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奈落の星  作者: 居候猫吉
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奈落の星

 人里から離れた研究施設の地下研究所。そこでは部屋を照らす明かりの中に二人の人間と一匹の巨大な合成獣がいた。

「このっ! 使えないクズめ! 白い服の小娘を連れて来いと言っただろ!」

 銃声が研究所に響き渡る。室内での銃声はあまりにも大きい音として響き渡る。この場へ連れてこられたティティスは耳を両手で塞いで轟音から自分の耳を守る。

「捕食成長型合成獣としては割といい出来だったから今まで生かしておいてやったのに、人語を理解しても命令一つまともにこなせないようじゃただの失敗作だな!」

 再び、二度三度と銃声が鳴り響く。その銃弾は合成獣の体を撃ち抜き、手足に重傷を負わせていく。その轟音が鳴り響くたびにティティスは身を強張らせる。

「戦闘技能のある人間を取り込むことでさらに成長を促し、十戦士を相手にどこまで戦えるかというデータを取る計画は見直しか………」

 幾度となく銃で撃ち抜かれた合成獣はもう瀕死の状態だった。動くなという命令を守って飼い主である研究員の男の前でじっとしていたが、それももう重傷のため維持することができず、力なく床に寝そべっている。

「捕食成長型合成獣はいい案だと思ったんだが、今一つだったな。今保有している奴らは近日中にも奈落を襲撃させて死なせるとするか」

 研究員ローウェンの口から次々と信じられない言葉が飛び出す。それはまるで自分がこの世の野に解き放たれている全ての合成獣を従えている王であるかのような口ぶりだ。

「あなた………いったい何を言っているのです?」

 事態に言葉の意味に、何一つ理解できないティティスがローウェンに向かって問う。

「ん? 何って? 捕食成長型合成獣の説明を求めているのか? あれはかなり前に僕が作り出した生命の進化の一つでね。捕食した相手の細胞や遺伝子を取り込んで自分のものにして成長する獣を作ったんだよ。合成獣として進化のベクトルを示せたことは良かったかもしれないけれど、進化するには対象物を捕食しなければならない。食べるときにどうしても噛み砕いて殺してしまい、遺伝子や細胞を傷つけてしまってね。どうもいい進化とは言い難い失敗作がたくさんできたんだ。試行錯誤を繰り返したけど修正しきることはできなくてね。死んだ人間を取り込むのも生きた人間を食い殺すのもあまり変わらなかったってことさ」

 自慢げに自分の研究の成果を話すローウェン。その様子は狂気に囚われていると言ってもいい。彼は研究による新たな発見という好奇心のためなら何でも犠牲にできる状態だ。

「………一つ、質問です」

「ん? なんだね?」

「その合成獣は捕食対象の記憶を受け継ぐことはあるのですか?」

 ティティスには一つの仮説が頭の中にあった。ステナから聞いた話と先ほど目の前で合成獣が発した名前。それらを組み合わせれば生まれる疑問を彼女はぶつける。

「ん? 記憶? そう言えばそれは研究テーマにしていなかったな。まぁ、人の言語をある程度認識できるようになったってことを考えれば記憶も受け継いでいるんだろうね」

 まるで興味が無かったかのように言い放つローウェン。だが、それを聞いてティティス一つの確信を持った。奈落の中にある悲しみの数々の元凶。その全てはこの男によってもたらされたものだという確信が持てた。

「………ふむふむ、そうだね。君は少し頭も良さそうだ。計画は多少変更になるが、これはこれでいい実験になりそうだ」

 ローウェンの狂気に満ちた目がティティスに向けられる。

「新しい実験をあのモニカとか言う小娘でする予定だったんだけどね。その代役は君だ。恨むならそこに転がっている失敗作を恨んでくれ」

「失敗作って………」

 銃で何発も体を撃ち抜かれた巨大な合成獣が不憫に思えてきた。彼女がたどり着いた一つの仮説はほぼ確信を持って確定された事実だという自信がある。そうなると、この合成獣の行動もわからないわけでもない。

「見ろ、これが僕の最新作の実験器具だ」

 そう言ってローウェンがティティスに見るように告げたのは巨大なガラスの筒状の容器。半径は一メートル、高さは二メートル以上ある巨大なガラスの容器。中には八分目ほどにまでエメラルド色の半透明な液体が入っている。

「これは特殊な分解液でね。中に入った生命体を生きたまま液状化させるのさ」

 ローウェンの行っている意味がさっぱり分からない。生きているのにその体が液状化しているとはいったいどういうことなのか。

「そして後は分離器にかけて必要なものを結晶化させ、合成獣に装着する。これにより生きたまま新鮮な細胞や遺伝子を合成獣が取り込み進化することができる。さらに魔法技術で言うところの魂という概念の結晶も作り出せる。科学と魔法の両面からの進化を同時に行うことで、より高度な進化を完成させるためにはまさに必要不可欠な機材だ」

 狂気に満ちたローウェン。彼の視線がティティスにあるということは、彼女が機材に放り込まれ、合成獣の進化のための材料にされるということだ。

「嫌………そんなの絶対………」

「君に拒否権は無いんだよ。この偉大な研究の礎になれるんだ。嬉しいだろう?」

 ローウェンの銃がティティスに向けられる。

「抵抗するなら抵抗して構わないよ。まだ死体を溶解させて結晶化したものでの実験もサンプルが少ないからね。そちらを先に重点的にすることになるだけさ」

 ローウェンは自分の研究のためなら人の命を何とも思っていない。ティティスに向けられた銃口は確かに彼女の心臓を狙っており、一撃で殺せるようになっている。

「なぁに、心配はいらない。理論上では分解液の分解作業中は痛みを感じないはずなんだよ。それどころか体がすぐにマヒして苦しさも感じない。痛みも苦しさも感じないまま全てが終わる。僕はなんて被験者思いなんだろうね」

 言っていることが完全に矛盾していることにローウェンは全く気が付いていないのだろう。彼はもう自分の研究のことしか見えなくなってしまっている。

「さぁ、始めようか。世紀の大実験だ。僕が歴史に名を刻む瞬間は間もなくだ」

 近づいたローウェンはティティスの手を掴み、巨大な分解液が詰まった容器の方へと力づくで引っ張っていく。銃を持っている彼の手にかかればティティスを殺すことなど造作もない。彼女が今できることはたった一つ。それは一刻も早く、ベルリオ達の助けが来ることを心から願うことだけだった。


 淡くかすむ月光が頼りとなる荒野の中、銃声が幾度となく響き渡る。夜行性のタイプなのだろうか。荒野を行く人に襲い掛かる猛獣が混在した合成獣がうようよ徘徊している。

 銃声を聞きつけて襲ってくるもの、目視して迫るもの、匂いを追ってやってくるものと、合成獣が狙いを定めるパターンは様々だが、狙われる人間は二人だけだ。

「ちっ、弾の消費が半端じゃないな」

 襲ってくる合成獣の数は多く、日中の比ではない。何体倒してもきりがない合成獣の波状攻撃ともいえる、尽きない敵の数にベルリオはさすがに呆れてしまう。

「この数の多さもあのマッド野郎の仕業か?」

 弾をリロードしながらぼやく。日中よりもはるかに多い合成獣の数。もしこれがあの研究員、ローウェンの仕業であるとしたのなら、どうやら研究所は随分固く守りたい心理のようだ。探られて困るものでもあるのだろう。

「そっちはどうだ? あとどれくらいある?」

「結構減った………長くは無理………」

 弾の消費はベルリオだけでなく共に戦うモニカも当然同等量の消費をしている。

「魔弾の方は?」

「魔弾はあと三発だけ………」

「俺もだ。長期戦はきついな。どうせあの研究所には合成獣は近づかないから突っ切りたいところだが、そうはいかないのがつらいところだな」

 選択肢の一つとして戦わずに研究所まで走り抜けるのも手だ。しかし、相手は獣の俊敏性を持った合成獣。まともに競争すれば勝ち目などまずありえない。だからこそ、今この時も戦闘を行いながら目的地へと進んでいるのだ。

