9.異邦人
読み飛ばしても大丈夫な話です。
二十程年前、『神皇』が結界を張る大陸に『魔術師』はやって来た。
その『魔術師』は別大陸にある『光の国』で『光の魔法』を用いて『秩序を乱す者たち』の取り締まりを仕事にしていた。通例なら神皇が結界を張る大陸は光の国の人間は入ることなどできない。しかし『罪人二人』がその大陸に近付いた時は偶然にも結界に穴が開いていて、罪人たちがこの大陸に足を乗せてしまった。彼らを追っていた『魔術師』もまた彼らに続いて未知なる大陸に足を乗せたのである。
それからの『魔術師』は大変だった。追っていた罪人二人は姿を消してしまい、捕らえることができなかったのだ。しかも光の国に帰ろうにも穴は塞がれ、結界が邪魔して帰国することができない。仲間も知り合いもいない。自分の身元がこの大陸の人々に知られたらどうなるかわからない。
途方に暮れたが、幸い魔法は使えたので生きていくためにフリーの魔導士として砂漠の国の有力者に仕えた。しかしその有力者は砂漠の国で暴動をおこし国王の命を奪い、勢いのまま神皇に歯向かい―――神皇を怒らせて失脚した。
魔術師は命からがら神皇の追跡の手から逃れ、そのまま逃亡生活を送った。四大精霊ではなく、光の神を信仰して発動する己の魔術。追手から逃げ、息を潜めてつつも様々なことを試し、探った。自分の魔法はどこまで使えるのか。この大陸に光の魔法の拮抗魔法はあるのか、この大陸の神官や魔導士にどの程度立ち向かえるのか、この大陸において自分の存在はどのように扱われるのか、など。
結論として、魔術師が保有する光の魔法は全て使えるが、一定以上の魔力を要する魔法は『神皇』に察知され、神皇の使いが派遣されて捜索されてしまうこと、自分が神皇反逆の罪で追われていることがわかった。だが、魔法構成の違うこの大陸では自分の魔力を封じることができる人物は『神皇』以外いないであろうこともわかった。時間はかかったが、自分の魔法をどの程度使えるかを知ったことで今までのような闇に潜む生活から離れることができると魔術師は嬉しくなった。そんな時に魔術師はステン・サプスフォードと出会った。ステンは魔術師との出会いを「運命」とよく口にするが、まさしく運命だったと魔術師も思っている。
元々光の魔法を使う自分は光の下にいるべき人間。サプスフォードとの出会いは、光ある世界に戻るためのきっかけで定められた運命なのだと魔術師は思う。
ステンに仕える第一魔導士として表舞台に戻るために、まずはアイリス・サプスフォードとヴィーセル・ラウンデルの結婚をさせることにした。そうすればステン付きの魔術師は王宮の出入りが容易になる。そして『神皇』に拮抗する魔法陣を王宮に施し、水の国を独立させるのだ。
魔術師の魔法によりアイリスの悪評は上向きになり、ないと言われていたアイリスとヴィーセルの婚約が決まり、一週間後には婚約の儀が執り行われる。計画は順調に進んでいる。
とはいえ、気がかりなことがある。最近おかしな出来事が起こっているのだ。
例えばアイリス。彼女には安全のためにと居場所がわかる魔法を魔術師はかけているのだが、時折その探知が鈍る。他にも体験入学で通っている薬術師。この先一役買ってもらうにふさわしいか調べようと「透視」の魔法を向けたが、全て弾かれてしまった。それに今日も薬術師の少女がこの館に来たとき、自分の張った結界が乱れた。
ローレンによると、学園はダニエル・アロカという元王宮魔導士が護衛魔法を掛けていて、薬術師はその元王宮魔導士の家に世話になっているという。魔法の乱れは元王宮魔導士のせいかもしれないが、ともすればそのダニエルという元王宮魔導士はかなりの術師で厄介な相手だと魔術師は思う。
ステンも『ダニエル・アロカは油断ならぬ相手』と眉を顰めていた。ステンもまたダニエルに煮え湯をのまされていたようだ。
だが。
もうすぐ全てが変わると魔術師は薄く笑った。
若いながらも薬術の知識が高いという薬術師の少女。町中の薬術師は資金不足で困っていると聞く。先日、その少女がサプスフォード家からの寄付を受け入れた。例に漏れず彼女も金策に困っていたのだろう。サプスフォード家からの依頼を拒否しないという確約も付けた。拒否できぬ薬術師が即効性の毒薬を調達した。間近に控えたアイリスとヴィーセルの婚約で未来は確実なものとなる。毒薬を用いて邪魔者を亡き者にし、王位譲渡の機会を作る。政治よりは武術を得意とするヴィーセルを操り、サプスフォード家が水の国を手にする。そんな未来。
王族の傍には騎士や魔導士、神官がいるので国王やビンセンスの暗殺は容易ではない。が、即効性の毒薬ならば、回復魔法は間に合わず彼らを殺めることができる。後になっても毒薬とわからない、心臓の死因となる毒を薬術師に渡してもらった。
サプスフォード家に訪れた薬術師の顔を見てみたが、あまりにも幼い少女だ。毒薬を使用したと発覚した場合、あの少女ならば罪を擦り付けることも容易い。サプスフォード家に依頼されたと口にしても、こちらは知らぬ存ぜぬで押し通すだけだ。
あんな小娘の一人や二人、この世から消えたとしても大したことはない。
ステン・サプスフォードの夢は叶い、自分の立場も確保される。光の魔法を使う自分が、二十年以上も裏の世界にいたのだ。
そう。もう裏の世界にいる必要はなくなるのだ。
光りの世界に戻れる日が近いことを魔術師は嬉しく思い、手にある小瓶を見て口の端を上げた。
「まずはこの毒薬の効果を確かめねば、な」