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14.『アイリス』

 






 落ちていく私を助けようと紅い瞳の少年が私に手を伸ばす。

 浮遊感に包まれながら私も少年に手を伸ばし……けれど、あと少しで少年に届かず私は暗闇に落ちていく。

 紅い目は大きく見開かれ、彼は叫ぶ。多分、それは私の『名前』。聞き取れないけれど、私の『名前』。

 

 そしてこれは夢。私がよく見る『夢』。





 私には家族に関する記憶がない。気付いたら寂れた小さな村で、()()()()()()人たちと共に暮らしていた。冬の日、川の中で冷え切った体で息絶え絶えの私を見つけたのだという。どこの誰なのかの手がかりが何一つなく、名を問われても答えることのできなかった私に家族ではない人たちが私にとりあえずの名前を付けてくれた。

 川で発見された私は肺炎を患い、足を骨折していた。川に落ちた衝撃のせいなのか、名前だけではなくそれまでの記憶を私は持っておらずお金も持っていなかった私は、治療を受けることはできず薬を買うこともできずただ何日も寝て過ごした。

 熱が引き、屋内なら伝い歩きでなんとか移動できるようになった頃。


「お前を拾ったとき、珍しい着物を着ていたからすぐにどこの者かわかると思ったのに。いくら経っても親は探しに来ない。謝礼、もらえそうにないなぁ」

「働き手として使えるかと思いきや、まともに歩けないんじゃなぁ」


 家族ではない人たちが困ったように私に何度も言うようになった。

 村は裕福ではなく、村人全員が協力し合いながら細々と農作業をして生活している所だった。肺炎が完治して足の痛みも無くなって歩くことができるようになったけれど、骨折で変形していて私は他の人たちのように遠くまで歩いたり、走ったり、何度も立ったり座ったり、中腰でいることなどができなくなっていた。料理はできず、家族ではない人たちに手伝うように言われた農作業を行おうにも屋内での仕分け作業しかできない。当たり前のことができない私の名前はいつしか『穀潰し』となり、彼らが付けてくれていた仮の名前は消え去ってしまっていた。

 季節がいくつか変わり、家族ではない人たちに次の仕事を決められた。来年、娼館へ連れて行くと告げられたのだ。私はそれを受け入れた。村どころか世話になっている家の敷地さえも出たことがないのでどこへ行けばいいのか、何をすればいいのかもわからない。一人で生きていく手段さえも思いつかなかった。

 娼館に行くまで数カ月を切ったある日、敷地内の畑で野菜を採っていた私は全身黒尽くしの服装の人と出会った。


「多少私の魔法を掛ければ大丈夫そうだな」


 白髪の黒衣の男は私を見てそう言った。しばらくして、作業を終えて家族ではない人たちが戻ってくると、


「この娘を買い取りたい」


 唐突な話であるのに黒衣の男が値段を告げれば、家族ではない人たちは喜んで強く頷いていた。娼館から受け取る予定の金額よりもはるかに高額を黒衣の男が提示したようだった。

 交渉が成立し、私は黒衣の男に大きなお屋敷に連れて行かれた。


「ここはサプスフォード公爵の別邸だ」


 初めて目にする物ばかりでせわしなく周囲に目を巡らす私に向かって館の主人のことを黒衣の男が教えてくれた。男がサプスフォード家に仕える魔導士ということも。

 別邸のエントランスには大きな肖像画が一枚飾られていた。金髪(ピンクゴールド)(ジェイド)の目をして陶器のような肌と血色の良い艶やかな唇が魅力の少女。痩せこけた上に不自由な体の私とは全然違う、とても綺麗な少女。


「アイリス・サプスフォード様だ」


 あまりの魅力に絵から目を外すことができない私へ黒衣の男は絵の少女の名前を教えてくれた。


「お前はこの少女の代わりになるのだ」


 代わり?

 私は首を傾げた。

 『お嬢様』ことアイリス・サプスフォード様は水の国の公爵家の一人娘。未来は国の王妃となってもおかしくないと言われている立場の、高嶺の華の存在と魔導士は言った。

 そんな人に私が代わる?