「ティティス………」

「落ち着け。なるべく急ぎたいが、焦って雑魚にやられちゃ本末転倒だ」

 多少無理は必要だが、それがたたってしまえば意味がない。急ぎたいが急ぎすぎるわけにもいかず、じりじりと心を締め付ける焦燥感を何とか理性で押さえつけながら研究所へと進んでいく。

 研究所へ近づけば近づくほど合成獣の数は多くなっているような気がする。それはまるで城を守る兵士のようだ。本拠地に近づくほど守備が厚い。研究所が目視できる頃には団体様が道を塞ぐように待機している。

「ベルリオ………」

「ああ。そろそろ無理をするタイミングだな」

 ゴールが見えた。敵は俊敏さがと獰猛さが売りの合成獣だが、ゴールが見えていれば多少無理をしたところでたどり着けないということは無い。それは今まで生きた人生の中で数多く戦ってきて、奈落に住む大勢の人から一目を置かれるだけの存在となったことが裏付ける確固たる自信。

「俺が魔弾で道を開く。後は通常弾で一斉掃射。空いた道を突っ切りつつ迫る奴は迎撃だ」

「うん………」

 了承を得たところでベルリオは即座に研究所への道を塞いでいる合成獣の団体様。そのど真ん中に狙いを定めて魔弾を打ち込む。爆発と炎が舞い上がる中、二人は銃声と弾丸をまき散らす嵐の中心となって研究所へ向けて移動を開始する。

 炎により周囲の視界がある程度確保されたせいもあるのか、今まで以上に合成獣が躍起になって二人に襲い掛かる。夜行性とそうでない合成獣が入り混じっていたのだろう。だが、それはもう今更のこと。走り出した以上、二人を止めるのは死か終着点への到達以外に有り得ない。

 弾丸は射出されるたびに装填され、消費量や消費速度は今までの比ではない。だがそれを失ってでも余りある時間という対価欲しさに二人は突っ走った。

「扉を破って突っ込め!」

 そして研究所に到達した。扉を突き破って中に飛び込み、振り返って合成獣の追撃を確認する。

「……………」

 ガンブレードの銃口を合成獣の群れに向けつつ数秒間の静止。そして見えたのは合成獣が研究所から少し離れたところから近づこうとはせず、研究所の周囲をうろうろと彷徨っている様子。奴らが研究所に近づけないというのは本当のようだ。

「よし、地下に行…」

 相方のモニカに声をかけつつ顔を向けた時、そこにモニカの姿は無い。

「…ったのか」

 地下に続く階段へと走っていく彼女の背中が見えた。それは彼女に感情が戻りつつある証拠。焦りや怒りが今の彼女を突き動かしており、その裏側には慈愛や楽しさといった過去の認識がある。感情があるからこそ、彼女は行動するのだ。今までのようにベルリオの指示に従って戦うだけの人形となり果てた彼女ではなくなっている。

「あんまり焦ると相手に足元をすくわれるぞ」

 そう言いつつも急ぎたい気持ちは一緒だ。ベルリオもはやる気持ちを抑えきれず、走っているモニカの背中を追いかけて走り出した。

 階段を駆け下りたどり着いた地下研究所。そこには巨大な合成獣が一体、まるでこの研究所というダンジョンのボスであるかのように鎮座している。その体は人を余裕で丸呑みできる体を持ち、ムカデのように幾多の種類の足があり、まるで剣や鎌を思わせる鋭い爪の手がたくさんあり、体には毛なのか鱗なのか定かではない表皮。顔は鋭く爬虫類のような、しかし猛獣な雰囲気も併せ持つ。まさに奇形中の奇形。今まで出会ってきた合成獣は獣だけに偏っていた分、それ以外の動物が混じっていることへの気味の悪さは今までの比ではなく、誰かに問われたところで回答できる者などこの世にいないだろう。

「合成獣だけか? ティティスとローウェンは?」

 地下研究所を見渡してもやはりいるのが合成獣だけ。それ以外の生物はおらず、人間などはどこにもいない。

「ティティス………」

 地下研究所をキョロキョロと見渡すモニカ。人の気配はなく、気味の悪い巨大な合成獣が一体だけしかいない現実は変わらない。

『おやおや、随分と早い到着だ』

 突然ローウェンの声が聞こえた。研究所内にスピーカーが設置してあるのだろう。そしてカメラもあるのかもしれない。この地下研究所の様子は今、彼の目に留まっているような言い方からまず間違いはない。

『おかしいな。僕が設置した盗聴器の情報が正しければ君達賞金稼ぎや奈落の狩人達の出発は明日の朝じゃなかったかな?』

「なるほどね。情報が筒抜けだったってことか? だけど俺は気が短い方でね。あんなふざけたことをされて予定通り事をこなせる人間じゃない」

『ふざけたこと? なるほど。君の家を襲ったのは間違いなかったのか。ならあの役立たずは何を血迷ったのか、命令通りの相手を連れてこなかった理由は………』

 スピーカーの向こう側で何やら考えに耽っている。

「おいっ! さっさと出てきやがれ。そしてティティスを解放しろ。そしたら一発ぶん殴るだけで許してやらないこともない」

『………はっはっはっはっはっ、怖いね。だけどそれは無理な相談だよ。君はここで死んで優れた合成獣の材料になるんだ』

「バカか? お前はこの烏合の衆としか言えないような合成獣に俺が殺せるとでも思っているのか?」

『確かに、不確定様子があって勝率が高くないことに変わりはないよ。さすがに奈落屈指の十戦士を相手にするにはまだまだ研究が足りないことは事実だ。だけど、君の体が手に入ればその研究も大幅な進歩になる。それはさらに優れた合成獣を作る………』

「おい………」

 研究所内の空気が一瞬凍結したかのような冷たさに変わる。スピーカー越しとはいえ、今までと全く違う声のトーンによってベルリオの様子が変わっていることは間違いなく伝わっている。

「グダグダ長話をしに来たわけじゃねぇんだよ」

 その言葉はとても冷たく、しかし何よりも熱い。今まで研究一辺倒だったローウェンはカメラとスピーカーを間に介しているというのに、その異様なまでの雰囲気に圧倒されてしばらく言葉を失ってしまう程だ。

『ふぅ、本当に君は恐ろしい。十戦士という存在を僕は甘く見ていたのかもしれない』

 カメラとスピーカー越しでも恐怖を感じたローウェンはこれ以上の会話は不可能と判断したようだ。

『さっきも言ったように、彼女を解放するのはもう無理な相談だ』

「なんだと?」

『彼女は貴重な実験に協力してくれたんだ。僕は感謝しているよ。だからそのお礼に君達との再会を果たしてあげたのだから』

「………どういうことだ?」

『わからないかい? 目の前にいる合成獣。それは彼女だよ』

 その瞬間、ベルリオとモニカの視線が地下研究所にいる合成獣に向けられる。何の生物がどのように体に組み込まれ、存在をどう構築しているのかさっぱりわからない。まさに混沌としか言いようがない合成獣。そこにティティスがいるとローウェンは言った。

「うそ………」

 目を覆いたくなるほど気持ちの悪い合成獣。一ミリたりとも一ミクロたりとも彼女の存在感を感じない合成獣に彼女が含まれているという事実。モニカは最悪の結果に呆然と立ち尽くしている。

『どうしても思考回路や情報処理、記憶能力や論理的思考という部分で人間が必要だったんだよね。本来ならそこにいる白い彼女を組み込んで戦闘経験も足し算したうえで、誘いに乗った十戦士を殺すというのが僕の予定だったんだけどね。使えない合成獣の失態で計画が一歩後退してしまった。だけど、彼女の協力で生きた人間の頭をどこまで生かせるかという実験にはなったのはまだよかったかな』

 あっけらかんと研究内容は話すローウェン。その言葉に罪悪感や背徳感という感情は一切見えない。彼はただ単に好奇心にだけ突き動かされるマッドサイエンティスト。狂気に身をゆだねて外道を突き進む研究員だ。

『ちなみに彼女の肉体はすでにこの世にない。必要な人間の長所を生きたまま使わせてもらったからね。そいつを殺して中身をえぐったところで彼女は出て来ないよ』

 その言葉は手遅れという絶望を二人に与える。今朝まで笑っていた彼女が、もはや人としての笑みを見せることすら叶わない。下手な料理を付け焼刃で上手くなったかのように見せる姿も二度と見ることが叶わない。

