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奈落の星  作者: 居候猫吉
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仕事と迫りくる危機

 翌朝、目覚めてすぐに外出の準備を済ませてリビングに集合する。寝惚け眼のモニカと準備万端でワクワクしているティティス。普段通りのベルリオの後について家を出ると、向かった先は家からそう遠くない飲食店だった。

「飲食店ですか?」

「ああ、飯を食った後、ティティスをここに置いていく」

「………え?」

 飲食店の前で突然の通告に思考が停止する。

「知り合いの店なんだよ。そこでバイトがてら、料理も教えてもらってくれ」

「ああ、そういうことですか」

 意図を理解して納得する。料理の腕に自身は無く、やればできると思っていたティティス。学ぶことの大切さは聖上にいたころのお稽古地獄で十分理解している。

「おーい、飯食わせろ」

 ベルリオは早速飲食店の扉を開いて中へと入っていく。二人も後に続き、店内のカウンター席に三人並んで腰かけた。

「ちょっと、まだ準備中なのよ?」

 カウンターの中からそう返してくるのはとても飲食店の店員とは思えない格好の女性だった。水着の中でもより面積が狭いものくらいしかない下着のような姿。まるでショーをするダンサーのような飾りが、頭から足の先にまでちりばめられた煌びやかで妖艶な女性。肌の露出は極めて高く、もう少し頑張ってしまえばご法度と取り締まられてしまうのではないかと思うほどギリギリのラインだ。

「いいじゃねぇか。どうせ暇だろ?」

「確かに飲食店は昼と夜が忙しいわ。だからこそ朝はゆっくりしたいのよ」

「そもそも準備中の札もなかっただろ?」

「そもそもこの時間に来る客はいないわよ」

 カウンターの女性とベルリオがまるで何年もの付き合いがあるかのような間柄の言い合いが行われている。その横でモニカが会話に興味を示すことなくメニューを見ている。

「………って、また女を連れ込んだの?」

「人聞きの悪い言い方をするな」

「でも、あながちはずれじゃないんでしょう?」

「まぁ、そうだな」

 話題はティティスに向けられる。飲食店の女性の視線とティティスの目線が交錯した瞬間、大人の女の魅力を全開に女性が微笑む。

「私はこの店の経営者でステナ。よろしくね。そちらは?」

「ティティスです。よろしくお願いします」

「うんうん、よろしくね」

 笑顔であいさつが終わった瞬間、ステナの目が光ったかのような錯覚を感じさせられるほど、ティティスは体中を嘗め回されるように凝視される。

「あ、あの………なんでしょうか?」

 衣服を着ているのにもかかわらず、衣服の下を見透かされているようで恥ずかしさを感じたティティスは思わず体を両手で隠すように覆う。

「胸はまぁまぁ、ウエストはいい感じ、ヒップもそこそこ、肌は合格、育ちもかなり良さそうね。気品があるわ。それに髪は綺麗で………」

「なっ! なんですか?」

 数秒間、じっと見つめられただけで様々な採点がステラによって行われている。まるで素っ裸の自分を見られたかのようでティティスの顔は真っ赤だ。

「女の武器は美貌よ。強調しないともったいないわ。良い物持っているのにねぇ」

 ティティスは頭の中で、ステナのようなきわどいギリギリの水着のような衣装を着ている自分を想像する。しかし数秒と想像していることができず、恥ずかしさと照れから耳まで真っ赤に染めて頭の中を真っ白に戻す。

「あら、恥ずかしがることないわよ。そこのロリっ子と違って男を魅了するだけの素質は十二分にあるわ。自信を持っていいわよ」

「年増ビッチ………うるさい………」

 今の今まで笑顔で話していたステナの表情が一瞬、強張って店内に緊張が走る。

「相変わらず口の悪い子ね。胸やお尻と一緒で頭の中も育ってないのかしら?」

「年増ビッチ………果物と一緒………育ちすぎて腐ってる………」

 カウンターを挟んで妖艶な大人の女と無表情の美少女が火花を散らすかのように睨み合っているように見える。ステナは笑顔でモニカは相変わらず無表情。しかし、その二人の間には何とも言えない戦慄の空間が広がっていた。

「ティティス、メニューが決まったら勝手に頼んでいいぞ」

「え? で、でも………」

「いつものことだから放っておけ」

「は、はぁ………」

 ベルリオは気にすることなくメニューに目を向けている。ティティスはこの状態で頼んで良いのかどうか悩むが、ベルリオが全く気にすることなく注文したことから恐る恐る後に続いて注文をした。しばらくの沈黙の後、モニカも注文して、ステナはやむなく調理に取り掛かったことで戦慄の時間は終わりを告げた。

「あの、二人はケンカとかよくするのですか?」

 つい先ほどまで険悪な雰囲気だったモニカとステナ。二人の争っている姿が容易に想像できそうで怖いひと時をまた思い出してしまう。

「ああ、それは無い」

「え?」

「俺もそうだけど、ステナもよっぽどのことがないと人を相手に争わない」

「それはどういうことですか?」

「ステナは俺と同業者だからな」

「………同業者?」

 あんな姿をしているステナがベルリオと同じ仕事をしていると言う。ベルリオは賞金稼ぎだ。ステナはどう見ても飲食店の経営者。ベルリオは何か店をしているということはなさそうなので、消去法でステナが賞金稼ぎをしているということになる。

「そうよぉ。ベルリオは十戦士の黒の死神。私は『妖艶の踊り子』って呼ばれているの」

 手際よくフライパンや調理道具を扱うステナ。その衣装や立ち振る舞いから彼女が賞金稼ぎだという様子は微塵も感じられない。ましてや奈落に住む誰もが一目を置く十戦士の一員だとは想像もできない。

「年増ビッチ………ドSの女王様………」

「うっさいわね。ロリっ子はロリっ子らしく薄汚い幼女性愛者に抱かれればいいわ」

「へ? え?」

 二人のやり取りはお互いがお互いのことを知っているからこそ出る言葉なのだろう。しかしティティスは二人のことをまだよく知らないため、その言い合いがどういった意味合いのものなのかがさっぱりわからない。

「ステナは短剣と鉄扇と鞭が愛用の武器でな。まぁ、見た目もあってモニカには女王様って揶揄されているわけだ。モニカはモニカで見た目があんな感じだからな。迫ってくる変態だっている。お互いそれを言い合っているだけだ」

「は、はぁ………」

 ベルリオは二人の言い合いに興味や関心がないのか、至って平静な状態で解説をしてくれる。険悪な二人が間近にいるにもかかわらず、ここまで平静でいられる方も異様だ。

「はい、出来たわよ」

 手際よく作られた料理が三人の前に並べられていく。

「は、早いですね………」

「何言ってんの? 客商売をしていたらこんなもんじゃないわよ。ピーク時はもっと早く仕上げなきゃ回らないんだから」

 驚くティティスにこの程度で驚いていては飲食店など勤まらないと説明される。確かに周りを見渡して、座席分満員のお客がいれば忙しさは計り知れない。速さは今の比ではないというステナの言葉も十分理解できる。

