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6.ヴィーセル・ラウンデル

 






 ヴィーセルとアイリスのお茶会はハイクラス入学前から何度か開催され、定例となったのはサプスフォード家からの結婚の話を受け入れてからだ。会場はサプスフォード家のサロンと決まっていて、訪問するたびにヴィーセルは当日アイリスに飲んで貰う茶葉を贈り物として持って行っていた。

 今日もサプスフォード家の重厚な玄関扉を抜け、手厚く迎え入れられて使用人に『茶葉おくりもの』を渡す。案内されてサロンに入れば、白いテーブルセットにアイリスが一人、綺麗な姿勢で座っていた。テーブルの上には焼き菓子の入った小さな籠。

 ピンク色のマキシシフォンのワンピースを着ているアイリスの視線はその籠でもなく、大きなガラス向こうの景色でもなく、ただ真っ直ぐ向いているだけだった。

 明るい光の下で普段より輝く金髪に、ヴィーセルは自然と苛立つ。

 天窓から注ぐ光の下で輝くべきは、この女ではなくあの少女の笑顔だ。

 そう思い、ついアイリスを睨んでしまう。


「ヴィーセル様」


 ヴィーセルの射るような視線に気付いたのか、アイリスが瞬きを数回して首を動かし、ヴィーセルと視線を交えた。


「ごきげんよう」


 慌てて席を立つ。ふわり、とワンピースの裾が揺れ、アイリスがいつも身に付けているネックレスの赤い宝石が細い首元で揺れた。無言で会釈だけしてアイリスの横を通り、ヴィーセルは大きな窓枠に背を預けて外を眺める。その場所はアイリスとのお茶会でのヴィーセルの定位置だ。

 ハイクラス入学後より今まで何度も二人の茶会は開かれていたが、ヴィーセルは一度たりとも白いイスに着席したことはない。素っ気ない態度も変わらない。しかし、ヴィーセルの行為をアイリスが咎めたことはないし、ローレンや使用人はサロンに顔を出すことはあっても口出しは全くしないし、ステンはサロンには姿を現したことはないので


「席にどうぞ」


 と言われたことは一度もなかった。同じ室内にいても会話が弾むことはなく、続きもせず、


「先日このようなことがありましたの」


 というアイリスに


「そうか」


 ヴィーセルが相槌を打つだけの、アイリスの一方的な報告会のようなものだった。

 二人だけの空間にしばらく無音が続いたが、こちらですという声と共にサロンの扉が開く音がした。


「ごきげんよう、ロザリンド様」

「こんにちは、アイリス様。本日は招待してくださり、誠にありがとうございます」


 扉に視線を向ければ、白いブラウスに紺色のロングスカート姿のロザリンドが、習ったばかりの貴族の挨拶をアイリスに披露してみせていた。

 ぎこちなさと顔の引き攣りが減点で、六十点だな。

 そう思いつつ、アイリスが他の誰かを茶会に招待するなど初めてのことでもあり、ヴィーセルは不審に思った。

 アイリスが体験入学でやって来た国内最年少の薬術師である目の前の少女に好意を持ったことは、初日のダンスをする姿を見て把握していた。少女もまたアイリスに好感を持ち、アイリスに冷たいヴィーセルを非道だと言わんばかりの目で見ていることも知っていた。

