3.ダニエル・アロカ
王立学園、魔力測定室。
魔力の制御が未熟な学生の管理を行い、魔力や魔法の暴走を防ぐ目的で定期的に生徒の魔力量を測定する専門の部屋。学園内で魔法を完全に管理している場所だ。
魔力測定室は学生百人は軽く収容できるくらい広く、床一面に魔法陣が書かれている。広いわりにその室内はがらんとしていた。暴走時に危険が及ぶ可能性を考えて必要最低限の物、測定者が使用する机と対のイス二脚、ソファとローテーブルしか室内に置かないようにしているからだ。
そんな魔力測定室の主の名はダニエル・アロカ。元王宮魔導士で三十六歳独身、不精ひげをトレードマークとしていて太い眉と力強い瞳で一見教師とは思えない男ある。
王立学園の教師に、元王宮魔導士や元王宮騎士が在籍しているのは珍しいことではない。怪我や年齢の理由から前線を退いた者たちが、授業での実技指導を実戦さながら行いつつ、高貴貴族の護衛も兼ねる学園での仕事を希望する者が少なくないからだ。
ところがダニエルの場合は違った。ダニエルは生来奔放な性格で身だしなみに気を遣う方ではなく、王宮において
「連帯感を、清潔感を」
耳にタコができる、と実際叫んだほど散々言われていた。ダニエルはとかく規律や形式にうるさい王宮での仕事に嫌気を感じてこの場に逃げてきたのだった。王宮との関わりが薄れ、やれやれと開放感に浸っていたら
「王子達の安全の確保を」
学園にそんな命令が入った。次期国王候補、第一王子ビンセンスが入学となったのだ。二年後には同じく次期国王候補であるヴィーセルが入学する。五年は国王候補の護衛か、とうんざりしたのをダニエルは昨日のように覚えていた。
ところがそれ以上にうんざりする話が舞い込んできた。長い艶やかな銀髪を後ろで束ねた麗しい優男が、予告なしに魔力測定室にやって来たのだ。優男は魔力測定室のソファに見惚れるような動作で座り、そして言った。
「学園に薬術師の少女を、一ヶ月ほど体験入学させたいのです」
優男は第七騎士団団長、アンドレイ・グリエ。騎士にしては魔導士並みに線が細く、無駄に美形な男。
王宮所属を外れたはずなのに、ダニエルになにかと雑用を押し付けてくる男だ。前回魔力測定室に訪れた時は魔力暴走している男の捕獲に力を貸してほしいとの協力要請だった。
「魔導士要請している時間なく、近かったので。それに暇でしょう?」
それが協力要請の物言いか、と思ったが確かに暇だったので、アンドレイへの苛立ちを捕獲対象の男にぶつけてしまったのは内緒の話だ。恐らくは、アンドレイはその事に気付いているだろうが。
アンドレイはダニエルより十四歳年下で、出来が良すぎる男だった。特例として十五歳でハイクラス卒業となるくらいに。ダニエルとアンドレイは学園での実技指導においては特別講師と生徒、王宮においては先輩と後輩の関係だ。しかし、口調も態度も丁寧な年下の後輩あるのに、アンドレイが身に纏う気はダニエルを常に怯ませる。アンドレイも魔力は持っているが、それがダニエルよりも高いわけではない。しかし、アンドレイの微笑は綺麗さに比例して背筋を寒くさせる何かを持っていた。今もダニエルの目の前で、アンドレイは鳥肌物の笑顔を浮かべていた。
「その薬術師はジョルディ元元帥のお知り合いの子で、家庭学習で薬術師の資格を取ったほど頭はいいのです。ですが一度も学びの舎に出たことがなく、元提督としては社会への貢献の一環も兼ねて……」
アンドレイは微笑を浮かべたまま息継ぎもそこそこに、つらつらと少女の話を始める。
「で、本意は?」
両腕を擦って背筋の寒さを紛らわそうとしていたダニエルがそれを遮る。
社会への貢献で、貴族が通う学園に平民を体験入学など気軽にさせるわけがない。特に今は王子達が在籍しているのだ。危機管理として学園が許可するわけがなかった。アンドレイもそれは承知しているはず、となれば何か裏にあるとダニエルは判断した。
「サプスフォード家への侵入捜査です」
真実を語るのにもっと時間がかかると思っていたダニエルは、アンドレイの即答に気が抜けて肩を落とす。魔力測定室の中では結界魔法により盗聴、透視等の心配は一切ないのであるが、それにしても。