「しかもおいしい………」

 ティティスは料理を一口食べて昨夜の自分の料理と比べ物にならないことを痛感した。

「ステナさん!」

「ん? 何かしら?」

「私、感動しました! こんなに早く、こんなにおいしい料理が作れるなんてすごいです。それに戦いも一流でさらに綺麗なんて、憧れです!」

 カウンター越しにステナの手を握って言い寄るティティス。その目はもう平常心とは言えない。まるで何かにとりつかれているかのようだ。

「えっと、この子は何?」

 突然のティティスの行動を理解できず助け舟をベルリオに求めた。

「昨日晩飯を作ったんだよ。時間をかけたくせに破壊的な不味さだったんだよ」

「ああ、それで………」

「飯の修行と金稼ぎも兼ねてここで働かせてもらえるよう交渉するついでに飯を食べに来たんだ。確か従業員が欲しいって先週言ってただろ?」

「私の料理はついで? 酷いわね」

 純真無垢の瞳で真っ直ぐステナを直視するティティスはまるで何かに夢中の子供だ。

「そうね。奈落じゃバイトより賞金稼ぎの方がもうかるからなかなか人が集まらないのが現状だし、別に雇ってあげてもいいわよ。料理も教えてあげる」

「ホントですか? ありがとうございます」

 嬉しさのあまり両手をあげて喜ぶティティス。そのまま満面の笑みで食事を続けた。

「まぁ、貸しが一つできたと思えば安いものよ」

「ちゃっかりしてるな」

「もちろんよ。あなたみたいにできる男なら当然、支払いはベッドで………ねぇ」

 エロさを振りまいてベルリオにカウンター越しに迫ろうとするステナ。そんな彼女に天敵が横やりを入れる。

「やっぱりビッチ………」

「うっさいわよ。ロリっ子」

 エロティックな雰囲気を一蹴する天敵の一言に反応してしまうステナ。ステナのベルリオ誘惑作戦は瞬く間に終焉を迎えるのだった。

「じゃ、今日はティティスを置いて帰るぜ」

 すでに食事を終えていたベルリオは席を立つ。

「はいはい、ついでにそのロリっ子も連れて帰ってもらえる?」

「わかってる。この辺り一帯の人に迷惑がかかるからな」

 食事を終えたモニカがステナを無表情の瞳で何か言いたげに見ている。それを無視してベルリオは首根っこを掴み、まるで猫を無理やり連れて行くかのように店の出口へと引きずっていく。

「お代は?」

「ツケだ」

「またぁ? じゃあ、今度共同で仕事する時があったらその時に清算ね」

「了解。じゃあティティスのこと頼んだ」

「はいはい、任されました」

 ベルリオとモニカが店からいなくなり、店内にはティティスとステナが残る。

「じゃあ、さっそくお店の制服に着替えようか」

「え? 制服?」

 その言葉を聞いてティティスはステナの姿を見る。今にもこぼれ落ちてきそうな豊満なバスト。それを支えるにはあまりにも小さすぎる生地の衣装。それが制服だとしたら、先ほど恥ずかしさから一瞬でかき消した想像が現実のものとなることになる。

「あのぉ…ちなみにその制服というものは?」

「着てからのお楽しみよ」

「うぅ、もしかしてこれは最悪の展開なのでは…」

 想像が現実のものとなりそうで恐怖を感じるティティス。しかし既に運命の歯車は回り始めており、逃げることは一切許されない状況だった。

「さぁ、奥の従業員更衣室へ行きましょうか」

 楽しそうなステナ。

「は、はい…」

 不安しかないティティス。食事が終わった三人分のお皿は片づけられることなく、ティティスの着替えが優先され、彼女はステナに連れられて店の奥へと半強制的に連れて行かれるのだった。


 日が暮れて、星ひとつ輝くことのない夜空が広がる中、ティティスは帰宅した。

「うぅっ、はうぅっ………」

 帰って来る前から………いや、それよりもかなり前から彼女は涙目だった。

「おかえり。どうだった? 初バイト」

 リビングのテーブルに腰掛けて新聞に目を通しているベルリオと、相変わらずソファーで横になっているモニカ。変わらない風景に異様なほど涙ぐんだティティスは馴染まない。

「恥ずかしかったですっ! とても恥ずかしかったですっ! 仕事がつらいとか難しいとかよりもとにかく恥ずかしいということだけですっ!」

 耳まで真っ赤に染めて仕事を紹介したベルリオに異議申し立てを行う。

「そもそもなんですか? あのお店は一体どうなっているのですか? 従業員にあんな恰好をさせるなんて信じられません! あれではまるで公開処刑ではありませんか! ステナさんもあんな恰好でよく接客業ができますね! 正気かどうか疑いますよ!」

「そこまで酷い制服だったのか?」

「酷いなんてものじゃありません! 洗い物をしていると飛んだ水でお腹や胸や太ももが冷たいんですよ! その時点でおかしいですよ!」

 さすがに罪悪感を強く感じたのか、ベルリオの視線がティティスから背けられる。

「まぁ、いろいろあって疲れただろ。今日は俺が飯を作るよ」

 早々に彼女の前から立ち去りたかったのか、夕食を作るという口実を利用してキッチンへと足早に逃げていく。

「年増ビッチは恥を知らない………」

 ティティスの大声での抗議に目を覚ましたモニカがソファーから起き上がって座る。するとティティスは新たな愚痴のはけ口を見つけたと言わんばかりに、格好の獲物を見つけた肉食獣のようにモニカの元へと駆け寄る。

「ですよね! あの人の精神を疑います!」

 駆け寄ると同時にティティスの愚痴がモニカにマシンガンのように撃ち出される。

「制服とは名ばかりです! あれは制服ではありません! 水着でももう少し露出が控えめです! お客さんのタッチが禁止というルールがある理由はわかりますが、それも不必要にあんな制服を用いることがそもそもの原因なんです!」

「……………」

「ゴミ出しで店の外に出る時ですら寒さを感じるのですっ! 従業員ですよ? あの制服のままでは風邪をひいてしまいます! それに新しい女の子が来たと張り紙まで貼っていました。あのお店は見世物小屋ではないでしょう!」

「……………」

「お店の中ではじろじろ見られて恥ずかしいなんてものではありません! 衆人観衆の中でのあの仕打ちは酷過ぎます! あれならまだ下着や水着でいた方がマシです! それをこのお店の制服だからと無理矢理着させられた私の気持ちをわかってくれますか?」

「……………」

「それに水着や下着よりもギリギリということではみ出してはいけないと朝一番に、ステナさんの………手で………その………の………を………るに………られた………んですよっ! 私が何か悪いことをしたというのですか? どうですか? モニカさん!」

 あとからあとから言葉が飛び出してくるティティス。彼女の両手はモニカの白いドレスを掴んでおり、乱暴に力任せにモニカの上半身を振り回していいたい放題だ。

「………くるしい………」

「あっ、すみません」

 慌てて手を放すとモニカは一息つき、無表情の目でティティスをじっと見ている。

「えっと………なんでしょう?」

 我を忘れてマシンガンのように愚痴を言い放ったティティスは無表情のモニカの目が抗議の目に見えてしまい、少し体が後ろに引いてしまう。

「年増ビッチの手で下の毛をつるつるに剃られた………ってどういうこと?」

 言い始めてしまって止めることができず、やむなく小声で分かりにくく言った場所をしっかり聞き取られていた。ティティスは今までの記憶と相まって羞恥心は本日のピークに達した。

