8.ダニエル・アロカ
ダニエル手作りの夕食を堪能した後、お茶を前にしての定例の報告会。ロザリンドの足元に小竜、肩にインコサイズのフィデー鳥がいるのも定例通りだ。
「これ渡されたって?」
「はあ。ローレンさんが、公爵様から預かったわたしへのお小遣いだと言って」
「金貨ねぇ。小遣いにしちゃ、随分と気前がいいな」
ダニエルはロザリンドから渡された金貨を親指と人差し指で摘まみ、光にかざしながらしげしげと眺める。
「でもそれ、偽造硬貨ですよ」
幼少より鉱物と薬草に囲まれて育ったので、硬貨の鉱物の違いはわかるのだとロザリンドが胸を張って断言する。
「魔力成分は同じみてぇだが。そういや出回ってる偽造硬貨は鉱物成分が違うって言ってたな。俺じゃ違いがわかんねぇが、これが偽モンなら偽造硬貨の出所はサプスフォードで間違いねぇな」
「この偽造硬貨のこと、アルと団長様に伝えてくださいね」
ロザリンドの『団長』という単語にダニエルは首を傾げた。騎士団の団長は現在九名名を連ねているのだ。しかしすぐにロザリンドと繋がりのある団長に思い至る。
「団長様……アンドレイか。アルジャックは今日は当直でいねえし、わかった。伝えとく。んで、他に何言われた」
「魔法契約したので秘密でぇす」
えへへと笑いながらロザリンドが人差し指を立てて唇に寄せてこれ以上は話さないよ、の意思表示をする。
魔法契約書を交わした以上、契約者は文面通りのことを実行しなければならない。魔導士であるダニエルとてそれは理解している。
「だが、何も話さないんじゃお前を護れねぇぞ?」
「仕方ないですよ。魔法契約書って内容を話したら、魔法発動しちゃうものなんでしょ? それ、感知されちゃったら困るのは団長様たちの方じゃないですか」
魔法契約書に従わなければ、違反したとして魔法が発動する。いまロザリンドの足元であくびをしているドラコちゃんこと小竜がロザリンドに向く魔法をせっせと弾いているので、魔法契約書の魔法が発動してもロザリンド自身への害は無いに等しいだろう。しかしここで『魔法契約書の魔法』を発動させてしまってはロザリンドが誰かにサプスフォード家との契約内容を漏らしたことが伝わってしまう。ロザリンドに対してサプスフォード家が疑惑の目を向けるのは確実だ。ロザリンドとしては自分とアイリスが安全圏にいるのなら魔法契約を違えても構わないのだろうが、偽造硬貨の件に貢献するつもりでいるのはアンドレイに恩でも売ろうとしているのだろう。
「団長様には偽造硬貨の証拠、さっさと手早く颯爽と掴みやがれ……掴んでくださいって伝えてもらえますか。それで、ですね。書類にこういう『透かし』が書かれてたわけなんですが」
ロザリンドはふんふんと鼻歌交じりにさらさらと白紙に模様と文字を描き始めた。透かしに関しては漏らしてはいけないと文書に書かれていなかったようで、契約違反にはならないのだとロザリンドは楽しそうにしている。
「この透かし模様は魔法契約書に組み込まれている魔法陣だな。しかし、この文字は見たことがないが」
書き上げられた陣の中に記された文字は、ダニエルが一度も目にしたことのないものだ。指で見知らぬ文字をなぞってみるがそれで解読などできるはずもない。故に何の、どのような効果のある魔法陣であるのかがわからず、魔法陣発動の解除をする手がかりは見つからない。
ちっ、と舌打ちしたダニエルに、ロザリンドはにんまりとしながらダニエルに近寄った。
「勉強不足ですよ、ダニエルセ、ン、セ、イ。わたしは読めますからね。これは光、これが神で、契約という文字がこれふが……っ!」
「まて」
ダニエルが手でロザリンドを押さえる。体格差もあり、ダニエルの手はロザリンドの顔を全面覆っていた。顔面全体を押さえられて口と鼻も塞がれたロザリンドは話ができず、ふがふがと指の間から息を漏らす。
「なんでお前が魔法陣の文字を読めるんだ。魔力なしだろうっ!」
魔法陣に書かれる文字は大抵古代文字だ。魔力を扱うために魔導士は古代文字を習うことは当たり前だが、魔力なしの者が古代文字を学んだところでなんの利益にもならない。まして古代書の多くは魔法がかけられており、写すことができず『読む』ことしかできない。しかも、魔力持ちでなけれ『見る』ことすらできないのだ。
「っぷはぁ! わたし魔力ないですけど、この文字お師匠様が持っている辞典の文字ですからっ!」