『今は適合検査中で眠っているよ。だけどその適合検査も君達がいれば実験も一緒にできて実験素材もおそらく手に入るだろう。一石三鳥だ。これはありがたい』

 スピーカー越しに何かのスイッチをいじったりする作業の音が聞こえる。

『さて、間もなく目覚めるけど、そいつには君達を襲うように指示を出した。君達が逃げれば奈落へと向かうようにもしてある。君たちは逃げられないよ』

 怒りを倍増させる狂った男の笑い声。何もかもが自分の思い通りになっているという優越感からくる笑い声。これほど癇に障る笑い声は他にない。

「テメェ………普通に死ねると思うなよ………」

『はっはっはっはっはっ、いつまでそう言っていられるか楽しみだね。では、僕はデータを取らせてもらうよ。存分に戦ってくれ。元知り合いの人間と、ね』

 スピーカーが切られる音がして通信が途絶える。奴はどこからかこの部屋の様子を監視しているのだろう。そしてその狂った研究員は人を人とも思わない行動に出たばかりか、知り合い同士をこのような形で殺し合いをさせてデータを取るという。

「ティティス………」

 モニカは合成獣から視線を逸らせない。変わり果てたティティスの姿が大きな喪失感となって彼女の心を暗い闇へと再び突き落とそうとしている。

 そして、最悪の運命の歯車が回り始める。混沌とした合成獣の目がゆっくりと開かれ、研究所にやって来たベルリオとモニカの二人を視界に収める。そして威嚇するような唸り声と敵視するような視線が二人に向けられる。

「ティティス………」

「やるしかないのか………」

 テンションは一向に上がらない。やる気も出なければ戦意もわかない。そもそもこの怒りをぶつけたい相手は目の前の合成獣ではない。行き場はあっても行き場に向けられない怒りを関係のない被害者に向けなければならないという心苦しさが二人の心に重い足かせとなっていた。

 しかし…

「ア………アァ………」

 合成獣が人とは思えない声を発する。それは唸り声や叫び声、または鳴き声という獣独特のものではなく、言語というものに近い声。

「………私………何ヲシテイルノカナ………」

 人の声とは思えない不気味で野太い声。しかし、その言葉はどこか聞き覚えがあり、優しさと共に憂いを感じる。

「ティティス………?」

 モニカが彼女の名を呼ぶ。彼女にまだ意識があればそれに答えるはずだ。

「………アァ………私………自分ガ………ワカラナイ………」

 まるで苦しみ悶えるように、混乱と戸惑いの言葉が合成獣から吐き出される。

「………助ケテ………早ク………助ケテ………」

 合成獣が苦しむ。そこにどこまで自我と呼べるものがあるのかどうかわからないが、彼女が助けを求めているのは事実だ。

「くそっ………」

 助けを求める彼女を見てベルリオもモニカもその心はとても歯痒い。助けを求める人を助けるだけの力を持っていない自分に憤りしかない。

「………アァ………ソコニイタ………ベルリオサン………モニカサン………」

「え?」

「ティティス………?」

 彼女はまだ獣たちに中に取り込まれてもなお意識があるようだ。

「………私………モウ………ダメ………意識ガ………ドンドン………薄レテキテ………自分ガ………ワカラナクナッテキテ………ドンドン………体ガ………本能ガ………抑エラレナク………ナッテキテイルノ………」

 彼女の心はどんどん合成獣に飲み込まれていっているということなのだろうか。彼女の心が合成獣達の本能を抑えきれなくなっていっているとすれば、この会話の時間も長く続きはしない。

「ティティス! 落ち着け! 何とかできるはずだ。だから…」

「…シテ………」

 ベルリオの言葉を押し退け、彼女は自らの意思が途切れる前に言葉を紡いだ。その言葉はベルリオとモニカの時間を一瞬だけ凍結させた。

「………助ケテ………クレルナラ………オ願イ………私ヲ………殺シテ………」

 それは心から絞り出した彼女の最後の願い。本心は生きたい。心はあの日常を求めている。けれども現実がそれを許さない。

「………誰モ………傷ツケタクナイ………誰モ………殺シタクナイ………ダカラ………オ願イ………私ガ………血ヲ流サセル………ソノ前ニ………私ノ………血ヲ流シテ………私ノ………命ヲ………奪ッテ………」

 巨大な獣と変わり果てようとも、心はついこの間まで箱入り娘だった時の彼女のまま。自らの意思で自らの死を嘆願する。彼女は一度自らの意思で死を求めた。しかしその時は未練がなかった。彼女は今の日々に満足していた。その決意にはどれほどの勇気で恐怖と悲しみをねじ伏せてのことか。その声は悲しく震えている。

「………わかった」

「ベルリオ………それはダメ………それだけは………」

 何かを決意したベルリオに対し、モニカは未だ彼女との戦いを拒んでいる。

「ティティス。お前がお前の手を汚す前に、お前がまだお前でいられる間に、俺がこの手で終わらせてやる。死にたくなったら言えって言ったのは俺だしな。約束だ」

「ベルリオ………」

 ベルリオの一つの決意にモニカは頷けない。

「モニカ、終わらせるのは俺達の仕事だ」

「でも………」

「俺達は賞金稼ぎだ。報酬のために戦う。ティティスは俺達に依頼を出した。自分に終わりをくれと。その報酬は彼女が無垢な笑顔のまま、人としての最後を共に過ごした者として、この目で見送りこの手で送り出すという権利だ」

 当然、ベルリオだって納得はしていない。だが、これ以上彼女の心をローウェン如きに弄ばれることだけはどうしても許せない。ならば、悪と呼ばれようと、未来永劫の罪となろうと、ベルリオはこの場で刃を振るって銃を撃つことを選んだ。

「モニカ………これは俺たち二人に出された依頼だ。二人でやらなきゃ意味がない」

 奈落へとやってきた彼女と共に過ごした二人。その思い出はとても短く刹那。そんな一瞬の煌めきを血生臭いもので上書きさせる前に、手向けの花として供えるのはやはり二人でなければならない。

「………うん………わかった………」

 重苦しい沈黙を破り、モニカが賛同の意を示す。当然、表情に納得の色は見えない。だが彼女も決断した。ティティスをこの手で送り出すことを…

「行くぜ、ティティス」

「手加減………しないからね………」

 ガンブレードを手に合成獣と化したティティスと対峙する二人。

「………アリガ………トウ………」

 自らに刃と銃口を向ける二人を見て、ティティスは穏やかな雰囲気で一言、礼を述べた。そしてそれが渾身の力だったのか、一呼吸置いた後に獣よりも禍々しく異様な雰囲気の咆哮が研究所内に響き渡る。

 それは戦いの火蓋が切って落とされるという合図。前面に出ていたティティスの心が混沌とした合成獣の本能に飲み込まれ、合成獣が合成獣として持つ人を襲い喰らう本能の意思表示。そして二人を睨み付けた合成獣。獲物を前に剥き出しの闘志がまず牙を剥く。

「かかってきやがれっ!」

 ベルリオのその声に呼応するかのように、巨大な合成獣は何十本もある禍々しい脚を総動員し、地面を蹴ってその巨大な体躯全身でベルリオ達に跳びかかった。




 肉体を失い、自らの意識さえ思い通りになっているとは思えない。感情、感覚、考えなどを始めに今まで当たり前にあった全てのものが失われてなお、ティティスという存在の意識は混沌とした本能の中で生きていた。

「………なんだろう………これ………」

 視界に何かが映るわけではなく、体に何かが当たるというわけでもなく、違う触感があるわけでもない。全てを失ってなお、彼女が持っているのは彼女という個体の魂。生きたまま合成獣に飲み込まれたせいか、彼女は未だ自我だけは失っておらず、その自我が混沌の中にある欠片を無意識に引き寄せ、彼女に様々なものを感じさせている。

 脳裏に浮かぶ感覚で映像がまるで自らの記憶であるかのように理解できる。映るのは小さな女の子を抱いた若い男女二人組。

「ほ~ら、よしよし」

 赤ん坊をあやす姿は暖かく微笑ましい。自らの子供に対する愛情というものなど子を産んだ経験のない彼女にはわからないもの。だが、それさえも混沌の中にある記憶の欠片と一緒になったことで、未経験ながらも人の記憶と合体して理解できる。