 どう考えても無理だろうと思った。少し深い色の茶色の髪と空色の目であり造形も普通な私が、芸術のような美しさも、上流階級のマナーも常識も何も知らない私が公爵令嬢の代わりになるなど。

 私の言葉に対して黒衣の男は大丈夫だと言った。私に魔法を掛けるから人の目にはアイリス様に見えると。だから公爵令嬢に相応しい態度と能力を一つでも多く一秒でも早く身に着けろと。

 どうしてアイリス様に代わりが必要なのかと問えば、アイリス様はこの国の第二王子ヴィーセル様に思いを寄せ、伴侶になることを強く望んでいるのに当のヴィーセル様がアイリス様のその思いに応える様子が全くないのだと教えてくれた。公爵様があらゆる力を使って婚約者有力候補まで持ち込んだけれど、決定打となるべき事項が特になく、おそらくは甘やかして育てた性格がヴィーセル様に悪く受け止められているのではと考えた公爵様が、何もしないままでは結婚は難しいと判断したのだと。

 そこで『代わり』だ。甘やかされたことのない私が、アイリス様の代わりとなり今までと異なる自立した公爵令嬢を演じればヴィーセル様のお心が動くのではないか、と。

 そんな話を聞きながら、ヴィーセル様は不思議な方だと思った。素晴らしい美を持つ、心から愛してくれるアイリス様のことを無碍にするなんて。

 公爵様の目通しがあるから身奇麗にしろと、白髪の魔導士に言われるまま湯あみし、綻びのない綺麗な衣服に着替えた私は水晶玉を通して公爵様に紹介された。


「お前は最上級の貴族の女性として、誰もが認める淑女の手本となるアイリス・サプスフォードとなり、ヴィーセル本人は嫌がったとしても王家が了承するようなアイリスを演じろ」


 他に行き場がなく、断ることが許されない雰囲気を感じた私は公爵様直々の命令を頷いて了承した。

 こうして私はアイリス様のハイクラス入学に伴って入れ替わることができるように、別邸で教育を受けた。一般常識も学もない私に、アイリス・サプスフォードになるべく躾と勉強が行われた。辞書を片手に本を読み知識を得、わからないことは訊ね、言葉遣い、身だしなみ、貴族に求められる知識と礼儀作法、会話や交渉術等々。

 『穀潰し』と言われないために。誰かの役に立つために私は必死でそれらを覚えていった。自分が生きていく手段でもあったのでどんどんと吸収していていった。指示された学びを一通り終えた頃、白髪の魔導士は


「場所を公爵家へと変えて、アイリス様の家庭教師から直に教育を受けることにする」


 そう告げて、私を『転移』の魔法で王都にあるサプスフォード邸の一室に移動した。そこはいくつもの大きな窓から光が注いでいる白壁の部屋だった。部屋の中にはテーブルと二脚のイス、テーブルの上にはいくつかの書物が乗っている。


「まもなくアイリス様の家庭教師がやってくる。落ち度のないように」


 魔導士が私を片方のイスに座らせると共に扉がノックされた。


「アイリス様。本日の勉強のお時間です」

「入れ」


 魔導士の促しに、すこしふくよかな中年の女性が恐縮しながら入室してきた。


「ごきげんよう、アイリス様」


 私に挨拶し、頭を下げつつ着席した教師は私を不審がる様子はない。むしろ恐々と見ているので、教師の目には私がアイリス様に映っているであろうことが察せられた。まず彼女を騙せなければ、学園で入れ変わりはできない。これは私の、アイリス・サプスフォード出来上がりのテストなのだ。

 魔導士は無言で私達のやり取りを見ている。この場で私が『アイリス様ではない』ことが発覚した場合、あの魔導士が教師に何かをするつもりで同席しているのだろう

 学園ではミドルクラスで共に過ごしたご学友や親しいヴィーセル様に偽物と判断されてしまう可能性が高い。しかし学園に魔導士は同行できない。大衆の前での偽物発覚、という最悪の状況を懸念しているのだと思う。

 今回のテストでは別邸での私の努力の成果があったようだ。


「アイリス様、素晴らしいです」


 教師が『アイリス・サプスフォード』を褒めてくれた。最後に


「私がお教えしてきたことを今まで覚えられなかった振りをされていたなんて、アイリス様はお意地が悪いですよ」


 教師が満足げな笑顔で言い残して今日の授業は終了となった。

 偽物とばれなかった。今までの努力の成果が出たことで安堵し、深い息を吐いていると。

  

「これからはアイリス様の代わりに家庭教師の授業を受けろ。そしてアイリス様を見て、覚えろ」

 