手を強引に外して新鮮な空気を肺に入れたロザリンドがダニエルに向かって叫ぶ。その言葉からダニエルはロザリンドがこの寮に多数の本を持ち込んだことを思い出した。
「お師匠へ来月提出する薬草の研究レポートに必要なんです」
そう言ってロザリンドが寮に持ち込んだ本の中に、ダニエルが全く読めない文字の辞書があったことも思い出す。
「その辞典の持ち主はお前の師匠……ってぇと、サキュリア・アナフガルか」
「そうです」
再び胸を張ってロザリンドが答える。
「お師匠様は物知りで、語学も堪能なんですぅ!」
「ここに光、って書いてあるんだな。……そういや小竜が魔法を『食べた』ことがあったな」
「ああ、そんなことありましたね。ドラコちゃんがウマウマのご飯食べたって」
小竜が珍しくロザリンドに付いて学園に行かなかったことがあった。理由は『美味しい食事で満腹になり眠たいから』だった。小竜の食事は『肉』『光』『闇』だ。ロザリンドに向かった魔法を小竜が『食べて』いて、その魔法が極上の味だったらしいことは把握していたが。
「ってことはあの契約書の魔法陣は、『光』の魔法で構成されてるな」
ダニエルはロザリンドが教えた言葉を順序に右の人差し指でたどり、ふむ、と顎に左の指を添えて考える。
サプスフォード家が抱えている得体のしれない魔導士。魔導士が使うのはこの大陸にはない『光』の魔法。アンドレイがサプスフォード家の侵入に選んだのはロザリンド。そのロザリンドが持つ辞典。
「なるほど、光、か。……魔法契約書の解除、できるかもしれねぇぞ」
「ホントですか?」
「三日かかるが」
「使えない魔導士ですね」
「うるせぇ。俺はしがない教師だ。が、何とかする」
「ま、いいです。いざとなったらドラコちゃんがわたしとアイリス様守ってくれますから、ね?」
ロザリンドと小竜が目を合わせ、小さく同時に頷くと、ロザリンドの肩で青い鳥がピーと鳴いた。
「もちろんフィーちゃんも頼りにしてるよ」
「お前に関しちゃアンドレイも見張ってると思うが。まあ、偽造硬貨の方は何とかするから守ってもらえ。騎士よりも魔導士よりも有能な小竜とフィデー鳥だ。そのブレスレットもあるしな」
ですよねー、とロザリンドが手首を飾るブレスレットを見る。ブレスレットの珠のいくつかは既に色が変わっていた。悪意がロザリンドに向かった証拠だ。
サプスフォード家でのお茶会があった夜。
「珠の色が変わったが、何かあったのか」
「お茶飲んだだけですよ」
「なんだってっ」
アルジャックが訊ねた際に平然とそう答えたロザリンド。飲んだお茶が危険な物だったということに慌てるアルジャックに
「確認したかったので、毒が入っているの知ってて飲みました。別にサプスフォード家がわたしに毒を盛ったわけじゃありません」
確認のために致死量にならない程度、僅かしか口に入れなかったとロザリンドは伝えた。ロザリンドが狙われたわけではないことを知ったアルジャックはホッとした顔をした。が、結局ロザリンドは誰が、誰に毒を盛ったのかについては口を噤み、教えることはなかった。
異なる色が連なるブレスレットを見ながらロザリンドが感心したように言う。
「あの程度の毒で反応するなんて、凄いです。ここまで精密な魔法具だと、相当高かったでしょうに」
「作り手も相当な腕前だぞ」
ダニエルが笑って答えた。
ダニエルはロザリンドを護る魔法具の作り手が誰なのか、なんとなくわかっていた。恐らくはその作り手なら、光の魔法に対応するためのアドバイスを貰えるであろうことも。
「明日アンドレイの所に顔を出してから学園に行くが……学園にお前一人置いてくのは心配だが、お前の動きはアンドレイが追ってるだろうし、フィデー鳥も小竜もいるから死ぬこたぁねぇだろ。ま、程よく好きにしろ」
好きにしろ、と言ったら遠慮なく際限なく好きにしそうなので、『程よく』と一応は釘を刺しておく。それを守るかどうかはわからないが。
「もしお前が無茶するようなら、お前の師匠サンに物申しにいく…………」
「やだなぁダニエル先生! わたしいつだって程よくで動いてますよぉ!」
ね、ね、とフィデー鳥と小竜と頷きあうロザリンドだが、その表情は引き攣っている。ロザリンドとサキュリアがどんな師弟関係なのかを垣間見た気がするダニエルだった。