「私達の可愛い娘、元気にすくすく笑顔で育ってね」

 すやすやと可愛らしい寝顔を見せる赤ん坊は心地よさそうだ。幸せを感じ、愛情の中で生きている赤ん坊。その子を愛おしく想い、守りたいという親心をティティスは知る。

 ぐずって泣き出した赤ん坊に慌てながらも笑顔で懸命に宥める様子はとても微笑ましい。

「あぁ、ほらほら、パパとママだよ。そしてあなたは私達の娘。いつも、いつも、これからずっと、見守っているよ。これからよろしくね。モニカちゃん」

 赤ん坊の名をモニカと呼んだ。これは彼女の両親の記憶の欠片。もうすべての記憶は残っていないのだろう。だが、子を想う親の心は強いということなのか、数多の生物が混在している混沌とした合成獣の中で、その記憶は一際強い。

「モニカさんのご両親………まだモニカさんを忘れず愛していたのですね」

 自らの命を落とし、合成獣に捕食されて取り込まれた。それでもなお親が娘を想う気持ちだけは折れることなく、光り輝くこの記憶の欠片だけはどんな生物の記憶にも負けず、上書きを許さず、今まで生きてきたのだ。

 しかしその記憶は長くは無い。長い時間と様々な実験による負荷のせいか、守り切れた記憶の欠片はその短い一つだけ。けれど、それを守った心が混沌の中にいたことはなによりもティティスの心を安堵させる。

 そして次の記憶がまた思い起こすように映像で流れていく。

 数人の少年が廃屋を自分達の手で改装している。日曜大工のような粗さにそれぞれの得意分野を合わせて改装される廃屋はティティスにとって心地の良いひと時をくれたあの家。

「おい、そっちの部屋は俺の部屋だから雨漏りだけは勘弁してくれよ」

「キッチンはカウンター式だぞ。毎日料理当番が飯を作ってそれ以外が全員で配膳だ」

「おーい、玄関の扉はもう寿命だ。誰か取り替え手伝ってくれ」

「窓ガラスは何枚だ? 一枚いくらで何枚………財政難だな」

 各々が勝手に改装作業を行い、各々が皆のためを思って作る自分達の城。その居住空間を手に入れた少年たちは誰もが心を躍らせていた。

 夜、彼らは毎日のようにリビングに集まって将来の夢を語り合う。そしてその向かう先は誰もが尊敬する頂点。

「よし、じゃあ俺が十戦士になって皆を養ってやる」

「いやいや、お前じゃ無理だよ。なるのは俺だ」

「俺に決まってんだろ。少なくとも俺の方が強い」

「バーカ、俺の方が頭はいいだろ?」

「武器の扱いは俺の方が上手いぜ」

 集まった少年の数は全部で十人。リビングで好きな場所に居ながらも誰一人として仲間外れにならない会話が行われている。

「ベルリオはどうだ? 誰が十戦士になった方がいい?」

 名前を呼ばれて一人の少年に視線が集まる。今と変わらない黒い服装が印象的な少し幼さのあるクールな少年。

「ん? 全員がなればいいだろ? 俺達の中の誰か一人じゃなきゃならない理由なんてないからな」

 その場にいるのは全部で十人。この十人が全員奈落のトップの戦士になるというのはまさに奇跡。その奇跡を平気で口にした少年の意見に他の九人が賛同する。

「そうだな。じゃあ全員で十戦士の座を全部奪ってやろうぜ」

「おうよ。俺達が一番だ」

 その語らいは毎夜深夜まで続く。それは一日たりとも欠かされることのない少年達の心を通わせ、誓いを忘れず夢を手にするという思いを日々強くするための恒例行事。

 その記憶も長くは続かない。だが、暖かく心が穏やかになる記憶の欠片。生きたまま万全の態勢で取り込まれたティティスも奈落に飲み込まれそうな中、その記憶達がまるで彼女の意識を失わせないために彼女に過去を見せているよう。そしてその過去は彼女が聖上にいたころには触れるどころか見ることさえ叶わなかった憧れの夢。彼女が求めていた輝きが今、命亡き者達が守る最高の記憶によって、自らの手ではないとはいえ垣間見ることができたのだった。

「これ………これが欲しかったの………今は見えないけど、伝承に残る星のように光り輝く日々が………」

 欠片となったことでよりその輝きは強く、煌めきは鮮やかに見える。

「綺麗………とっても………」

 肉体を失った彼女はもはや涙を流すことすら叶わない。だが、肉体があれば間違いなく涙を流していたことだろう。失われた過去を垣間見て、彼女が欲した夢というものが現実に存在していたことを知った感動の涙を………




 巨体に似合わない俊敏さで突っ込んでくる合成獣の突進を全力の跳躍で身を投げて回避するベルリオ。その体にはそれほど深くは無いひっかき傷がいくつかついている。だが彼もただやられるだけではなく、交錯する最中にガンブレードを剣として扱って深手ではないものの、いくつかの斬撃を叩き込んでいた。ベルリオと同様、合成獣の体にも刃での切り傷がいくつもついている。

「今だっ!」

 ベルリオに意識が集中している合成獣。その死角にいたモニカが魔弾を込めたガンブレードの銃口を向けている。

「魔弾………疾風列斬」

 引き金を引いたことにより銃声が鳴り響く。しかし発射された弾丸に形は無い。

 銃声を聞いてモニカに狙いを変えた合成獣は体の方向転換をしようと上体を捻る。すると何十本もある脚のおよそ半数が、いつの間にか何かに切断されたかのように綺麗に切れ目が入っており、方向転換できずに合成獣はその場に体勢を崩して倒れ込んでしまう。

 作戦は簡単だ。ベルリオが合成獣を引き付け、その隙にモニカが合成獣の機動力を奪う魔断を打ち込んで動きを封じる。合図はベルリオが発するため、モニカは戦闘には多く参戦せず機会をうかがっていた。そしてそれもベルリオに合成獣の意識を集中させるための作戦であったわけだ。そしてその作戦は完璧に的中した。

「もう一回………魔弾………疾風列斬」

 次弾を装填したモニカがもう一発魔弾を発射した。それにより残っていたもう半数の足も同じように切断され、合成獣は何十本もあった脚が綺麗になくなって腹這い状態となって、そう簡単に身動きが取れないようになってしまう。

 しかし、まるで痛みを感じていないのか、残った巨大な複数の剛腕を用いて這い蹲ってでもモニカに迫っていく。狙いはあくまでモニカに絞ったのか、這い蹲りながらもかなりの速度で合成獣は突き進んでいく。

「もう宴は終わりだ」

 そのモニカと合成獣の間にベルリオが割って入る。ガンブレードにすかさず魔弾を装填し、合成獣の体のど真ん中に狙いを定める。

「俺は十戦士、黒の死神ベルリオ」

 迫る合成獣に向かって彼は名乗りを上げる。それはこの場には不必要なもの。だが、彼はなんとなくそれが必要のような気がした。そしてその名乗りを聞いた合成獣は一瞬、躊躇したかのように動きが止まった。

「俺は今、宣言する。黒を持ってその存在に死を与えることを。望まぬ生に死ねない命運、終わりなき不義不徳の連鎖に終焉を………」

 引き金に指をかけ、合成獣と真っ向から対峙する。合成獣はなぜかさきほどのように攻撃の猛威を振るわない。それは合成獣自体がこの時、死という瞬間を望んでいるかのようだ。

「お前らに恨みは無い。だけど、これは避けて通れない。わかってくれ。俺が撃てる最高の一撃を手向けの花にする。魔弾………黒死葬弾!」

 死を望む合成獣に向け、指を賭けた引き金に力を込める。その瞬間、銃声と共に黒い玉が弾として射出され、弾丸を待ち受ける合成獣に当たって大きく爆ぜる。

 それは死神という名を冠する彼が持つ最も優れた攻撃の一つ。物理的なダメージ以外で対象物に確実な死を与える十戦士たるゆえんの一撃。

 攻撃を受けた合成獣は大きく苦悶の咆哮をあげ、その巨体が地面に倒れ込む。そしてその時、合成獣の体内からガラス玉にも氷にも宝石にも見える、手の中に納まる結晶のようなものが合成獣の体内から飛び出た。地面を数回はねて転がり、それはベルリオの足元にまで来て止まった。

