5.アルジャック・ロメイ
アルジャック・ロメイは肩に大きな箱を乗せて道を歩いていた。目的地は王立学園の寮だ。
肩にある荷物の、あまりの重さに体がよろめくこともあったが、十九歳という若さと持ち前の体力とバランス感覚の良さで倒れることはなかった。が、荒い息を吐きながら毒づいた。
「くっそ、ふざけんなよ、ロザリーッ」
これが何度目の言葉なのか正確な回数はわからないが、十回は越えていることは自覚している。そして周囲は何事かと彼に視線を向けるのだ。
小麦色の肌に茶色の髪。長身で手足は長く、引き締まった体に無駄な筋肉はない。少し長目の茶色の髪は綺麗な首とアーモンド形の瞳を見え隠れさせて、色気をそそっている色男だ。
普段はナンパ師の彼であるが、肩の荷物を抱えて女性を口説く気にはならなかった。
しかも濃紺の騎士服を着ている彼がひたすら何かを罵りながら歩いているので、近寄る者は誰もいない。
「レポート提出に必要な本と、情報をまとめた紙を持ってきてほしい」
肩の上の荷物運びは馴染みの少女から昨晩受けた依頼だった。
念願であった薬術師になった少女は、師匠である義母から定期的に薬草の効能についてのレポートの提出を決められている。
今回の締め切りは一ヶ月後のようだ。騎士団からの依頼で学園体験をしてもらっているのだが、その終了と期日がほぼ同じなのである。
「お師匠様の『お仕置き』は嫌っ! 締め切りを破るわけにはいかないんですっ」
必死な形相で少女は叫んだ。
幼い頃に師匠のお仕置きを少女と共に食らったことのあるアルジャックは記憶を蘇らせ、身震いした。
サキュリア・アナフガルによる拳骨。
あれは痛かった。人の身体を知り尽くしている彼女は、身体の弱い所を、敢えて突いてくるのだ。それも容赦ない拳骨を。一度経験すれば、二度はないように全力で避けるお仕置きだった。
その拳骨の威力は現在も継続されているようで、ロザリンドも師匠の言いつけだけは必ず……なるべく守るようにしている。
アルジャックがアナフガル家と知り合ったのは祖父、ジョルディがアナフガル診療所を懇意にしていたからだ。当時は元帥という立場であったのに、わざわざ城下の、年若い医術師マサト・アナフガルと薬術師サキュリアを選んで治療に行っていたのである。
「なんで診療所?」
立場上行けば速効で治療され、完治できる神殿や魔導院があるのに、と不思議に思ったアルジャックがジョルディに訊ねたことがあったが、
「アナフガル診療所は特別な場所なんだよ」
そう言いながら楽しそうに通院しているので、好奇心にあふれたアルジャックもついて行くようになり、気付けばアナフガル家と仲良くなっていた。
ロザリンドはアルジャックにとって可愛い妹みたいなものである。
「たかが五百枚程度の紙と、先生とお師匠様秘蔵の書、三十冊くらいですから」
ロザリンドは運んでほしい荷物をそう言っていた。アナフガル家に行き、ロザリンドの伝言を伝えると
「これだ」
サキュリアが準備した紙と本。
まあ、確かに少女の言う通りだった。紙五百枚は想像通りのものだ。しかし、本が問題だった。一冊二十センチ程の厚みの物ばかりだったのだ。一冊二十センチの本が、計三十二冊。
山積みされた本を見て、袋での運搬が困難だろうと『先生』ことマサト・アナフガルが使ってくれと箱を捜し出してきてくれた。ごめんね、よろしくねと謝りながら。
見た目子供だからと油断すれば、痛い目を見る。庶民の憧れの騎士様に対しても容赦ない、ロザリンド・アナフガル。
「こう、振り回されちゃたまんねェな」
そう恨めしく思っても憎みきれないのがロザリンドという少女だ。見た目は子供で性格も子供寄り。しかし知識は最年少で薬術師になるほど一丁前に大人。
「ま、振り回されてんのは俺だけじゃねェか」
アナフガル夫妻は養女に迎えたロザリンドを可愛がっている。容赦ない躾は、独り立ちできるようにと敢えての厳しさだ。
ジョルディは孫の一人のようにロザリンドを気にかけているし、自分が今年入隊し所属する第七騎士団の団長、アンドレイも少女をよく構っている。
