1.プロローグ
その日、水の国王宮内、北の館は大層賑やかだった。水の国国王の旧知の間柄である人物が天上の国から来訪し、
「神皇より言の葉を預かってきた」
と伝えたのだ。使節を向かわせる旨の事前の伝達は事情により不可能だったと、正式な告知なしの天上の国からの使節訪問となっていた。
砂漠の国、草原の国、水の国、火の国、天上の国から成り立っている大陸は神皇と呼ばれる人物が天上の国で大陸に結界を張っており、その結界によって他大陸からの人の侵入を阻んでいる。
天上の国は『神皇』が暮らす国であり聖地でもある。しかも水の国前王が様々な事情から現在天上の国国王を務めている。その天上の国からの使節は水の国からすれば、失礼など塵一つ程度でも犯してはならない、気を張る来訪客だった。
使用人たちは『国王の友人』から格上げとなった人物を北の館で受け入れるために、慌ただしく準備をしていたのだった。
今日明日の授業は中止する、と家庭教師に言われて自由時間を貰ったヴィーセルは、せわしなく動く使用人を横目に庭を眺めていた。
水の国では神典により王位譲渡の際に『銀髪で赤い目』である人物が国王となることが決められている。不思議なことに王位譲渡が近くなると、銀髪で赤い目の人間は国内で唯一人となるのだ。しかも必ず王家の血を継いだ者が、その一人となるのである。
もうじき六歳になるヴィーセルは、水の国第二王子であり国王となる条件を満たしている少年であった。そして二つ上の兄ビンセンスもまた同じ配色の髪と瞳をしており、彼も次期国王候補だ。
水の国国王の家族構成は、国王夫妻と五人の子供である。長女はヴィーセルより五歳上、二女は三歳上、三男は三歳下。家族仲は良く、暇を持て余したヴィーセルは同性で歳が近いビンセンスを遊びに誘おうと彼の部屋に足を運んだが、
「ごめん。僕は予定通りなんだ」
と残念そうに返答された。姉妹からは刺繍の宿題があると誘いを断られた。二歳の弟とでは遊ぶに物足りないと仕方なく、ヴィーセルは人の気配が多い北の館へ足を運んだ。
一面真っ白の庭。チラチラと舞い降りる雪。ぼんやりと白一面を見ていたヴィーセルの目に、突然動き回る小さな塊が映った。
目を凝らせれば、そこにいたのは一人の少女だった。樹の幹に似た髪色と、澄んだ空色の瞳。顔や体全てを使って感情を表している、生命感あふれる少女だった。
その少女は鳩くらいの大きさの体長で、一メートルはある長い虹色の尾を持つ鳥を肩に乗せていた。一人と一羽はしばらく舞う雪の中で高らかに笑って駆けまわっていたが、ヴィーセルに気付くと駆け寄ってきた。
「こんにちは」
白い息を吐きながらにこにこと笑う少女に戸惑いながらもこんにちは、と小声で返す。
「冷たくて、気持ちいいのね。これ、雪って言うんでしょう?」
少女が庭に積もった雪を両手ですくい上げて、楽しそうに周囲に振り巻く。ヴィーセルと同じ歳か、やや上かという少女の発言に首を傾げる。水の国には四季があり、特に夏は短く冬が長いので雪はそうそう珍しい物ではない。自分と同じ歳ならば、雪を知らないはずがない。
「あたし、天上の国に住んでいるから」
ヴィーセルの疑問に気付いたのであろう、少女が白息混じりに出身地を述べた。
ああ、とヴィーセルと頷いた。先日家庭教師から学んだばかりだ。天上の国は『神皇』が天候を管理しており、万年春か秋で、そこに冬という季節はないということを。少女の服が見慣れぬ色合いや柄であることでも水の国の人間ではないことが知れた。
「ねえ、一緒に遊ばない? お友達とお話ししてくるからしばらく一人で遊んでいろ、ってお父さんは言ったけど、一人じゃつまらないのだもの」
なんの戸惑いもなく差し出された手に、時間を持て余していたヴィーセルは自然と手を伸ばしていた。
二人で庭に戻れば、雪はその舞を止めて空は少女の瞳と同じ色を所々浮かび上がらせていた。
少女と遊んでヴィーセルが知ったことは、少女の名がノエルということ。ノエルの父が『神皇』の伝言を引き受け、水の国にやって来たこと。ノエルは『鳥使い』と呼ばれる一族で天上の国に住んでいること。肩に乗っている鳥はノエルの『相棒』であり、その鳥はフィデー鳥と呼ばれる、スズメ程度から馬を超える大きさまで自由に大きさを変えることのできる鳥だということ。その鳥が親とはぐれて飢えていたところをノエルが見つけ、保護し、『相棒』にしたのだということ。ノエルの父親の『相棒』は鷲で、母親の『相棒』は梟だということ。
お互いのことを話しながら北の館前の庭園で遊んでいたが、再び降り出した雪で寒さが増して二人は遊び場を館内へと変えた。