「あっさり白状しすぎじゃないか」
「私も暇ではないので」
それならなぜさっさと要件に入らなかった。
アンドレイを睨め付け、握る拳を震わせながらダニエルは思った。
苛立ちを口に出しても良かったが、アンドレイに口で勝てないことは様々な付き合いで身に染みているのでダニエルは唇を堅く閉ざした。
「最近、サプスフォード家の魔導士たちの動きがおかしいとの報告がありました。詳細を探ろうと館に侵入しようにもなかなか困難でして」
サプスフォード家は娘可愛さに館だけではなく敷地を含めて王宮並みの結界魔法が掛けられており、出入りする人間の身元調査も徹底されていることで有名だ。サプスフォード家と親しくしていないダニエルとてそのことは熟知している。
しかし、同時に目の前の美青年の有能さもダニエルは知っていた。
「お前でも無理なのか」
「館に張ってある魔法が強力で隙間もなく、侵入できません」
「よっぽどスゲェ魔導士雇ってんだな」
「その雇われている魔導士の面々の素性があまりによろしくないのです。アイリス・サプスフォード嬢とヴィーセル殿下の婚約の儀が近く、不穏な動きの矛先がビンセンス殿下に向かっている可能性も」
「ステン・サプスフォードは王座に就けなかったことを相当恨んでいたからなぁ。二度もそれを逃したし」
王となる条件、銀髪と赤い目を持っていたにもかかわらず、前回は腹違いの弟に、今回は従兄弟に王座を取られたステン・サプスフォード。彼が王座に執着を持っていることは玉座を見る目が語っていた。愛娘アイリスがヴィーセルと婚約し、その後にビンセンスが死ぬようなことがあれば、現状では次の王はヴィーセルとなる。ステンが王座に近付くことができる、ということだ。
「娘を王妃にして、その後見を狙ってんのかもな」
「それから、近頃偽造硬貨も出回っていまして、どうやらそれもサプスフォード家が関わっているようなのです」
「偽造硬貨? そんなん簡単には」
「できないはずなのですが、鉱物成分の配分が異なっている物が出回っています。それも見抜きにくい配分でして、そこまでの物を作れるとなると」
「人材と資金と資材と場所が調えられる人物、サプスフォード公爵家か。それで、なんで平民の薬術師の子を入学?」
「アイリス・サプスフォード嬢の友人になっていただこうかと。そうすればサプスフォード家に招き入れられ、何か情報を得られるかもしれません」
「公爵令嬢と友人に? なれるかよ、一般人だろ?」
「大丈夫です」
アンドレイは青い目を細め
「あの子は動物使いですから」
はっきりと、言い切る。
サプスフォード公爵令嬢と平民の薬術師。仲良くなる要素が全くわからないダニエルは首を傾げるしかない。アンドレイは彼自身しか理解していないことを口にすることが多い。しかもその真意を伝えることも詳細を教えることもない。今回もそれだ。
「それで、動物使いの面倒を貴方にみてもらおうと思いまして。一般人で自宅から通うには遠いので、学園の寮に入ってもらうことにして」
「ってそれ、俺んちだろっ!」
王立学園には寮があり、家からの通園不可の生徒には寮の利用が認められている。が、大抵貴族たちは自分たちの邸から馬車で通うし、貴族の後見で入学した一般生徒は後見人の邸で世話になることが主なので、王立学園の寮は『寮監の家』という意味でありここ十年利用者は一人もいない。そして現在、寮監という名目を預かっているのはダニエルだった。
「年頃の少女と俺を同じ屋根の下で、なんてあり得んだろ」
「あなたが幼少趣味でない限り誰も心配なんてしませんよ。学園と寮に護衛と連絡係を回します。まあ、あの子は動物使いだから大丈夫です」
その『大丈夫だ』という確固たる自信はどこから来るんだ、と思わずにいられないダニエルだった。
体験入学で一般人がやってくる、という話はヴィーセルの耳に届いたようで、アンドレイ訪問から数日後の昼休み
「今度来る薬術師のことだが」
ヴィーセルが魔力測定室へやってきた。ヴィーセル自身は魔力を持ってはいないので魔力測定室の管理下におかれていないが、王宮でダニエルと遊んだことがあることと王宮魔導士としての彼の強さを知っていることで、入学してから幾度か魔力測定室に相談に来たことはあった。