「………下の毛?」

 羞恥心に心を砕かれたティティスをよそにモニカは首をかしげている。その様子を見てティティスは一つの答えにたどり着いた。

「この子………まさかそれがわからない状態? 白いドレスの下は純真無垢の乙女、しかも成長しない少女のままということなの?」

 モニカの年齢を聞いたティティスは年齢から考えて有り得ないと思いつつも、彼女の様子から事実であることに間違いはないようで、その衝撃の事実に困惑している。

「おーい、飯ができたぞ。席に着けよ。いつまで何を喋ってんだ?」

 夕食を配膳しにきたベルリオ。まずは飲み物ということでコップと水を配膳しに来たのだが、モニカと向き合っていたティティスは一瞬のうちに踵を返してリビング中央のテーブルへと迫り、テーブルの上に置かれたばかりの水が注がれたコップを手に取って中身をベルリオにぶちまける。

「おわっ! 冷てぇっ! いったいなんだ?」

「女性同士の会話です! 男性の介入を禁止します!」

 ティティスはベルリオを無理矢理方向転換させ、彼の背中を押して無理矢理キッチンの中に押し込む。

「まだ出てきてはいけませんよ!」

 そう言うと彼女はモニカの元へと急ぎ、先ほどの話の口止めに真剣だった。

「いや、来るなって言われても………飯が冷めちまうだろ」

 どうしたものかと頭をかくベルリオはその後、五分ほどキッチンの中でティティスの気が済むまで待たされた。熱々だったはずの夕食は少し冷めてしまい、おいしさは多少減ってしまった。それでもおいしかったのか、誰も残すことなく夕食の時間の間は平穏のまま終わったのだった。




 一日は変わることなく終わりを迎え、再び朝がやってくる。毎朝の習慣で朝を少し早く起きたベルリオがキッチンへと向かおうとする。するとそこには先客がいた。

「ティティス?」

「あっ、おはようございます」

 ベルリオよりも早く起きて食事の支度をしているティティスがいた。

「そんな不安そうな表情をしないでください」

「いや、不安にもなるだろ」

「大丈夫です。一食分のレシピと作り方だけは教わって来ましたから」

 彼女が作った料理を思い出せば誰でも不安を感じざるを得ない。それを払拭するだけの材料になりえる理由が欲しいのだが、ステナに教わった一食分のレシピが果たしてどれだけ再現できるのか、それ考えれば不安を払拭することなどできやしない。彼女は今まで料理というものにかかわったことが一切なかったのだから。

「手伝うぞ?」

 手伝うというベルリオの本心は大きな失敗をしないように見張りながら、そして何かあれば陰ながら修正をしようという思いだった。

「大丈夫です。私に任せてください」

 任せられないから申し出ているのだが、その申し出さえも完全に断られてしまう。

「不安だ………」

 キッチンにさえ入れさせてもらえないベルリオの不安は時間とともに高まるばかりだ。

「モニカさんを起こして待っていてください」

「わかったよ」

 神を信じない無心論者のベルリオだったが、この時ばかりは神がいてほしいと思い、その神に自らの少し先の未来である朝食の時だけ救いを求めたい気分だった。

 モニカを起こし、二人でテーブルについて待っていると、ティティスが料理を運んでくる。ベルリオは不安な心から恐る恐る料理を目にする。その料理は凝ったものや複雑なものではなく、シンプルで初心者にも作りやすいものだった。

「ステナさんに教わったレシピです。初心者向けで覚えやすく、複雑な工程もないので練習にももってこいだと聞きました」

 自信満々のティティスだが、その自信は確かに結果に表れている。多少焦げ目や色彩の良し悪し、切った食材の不揃いはあるものの、食べるということに関してはそれほど問題があるようには思えなかった。初回に面食らった香りもまともで、食欲を掻き立てる香りが周囲を包み込んでいる。

「へぇ、結構上手にできたな」

「そうでしょう。自信作です」

 初心者用の料理とはいえ、一人で初めて作ったにしては上出来だ。

「じゃあ、いただくぞ」

「どうぞどうぞ」

 笑顔のティティスを前に一口、料理を口に運び味わう。すると驚きの表情が自らの想いと反して自然に出てきてしまう。

「一昨日の夜とは雲泥の差だな」

「ホントですか?」

「まぁ、まだ満点には遠いけど、料理を習い始めたばかりにしては上出来だ」

「聖上にいたころもお稽古の先生方に飲み込みが早いと褒められたことがあります」

 物事に速く適応することが意外にもティティスの特技だったようだ。よくよく考えてみれば、奈落に来たばかりだというのに物怖じすることなく奈落の住人と会話をすることや、ベルリオとモニカの仕事ぶりを見に行く度胸といい、彼女の感覚の中に躊躇いや線を引くという項目が無いかもしくは希薄なのかもしれない。

「じゃあ、ステナの店の制服にも早く慣れ…」

「それだけは無理です!」

 きっぱりと言い切られる。

「そもそもあの制服は人としての尊厳や自覚という次元の話です。慣れでどうにかなるものではありません」

 水着や下着の方が面積の広い制服など見たことも聞いたこともない。しかしそれが当たり前のように制服としてまかり通っている店であるという現状は、奈落だけでなく世界広しといえどもステナの店だけだろう。

「そもそもあの人には羞恥心というものが無さ過ぎます。衣服に対してのこだわりや執着が一般とは全く逆です。つまり彼女の感覚の問題であり………」

 今日、もう一つ分かったことがある。ティティスは自分の心の中に溜めていたものを一度吐き出し始めると、最後の最後まで吐き出し切るまで止まらない。

「ごちそうさん。ほら、モニカ。さっさと行くぞ」

「うん………」

 手早く食べ終わった二人は席を立つ。ティティスの不満の掃出しに付き合うのはまっぴらだと、ベルリオは早々にこの場からの脱出を決意した。

「あっ! 待ってください!」

 ティティスから逃げようとする二人を追って彼女は持ち運びできるように綺麗に布で包まれた箱のようなものを差し出す。

「お弁当です。一日三食は必要ですからね。二人分用意しました」

「いや、二食で充分だろ?」

「いえ、健康のためには三食必要です。朝、昼、夕の食事は活力を与えてくれます。食べると力にもなりますし、疲労回復に役立つ食材も入れています」

「いや、予算的に一食分増えると面倒なんだが…」

「その分稼げばいいのです!」

 反論を持論で一切寄せ付けない。論破ではなく、強引に勝利に持っていくところが先ほどの不満の掃出しと同様、ティティスの得意技なのかもしれない。

「はぁ、わかったよ」

 差し出された弁当を手に取る。ガンブレードを持ってこれから戦いに行くというシリアスな雰囲気が一気にピクニックのような陽気な雰囲気に様変わりしてしまった気がする。

「締まらねぇなぁ………」

 家を出る前に戦いに対して水を差されたような気分だった。

「いってらっしゃい。夕飯も私が作ります。精一杯頑張りますから期待していてください」

「わかったよ。もう好きにしてくれ」

 今まで聖上で様々な事柄から抑制抑圧されてきた彼女。籠の中の鳥から大空へ羽ばたいた鳥となった彼女はやりたいことを好きなようにできるという喜びを心から感じており、心が身体を動かす力はすさまじかった。

「行ってくる」

 ベルリオが家を出て、彼に続いてモニカも出て行く。その二人を笑顔で送り出したティティスは一人になったリビングの玄関前で急激に頬を赤く染める。

「これは………昔、本で読んだことのある家族のワンシーンのようです」

 体を恥ずかしさや嬉しさからくねくねと不気味に動かし、自分の体を自分で抱きしめるように両手で体を締め付けている。

「そうなると私とベルリオさんが夫婦でモニカさんが娘………キャーっ!」

 しばらく自分の体を抱きしめていたティティスだが、ふと時計が視界に入った時に顔が引きつる。真っ赤に染まっていた顔が真っ青に変わった。

「時間っ! 出勤時間! いけません! 急がないと!」

 ティティスは今日もステナの店に出勤する。仕事の時間にはまだ早いが、飲食店ではそれまでに準備が必要になる。事前の仕込みも手伝わせてもらえるということで、早く出勤しなければいけない。時計を見た瞬間に思い出し、急がなければならないことに気付いた。