 が、ヴィーセルとしては


「騙されるな、その女は人殺しだ」


 と、ロザリンドに忠告したいところだ。確たる証拠がないので、無暗にサプスフォード家令嬢を中傷する台詞など言えないのであるが。


「どうぞお席に着いてくださいませ。今お茶を準備させますわ」


 テーブルの上の鈴をチリンと鳴らせば、閉じられたドア向こうで人が動いた気配がした。

 ロザリンドが空いていたアイリスの対面のイスに座る。身体が小さいせいで、足が宙に浮いていた。二人が同じ歳とは思えないなとヴィーセルは苦笑した。

ロザリンドの肩で動く青い物体が見え、目を凝らす。それが青い鳥、インコだと理解し


「ああ、動物使いか」


思わずロザリンドの二つ名を言いそうになった。

ヴィーセルはダニエルとロザリンドが共にいるところを目にしたことがるが、ダニエルが


「動物使い」


といえば、即行


「薬術師です!」


 訂正の言葉が入る、という光景を何度も見た。ダニエルのように訂正されるだけの会話は不要とヴィーセルは顔を顰めて言葉を喉で押し止めた。

 ヴィーセルの葛藤など知らない青い鳥は、ロザリンドの肩の上でチチチ、と鳴いていた。まるでアイリスに向かって語りかけるかのように。


「フィーちゃん。食べます?」


 アイリスが焼き菓子を手に取り、ナプキンの上で崩して小さな塊を鳥に差し出した。

 すると、青い鳥は小さな足を懸命に動かしてアイリスの方へ移動し、アイリスの手の上から直に焼き菓子をくちばしで啄んでいく。  


「ふふっ……可愛い」


 鳥を見て微笑むアイリスの姿に、更にヴィーセルの眉間に皺が寄る。

 鳥と共に過ごすべきなのは、アイリスではなく鳥を相棒に持ったノエルだ―――

 憎々しく思いながらも、笑いを零すアイリスにヴィーセルは驚いてもいた。動物嫌いであるはずのアイリスが、動物と戯れているのだ。『動物使い』と呼ばれるロザリンド・アナフガルが肩に乗せてきた『フィーちゃん』と呼ばれる青いインコ。そのインコとアイリスが仲良さげに遊んでいる光景。想像もしていなかった光景だ。

 アイリスは動物全般が嫌いだと思っていたのでその姿に驚きはしたものの、飼いならされた小さなインコは以前言っていた


「手も服も汚れるから動物は嫌い」


という『動物』の範疇ではないのだろうとヴィーセルは思った。

 しばらくしてから使用人が運び、並べたティーセット。液体を注がれたカップを見て、ロザリンドが興奮し上ずった声を上げた。


「もしかして、わたしのお茶は天上の国リーナイトの物ですか?」

「まあ。ご存じなの?」

「一度だけ口にしたことがあります。貴重な体験でしたからこのピンク色は忘れられません」


 ロザリンドが茶葉の原産地を言い当てたことに、アイリス同様ヴィーセルも驚いた。天上の国は交易をかなり抑えており、水の国(スィーデルノ)においては天上の国の産物は高価で庶民が手に入れることはないからだ。 

 ロザリンドは興味深そうに自身に淹れられたお茶とアイリスのお茶を見比べる。


「わたしとアイリス様の茶葉は違うんですか? アイリス様のお茶は綺麗な薄紅色ですね」

「ええ。わたくしの物は、いつも殿下から戴いている茶葉なの」


 言いながらアイリスは頬を染めた。

 確かにアイリスはいつもヴィーセルが持ってくる茶葉で淹れた物を飲んでいる。だからロザリンドのお茶はピンクの半透明、アイリスのお茶は薄紅色だ。

 そして、アイリスが毎回必ず自分が準備したお茶を飲むことを利用し、ヴィーセルはその茶葉の中にとある薬草を混ぜていた。

 王宮内に薬術師という職種は不在だ。というより不要だ。体調に異常があれば王族は王宮に控えている神官、魔導士による治療が即座に行われるからだ。だからヴィーセルは薬術師と話したことはないし薬草に詳しいわけでもない。だからその薬草の形と色と効能については、かつて読んだ書庫にあった古い植物の本に書かれた内容のことしかわからない。


 薬草の名前はウィダー草。


 その薬草を視察先の庭の片隅で見かけた時、ヴィーセルは誰の目にも留まらぬようこっそりとそれを摘んでいた。そしてアイリスへの形だけの贈り物と予定していた茶葉に、乾燥させたそれを混ぜていた。カップの中の液体は、アイリスの爪の色と同じ薄紅色。薬草の効果は爪に現れる、と本に書かれてあったから、その薬の効果はでているはずだとヴィーセルは思う。


「アイリス様。そのお茶ってどんな味なんですか」


 薬術師の少女がアイリスのお茶に興味津々と、カップに手を付けようとしていた。茶葉が異なれば味がどう違うのか気になってしまう気持ちはヴィーセルにもわかる。だが、ヴィーセルとしてはその茶をアイリス以外の者に飲んでほしくはなかった。

 ましてロザリンドは薬術師だ。味で薬草を入れ込んでいることがわかってしまうかもしれない。そのことがアイリスに知れてしまうのは困る。

 少女を止めなければ……


「駄目だっ!」


 気持ちが逸り、ヴィーセルは怒鳴るような制止の声を出してしまった。


「それ、は、俺がアイリスだけに贈ったものだ。そもそも人のカップの物を飲むのはマナー違反だ」


 幸い『体験入学の薬術師』が来てから学園での午後の授業はほぼマナーやダンスに変更されていた。まるで薬術師の少女に貴族のマナーを一通り教えるかのようではあったが、その授業で習ったばかりの内容だったので、説得性が高まったヴィーセルの言葉にロザリンドは納得し。


「そうでしたね、そう言われれば先日授業で習ったばかりでしたね。それなのに忘れちゃうなんて、すみません。大変失礼なことを言いました」


 頭を掻きながら苦笑する。


「いや……」


 ロザリンドになんと返せばいいのかわからず、ヴィーセルは言葉に詰まり、ロザリンドはしゅん、と肩を落とし、アイリスは困った顔をして二人を交互に見ていた。


「ここにいるか」


 シンと静まり返ってしまったサロンに、場に合わないやたら明るい男性の声が響き渡った。現れたのはステンで、彼は全身黒衣の上に漆黒のマントを纏った魔導士数名と、私服の上に漆黒のマントを纏ったローレンを連れてサロンに入ってきた。