 別邸から本邸に場所を移動した理由にはテストの他にも理由があったのだ。アイリス様のお傍にいることで、アイリス様の仕草を覚えることだった。白髪の魔導士に言われるがまま私はアイリス様の癖や仕草を身につけるために、アイリス様のことを観察し真似るという勉強を始めた。


「こんな下賤な者と同じ部屋にいるなんて嫌ですわ。それに遠慮もなく不躾にわたくしを見るなんて」


 お綺麗な顔を綺麗に歪めてアイリス様は私が食事やお茶などで同席することを嫌がったけれど、


「ヴィーセルの心を手に入れるには必要なことだ」


 そう何度か公爵様に諭され、お父様の言うことに間違いはないからと渋々ながらも私の同席を許してくれた。家庭教師からの学びとアイリス様の物真似という勉強を続ける日が続き。


「最近のアイリス様は覚えがよろしく、つい欲を出して授業に幅を持たせてしまいます」


 家庭教師からのそんな褒め言葉を耳にしたアイリス様は唇を尖らせた。


「お父様。わたくしの()()が褒められる話など聞きたくはないわ。もう偽物と一緒にはいたくありません」


 私が表にいる間はアイリス様は隠れていなければいけない。自由に動けぬアイリス様は不満を貯めていた上に、家庭教師の私への褒め言葉。アイリス様が我慢の限界に達してしまった。その頃にはとうにアイリス様の物真似もある程度できるようになっていたので、この一声で私の部屋は東の塔へと移された。そこは閉鎖された空間。窓には鉄格子があり扉には鍵が掛けられ、窓も指が出るか出ないかくらいしか開けることもできない。人の出入りも最小限の場所。逃げ出さないように、外部から余計な情報が私に入らないように考えられた部屋なのだろう。そんな部屋で家庭教師の授業以外はそこで本を読んだり編み物をしたりして過ごすようになった。

 そして学園入学前日。


「一年でヴィーセルとの婚約か結婚が確定できるようにしろ。アイリスとヴィーセルが縁を結べない時はお前の命はないと思え」


 公爵様からこの先は死ぬ気で事に及べと言われた。

 水の国では離縁は禁忌とされているから、婚姻関係さえ結んでしまえば入れ替わったアイリス様をヴィーセル様がどう思ってもその立場が緩むことはない。婚約でもいいから『アイリス』とヴィーセル様との仲を結べ、と。

 そんな話を淡々とされる公爵様の表情と声音から、自分にある時間全てがアイリス様とヴィーセル王子の婚姻までなのだと悟った。失敗した時はその時点で、事が上手く運んだとしても命の時間はお二人の縁が結ばれる時までなのだと。

 けれど。

 不自由な体のせいで『穀潰し』と呼ばれて過ごしてきた私にとって、人のために何かをするということ、期待されるということは初めてのことだった。それが成り済ましで、監視されていて、命が掛かっていたとしても、初めて宛がわれた役目を嬉しく思った。

 こんな役立たずの私でも誰かの役に立てるのだ、と。





 入れ替わりで学園に通う朝、白髪の魔導士が私に着けるように、と差し出したのは赤い石の付いたネックレス。


「これでお前の位置が把握できる。くれぐれも逃げようなどと思うな。それから偽物であることを漏らしたりネックレスを無理に外そうとした場合、ネックレスに掛けてある魔法がお前を即座に襲うからな。承知しておけ」


 魔導士に指示されたように私はそれを身に付けた。

 ネックレスに掛けてある魔法を聞いて苦笑した。逃げるにしてもこの足ではすぐに捕まってしまうのに。どこに逃げればいいのかわからないのに。真実を告げる信頼できる相手などどこにもいないのに。

 無駄なことをしているとは思ったけれど口にはしなかった。

 偽物とばれるのではと早鐘のように打つ心臓を押さえながら登園して学友に挨拶をする私を、誰もが驚きの目で見ていた。

 まさか、偽物とばれてしまった? 