そこでアルジャックは訂正する。
あれは構ってるってより、遊んでるだな。
見た目麗しいアンドレイ・グリエ。常々飄々とした態度で、冷たい笑顔を浮かべている男なのだが、ロザリンドといる時は心底楽しそうな雰囲気を出している。なんだかんだと城下での動物に関わる騒動にロザリンドに助けを求め、いつしか彼女は「動物使い」という名を授かってしまっていた。
今回はアンドレイの依頼で学園に体験入学しているロザリンド。その裏では様々な意図が絡んでいるのだが、そのことをロザリンドは知らない。知らないが、彼女の動きは必ず事件解決へと導いてくれるとジョルディもアンドレイも考えて今回の計画が立てられた。
偽造硬貨製造摘発に、王族暗殺の抑止。どちらも一介の薬術師には太刀打ちできようもない事案だ。だから。
「あまりにも危険だ」
ジョルディに協力を求めに来たアンドレイに、同席していたアルジャックは強く抗議をした。その抗議に確かにと二人はアルジャックに同意し。
「だからこそロザリーには監視を付けるし、直接の連絡係はアルジャックに頼む。私も目を離す気は無い。でなければ、確かに危険だ―――城下が半壊する」
アンドレイの断言に、ジョルディもアルジャックも頷いた。
ロザリンド自身は若くても常識ある人間だ。しかし、ロザリンドのトモダチは違う。なんせ、大多数が人間ではない上に凶暴種が多いのだ。しかもいまロザリンドが特に仲良くしているフィデー鳥。ロザリンドに何かあろうものならトモダチに一斉にそれを伝え、トモダチが勢ぞろいで城下にやってくることは間違いない。城下を闊歩している際にロザリンドと出会った騎士団の馬たちも、乗主ではなくロザリンドを選ぶことが確実だ。そんな動物使いであるロザリンドなしにその騒動を鎮静させられるか、といえば騎士団一隊か二隊の全滅は覚悟しなければならないだろう。
しかし、ロザリンドならサプスフォード家が興味を持つはず、というアンドレイの『読み』がある。サプスフォード家の情報がすぐにでも欲しい身としては、ロザリンドの協力はどうしても必要だ。
不安混じりの計画ではあった。が。
入学初日であった昨晩、寮に向かって放たれた魔法は全てロザリンドが連れている小竜が弾いた。小竜が窓に向かって唸っていなければダニエルの結界魔法では反応できなかったであろう、出どころ不明の魔法だ。学園の寮に興味を持ち、元王宮魔導士のダニエル同等、もしくはそれ以上の魔術の使い手、となればそれはサプスフォード家が雇った魔導士の可能性が高い。若い薬術師に興味を持った、つまり『釣れた』ということだ。計画はうまく進んでいる、とアルジャックは判断した。だが、この先どうなるかわからない。
なんにせよ。自分はロザリンドのトモダチの被害者にはならないようにしよう、とアルジャックは心に強く誓った。
時間をかけて寮という名のこじんまりとした一軒家にようやく到着し、迎い入れてくれたロザリンドを見て。
ああ、うん。今日も最強だな。
アルジャックはついついそう思ってしまう。
肩にいるフィデー鳥。足元で幸せそうな表情で尻尾を振っている小竜。
ロザリンドに手を掛けようとしても、俺でも敵わないわ。瞬殺だわ。
アルジャックは笑えない現実に深く息を吐き出した。
「ほら、持ってきてやったぞ」
ロザリンドとダニエルが部屋で寛いていたのが目に見えて分かり、自分の不遇が癪だったので、玄関口の床へ肩に乗せていた箱を置く。わざと音を立てて『重さ』をアピールしたのだが、一人は忘れ物がないか、一人は書物に興味を持って箱の中を漁っていた。肉体労働を終えたアルジャックに労りの声はなく、思わずチッと舌打ちする。
「なあ。これ全然読めねぇぞ」
アルジャックの足元に座り込んで、ダニエルが一冊の本をペラペラと捲りながら本のタイトルを確認しながら冊数を数えているロザリンドに声をかける。
「見たことねぇ文字だな」
「それはダニエル先生が勉強不足なんですぅ」
薬草辞典返してくださいよとロザリンドがダニエルから本を取り上げた。
「今度は何の草調べてンだ?」
「草じゃないです! 薬草!」