「お父様」


 アイリスの呟きに似た声で、入室者がステン・アナフガル公爵と理解したロザリンドが慌ててイスから立ち上がり、ステンに礼をする。


「はじめまして、公爵様。ロザリンド・アナフガルと申します。この度はアイリス様からのお誘いを受け、訪問させていただきました。この度の温かい心遣い誠にありがとうございます」

「挨拶はいい。それよりも私がそなたに寄付をしたいと考えていることをソレから聞いているか」


 ステンの言葉にロザリンドが眉根を寄せた。

 ソレ?

 という口の動きで、「ソレ」が何なのかがわからず、けれどステンの視線でアイリスのことをそう呼んでいることに気付いたようだった。ソレ、は娘を呼ぶに相応しくないと思っているようだったが、場をわきまえているのかロザリンドは自分の考えを口にすることはなかった。


「はい。伺っています」

「わが娘と同じ歳ながら民のために薬術師として働いていると聞けば、是非応援したくなり寄付をと思ってな。寄付金を贈る代わりに、面倒な薬剤の調合を願うこともあるやもしれんが」

「公爵様。お優しいお心遣い、誠にありがとうございます。光栄なお話と思いますが、寄付の件につきましては相談する時間をいただきたく思います。アナフガル診療所の設立者はわたしの養父なもので」

「そうか。では受け入れる意思が固まったらローレンに返事を。学園なら会うことも容易いだろう」

「……公爵様」


 ステンの言葉の切りがいい所で後ろに立っていた白髪の魔導士が動き、ステンに何か耳打ちをする。


「何? 館内の魔力が乱れている?」


 ステンは頷いた魔導士を受けてサロン内を視線で一巡した。止まった視線の先はロザリンドだった。


「薬術師。お前は魔力を持っているのか?」

「いいえ。全くありませんっ」

「本当か」

「はいっ」


 ステンに問われ、ロザリンドは恐縮しながらもはっきりと否定する。

 しかしその言葉を信用していないようで、ステンの視線はロザリンドに留めたままだ。その姿が無意味に怒られている子供のように見え、ヴィーセルは溜息を零しつつロザリンドの隣に立った。


「わたし、魔力は本当に持っていませ……」

「サプスフォード公爵。彼女は魔力なし判定です」


 疑わしい目でロザリンドを見ているステンに、ヴィーセルは知る限りの説明をする。


「学園の体験入学にあたり、彼女の身辺調査の報告書は全て私の所に来ていました。目を通しましたが、魔力なしの薬術師であることは間違いないと私が保証します」

「報告書の信憑性は?」

「後見はジョルディ・ロメイ。身元調査はアンドレイ・グリエです」

「ジョルディとアンドレイか」


 ヴィーセルの言葉でようやくステンは視線をロザリンドから白髪の魔術士に移した。


「魔法強化を」


 公爵の指示に、白髪の黒衣の男は頭を下げて了承の意を伝える。


「ではいい返事を待っている」


 これ以上この場に用はないと、ロザリンドに言葉を残してステンは来たとき同様、魔導士を引き連れてサロンを出ていった。

 一連の流れを見て、今日もアイリスとステンの会話は無かったな、とヴィーセルは思う。時折見かける買い物をする父娘は以前同様仲睦まじい姿だと言われている。近頃は婚約の儀の後は王宮で過ごすことになるアイリスにステンは欲しがるもの、似合いそうなものを惜しみ無く買っているという話も耳に入っている。

反面お茶会の時や招待を受けたパーティなどではアイリスとステンは親子とは思えないほどの距離感がある。公私を別けている、といわれればなるほどとも思うが、今日もステンはアイリスにひと言も声をかけていない。視線も交えていない。公私を別けすぎなのではないか、とヴィーセルが思うほどに。


「ねえ、ロザリンド様。フィーちゃんともう少し遊んでも良いかしら」

「あ、ええ。全然良いですけど」


 ヴィーセルがぼ考え事をしていると、ロザリンドの了承を得てアイリスが青い鳥に声をかけて再びお菓子を与え始めた。時間が経つにつれ、アイリスの表情に笑みが零れ始める。


「フィーちゃん、この庭には薔薇がたくさん咲いておりますの」


 アイリスは静かに青い鳥に語り掛ける。


「香りも良くて色も形もとても綺麗なのですけれど、薔薇には棘がありますわ。お気を付けくださいませ」


 アイリスの話の内容に、皮肉だな、とヴィーセルは口元を歪める。なぜならアイリス以上に薔薇に例えられる女性はいないからだ。


 薔薇アイリスには気をつける……当たり前だろう。

 ―――この女があの子を殺したのだから。





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