 早々に朝食の食器を片づけて出かける準備を始めるティティス。時間までに出勤しなければならないという生活を生れて初めてしているティティスは、忙しさを知ると同時に満足感も感じている。

「あっ、でも共働きの夫婦みたいでこれはこれで…」

 今まで感じたことのない感覚が山のように生活の中にある。その新鮮な日々が彼女の心を躍らせる。今日もまた、彼女は様々な思いと一緒に聖上では味わえなかった奈落での一日が始まるのだった。


 ステナの飲食店へ出勤したティティスは今日もまた、堪えようのない極限の恥辱と戦わなければならなかった。

「はうぅ………」

 必要最低限の面積があるのかさえ疑わしいギリギリまで布を削ぎ落した制服は、やって来る客の視線から体を守ることができない。大衆の目にさらされる体に自身が無いわけではないが、今まで温室で育ってきた彼女にはこの上ない苦しみと言ってもいい。

「ほら、隠れてないで働きなさい」

 羞恥心の欠片も感じていないステナは変わらず調理を続けている。彼女も大衆の視線にさらされているのだが、一切動じている様子はない。

「そう言われましても………」

 いかに家での生活が自分の妄想通りだとしても、現実は妄想のように甘くは無い。共働きの夫婦という妄想も極限状態の羞恥には勝らない。

「あなたが隠れているとその制服にした意味がないでしょ?」

「それってどういう意味ですか?」

「新人はいつも見世物なのよ」

 調理する手を止めることなく平然と言い切った。

「酷くないですか?」

「しかたないでしょ? そうなるのよ」

「しかたないって………」

「客層を見れば一目瞭然でしょ?」

 そう言われて飲食店にいる客を影から見渡す。見事に鼻の下を伸ばした男性客しかいなかった。まともそうな人もいなければ女性もいない。

「新しい子が入ったら口コミでみんな見に来るのよ。心配しないでいいわよ。おさわりをしたらこの私が即刻そいつをボコボコにするから」

 十戦士の妖艶の踊り子の名を冠するステナの実力は折り紙つき。そんな彼女の店で風俗店まがいの暴挙に出るバカはいない。この店はあくまで食事がメインであり、制服がギリギリなのは客集めと目を楽しませるためというサービスでしかない。客が店員の肌に触れた瞬間、この店の存在意義を冒涜したとしてその客が見せしめのように排除されるのは当然の結果なのだ。

「そう言われても………」

 どうしても踏ん切りがつかない。初日の昨日はまだ客が少なかったので、何とか乗り切ることができた。しかし、今日は満席だ。口コミの効果と即効性がどれだけ強力かを十二分に知らしめる結果だ。

「じゃあ、恥ずかしさを逆手にとりなさい」

「へ?」

 調理の手を止めたステナが助言をする。

「私はいつもこのお店は夕方までしかやらないの。終わってから空いているときは夜のダンスショーで別のお店に行くわけ。そこでは魅せるのが仕事。つまり、肌を見せることに羞恥心を持つのではなく、肌を見せることでお客を魅了するのが仕事なの。ここでもそれを心がければ過ごしはマシになるはずよ」

 肌の露出が高いことを恥ずかしいと思うのではなく、肌の露出が高いことで客を魅了しているという優越感に浸れと言うことなのだろう。確かにステナの言うことには一理ある。ただ恥ずかしがっているだけでは何の解決にもならない。だが、最初の一歩をティティスはどうしても踏み出すことができないでいる。

「とにかく、今日来ているお客さんはあなた目当てなわけ。あなたが出て来ないとお客の回転率も悪くなるのよ。お店のためにそんなところにいないで出てきなさい」

 見せて魅せるのも仕事。それはわかる。ティティスは決して頭が悪いわけではない。理論的にはすべて理解している。後は心の問題だ。

「………はぁ、しかたないわね」

 なかなか一歩を踏み出す勇気が出ないティティスに対し、ステナは切り札を切ることにする。

「このお店を紹介したベルリオの顔に泥を塗る気?」

「へ?」

 いきなりの言葉に思考が停止する。

「このお店は見ての通り、時と場合によっては並みの店の何十倍も稼げるわけ。つまり、それだけの対価をお給料として支払うわ」

 通常の飲食店では考えられない額の給料が待っている。それは恥ずかしい制服に耐えたご褒美の手当と言える。

「ベルリオもあのロリっ子も賞金稼ぎ。賞金稼ぎは危険だけど対価が莫大。そんな二人と同居しているあなたはそれなりに稼がないと劣等感を感じるわ。けれどあなたは戦う力を持たない。なら、戦わずにその身の安全が保障されて尚且つ高給取りになれる職場はどこか、と考えた彼が行き着いた答えがここなのよ」

 ステナの言葉がスッとティティスの心の中に入ってくる。今までそんなことを考えたことはなく、知り合いの店ということで紹介されたものだとばかり思っていた。だが、彼女の言うことが本当かどうかは別にして真に迫るものがある。

「知り合いで十戦士の私が経営するお店は店員の守りも完璧。不埒な客には当然のように制裁を加えることができる数少ないお店。労働経験の薄いあなたには確かにこの制服は酷かもしれないけれど、それもまた労働の一つなの」

 この奈落には法の設備が成り立っているとは言い難い。何が違法で何が合法なのかは極めてあいまいだ。しかし、だからこそ確固たる暗黙の了解があり、絶対的な存在たる十戦士という地位があるのだ。

「働かないなら解雇するわ。それは彼の考えをむげにして、さらに紹介した彼の顔に泥を塗る結果になる。さらにあなたの次の職場にはこの場所ほどの安全が確認されていない上に給料も安い。どういうことかわかるかしら?」

 ベルリオに迷惑をかけたうえに、十戦士の庇護下から自分の足で出て行くことになる。それはこの奈落での生活の経験が極めて薄い彼女には危険極まりない行為。何かあれば自業自得というのが当たり前の風潮であるこの奈落。気遣ってくれる人の想いとその人が作ってくれた状況を一蹴することなど彼女にはできない。

「うぅ、はうぅ………」

 自らが感じる羞恥心と他人からの厚意の板挟みとなる心。頭の中で様々な葛藤があり、ティティスはしばらく唸っていた。

 だが、一分もしないうちに決意したのか、大きく深呼吸をしたかと思えば、店の陰になっている部分から一歩踏み出し、客の前に姿をさらす。

「働く気になったかしら?」

 観客の一瞬の歓声に顔や耳どころか、体中が真っ赤になってしまうのではないかという程の羞恥心がティティスを襲う。それでも彼女はベルリオの想いをむげにしないためにもこの店で仕事を継続することを決めた。

「が、頑張ります」

 大衆の視線にさらされている恥ずかしさから体の動きは固い。ギリギリの制服がギリギリでも機能しているのかどうか心配になるが、そんなことを気にしている余裕はそれから先の時間には一切なかった。