今回の相談内容を何となく理解しているダニエルが座面が回転するイスの背もたれに身を任せながら身体ごとソファに座ったヴィーセルを向いた。
「身元は大丈夫なのだろうか。昨日渡された報告書を見る限りでは怪しい点はないようだが」
「その報告書、俺の手元にも届きました。目を通しましたが、怪しい点はありませんでしたよ」
アンドレイから入学させろ、との命令がある以上、体験入学自体が怪しかろうとも入学は必ずするだろう。
「体験入学する薬術師は国家資格を持つ、ロザリンド・アナフガル。十六歳。水の国最年少の有資格者。医術師マサト・アナフガルと薬術師サキュリア・アナフガルの養女。三人でアナフガル診療所を開業しており、医術と薬術で人々の病を治している、三人とも腕は有名で患者からの評判も良い」
概要はそんな感じだったなとダニエルは文書を思い返した。
「しかし、体験で一時的とはいえ一般人がくるのは」
「大丈夫ですよ。ジョルディ元元帥が推薦人で後見人で保証人ですから。それに記載されていませんがアンドレイ・グリエが身許調査人です。そもそもジョルディ元元帥もアンドレイも、今度来る薬術師と仲が良いらしいですよ」
「その薬術師はジョルディだけでなくアンドレイも親しくしているのか?」
ヴィーセルが驚きの声をあげた。
ジョルディは昨年王宮騎士と王宮魔導士の総括である『元帥』の座を辞した男だ。そんな男と騎士団長であるアンドレイが共に親しくしている一般人など信じられないといった表情だった。
ジョルディ・ロメイ元元帥は強めの引き留めがあったにも関わらず、
「もう歳なので、身体を労わりたい」
そう言って笑いながら王宮を後にした、ダニエルが王宮で一番狡猾な人物と思っていた老人。多くの王宮魔導士や騎士たちから慕われており、王宮を去った後も彼を尊敬している者たちは多い。
「なんでもジョルディ元元帥が関節痛の治療に通っているのが、その薬術師のトコらしくてですね」
通っている、というより常連と言った方がいい程通い詰めているようだ。ダニエルの説明に、ヴィーセルは首を傾げた。
「魔導治療院でさっさと治してしまえばいいのに」
「年齢による治癒力の低下のせいですよ。魔導治療院は患者の『治癒力』を高めて治療するところですから、通う回数が増えるようになったので治療方法をかえたんです。診療所は対症療法中心ですが、診療所まで歩いたり診療所での会話が楽しいから、免疫力が上がったと喜んでいるそうです」
「アンドレイとその薬術師との関係は?」
「薬術師の娘は巷では『動物使い』で有名なんだそうで。よく城下でのトラブルの仕事を依頼しているようです。何ヶ月か前の怪鳥退治はご存知ですか?」
「あの騒動のっ?」
ヴィーセルが驚いて目を見開いた。
「騎士たちが重傷を負ったのに、『動物使い』が見事それを納めたと聞いたな」
「その動物使いが今回の薬術師です。凄いですよねぇ。騎士たちは魔導治療院と神殿送りだったのに、『動物使い』はかすり傷一つ負わなかったそうですよ」
話を聞いて、そうか、しかし、とブツブツ繰り返すヴィーセルに向かって、安心させるようにダニエルは笑った。
「そんなに心配されずとも大丈夫ですよ。学園には結界魔法がかけてありますし、俺や元王宮魔導士、元騎士も多数います」
ヴィーセルの心配は己ではなく、兄であるビンセンスへの害の危惧であるとダニエルは悟っていた。昔からいつも後ろを追いかけるくらい、兄が大好きな子供だったからだ。
「ビンセンス様の護衛は徹底されています。俺も気を付けます」
「ダニエルが気にかけてくれていれば俺も安心だ」
ヴィーセルがダニエルの元に来たのは、ビンセンスの護衛を個人的に依頼したかったのであろう。安心したように大きく頷いて、けれど再び書面に視線を向けてヴィーセルは呟いた。
「しかし、アンドレイの、薬術師への総評はなんだろうな。『見た目子供だが、やることはえげつないことこの上なし』『触るな危険。見る分には存分楽しめる』」
アンドレイに指示されて体験入学にやってきた薬術師、ロザリンド・アナフガル。