 そんな私の恐怖は即座に否定された。ごきげんようと微笑んで挨拶をする私を見て皆が囁きあう。けれど、私を「アイリス様」と頬を染めて呼んでくれるのだ。私が学んで身につけたアイリス様の挨拶は合っていたようで、誰も私を別人と疑いはしなかった。

 学園内での監視役であるお目付けのローレンに連れられて教室に入れば、そこに夢の中でしか見たことのない少年―――銀髪の紅い瞳の少年が成長した姿で教室にいたので驚いた。


「アイリス様。あの方がヴィーセル様です」


 ヴィーセル様のことは絵姿で知っていた。夢の中の少年と特徴が似ていると思ってはいたけれど、この目で見てかつてないほど心臓が高鳴った。

 とはいえヴィーセル様は『自分(アイリス)』が婚約者にと望んでいる相手。彼に気に入られ、縁を結ぶことが私の役割。


「ごきげんよう」


 怪しまれないように笑顔で挨拶をすれば、ヴィーセル様は他の人のように挨拶を返すでもなく、名を呼ぶでもなく会釈するでもなく赤い瞳に私を映して睨むだけ。

 夢の中での彼は、悲痛な眼差しをこちらに向けていた。落ちていく私を必死に助けようとしていた。けれど目の前の彼は自分を嫌悪の、憎悪の、憤怒の眼差しで見ている。

 夢の中の少年はあくまで夢の中で存在するのであり、現実には存在しないのだと痛感した。口を固く結んだヴィーセル様は挨拶を返さず、私に近寄り私にだけに聞こえる声で憎々しげに言った。


「この、人殺しが」


 『(アイリス)』はヴィーセル様に憎まれているようだ。『(アイリス)』はヴィーセル様が知る誰かを殺めたの?  

 疑問が浮かぶけれど傍らで常にローレンが聞き耳を立てているし、首にあるネックレスが私の発言を盗聴していてすべてがあの黒衣の男に筒抜けになっているからヴィーセル様に詳細を聞くことはできない。ただわかるのは、ヴィーセル様は(アイリス)が人殺しだと確信しており、心から憎んでいるということだった。

 その後数日たっても誰も私を偽物とは思わないようだった。


「アイリス様は大人になりお変わりになった」


 憎しみの目を向け続けるヴィーセス様を除き、それが『アイリス』が変わったことへの見方のようだ。アイリス・サプスフォードが変わったという話は王家にも伝わり、今まで控えられていた王妃様開催のお茶会の招待を受けるようになった。初めてのお茶会をそつなくこなし、以後王妃様や王妃様以外の方からの招待状が次々と届くようになった。以前のアイリス様はその美しさからか諍いが起きるからと敬遠されていたようだったので、様々な方から招待されていることを公爵様は喜んでくれた。





 ヴィーセル様とのお茶会はいつも楽しみにしている。

 普段は東の塔の部屋で過ごしているけれど、この日だけは日当りのいいサロンで過ごすことができる。

 青い空、鳥の鳴き声。遠くから聞こえる犬や、馬の鳴き声。

 全身で日を感じていると心が明るくなる。

 お茶会では『穀潰し』では絶対に関わる事のなかった高貴で遠い存在の人と同じ空間にいられる。ヴィーセル様とのお茶会は夢の中でしか会えない彼を思い出すことができる。ヴィーセル様は礼儀正しく私に接してくれる。決して好意的な態度ではないけれど、ヴィーセル様の心に響くような声で名前を呼ばれると、夢の中の少年と重なるのだ。『アイリス』が私の本当の名前でなくてもそれだけで嬉しいと思う。

 そのお茶会ごとに自分の命が短くなっていようとも、お茶会は私にとって大事な時間なのだ。

 自分の爪を見る。

 色を塗っているわけでもないのに、綺麗な薄紅色をしている。その特徴的な色。

 村に住んでいた頃、注意しろと言われた草の毒素が身体に溜まっている証明。似た草が食用で、間違えて摘むなと言われていた。少量の摂取なら足の痺れくらいで済むけれど、体内に蓄積されるので一定量を越えたり、傷口に直接触れるとすぐに呼吸が止まってしまう草だと教わった。もっとも、煮ても蒸しても乾燥させても『毒性が薄紅色』である以上見ればすぐわかるので、口にする前に気付くことができる。村の人たちは食材を無駄にしたくないからその草に注意しろと言っていたのだった。

 その草がヴィーセル様から贈られてくるお茶に混ぜられていることは最初から気づいていた。『アイリス』が彼に憎まれていることも知っている。ヴィーセル様が『アイリス』を殺したほど憎んでいることを、知った。