「………これは何だ?」

 動きを止めた合成獣がもう動く気配を見せないことから、ベルリオは銃口を合成獣から外し、足元に転がる何かの結晶のようなものに触れる。

「あっ、ベルリオさん」

「え?」

「………ティティス?」

「はい。やっと会えました」

 結晶から聞きなれた声が聞こえた。原理も理由も不明だが、その結晶はティティスの意識を持っているようだ。

「魔法と科学を併用した実験のせいらしいのですが、結果的にこうなってしまいました」

 それはただの結晶。彼女の表情も雰囲気も感じられない。ただ声が聞こえるだけ。

「あの人が言っていました。この状態単体では長く生きられないそうです。合成獣に取り込んで本当は一体化するまで置いておくそうだったようなのですが、早く取り出されたおかげでまたこうして話すことができたみたいです」

 つまり、ティティスとは長く会話はできない。これは彼女の命の炎が消える寸前、本当に最後の一瞬の奇跡なのだ。

「伝えたいことがあります。聞いてください」

 表情も雰囲気も読み取れないに等しいただの結晶。だが、二人にはまるで目の前にティティスが立って話しているかのような感覚だった。

「モニカさん、ご両親は今もまだあなたのことを愛しています」

「………どういうこと?」

「ベルリオさん。お友達は今もあなたとの絆を忘れていません」

「おい、ティティス?」

「混沌とした合成獣の中で、いろいろな人の記憶の欠片に触れることができました。その中で光り輝いていた思い出の中に、お二人のことを強く思う記憶もありました」

 ティティスは言葉を途切らせない。いつ終わるかわからない自分の言葉が途切れる前に伝えたいことを伝えきりたい。伝える力を失った人達の代わりにそれを伝える、それが伝える力のある者の義務だと彼女は心に刻んでいる。

「この合成獣は生死にかかわらず今まで食べた人の力や能力を吸収していたみたいです。その中には記憶もあって、お二人に関するものもありました」

 それで全ての合点がいく。ベルリオが仲間を失ったのはローウェンが作った合成獣によるもの。それはモニカの両親も同じだ。それは全ての元凶がローウェンという研究員の仕業ということを裏付ける。

「あの時、合成獣がモニカさんを連れて行くのを躊躇って私に狙いを変えました。ご両親のモニカさんを守りたいという心と命令に従わなければならないという強制力の板挟みの結果の行動のようです」

 モニカの頭の中では合成獣の様子と自分の名前を呼ぶという不可解な行動がずっと引っかかっていた。それが今、全てのパズルのピースが一致した。そして過去に目で見て感じた負の思いも、彼女の言葉でいくらか救われた。

「ティティス………長生きできない………?」

「はい。彼ならそれも可能かもしれません」

 彼女をこんな目に合わせたローウェンなら可能かもしれない。ティティスを生かしておくにはそれしか方法は無い。

「ですが、それは嫌です」

 唯一の方法、無二の可能性を彼女は即座に否定する。

「多くの記憶の欠片と触れてわかりました。これだけ多くの、素晴らしい過去を持つ人たちが一人の人の勝手によって命を奪われたのです。全てが全てではないでしょうけど、それでも許せません。彼に助けを求めても、助けてくれるとは信じがたいです」

 混沌の中で彼女が見たものは彼女にしかわからない。だがそれは彼女が自らに永く生きるという選択肢を捨てさせるほどのものだったのだろう。

「私は………彼を許せません」

 それはティティスだけではなく、合成獣の中にある混沌にいた全ての人や生物の思い。彼女はその全ての思いを代弁している。

「つまり、この合成獣は多くの人の犠牲の上に成り立っているんだな」

「はい」

 ベルリオが死を与えた合成獣はもはやただの死体。だが、ローウェンにとってみればまだ価値のある実験体なのだ。これ以上、失われた尊い命があの男の好きにされるということを許してはおけない。

「モニカ」

「なに………ベルリオ………」

「花、摘んできてくれ。あればあるほどいい。束で頼む」

 犠牲になった全ての命に花を捧げたい。だが、その数がわからなければ用意することはできない。ティティスに聞いたところでわかるかどうかわからない。なら、花束一つを手向けの花とするのが最適だろう。

「花………だけ………」

 珍しくモニカが不満を漏らす。彼女はあくまで戦闘要員としてベルリオと行動を共にしている。彼の指示一つで彼女は刃にも弾丸にもなる決意がある。そして今、彼女はそうなる時だと察していたが、その指示は出なかった。

「ああ、花を頼む」

「わかった………」

 ガンブレードを強く握りしめるモニカ。彼女はもはや感情の無い人形ではない。ティティスと今回の一件で、彼女は長らく無くしていた感情を全てではないが取り戻し、今怒りに満ち溢れているのだ。

「ああ、それとだな」

 階段を上ろうとするモニカに聞こえるようにベルリオが少し大きな声で言った。

「気分転換も必要だろ。花を摘むついでに少し寄り道していいぞ」

「えっ…」

「ただ、後に尾を引くのはごめんだ。全力で気分転換して来い」

 それは事実上の遊撃指示。戦いたければ行けばいい。遺恨となるものをいつまでも残すことなく、やりたいようにやってこい。ただ、花を摘むことがメインであり、戦いはあくまでついで。腐った男のためにわざわざ本気で動くことに意味は無く、わざわざ手を煩わせる必要はない。ついでに遊んで来いというベルリオの言葉の意味。

「………わかった」

 モニカは感情のこもった一言を残し、階段を駆け上がって行った。

「ベルリオさん。モニカさん一人じゃ危険です。彼は…」

「問題ない…って、そうか。ティティスは知らなかったな」

「知らないって………何をです?」

「あいつが冠する名前を、な」

 まるっきり心配する様子の無いベルリオ。そして彼が言った彼女が冠する名前という言葉に、ティティスは無い首を無意識に傾げている気分だった。


 ローウェンは持ち出せるだけの機材や資料やデータをカバンやリュックに詰め、研究所を勢いよく飛び出していた。

「くそっ! くそっ! 十戦士を殺すことは不可能なのか? 有り得ない! この僕の研究が、この天才の僕の研究がただの人間如きに劣るような稚拙なもののはずがない」

 運動は不慣れなのか、走る脚は荷物のせいで重い。特に荒野は思うように走れずに逃げる速度は遅々としてなかなか思うように進まない。

「僕は天才だ! 今回は何か誤算があったんだ! それさえわかれば僕の研究は無敵だ」

「一つ………寝言は寝てから言って………」

「なっ!」

 逃げるローウェンは声がした後方へと振り返る。そこにはモニカがガンブレードを持って立っている。大切なデータや情報を持ち出すのに時間と手間がかかり、重い荷物を持っていることで研究所からはまだあまり離れていない。

「二つ………もう研究は二度とできない………」

 そう言うモニカの表情は怒りを通り越した無表情。まだ怒声を放っている方が怖さは何倍も何十倍もマシだ。

「三つ………罪は償うべき………」

 ガンブレードを力強く握りしめてローウェンに歩み寄っていく。その姿は死神の名を冠するベルリオよりも死神らしい。

「くっ、来るな!」

「四つ………あなたの命は道端の小石より軽い………」

「ふざけるな! 僕は天才なんだ! お前はこの世で最も敬意を表すべき頭脳の前にいるんだ。わかるか? お前が僕を殺すことは世界の至宝を破壊することと一緒で………」

「五つ………私は依頼を受けた………あなたを許さないという依頼を………」

 重い荷物を持ってゆっくり後退するローウェンがでこぼこの荒野に足を取られて派手に尻餅をつく。だが、それでも後ろに下がるのをやめない。迫ってくるモニカにおびえているのだ。

「依頼? 金か? 金ならある。研究資金ならくれてやる………」

「報酬は………お金よりも研究よりも………もっと価値がある………」

「なっ、なんなんだよ! お前はっ!」

 迫るモニカに対し、ローウェンは地面に尻餅をつきながらもみっともなく無様に後退していきながら、カバンの中から何かリモコンのようなものを取り出す。

「ふふっ、はっはっはっはっはっ! 馬鹿め! 僕の研究は合成獣を意のままに操ることだ! 合成獣など所詮はただの獣。ボスに従うのが獣の世界だ。だから僕はボスとなる合成獣をこの手で作り出したんだ。そいつらが動けば雑魚の合成獣も動く!」