 今まで回転率が悪くてたまっていた客が次々と入れ替わり立ち代わり食事をしていく。食事をしながら目の保養を行う客は意外にも誰もが長居することなく早々に店を出て行った。長い経営の中で、常連客にはマナーともいえる習慣が養われたのかもしれない。

「ほら、七番席に定食二つね」

「はっ、はい!」

 目が回るほどの忙しさがティティスの羞恥心を忘れさせる。経験と度胸がない彼女にはまだ客を魅了する術というものは身についてはいない。それでもギリギリの制服に身を包みながらも一生懸命頑張る彼女のけなげな姿は、今日やって来た客のほとんどを魅了にまではいななくとも、無意識のうちにしっかりと魅せていたのだった。


 ティティスがあくせく働く時間の最中、賞金稼ぎとしての仕事に自前のバイクで移動して出向いたベルリオとモニカの二人は奈落の街から離れた荒野を歩いている。人の気配が一切しない荒野に歩道はない。時折世界が滅びる前の道路がひび割れた状態で見つかるが、とてもまともに歩けたものではない。

 荒れ放題の荒野には合成獣が山のように生息している。遭遇するたびに交戦となり、二人は幾度となく襲い掛かってくる合成獣をことごとく討ち果たしていた。

「怪我はないか?」

「無事………」

 何度目かの襲撃を迎撃した後、ガンブレードの調子を確認しながら装弾をする。

「ホントにこの先?」

 表情の変わらないモニカがベルリオに問いかける。今回の仕事に疑問を持っているのか、それとも不審に思っているのかさえ分からない。

「そうらしいな。情報屋によると旧世界の研究所があってそこから合成獣が次々生まれ出ているらしい。そこを潰せば俺達が住む奈落も少しは安全になる可能性がある」

「ふぅん………」

 人里を離れれば合成獣の数は多い。それが進めば進むにつれて群れを成して襲い掛かってくる。進むほど数が多くなるという点ではその研究所の信憑性はあると言える。

「だけど勘違いはするなよ。今日はその研究所を潰しに来たんじゃない。調査して、本格的に攻略するにはどれだけの戦力が必要かを把握するために行くんだ」

「わかってる………」

「くれぐれも先走るなよ」

「……………」

 周囲の警戒を緩めることなく研究所があるという情報の元へ足を進めていく二人。襲い掛かってくる合成獣は全て切り伏せ、撃ち抜き、一つの例外もなく絶命させていく。

「あれ………」

 合成獣の群れを何十回と叩き潰してきた二人の視界に古ぼけた研究所が目に入る。表面はもともと白かったのだろうが、長く放置されていたことから埃や砂塵で汚れており、世界が滅びた時の戦争の影響だろうか。黒く焦げているところも少なくない。他にも建物があったのだろうか。もとは敷地も広く大きな建物が数多くあったようだが、今ではその一棟を残して全てが崩壊している。

「荒野の中にポツンと一つだけか。研究所としての形状を維持しているところから何らかの機械が動いている可能性は否定できないな」

 ベルリオが先行して研究所へ向かい、モニカは彼の後に続いていく。あくまでも仕事の主導権はベルリオにあり、モニカは彼と共に戦う戦友でありながらも、助手や補助役という形を崩そうとはしない。

「とりあえず中に入って様子を見よう。もし簡単ならさっさと終わらせてしまうのも手だ」

 人々が住む奈落への危険は少ないに越したことはない。合成獣の発生源がもし目の前の研究所で、その攻略が容易いのであれば早々に終わらせてしまえば人々への危害は少なくて済むことだろう。

「親玉みたいなのがいたら今日は逃げるぞ。今日は身軽さを重視したからな。弾自体の数が少ない上に魔弾よりも通常弾が多い」

 魔弾として使える特殊な弾は無いことはない。しかし数は多くない。今日は調査が最重要任務であり、戦闘を行う必要性が無いのだ。楽な敵しかいないのであれば話は別だが、大物がいた場合はとてもではないが対応しきれない可能性が高い。安全が最優先されるのは言うまでもない。

「深入りは禁止だ。じゃあ、行くぞ」

「うん………」

 研究所に近づき、錆び付いた扉のドアノブにベルリオの手が触れる。

「………?」

 一瞬、彼の動きが止まった。しかしあまりにも短い時間だったことからモニカはその異変に気付かない。ベルリオは錆びた音がする扉を開き、中を覗き込む。

「日が差し込まない。けど、明るい」

 研究所の窓はほとんど割れてしまっている。しかし窓自体が少ない作りなのか、日の光が差し込むポイントが極端に少ない。しかし、中は明るく照らされている。照明機器が生きており、電気が供給されているのだ。

「………まさか、誰かいるのか?」

 先ほどベルリオがドアノブに手をかけた時、ドアノブの動きがあまりにもスムーズだったのだ。長らく放置されているのであれば、ドビラは錆び付いて動きが鈍いはずだ。合成獣がドアをわざわざ開け閉めして出入りするはずがない。なら、この扉をそれなりに高い頻度で利用している人間がいることは間違いなさそうだ。

「………死体?」

 研究所の中に入ったモニカが無残にも食いちぎられた死体を発見した。かなり長く放置をされているせいか腐食してしまっており、形状がまともに残っていないことから男性か女性かもわからない無残な死体だ。

「少なくとも、こいつはかなり前の死体だ。この扉の出入りをずっとしてきた奴とは違う」

 研究所内を見渡すとそれなりに広い。わけのわからない機材が置かれた一角や、数多くの薬品が置かれた棚などがあちらこちらに置かれている。中には長く放置され過ぎていて埃が多く表面を覆っていることで元の形状をわからなくしている機材もある。薬品はラベルが酸化して文字も劣化し、全く読めない物が数えきれないほどあった。

「行こうか」

「うん………」

 そんな放置された研究所だが、完全に埃をかぶった場所と埃がほとんどない場所との差が大きすぎる。それはまるで人や動物が通行する場所だけ草木が生えなくなって獣道となった草原のよう。誰かがその道だけを頻繁に通っていることだけはほぼ間違いなく確証があると言える。

「地下?」

 埃の無い場所だけを通っていくと階段に遭遇した。二階へ続く階段は埃だらけで機材が散乱しており、人が通った気配は全くない。だが、地下へ続く階段は人が通れるようになっている。埃もない。あからさまに違う。

「研究所内に合成獣がいないのも異様だな。まるで誰かがここにだけは合成獣が入らないようにしているみたいだ」

 合成獣は決して頭の良い獣ではない。少数を厳しくしつけるのとはわけが違う。荒野には数えきれないほどの合成獣が住んでおり、それらの全てがこの研究所に足を踏み入れようとしないし、踏み入れることが一切ないのだ。それはこの世界の自然界では異様であり、見逃すことのできない異常だ。

 二人は武器を構えて地下へと続く階段を物音一つ立てることなく降りていく。気配もほとんど感じられないように消しており、その足運びはまるで暗殺者のよう。

 階段を降り切った時、その研究所は一階とは一切違うことを感じさせられた。埃がかぶっている一角など無く、使える機材だけが所狭しと集められ、真新しい薬品ばかりが棚に並んでいる。

「檻………」

 研究所の隅にはいくつも檻があり、その中には体が大きく様々な形状の合成獣が鎖に繋がれている。騒ぐ様子もなく、眠っているかのように檻の中でほとんど動かない。

「おい、あれ…」

 ベルリオが小声でモニカに話しかける。そしてある方向を向かせる。そこには机に向って何か作業をしている白衣を着た人間がいた。

「………」

 二人は目配せをして頷き、気配を消した状態でその白衣の人物の元へと歩み寄る。

「おい、こんなところで何をやっている?」

 突然話しかけられた白衣の男の体がビクッと大きく動く。地下の研究所では今日一番の音が地下全体に響き、合成獣が何頭か目覚めて様子を見るかのように音のした方をじっと覗き見ている。