背丈はダニエルの腰までくらいでどう頑張って見てもミドルクラスの生徒にしか見えない少女。着ている制服がハイクラスの濃緑色なので、違和感極まりないなとダニエルは思った。
アンドレイが幼少趣味と言って意味が、会って初めてわかる。ロザリンドは見た目が「どこからどう見ても間違いなく」子供だった。
初日の授業を終えたロザリンドは放課後、寮監であるダニエルの終業待ちで魔力測定室にいた。そして彼女は二匹の生物を呼び寄せた。
ロザリンドの二つ名を、ダニエルが呟く。
「動物使い」
「わたし、薬術師です」
「いや、だがなぁ」
ダニエルは少女の肩と足元に視線を落とした。少女の肩にいるのは初めて目にしたフィデー鳥。足元には初めて近距離で接する小竜。
「フィーちゃんもドラコちゃんもわたしの友達なんです」
「いや、それこそやっぱり動物使い……」
「や、く、じゅ、つ、しっ!」
顔を近づけ、ローズグレイのくりくりとした大きな目で強く自分の職種を訴える。が、少女の肩ではピーと鳥が鳴いているし、足元ではぶんぶんと尻尾を振っている小竜がいる。
共に希少種で凶暴性の高い生物であり、そんな二種が学園にいるのはどうかと思うが、ダニエルにとって小竜は特に困りものだった。
ロザリンドの連れている小竜は子豚サイズなので『赤ん坊』に値するのだが、小竜はその身を透明化することができる。魔力は一切通用しない。鳴き声は魔力を解除させる。真っ白な体は鋼よりも硬い。『魔導士の敵』とも呼ばれている生物だ。尻尾を振っているのは魔力を察知してそれを解除しようとする合図でもある。
ダニエルの魔力は王宮魔導士を務めたほどだし、魔力測定室の全面に張ってある魔法陣も強大なのだが、小竜にかかればそんな魔力など無に帰る。足に尾がピチピチ当たるたびに恐怖を感じてしまう。
フィデー鳥も小竜も人に懐くことはそうそうない。ただ、フィデー鳥に限っては鳥使いの一族だけは『相棒』にできる種ではあるのだが、ロザリンド・アナフガルは鳥使いの血を引いていないことはアンドレイの調査で証明されている。
いや、意外に本当は鳥使いで、書面偽造したか?
ふとそう思ったが、鳥使いよりも動物使いという表現がぴったりすると思い直した。ふと、アンドレイの
「大丈夫」
自信満々の言葉が脳裏に蘇った。その意味がいまのダニエルにはよく理解できた。
この少女は動物使いで無敵だ。騎士だろうと魔導士だろうと、冗談でも襲えば簡単に命が……消える。
「……じゃ、帰るか」
ため息混じりに仕事を終えたダニエルが言えば小竜は透明化し、姿を消した。しかしダニエルの脛をピシピシと叩いている尾は
「ここにいるよ。いつでもお前の魔力を解除できるよ」
そう訴えているように思えた。
更なる溜息を零しつつ、学生寮兼自宅へロザリンドを連れて歩く。歩幅が違うので、のんびりとした歩みだ。ちらり、とロザリンドの肩にいる青い小鳥を見る。
フィデー鳥。主に天上の国で生息し、虹色の尾を持ち、大きさを変えられる鳥。
「―――ソイツ、フィデー鳥にしちゃ大人しそうだな」
「フィーちゃんを舐めちゃいけませんよ。こう見えてわたしに慣れるまで騎士七人を神殿と魔導治療院送りにしてますからね」
確かにフィデー鳥捕獲騒動の張り紙に『騎士計七人重傷』と書かれていたな。さすが動物使い。
遠い目をしたダニエルの思いを察したのか、
「フィーちゃんは好きな匂いがありましてね? わたしが人工的にそれを作りましてね? それで……」
ロザリンドが薬術師特有の作業をして対応したのだと強く訴える。
匂いを作るのは薬術師の仕事じゃないだろ、とダニエルは突っ込もうと思ったが、反論しか返って来ないだろうと口を噤んだ。
そんなことを考えている間もずっと足元でピシパシ尻尾を当ててくる小竜がいるので、ダニエルとしてはロザリンドの命に従う動物でいてほしいと願う。
そしてダニエルは思い出した。アンドレイの薬術師への総評。
―――見た目子供だが、やることはえげつないことこの上なし
―――触るな危険。見る分には存分楽しめる
確かになっ!
ああ。どうしてこんな面倒なことになってしまったのだ。
恨むぞ、サプスフォード家。そしてアンドレイ。動物使いっ!
ダニエルは心の中で恨み言を連ね続けた。