 ローウェンはリモコンを操作する。するとたちまち大きな足音をいくつも響かせて合成獣が集まってくる。いくつもの獣が交わった多数の合成獣の大きさはさまざま。合成獣達はモニカを威嚇するように唸っている。

「バカな小娘だ! 大人しく十戦士と一緒にいればよかったんだ! さっさと食われてしまえ!」

 リモコンを操作すると同時に巨大な合成獣が一斉にモニカへと跳びかかり襲い掛かる。それはハイエナが獲物にありつく時のよう。立ち回りや連携など全くない。ただ一斉に跳びかかるという考えなしの猛攻だった。


 研究所ではベルリオが結晶となったティティスを手に持ち、会話を交わしている。

「ベルリオさんの言っていることを考えると………もしかしてモニカさんも十戦士?」

 ティティスは記憶にある十戦士の呼び名を再確認する。


・光の狙撃手

・魔弾の申し子

・破壊の銃火使い

・黒の死神ベルリオ

・風の処刑人

・妖艶の踊りステナ

・幕裏の傀儡師

・煉獄の料理人

・真紅の堕天使

・裏世界の影人


「こうなると魔弾の申し子か風の処刑人でしょうか? 光の狙撃手というのもそう遠くは無い気がしますけど………」

 真剣に思考を巡らしているティティスを前にベルリオが少し笑う。

「あいつはいつも白い服を着ているだろ? それはあいつ自身が白を好き好んでいるっていうだけで他意は無い。だけど、暴れ出すとちょっと手が付けられなくてな。白い服が台無しになって帰って来るんだよ」

「え?」

「名前を付けるのは他人だ。その様子がどう映ったかは知らないけど、あいつは本気で暴れるといつも真っ白なドレスを『真っ赤』に染めて帰って来る」

 モニカのそんな様子が一切想像できない。彼女は常に無感情で戦っている様子しか思い浮かばない。だが、それこそ大きな間違い。無感情だからこそ、その行動には理性や本能というものが無く、戦いに完全に没頭してしまうのだ。

「見た奴は勘違いしている。あいつの服は『真紅』じゃなく『鮮血』で染まった純白なんだ。あいつの正しい呼び名は真紅の堕天使じゃなく『鮮血の堕天使』なんだよ」

 ベルリオ曰く、純白のドレスを好むモニカの本当の正体を知っている人間は奈落の中でもかなり数が限られているらしい。返り血に染まった純白のドレスを見る者の数が少ないということは彼女が十戦士として戦う機会がどれだけ少ないかということだ。

「だから、俺はあいつが戦う時、いつもセーブさせている。今回ばかりは俺も頭に来ていたんでセーブしなかったけどな」

 普段全力で戦力を解放することのないモニカ。そんな彼女が一人で敵を追って行っても心配しないのは、彼女の実力に対する高い評価の表れなのだ。


 荒野ではいくつもの合成獣の屍が山となり、大地に敷き詰められている。そして返り血を浴びた少女のドレスは徐々に白の面積よりも赤の面積が増えて行き、周辺にいる全ての合成獣を仕留めるころには鮮血で真紅へと変わっていた。

「う………うそだ………そんなはずはないっ!」

 目の前の少女モニカが見せた驚異的な戦闘力にローウェンはもう何がなんだかわけがわからなくなっていた。ローウェンは当然モニカが十戦士だということを知らず、自らの研究がこんな少女にも劣るのかと絶望に打ち拉がれている。

「有り得ない………こんなこと有り得ない………」

 目の前で起こっている現実を受け止められない。銃声は一つも鳴ることなく、跳びかかる合成獣は振り抜かれた刃で急所を一閃されている。それにより吹き出す血はまさに雨のように大地を染めていく。その血の雨の中心に立つのはまるでダンスを踊る赤い服の少女。

「勿体ない………でもあなたには必要………」

 モニカがガンブレードに弾丸を込める。彼女の手に残った最後の一発となる魔弾。

「生死にかかわらず………食べられるとその記憶を引き継ぐ………」

 ティティスが言っていた。そして多くの命がそれをよろしいと思っていない。そしてこの研究が今後も引き続き行われることを許してはいけない。

「あなたは………死体を野晒しにすることすら許されない………」

 ローウェンという存在が捕食対象になってその記憶や研究の好奇心が引き継がれるなどということになれば、今回のような出来事や悲しみを抱える人達がまた大勢出てくることになる。それを未然に防ぎ、解決する方法はただ一つ。

「跡形もなく………消し去る………」

 彼が持つデータや資料や機材も含め、ローウェンの研究が二度とこの世に現れないようにすることが彼女の依頼達成の条件。

「や、やめろ。僕は天才だ。そうだ、何か欲しい物は無いか? 僕なら絶対にそれを生み出せる。僕と組めば君の欲しいものは何でも手に入れられるぞ」

「それは………無理………」

 モニカの手にあるガンブレードの銃口がローウェンに向けられる。

「私が欲しいものを全て奪ったあなたに………私が欲しいものを全て手に入れることはできない………」

 モニカの指が引き金にかけられる。

「やめろ………やめてくれ………」

 もうローウェンは逃げることもできず、ただ鮮血に染まった少女に命乞いをすることしかできない。だが、それは永遠に続けたところで絶対に叶わない。

「私は本物の天使じゃないから………あなたをみんながいる冥府に連れて行くことはできない………連れて行きたくもないから別にいいけど………」

「頼む………僕はまだ死ぬわけには………死にたくはないんだ………」

 鮮血に染まった堕天使。白いままなら彼女は天使のようだったかもしれない。だが、戦いにより鮮血で穢れた彼女は天使とは呼べない。彼女に天使としての技能は無い。あるのはただ一つ。相棒と同じように死を相手に突きつけるだけ。

「肉体があるなら肉体を………霊魂があるなら霊魂を………遺物があるなら遺物を………存在の全てをこの世に残さない………あなたは死ぬんじゃない………この世に存在したという痕跡………それを何一つ残さずに………永遠に抹消される………」

「や、やめてくれっ!」

 引き金にかけた指に力が込められる。

「魔弾………血亡滅波」

 銃声と共に一陣の突風が周囲を駆け抜ける。その風が通った場所、モニカの足元からその先何十メートルの地面を何かが抉ったように細長く地面がへこんでいる。そこにあったものは跡形もなくこの世から抹消したかのように、影も形も残ってはいない。人影やその人の体の破片どころか、機材やデータや書類の全てまで、何一つ跡形もなくこの世から消し去られた。

「誰の血を浴びても私は平気………でもあなたの血だけは一滴たりとも嫌………」

 完全な拒絶。本来なら切り刻み、通常弾で四肢を撃ち抜き、苦しみのた打ち回らせてから殺してもおつりがくるほどのやつだ。だが、それをすれば返り血を浴びる可能性だってある。あの男の血を浴びることなど考えられなかったからこそ、さっさと一撃でこの世から消し去ってしまったのだ。

「ついでに時間をかけ過ぎ………花を摘みに行かなきゃ………」

 あくまでこの行動はついでの作業。モニカは周囲に合成獣の姿が無いことを確認し、早々に研究所へと踵を返して帰っていく。途中、道端に目を向けて花を探しながら………


 多くの命を取り込んだ合成獣が横たわる地下研究所。そこでは壁にもたれかかるベルリオと彼の手の中にある結晶と化したティティスが会話を交わしている。それは本当に何でもないような雑談から今の自分の様子や状況まで、悔いを残すことなく話し続ける彼女の言葉を彼はただじっくりと聞き、持ち前の優しさで返答を一つ一つ返していく。

「………ベルリオさん」

「ん?」

「少し………意識に靄がかかってきました」

「そうか…」

 それは別れの時が近いという意味。彼女に残された時間はもう小さな砂時計ほども残されていないのかもしれない。だが、最後の一粒が落ちるその時まで、最後の一瞬まで彼女が幸せであればいい。