「な、なんだ? いったい誰だ?」

慌てた白衣の男は突然振り返る。ベルリオとモニカの姿を見て目を丸くする。すぐさま怯えるように距離を取りつつ、テーブルの上に置いてあった拳銃を手に取って二人に向ける。

「銃を捨てろ!」

 ガンブレードの銃口を白衣の男に向ける二人。銃口を向けあうベルリオとモニカの二人組と白衣の人物。線は細く生粋の研究者なのだろう。身体能力や戦闘技術は皆無で、銃器は護身用に持っているという様子がうかがえる。

「お、お前らこそ捨てろよな」

 ベルリオとモニカに震える手で銃を向ける白衣の人物。向かい合ったことで分かったことは、細い体と適当に伸ばされた長い髪を持つ男というだけ。どんな研究をどのような理由で行っているかはいまだ不明だ。

「今日は戦う気はない。この研究所の調査を依頼されてきた」

「ちょ、調査だ?」

「正直に答えろ。お前は誰だ? ここで何をしている?」

 語気を強めて威圧をかけるベルリオ。それに気圧されて研究員は数歩後退する。

「答えろっ!」

 さらに強い言葉で研究員を責めるベルリオ。それは合成獣と戦う時の威圧感と寸分変わらない。今まで研究一筋だった研究員ごと気が平静を保っていられるはずがない。

「ぼ………僕はローウェン。こ、ここでは合成獣について………研究している」

「合成獣について?」

 ベルリオは一歩迫るようにローウェンへ歩み寄り、銃口を力強く向ける。

「ご、合成獣の、生態を研究したんだ。合成獣をどう扱えばいいか、敵を知るには細かく研究をしなければならない。上手くいけばその生態を知ることができる。その生態を知れば群れのメカニズムがわかる。それがわかれば群れの命令系統がわかる。これがどういうことかわかるだろ?」

 純粋な研究意欲からこの研究所に閉じこもって合成獣の研究に取り組んでいると言うローウェン。確かに彼が言っていることがわかれば合成獣に襲われることに対して、事前に対策をすることができるかもしれない。それは被害に遭う人を少しでも減らせるかもしれないという希望の未来が待っているのだ。

「ここに合成獣が寄り付かないのは何故だ?」

「長年の研究の成果だよ。奴らが嫌がる匂いを研究所の周りに撒いたんだ。まだ実験段階だけど、それなりに効果がある。中にいる奴らには鎮静剤を打っているから安全だ」

 普通に会話している二人だが、未だに銃口はお互いに向けあったままだ。

「それを奈落で知っている奴はいるのか?」

「さぁね」

 奈落で知っている者がいたとしたら、この研究所の情報が少しくらいあってもいいはずだ。だが、そんな話は聞いたことがない。それがローウェンと奈落の関係を表していると言ってもいいかもしれない。

「………まぁ、いいか」

 ベルリオがガンブレードの銃口をローウェンから外す。相手に争うつもりはないという意思表示だ。それは戦闘経験のないローウェンにとっては好都合の対応だ。

「モニカ、帰るぞ」

 ベルリオは踵を返し、ローウェンに背を向けて上階へと続く階段へ歩いていく。

「ベルリオ。いいの?」

「まぁ、今日のところはな」

 モニカも続いて階段へと向かって行く。

 一人残されたローウェンは大きくため息をつき、研究所内の椅子に座り込む。緊迫感から解放された安堵感から、力が抜けて椅子に座り込んでしまったのだ。

 座り込むローウェンと立ち去っていくベルリオとモニカ。そんな三人の行動を鎖に繋がれた一頭の合成獣はじっと見つめていた。檻の中から凝視する合成獣の視線に一瞬、視線を絡ませたモニカ。表情を変えることなく合成獣を一瞥し、モニカは合成獣からベルリオの背中に視線を戻す。

 合成獣に見守られながら、二人は研究所から立ち去っていく。

「ベルリオ? 確か奈落の十戦士………だったか?」

 研究所に残されたローウェンは緊迫した状態から解放されたことで、冷静に頭の中で情報を処理することができるようになってきた。

「どうやら研究も次の段階に進める時が来たのかもしれないな」

 一人静かに何かを考えるローウィンの不気味な表情が、立ち去って行った二人の姿が見えなくなった上階へ続く階段をじっと見つめていた。


 ベルリオとモニカが研究所から奈落の街へと帰る時、奈落の街ではすでに日は落ちて夜となっている。

「はぁ、今日もよく働いたわ」

「え?」

 あまりの忙しさに時間の経過すら忘れていたティティスは閉店時間になったことにすら気づいておらず、ステナの言葉が耳に入るまで一心不乱に働き続けていた。

「ほら、お客ももういないでしょ?」

 つい先ほどまで満員だった客席が今ではもう閑散としている。

「回転率の速さの秘訣は客に刷り込んだマナーなのよ。手早く食べて、よく見て、そして店を出る。そうしないと追い出すのよ。何か月かかかったけど、この店の特徴をいろんな客がようやく理解してくれて成り立っているの」

 客に肌を見せるのはあくまでサービス。しかし、肌を見るためだけに長居する客は来なくていい。さっと来て、さっと食べて、さっと凝視して、さっと帰る。それはステナが客に望んだ唯一にして絶対のこの店のマナー。暗黙の了解でそれを知っていなければ客と認められない店だが、それを知っていれば短時間で色々と楽しめるお店なのだ。

 ステナが話している間にも閑散としていた客席がさらに空いて行き、数分のうちに店の中はステナとティティスだけになってしまう。

「さて、今日はもう後片付けをして閉めるわ。ご苦労様。今日は疲れたでしょ?」

 そう言われてようやく緊張の糸が解けたのか、ティティスは地面に座り込んでしまう。するとドッと体に疲労が押し寄せ、動くのも嫌になってしまう。それほど疲れていたことに今の今まで気づかなかったというのが彼女にとって最大の驚きだった。

「疲れました………もう動きたくありません」

「くすっ、慣れないうちはそんなものよ」

 地面に座り込んだティティスに歩み寄ったステナは優しく手を差し出す。

「でも帰らないとだめよ。あなたはあなたの帰る場所があるのだから」

 自分の帰るべき場所。その言葉を他人が自分に向けて発してくれたことがうれしかった。生まれ育ったからこそ帰らなければならない場所ではなく、帰りたい場所であり帰るのを待ってくれる人がいる場所だからこそ、彼女が帰るべき場所と言える家がある。それがとてつもなく嬉しかった。

「そうです。私には帰りを待っていてくれる家族がいます」

 今朝の家族の妄想が再び脳裏をよぎる。ベルリオがお父さんでティティスがお母さん、そしてモニカが娘。見た目と行動パターンから勝手に決めた家族構成ではあるが、血のつながった家族よりも良い家族のような気がした。