 だから、黙っていようと思った。草は口からの摂取では吸収も悪くてすぐに死ぬことはない。どうせ私は遠くない未来死ぬ運命にある。ヴィーセル様が贈ってくださるお茶(どく)か、公爵様からの使命を全うして殺されるかの違いだ。

 ただ、ヴィーセル様の心根はお優しい。いくら憎んでいる『アイリス様』とはいえ、人を『死なせた』のならば後々ずっと苦しむに違いない。それは嫌だな、と思ってしまう。ヴィーセル様に苦しんでほしくない。それなのに私は、できるならヴィーセル様の手によって死にたいと思う。とても矛盾した思いだ。





 体験入学でやってきた薬術師(ロザリンド)


「アイリス様は足を痛めているのですか」


 ダンスの授業で私と踊りながら心配そうな瞳を向けてくれた可愛い小さな少女、ロザリンド・アナフガル。ロザリンドは子供のような見た目とは異なり、とても利己的で現実的なのだろう。最年少で難関と言われる薬術師の資格を取っている。そして職業柄私の足のことに気付いたみたいだった。

 足のことを知っている人たちからは今まで心配などされたことがなかったから、彼女の心配の言葉が心から嬉しかった。


「少々右足を痛めているだけです」


 言って笑えば、少女は頬を赤くして私を見つめる。本当の私の姿はアイリス様のような可憐さや美しさは微塵もないので、彼女には魔法の効力で相当魅惑的な微笑に見えているのだろう。

 でも、この少女は本当に可愛い。活き活きとしていて生命感にあふれている。とても心惹かれる。

 羨ましい、こうありたい、と思う。が、すぐに首を振って否定した。

 そんなことを考えてはいけない。私の運命は既に決まっているのだから。

 翌日ロザリンドは小さな小さな青い鳥を連れて登園した。空を自由に飛べる、青い鳥。羨ましくて眩い、青い鳥。

 そんな鳥を昔、どこかで見たような気がする。

 でも思い出せない。それは無くした記憶の中の物なのか、かつて見た夢の中であるのかわからない。

 でも。

 命尽きる前にロザリンドと知り合えて、嬉しく思った。






 明後日はアイリス様とヴィーセル様の婚約の儀が執り行われる。

 私の命はアイリス様の婚約が決まるまで、だった。だからいつもとは異なるテーブルの上に並ぶ豪華な料理は、私の『最後の晩餐』。

 料理は全て今まで一度も口にしたことのないものばかりだった。


「生きている最後の食事となるのだから」


 恐らくはそんな公爵様の心遣い。

 てっきり料理の中に毒が仕込んであるのだと思っていたのに、結局食べて終えても命は繋がっていた。食後のお茶を飲み、魔導士たちに囲まれて自室へと向かう。その中に眉間に皺を寄せているローレンがいた。本来ならアイリス様のお相手をされている時間だから、早くアイリス様の元に向かいたいのだろう。

 部屋に戻ると、扉の前で魔導士の一人が一輪の薔薇を差し出した。


「これは?」

「こちらの花と共にお休みください」


 棘は取られていない薔薇、だった。


「公爵様からの……手向けです。どうぞ、お手に」


 手向け。

 ならば、この薔薇―――私の時間はここまで。


「お礼を侯爵様に伝えてください」


 穀潰しだった私に役割をくれたことに。

 無知だった私に知識をくれたことに。

 ヴィーセル様に会せてくれたことに。

 それから。

 ご一緒できた時間、とても幸せでした。―――ヴィーセル様。

 言えない言葉を心で呟き、ローレンに目を向ける。

 入れ替わっているからとはいえ、ローレンが心から守りたいと願っているアイリス様ではなくずっと偽物(わたし)の傍に縛り付けてしまっていた。でももう偽物(わたし)はいなくなるのだから、アイリス様のお傍にいることができる。

 彼には守りたい人をしっかり守ってほしいと願う。


「ローレン。幸せに」


 そう言って、私は薔薇に手を伸ばした。






本当はこの話を肉付けして短編で投稿予定でした。

が、アイリス視点だけだと不明な人間関係があることやヴィーセルが酷い男にしかならないことからヴィーセル視点を入れた連載に変更しました。


なお、アイリスの言っていたあの子は『アイリス』のことで、ローレンのお嬢様はアイリス、アイリス様は『アイリス』のことでした。わかり難くてすみません。

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