二人はかくれんぼをすることにした。隠れる範囲を決めて最初はヴィーセルが隠れ、ノエルが書斎に隠れていた彼を見つけた。そしてノエルが隠れ、ヴィーセルが彼女を探す番となった。
決められた範囲の部屋は一通り足を入れたのに、ヴィーセルはノエルの姿を見つけることはできなかった。もう一度、と最初の部屋に戻ろうとした時、小さな悲鳴が聞こえた気がしてヴィーセルは声がした方向へ向かった。かくれんぼの範囲から少し外れた人気のない三階の部屋の、川に面したバルコニー。雪が吹き込むバルコニーにノエルはいた。
いや、彼女だけではなくもう一人、金髪で緑の瞳の、人形のような美少女も。
「何を」
している、と最後まで口にすることなくヴィーセルは駆けだした。ノエルの身がバルコニーの外に、冷たい川の上に晒されていたからだ。相棒の鳥は手すりの上で止まることなく右往左往し、困ったようにキューキューと鳴いている。
そしてバルコニーの上では人形のような少女が、落ちまいと必死に手すりに掴まるノエルの指を放そうとしていた。それも、笑顔のまま。
ノエルが川へ落ちてしまう。助けなければ。
その一心でヴィーセルは精一杯手を伸ばした。ノエルを安全な場所、バルコニーへ引き上げるために。
けれど。
「ノエルッ」
手が届く前にノエルは寒さでかじかんだ手のせいか外そうとする手に負けたのか、手すりを掴んでいた指を放してしまった。結局ヴィーセルに向かって伸ばされた小さな手を掴むことはできず、ヴィーセルの手は空を掻いた。
ノエルが恐怖に怯える目を自分に向けたまま闇の中へ水音と共に消えていくのを、ヴィーセルはただ見ていることしかできなかった。
「だ、だれかっ!」
数秒茫然とし、我に返ったヴィーセルが声を張り上げ人を呼ぶ。
何事かと駆け付けた使用人たちに事の次第を告げ、皆で落ちたノエルを懸命に探したが、激しく降り続ける雪という天候のせいもあって少女を見つけることはできなかった。
自身の父親とノエルの父親にもすべてを話した。ノエルが、見たこともない少女に指を外され、バルコニーから川に落ちたのだと。しかし、バルコニーにいたはずの美少女の姿は煙のように消えていてどこにも見当たらず、
「そのような少女がこの館にいたはずがありません」
ヴィーセルの言う容貌の少女は北の館にはいなかった、と誰もがはっきりと口にしたのだ。
結局、幼い証人の言葉は
「何かの見間違い」
と取り合ってもらえなかった。
「彼女の鳥は姿を変えられたのでしょう? どうして、助けられなかったのですか」
やるせない気持ちのヴィーセルが少女の父に問う。彼女の父の肩にいる鷲とは違い、部屋の隅で剥製のようにじっとしているあの鳥が大きな姿に変化すれば、その背に彼女を乗せることができたはずだと思いついたのだ。
「あれはまだ赤子で、変化するにはまだまだ未熟な鳥なのです」
フィデー鳥が変化することができるのは成鳥してからだと説明を受ける。それが事実とわかっても、ヴィーセルの気持ちは荒立ったままだった。
ノエルの父もヴィーセルの両親も、消えた少女のことを心配し眠れぬ夜を過ごした。
翌日になっても翌々日になってもノエルを見つけたという報告は届かず、バルコニーに残された『相棒』である鳥もノエルを見つけることができないでいた。
「あの激しい川の流れ、冬の川。この天候。生存の可能性は少ないだろう」
ノエルが消えてから一週間。誰もが思いながらも口にできなかった言葉を最初に口にしたのは、誰でもないノエルの父だった。長年自然の中で生活をしてきている鳥使いの一族。彼は自然界の厳しさをよく理解していた。
「なにより『相棒』がノエルを見つけられないということは、ノエルが我が一族を外れたという意味を指す。これが神の御意思、ノエルの運命」
鳥使いの一族に古くから語られている『相棒』との関係は掟でもあった。ノエルの父は目を固く閉じ、自身に言い聞かせるように重々しく何度も呟いた。
「神の御意志、ノエルの運命」
と。そしてその翌日、愛しい娘の喪失感に包まれながらも、予定日数を越えて滞在していたノエルの父は天上の国へと戻って行った。
だが、ヴィーセルは運命と受け入れる気はなかった。ノエルの指を手すりから外した非道な人物さえいなければ、あの人物がノエルを助けてさえいれば、ノエルは家族とともに眩しい笑顔で故郷へと帰れたのだ。
誰も信じてはくれなかったが、ヴィーセルは知っている。
ストロベリーブロンドで翡翠色の瞳の、人形のように可愛らしい少女がノエルを殺したのだということを。