「家族ねぇ…」

 彼女の妄言を聞いたステナはどこか寂しそうだ。

「どうかしたのですか?」

 ステナの様子の変化にティティスも気付く。

「まぁ、あの家に住んでいるならいずれわかることだから、早めに知っておくのも悪くはないかもしれないわね」

 どこか奥歯に物が挟まったような、何か含んだ意味のある言い方だった。

「なにが…でしょうか?」

 ステナが何を言おうとしているのか気になる。しかしそれを今聞いて良いものかどうか少し悩む自分がいるのも確かだった。

「これは私の女の勘だけど…あなた、彼に好意を持っているわよね?」

「………え?」

 突然の指摘にティティスの顔が完全に真っ赤に染まる。一瞬で耳まで赤く染めた彼女の変わりようは制服の羞恥心を超えたかもしれない。

「な、何を言ってるです? ステナさんも冗談はよすべしでしゅ!」

「いや、言動が明らかにおかしいわよ。顔も耳まで真っ赤だし、完全に図星だって言っているようなものよ?」

 生れて初めて異性に抱いた好意を簡単に看破されたティティス。今までそう言った話をする相手もなかなかおらず、純真無垢な彼女の心はそう言った類の話に一切免疫がない。

「ここまで狼狽されると面白いを通り越してなんだか悪い気がしてきたわ」

「全然変わってないっす。何言っているでありますか? 私は至って平静でござります!」

「いや、だから平静じゃないっての」

 狼狽ぶりが大きければ回復するまでの時間も長くかかるのだろう。しばらくティティスが落ち着くまでステナは話すのをやめ、しばらくの沈黙が彼女をゆっくりと正気に戻していく。

「落ち着いた?」

「えっと、少し………」

「そう、ならいいわ。話の続きだけど………聞く?」

 今の様子を見てステナはこれ以上話をしてよいものか困惑していた。そのため、話を聞くかどうかはティティスの意思に一任することにした。

「あっ、はい。聞かせてください」

 好意を持つ乙女心からだろうか。好意を持っている相手に関して少しでも知っていたいという彼女の想いが、ステナの次の言葉を催促する。

「じゃあ単刀直入に言うわね」

 次にどのような言葉が飛び出すのかわからないティティスは、緊張からか静かな店内全体に響いているのではないかと思えるほど、心臓の大きな鼓動を抑えきれない。

「ティティス。あなたは彼の一番にはなれないわ」

 それは何を意味するのか、彼女が何を言ったのか、ティティスは一瞬何一つわからなかった。だが、時間が経つにつれて彼女の言った言葉の意味を少しずつ理解していきそうになる。そこで彼女は言葉を続ける。

「私も彼の一番にはなれないのよ」

 その時のステナはとてつもなく寂しそうだった。努力しても絶対に届かないとわかっているもの。それに向かって努力し続けている虚しさが彼女にその表情を作らせていた。

「私がなれないからあなたもなれない、簡単に言い切れることは軽率かもしれないけど、私もあなたも彼の一番にはなれない。これはほぼ間違いないわ」

 ティティスの頭の中にあった家族の妄想が音を立てて崩れ落ちる。そんな気がした。今まで自分が思っていた理想は完全な独りよがりだったと断言する。そう思わされることが彼女に多大な喪失感を与える。

「あのロリっ子の両親が合成獣に殺されたのは知ってるかしら?」

「え? あっ、はい。それは少しですがベルリオさんから聞きました」

「じゃあ、なぜ合成獣があの子の両親を殺したかは聞いた?」

「え………なぜ?」

 合成獣が人を襲うことに理由があるのだろうか。敵対しているからこそ、合成獣は無差別に人を襲うものだと彼女は理解している。

「合成獣は個人を特定して襲う程頭は良くないわ。なら、襲われた人がいるということは襲われた人がいる場所に合成獣が来たということ」

「あ、はい。それはわかります」

 普通なら運が悪かったというだけで終わってしまいそうな話だ。たまたま現れた合成獣に運悪く狙われた。それが原因で命を落とした。雰囲気から察すれば奈落ではそう珍しい話ではないらしい。

「じゃあ、その合成獣の駆逐を任されていたメンバーの一人に彼がいたとしたら?」

 その可能性は考えていなかった。モニカの両親が殺された時、ベルリオはまだ駆け出しの新人だった。それは聞いたが、その現場にかかわる場所にいたという話は聞かなかった。

「何年前かしらね。まだ駆け出しの彼が新人数名とチームを組んで、ベテランの指揮官と一緒に賞金稼ぎとして戦ったのよ。さすがはベテランの指揮官というだけあって指揮は的確で街に侵入した合成獣はたちまち駆逐されたわ」

 ステナの昔話にティティスは言葉をはさむことができない。静寂な店の中でステナの昔話だけが語られていく。

「けれど誤算があったの。合成獣の中に少し手強い奴がいてね。指揮官の指示で新人チームが向かったところが運悪くその手強い合成獣だったのよ。当然、経験の浅い新人の手には余ってね。彼を残してチームは壊滅。合成獣に仲間は食べられて街の中で自由に動けるように取り逃がしてしまったの」

 それは彼が今も戦う理由の一つなのだろう。賞金稼ぎとして力をつけて十戦士の地位にまで上り詰めたのは、戦う力を手にして二度と失態を犯さないため。そして戦い続けるのは当時失った仲間へ贖罪。

「その合成獣があの子とあの子の両親を襲った。彼の仲間を食べていた合成獣はあの子にまでは手を出さなかったけど、両親はあの子の目の前で酷い有様だったらしいわ。駆けつけた熟練の賞金稼ぎでさえその光景には目を瞑りたかったらしいわ」

 彼の今の生活スタイルは当時の力の無かった自分を責めてのこと。新人のチームが手におえる敵ではなかったことを誰もが承知している。彼を責める者は誰もいない。しかし、彼自身が当時の彼を未だに許せないでいるのだ。

「彼は仲間を失って一人になってしまったの。彼が住んでいる家に部屋がたくさんあるのもその元仲間の部屋よ。全ての部屋が埋まっていたわけではないけれど、仲間達といずれは全部の部屋がいっぱいになるくらいのチームを作ろうって躍起になっていたわ」

 たくさんの部屋がある家に彼が住んでいるのは、元々それだけの部屋が必要だったから。未だにその家に住んでいるのは彼の心がまだ当時のことに縛られているからだろう。

「空いた部屋は山ほどあるの。その時、賞金稼ぎになりたいって言い出したあの子を彼は引き取った。自分の失態を責め、当時の力の無さを恨み、感情を失ったあの子に感情を取り戻させ、幸せにすることが自分の生きている理由だと思って、ね」

 ベルリオの一番は絶対にモニカである。罪の意識や贖罪の気持ちからであることに変わりはないが、その絶対的な一番であるモニカを押し退けることは誰にもできやしない。後から来た者がその過去を押し退けて一番になることなどできるはずがないのだ。

「あの子は自分が今の状況になったことを彼が自分のせいだと思っていることに気付いているかどうかは知らないわ。けれど、あの子はよりどころの無かった自分を受け入れてくれた彼を心底信じているし、彼も彼であの子のことを常に気にかけている。二人の間に割って入ることなんて誰にもできないわ」

 ステナがモニカと言い合いをするのは心のどこかで嫉妬をしているからなのかもしれない。しかし彼女自身、モニカの境遇とベルリオの置かれている状況を知らないわけではない。強く出ることもできず、引くに引けない。大人の心と女の心が彼女の心を日々揺さぶっているのだろう。

