを聞いて、幽霊が怒って連れて行ったとか。

 もしくは私一人だけ、別の世界に迷い込んでしまっているとか。


 嫌だ。助けてくれ。

 こんな暗いところで一人きりにされたら、私は……



 私は……



 ――パチッ。


 その瞬間、電気がついて、周囲が突然明るくなった。

 唐突に入り込む光に視覚の処理が追いつかず目を細めていると、すぐ近くから舞花の声が聞こえてきた。


 「なぁんだ。ネコちゃんが窓から入ってきてたのか~」


 彼女は私の足元でうずくまる猫を見下ろしながら、「お化けさんじゃなかった」と肩を落とした。


 そっか。猫か。猫ね。

 謎の音の正体も、変な物音も、こいつの仕業か。


 「何かこの部屋寒いと思ったら、窓が開いてたからなんだね~。そして、真犯人はこの窓から侵入してきた、と」


 舞花は「あ〜あ、また収穫はなしかぁ」とため息をついてから、へなへなとピアノ前のイスに座す。やがて立ち尽くす私を目に留めた彼女は、クスリと悪戯な笑みを顔面に広げるのだった。


 「夏奈子が今にも泣きそうな声で呼んでるからさ~。可哀想になっちゃって電気つけちゃった~」

 「な、なんだよもう……!」


 でも本当に、彼女とはぐれなくて良かった。

 助かった……。


 「次から舞花とはぐれないように、舞花にずっと掴まってることにするからね?」

 「私はあなたを子供にしたつもりは無くてよ」

 「そこはにっこり微笑みかけてくれるところじゃん……」



 こうして妙にリアルな体験をした三つ目の不思議だったが、それ以降の不思議はあっけない程簡単に暴かれていった。


 四つ目の合わせ鏡の謎、五つ目の階段の数の怪奇現象、六つ目の美術室の絵画の謎。

 どれも単なる噂話であることが再確認できたのみで、私は暗闇に対するそれなりの免疫がついたりつかなかったり逆効果だったりもしたのだが……。


 私はただ、舞花という唯一無二の友人と戯れるこの時間が好きだった。


 一方で、彼女は謎を解き明かしていくうちに――ちょうどこの世界の現実を知り、夢を見ていた子供が大人になっていくあの過程のように――この類の話をすればいつも笑顔だった彼女は、あまり笑顔を見せなくなっていった。


 そしてそれに伴って、彼女は七不思議の話を一切しなくなった。

※三つ目。音楽室の怪音:夜になると、ひとりでに音楽室のピアノが音を奏でるというもの。夢半ばに亡くなった音楽教師が弾いているという説がある。

※四つ目。合わせ鏡の謎:深夜零時ちょうどに合わせ鏡を覗き込むと、あの世から現れた悪霊に魂を取られてしまうというもの。四枚目の鏡に映った自分の顔が目を瞑っていた場合に、四日後に死んでしまうという言い伝えもある。

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