「んっ、決めました。私、後悔したくないですから………」

「何を?」

「言っちゃいます。恥ずかしいけど………そう言ってもいられません」

 残された短い時間、悔いを残さないために彼女は一つの決意をした。

「ベルリオさんとモニカさんの過去を知って、私じゃ無理だとわかっています。ダメなのは承知の上です。でも………私、あなたのこと、きっと好きでした」

 それは突然の告白。

「恋愛したことないんで私にもよくわからないんですけど、きっとこれが好きだって気持ちだと思うんです。聖上じゃ家同士の許嫁がいますから、恋愛なんて無理です。だからよくわからないんですけど………」

 最後のひと時、燃え尽きる直前の煌めきはどんなことでもさせてくれるという勇気と決意を彼女に与えてくれていた。

「悪い………」

 もし、彼女に体が残っていればこの一言は強く胸に突き刺さったことだろう。

「実は俺も恋愛はしたことがない」

「え?」

 だが、続いた言葉はティティスの想像していなかったものだった。

「まだガキの頃だったからな。仲間と一緒に暮らして、仲間を失って、モニカを守る責任って言うのかな。いろいろ背負うのが早すぎて正直それどころじゃなくてな」

 彼もまた、人生の中でそれを知らなかった。それは意外だったが、それはそれで妙に親近感がわく返答だった。

「じゃあ、私たち恋愛初心者で似た者同士ですね」

「そうだな」

 ベルリオが小さく笑う。肉体を失った彼女に笑顔はもう無理だ。だが、もし彼女が今目の前にいたなら純真無垢で綺麗な笑顔を見せてくれたことだろう。

「短い時間でしたけど、楽しかったです」

「こっちも、な。最初は何事かと思ったぜ。聖上を捨てて飛び降りる奴なんて珍しいなんてものじゃないからな。でも、ティティスは良い奴だ。確かにあっちじゃ退屈していただろうな」

「それはもう、毎日が苦痛でした。でも、私はこの奈落で素晴らしい物を手に入れました」

 頭の中に立って笑う彼女が浮かぶ。彼女が見せる幻想か、自ら作り出した今の理想の彼女かはわからない。だけど、そのどちらにせよ、彼女は変わらず笑っている。

「毎日夜空を見て星を探していました。世界が滅んだときに見えなくなった星を………でも、上ばかり見上げていてはだめだって奈落に来て知りました」

 上を向いて、前を向いて生きるのがいいとよく言われる。だが、時に足元を見下ろすことで見えてくるものもあるのだろう。

「夜空に見えなかった綺麗な星が………奈落で見られたような気がしました………」

 それは混沌の中で垣間見た記憶の欠片か、それとも数日という短い時間の中で生まれた奈落での当たり障りない日常のことか…

「もう………十分幸せです………あなたの手の中で………こうしていられるなんて………数日前には………想像もできません………でした………」

 言葉が少しずつ間延びしていく。終わりの時が近いことを意味している。その最後の瞬間をどうしてやればいいのか、ベルリオには見当もつかない。

「もうダメそう………最後に一つだけ………聞いてもらえますか………」

「なんだ?」

 残った最後の力を振り絞り、彼女は最後の願い事を言葉にする。

「少しでいいです………あと少しだけ………あなたの一番でいさせてください………」

「ああ、いいぜ。それくらい………お安い御用だ」

 そう言うとベルリオは結晶を自らの額に当てて目を瞑る。言葉を発さないのか、発せないのかわからない。だが、彼女が最後の時を悔いなく送れるように、ベルリオは心の中の全てを彼女にまっすぐ向け、結晶の中にいるティティスと向き合っていた。

「………」

 それからどれだけの時が経ったかわからない。ただ沈黙の時が地下研究所を包み込み、最後の二人だけの時間を静かに見守っていた。

「ティティス?」

 結晶に呼びかける声。その声に返答はない。

「逝っちまった、か………」

 不測の事態が続いたとはいえ、彼女を守れなかった自分のふがいなさに怒りが込み上げてくる。

「何が奈落の十戦士だ………黒の死神だ………結局俺は何も………守れないあの時のままじゃないか………」

 会話できなくなってようやく、彼女が失われたという喪失感に包まれる。悔しさと無力感が自らの弱さを叱咤する。

「ベルリオ………」

 戻って来たモニカ。純白だったドレスは鮮血で真っ赤。多少乾いたこともあってどす黒く変色もしている。その彼女の手には色鮮やかな花が一束握られている。

「ポティスレイト・ラーラの花………か」

「これしかなかった………研究所の周りにたくさん咲いてた………」

 研究所は正面から出入りしたが、その周囲を調べたことはなかった。つまり、合成獣が研究所に近づかなかった理由の一つに猛毒のポティスレイト・ラーラの花があったのだろう。動物は近づくのを危険と察し、研究所に近づかなかったのだ。もちろんローウェンの操作もあった。だが、それがなくとも研究所は安泰だった可能性もある。

「いいぜ。その花で………」

 モニカから花束を受け取り、息絶えた合成獣の体の上に放り投げる。死んだ数多の命に対する最後の手向けの花。二人の知り合いもいれば、肉親もいることだろう。まったく関係なくとも、その尊い命は合成獣に飲み込まれても頑張ったのだ。それは十分称賛に値するし、尊敬に値する。

 カラフルな花は殺風景な研究所の中を少しだけ色鮮やかに明るくしてくれている。

「魔弾、残ってるか?」

「ううん………全部使っちゃった………」

「そっか、俺は一発残っている。こいつでいいか」

 ガンブレードに最後の一発を込める。それは不憫な外観となった合成獣のまま、数多の命を放置していくことが忍びないという配慮。

「研究所ごと焼き尽くす。死んだ皆にはこんな場所が墓にふさわしくないのはわかっているが、このままにもしておけない」

「うん………」

 ガンブレードの銃口を研究所に眠る合成獣に向け、引き金に指をかける。

「この研究所の全てを焼き尽くすまで止まらない炎であれ。魔弾………葬送聖火」

 引き金を引き、銃声と共に合成獣を中心に黄金色の炎が燃え上がる。魔法で作られた炎はゆっくりと燃え広がり、地下研究所をまずは手中に収めようと広がっていく。

「バイバイ………お父さん………お母さん………」

「お前達、安らかに眠れ。向こうで見守っていてくれよ」

 最後に言いたいことを一言、燃え上がる黄金の炎の中にいる合成獣に言い、燃え上がる炎に巻き込まれないように地下研究所から階段を上がって一階へ行き、扉の外へと出て距離を取り、また振り返る。

 まだ淡い月明かりしかない暗い夜空と暗い荒野に黄金色に燃え盛る研究所。それは遠くから、死んだ者達が空から見下ろせば、奈落の荒野に煌々と輝く星があるように見えるのではないだろうか。

「奈落で………星を見つけた………か」

 ティティスの言葉が脳裏に浮かぶ。豪勢な生活に何不自由ない設備。その中に彼女の求める星の輝きは無かった。人は何が大切で何が重要か、よくわからない生き物だとベルリオは手に握ったままの結晶を見ながら苦笑した。

「帰るか。モニカ………」

「うん………でも………」

「ん?」

「もう少しだけ………」

「ああ、そうだな」

 荒野に二人で立ち、黄金色に燃え盛る炎が消えるまで、二人はその場に立ち尽くし、死した者達の冥府への旅立ちを最後まで見送った。


 奈落へと戻って来たベルリオとモニカの二人はそのまま自宅へと向かい、血で汚れてしまった衣服や体にこびり付いた埃などを洗い流し、朝食時にステナの店へと足を運んだ。

「悪いけど、三食目は食ってくれ」

 三人分の飯を用意しておいてくれと言ったものの、ティティスを生きたまま連れ帰ることができなかった。

「………そう」

 ステナの残念そうな表情はどこか心残りがあるようにも見える。

「あの子との最後の会話、ちょっときつく言いすぎて後悔しているわ」

「そう言うこともあるさ。奈落に生きていればな」

 カウンター席に二人して腰かけて出された食事に手を付ける。

 奈落ではいつ合成獣の襲撃があるかわからない。明日をも知れぬ運命を誰しもが抱えて生きているのだ。そして昨日まで元気だった人が今日はいないということはそれほど珍しいことではない。