アルジャックの質問にロザリンドから即訂正が入ったが、アルジャックからすれば薬草も草でしかない。
「今はコルネリ草とウィダー草の効能についてです」
「お、ウィダー草って毒草じゃなかったか?」
ダニエルがそれは知ってるぞと自慢げに言えば。
「そうですよ。ですから、わたしを怒らせない方がいいですよ」
サンプルありますからね、とロザリンドが笑った。
口ではそう言いつつも、ロザリンドが薬草を使って人に害をなすことはない、すなわち職業倫理を必ず守ることをアルジャックは確信している。アナフガル夫妻の躾、教育が徹底しているからだ。
それにもし、職業倫理を破ればサキュリアによる『お仕置き』確実なのだ。ロザリンドが守らないはずがない。
「本を読みたかったら、ダニエル先生も勉強を……」
「お、懐かしいな。その腕のアクセサリー」
アルジャックがロザリンドの腕に付けてある緑色の珠が連なったブレスレットを見つけて弾んだ声を出した。
腕を動かした時のジャラ、という音で気付いたのだが、ロザリンドの腕にブレスレットがあるのは幼い頃以来だ。
「今日ダニエル先生に貰ったんです」
「昔、そういうヤツお前よく着けてただろ」
「え?」
ロザリンドが首を傾げた。どうやら記憶にないらしい。
「出かける時は絶対着けろって言われてたのに邪魔だとか言って置いて行って、サキ先生にお仕置き受けただろうが」
「……あー、そんなことも」
恐怖の呪文、『お仕置き』で思い出したようだった。
当時はクリスタルの珠であったが、活動的なロザリンドを心配して義母が『身代わりの魔法』が掛けられているブレスレットをロザリンドに着けさせていたのだった。
そんな懐かしい思い出話に花を咲かせ、夕食を食べて、ロザリンドが学園で起きたことの報告をする。
ダニエルが家に結界魔法を掛けていることと、小竜がいるので学園の魔力測定室並みにこの家も盗聴や透視の魔法が効かないので、ロザリンドは遠慮なく様々な話をする。
「あ? お茶会?」
「はい。今度サプスフォート家でアイリス様とヴィーセル様だけのお茶会を開くので来てほしいと。それからサプスフォード公爵が、わたしに寄付の話をしたいって」
「寄付、ねぇ。で、オマエ、それ受けんの?」
「そういうお話は先生とお師匠様に聞かないと決定はできませんけど、聞くくらいはと思ってます」
「ま、団長はロザリーの好きにさせろって言ってたから、好きにすればいいんじゃね」
「お前軽いな。少しはロザリーの心配をしろって」
ダニエルは顔を顰める。サプスフォード家に小竜とフィデー鳥を連れて行くのだというロザリンドを、魔導士のいる所に連れて行くのはリスクが高いとダニエルは窘めているのだ。特に、魔力に刺激されて小竜が暴走する可能性を危惧していた。透明化して、とはいえ小竜が一度でも吠えてしまえばロザリンドの身が危うくなり、計画も失敗となる。
「心配してますよ。ロザリーがサプスフォード公爵の館を破壊するんじゃねぇかって」
笑いながらのアルジャックの言葉に、ロザリンドが噛みつこうとする。が、その前にアルジャックが言葉を続けた。
「ロザリーも鳥も小竜もはアイリス・サプスフォードを気に入っていて、彼女の為に何かしたいって思ってんだろ? してこいしてこい。でもロザリーにお願いがある」
「え?」
「サプスフォード家関連で『変だな』って思ったことがあったら些細なことでも教えてほしい」
「変だな、って思ったらでいいんですか」
ロザリンドの確認に、アルジャックは頷いた。
「お前の野性の勘は当たるからな」
ロザリンドは口を開けて数秒黙り、引き攣る口を動かした。
「……わかりました。教えます。そうそうフィーちゃんドラコちゃん。今夜はアイリス様について語ろうの会を開くから、後で部屋に集合ねっ! 徹夜になるかもね!」
「バカ言ってんじゃねぇ。子供は早く寝ろよっ!」
ロザリンドの部屋の下は、アルジャックの借り部屋である。
上階での集会がいかに騒がしいかは昨晩体験済みだ。アルジャックは抗議の声を上げたが、結局聞き入れらないまま―――朝を迎えた。