「でもまぁ、これから少しはそういったことも減るだろう」

 原因の一つであったローウェンはもう悪事を働くことはできない。人為による故意で合成獣が奈落を襲うということはもうない。それは奈落の治安が今までより少し安全な方へと向かったことになる。だが、それでもまだ安全とは言い切れないのが奈落なのだ。

「あの子の最後は………その………」

「心配するな。少なくとも恨みや後悔だけを抱いて死んだわけじゃない」

「そう、ならいいわ」

「聖上ですら見えなかった星を奈落で見つけたって喜んでいたよ」

 聖上を飛び出し、奈落で生きることを選んだ少女。聖上は籠の中の鳥。自由は無く、きめられた毎日の繰り返し。嫌気がさして見えもしない夜空の星に願いを託して聖上から身を投げた。そんな彼女の願いを短期間であったとはいえ、奈落で出会った人たちが叶えることができたことだけが唯一の救いだろう。

「………星?」

 事のいきさつを知らないステナは首をかしげている。

「まぁ、形は無いけど形がある物より良いものを見つけたってことだよ」

「なんだかよくわからないけど、あの子が満足していたならいいわ」

 ティティスの笑顔がステナの脳裏にも浮かぶ。最後の最後にきついことを言ってしまったが、それでも彼女の良い最後の材料になったかもしれないと思えるのは、彼女が最後に残してくれたステナへの気配りかもしれない。

「ステナ、今度暇な時間作れるか?」

「あら? 熱烈なデートのお誘いかしら?」

 食事を終えたベルリオとステナがカウンター越しに会話している傍らでもう一人、無言で食事をしているはずの少女が突如口を開く。

「思い上がるな………年増ビッチ………」

「なんですって? 無機物ロリっ子!」

 会話に口を挟んだモニカに二人の視線が集まる。だが、会話に口を挟んだモニカはいつの間にか食事を終えてカウンターテーブルに伏せって眠りこけている。

「寝言か?」

「それならそれで悪意を感じる寝言ね」

 眠るモニカ。その手には手のひらに収まる綺麗な結晶がしっかり握られている。

「貫徹だったからな。さすがに俺も少し眠い」

「ロリっ子はやっぱり子供ってわけね。それで、さっきの言葉はどういったお誘い?」

 ステナが少し色気を振りまき、色目を使ってベルリオに問う。

「手合せの相手が欲しい」

「………ま、そんなことだと思ったけど」

「不幸なタイミングだったと言ってしまえばそれまでだ。でも、俺はまだあの時から成長できたって実感があまりないんだ」

 ティティスを失ってしまったということは、ベルリオの心に多少なりとも影を落としていた。彼の自分を責める日々はもうしばらく続くかもしれない。

「いいわよ。どこかで時間を作るわ」

「助かる」

「そのお礼はベッドで返してもらうってことで…」

「うるさい………年増ビッチ………」

 またしてもモニカの言葉が会話を遮る。しかも今度は言葉の最中だ。

「ロリっ子っ! アンタ絶対起きてんでしょうがっ!」

「落ち着け。このやり取りは今に始まったことじゃないだろ」

 拳を振り上げてモニカに殴りかかろうとするステナ。彼女を精一杯、両手を伸ばして何とか抑えるベルリオ。そんな二人の傍らで眠りこけるモニカ。その寝顔にはうっすらと、本当に少しなのだが笑顔が見える。

「…ったく、もうっ!」

 何とかステナをなだめることに成功し、再びカウンターを挟んで落ち着く。

「あの子に感謝しないといけないわね」

「そうだな」

 感情を無くしてしまったモニカの心を少し取り戻してくれたティティスには感謝してもしきれない。言葉ではその全てを表すことなどできやしない。

「ティティスが奈落で星を見られてよかったと言ったが、俺やモニカからしたらティティスがまるで夜空から落ちてきた流れ星のようだったよ」

「うまいこと言うわね」

「そうか?」

 奈落から見れば聖上など決して届かぬ夢の場所。そこから降りてきたティティスはまさに空から地上へと落ちてきた流れ星。短いひと時もまた、流れ星ならではの感慨深い時間だった。

「でもそれも事実ね。あなたの願い事をかなえてくれたわけだし」

 星に願いを託すと叶えてくれるという伝承は今も残っている。それは世界が亡ぶ前の話で今は星など見えない。いや、見えないからこそ、その伝承はより強く人々の心に刻み込まれているのかもしれない。

 ベルリオはずっとモニカの心を取り戻そうと頑張って来た。しかし、彼にできることなどたかが知れている。それを短い時間で成果を出した彼女はベルリオの願いを叶えたことになる。それはまさに彼女自体が願いを叶える星であったと言ってもいい。

「俺は彼女の願い事を叶えられたと思うか?」

「さぁね。でも、全部じゃなくても一部はかなえられたんじゃないかしら?」

「一部………か」

「いくら星でも全部叶えるのは無理よ。第一、他力本願で願いをかなえようって根性は正直気に入らないわ」

「じゃあ、一部でよかったってことか?」

「いなくなってしまった人相手によかったかどうかは断言できないけど、少なくとも悪くはなかったと思うわよ」

 ティティスは聖上で手に入らなかったものを奈落で見つけることができた。その手助けができたのなら、結果はどうあれベルリオも笑顔でいるべきなのかもしれない。

「………星………か」

「あら? どうかした?」

 ベルリオが感慨深くモニカの手の中にある結晶を見ている。

「いや、俺も星になれたらいいな、ってな」

 正直、今生きている人間は星など見たことがない。月でさえ常にかすんでいる夜空に星は一つも見えない。だが、いやだからこそ、星に憧れる。そして星という存在を目指すのもまた、生き方の一つと言えるのかもしれない。

「奈落の底に煌々と輝く、星のように人々を助けられる存在………ってことかしら?」

「ああ、今まで何となくやって来たけど、道が見えた気がする」

 席を立って眠りこけるモニカをゆっくりと抱きかかえる。

「伝承によれば道標になる星ってのもあるらしい。空には見えないし、聖上には無い。地上にも輝かないなら、奈落で煌めいてもいいんじゃないか?」

「あら、随分前向きね。男前の度合いが三割増しよ」

 ニコニコ顔のステナ。その様子は子供や弟分の成長を喜ぶ姉御肌の女性のようだ。

「年増ビッチ………年増具合とビッチ具合が今まで以上………」

 今の今までニコニコ顔だったステナの表情が一気にひきつった笑みに変わる。

「ちょっと? そのロリっ子貸してくれる?」

「待て、落ち着け」

「待てるかっ! さすがに寝言でも好き勝手言われ続けたら我慢できないわよ!」

 カウンターを飛び越えてベルリオが抱えるモニカに詰め寄ろうとするステナ。それを懸命にその身を挺して防ぐ。

「今日こそ痛い目に合わせてやるわ! それよりもそのロリっ子絶対起きてるわ! 私が化けの皮をはがしてやる!」

 詰め寄るステナを何とか防ぐベルリオに軟らかい表情で眠るモニカ。相変わらずの騒動ではあるが、この場にティティスがいれば笑顔になったことだろう。星は死んだ人間がなるものだという伝承もある。もし彼女が星として空にいるなら、この変わらぬ光景を見てまた笑顔になってくれるのも悪くは無いと、ベルリオはこの騒ぎを体感しながら率直に思った。

「悪ぃな。もう帰るわ」

「あっ! ロリっ子だけは置いていきなさいっての!」

 ベルリオはモニカを抱いて店を飛び出した。背後ではいつまでもステナが大声で叫んでいたが、とりあえず放置して家へと向かう。

「さぁて、家も直さなきゃならないし、片づけもしないとな。合成獣の襲撃は保険適用内だったっけ? いくらかかるかわからないが、足りなきゃまた稼げばいいか」

 今まで先の見えない終着点を目指していたベルリオにゴールがうっすらと見えた。モニカは少し感情を取り戻し、これから先も順調に人としての感性を回復させていくことだろう。そのゴールを照らしてくれた流れ星のような少女。彼女のようにベルリオはこれから先、多くの人々の道標になるような星を目指し、俄然やる気に燃えている。

 そして人々はいずれ知ることになるだろう。夜空に輝く星が見えなくとも、奈落の底には人々の道標となる星があるということを………


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