「悪いことは言わないわ。これ以上彼の重荷になるようなことは彼の迷惑にもつながるわ」

「重荷………」

「彼自身も合成獣によって家族を失っているの。さらに共に戦ってきた仲間まで失っているわ。守らなければならないあの子まで失うわけにはいかない。彼はそんなそぶりを見せないけれど、日々精神状態は極限のはずだわ。そんな彼にこれ以上守るものを増やさせるのは愚の骨頂、許されることではないわ」

 失敗があるから人は成長し、前に進むことができる。言うことは容易いが行うことは極めて難しい。ましてやそれが命に関わる失敗ならなおのこと。失敗を乗り越えたと大きなことを言う人は乗り越えられる小さな失敗しかしたことがないのかもしれない。書物から得た知識と言葉だが、ティティスは今のステナの言葉を聞いて今までの見識を改める必要があると強く感じた。

「あなたはどう思っているか知らないけれど、私はあなたを任されたわ。一番になれなくても頼られていることが嬉しい。だから、私はあなたが独り立ちできるようにするつもりでいるわ。いずれ、彼の元を巣立てるようにね」

 ベルリオの申し出を受けた本当の理由だろうか。彼を想うがあまり、彼女は彼の周囲に大切なものを必要以上に増やさないよう努めているのかもしれない。ベルリオの一番になれない悔しさと嫉妬心はあっても、彼のことを一番に思っているという自負が彼女を突き動かしている。

「今私がしていることが正しいかどうかは私自身にもわからない。でも、私は譲るわけにはいかないの」

 それは決意。ステナの固い決意の眼差しがティティスにもよくわかる。

「彼は優しいから、あなたに行くところがないなら手を差し出したのでしょうけれど、あなたもこの先いつか必要になる独り立ちのことは考えておきなさい。何なら私が住居と仕事を提供してあげてもいいわ」

 いつまでもベルリオの世話になるのはよろしくない。ステナの昔話と彼女の想いがティティスにそう強く語りかけている。

「………と、長話になってしまったわね。今の時間は残業代としてつけておくわ」

 ステナは話を切り上げて後片付けを始める。その動きは今までと変わりない。すでに日常モードにスイッチが切り替わっているのだろう。

「はい………お疲れ様でした………」

 すぐに切り替えられたステナと違い、ティティスは想像以上に重くきつい話を聞かされたことで半分放心状態のまま着替えるために店の奥へと消えていく。そして半分我を忘れたまま、彼女はとぼとぼと帰路に着いたのだった。

「………少し、言いすぎたわね」

 洗い物をしながら反省するステナ。だが、遅かれ早かれ知る事実だ。なら、早い方が良かっただろうと自分を納得させ、店の後片付けに力を注いだのだった。


 夕暮れから夜へと移り変わろうとしている空模様。天を仰いだところで一番星はいつまでたっても見ることが叶わない。暗く夜の帳がゆっくり降りてくるなか、ティティスが家に帰ると定位置のソファーにモニカがちょこんと可愛らしく座っていた。いつもならソファーでは必ずと言っていいほど眠る彼女だが、今日は珍しくソファーに座って起きていた。

「あっ、ただいま」

 ステナに聞いた話の影響か、ティティスはどことなく元気がない様子でモニカに帰宅の挨拶をする。その言葉には特に感情というものは込められていなかったのだが、無意識のうちにどこか壁を作ってしまっているかのようによそよそしい。

「おかえり………」

 モニカは短く相槌を打つように返答する。その表情はいつもと変わらず無表情で、彼女が何を考えているのかは相変わらずわからないままだ。

「あれ? ベルリオさんは部屋?」

 リビングにいないベルリオ。キッチンにもいる気配がないのは珍しい。

「ベルリオはお仕事………」

「仕事?」

「今日の報告………」

「ああ、そうなんだ」

 今日、ベルリオとモニカは賞金稼ぎとしての仕事をするために出かけていた。どのような仕事の内容かはわからないが、仕事の結果を報告して賞金を受け取るのが賞金稼ぎだ。

「……………」

「……………」

 必要最低限の話が終わると一切の会話がなくなる。日が落ちると奈落は外を出歩く人が格段に減る。家の外から聞こえてくる音も極めて少ない。それが余計に静寂を強く感じさせる。

「………ね、ねぇ」

「なに………」

 静寂を嫌って思い切って話しかけたティティス。モニカは相変わらずの様子だが、彼女の呼びかけには応じてくれている。

「す、すぐ帰って来るのかな?」

「いつも割と早い………」

「そ、そっかぁ………」

 愛想が感じられない返答ほど会話に苦労するものは無い。応答しようにも取り付く島があるのかさえ分からないモニカの言葉には何とも言えない距離を感じる。

「な、何か食べたいものはあるかな?」

「別に………」

「飲み物でも持ってこようか?」

「いらない………」

「な、何かしたいこととかある?」

「ない………」

「えっと、えっとぉ………」

 大したことも聞けず、ただただ自分が行き詰るように持って言っているようにしか感じられない。会話する時間も辛ければ、一緒の空間にいることも辛い。

「えっと………部屋にいるね」

「うん………」

 会話は何の実りもなく終わった。ステナに言われたことが頭から離れないこともあってよそよそしい雰囲気であったことは否めないが、それ以上に彼女がティティスに対して接しようという気持ちがないため、何をしても長続きはしなさそうだ。

 しょんぼりと肩を落として部屋へ向かおうとしたティティス。足を進めて自分の部屋まであと少しといったところで、自らの定位置であるリビングのソファーから急にモニカが立ち上がった。

「止まって………」

「え?」

 突然のモニカの変化に何が何だかわからない。ただただ、言われるがまま足を止めてじっとしている。

「………どうしたの?」

「黙って………」

「あ、はい………」

 突然リビングを見渡し始めたモニカ。周囲の様子を探っているのか、その様子は尋常ではないことだけは、付き合いが短いティティスにもわかった。

「何かいる………」

 突然動き出したモニカは自室の扉へと駆けだす。恐らく武器となるガンブレードを取りに向かったのだろう。しかし、それは少し遅かった。

「…っ!」

 モニカが動き出すのとほぼ同時か、一瞬遅れて何かが猛烈に破壊される轟音が鳴る。そしてその音はモニカの部屋から聞こえ、次の瞬間にはモニカの部屋の扉が破壊される。

「な、なに?」

「合成獣………」

 モニカの部屋の扉を突き破って出てきたのは巨大な獣の頭。狼のようであり、ライオンのようでもあり、クマのようでもあり、鳥のようでもある。原形が何なのかわからないが、とにかくさまざまな動物を掛け合わせて作られた合成獣だということだけはわかる。

「ちょっ………どうするの?」

「武器が無い………逃げる………」

 モニカはさっさと踵を返して逃げようと玄関へ向かって走り出す。

「あ、待っ…」

 待ってほしいとティティスが言おうとした瞬間、家の壁を簡単に破壊した巨大な合成獣がリビングにまで壁を破壊して突き進み、大の男三人分はあろうかという巨大な前足で逃げるモニカを背後から襲う。その動きは目障りな虫を無感情に叩き潰すかのよう。

「かっ…はっ…」

 巨大な前足で叩き潰されたモニカ。力なき少女の体ということもあって身動きが取れない。そして目の前で起こっている出来事に恐れおののき、ティティスは一歩も動くことができずに立ち尽くしていることしかできない。

 巨大な合成獣が威嚇をするかのように唸る。いつでもモニカを押し潰して殺すことができ、ティティスを獣独特の鋭い牙で噛み殺すことができる。そんな状態にいながら合成獣は何に威嚇をしているというのか。

「た………助け………て………」

 家の壁を破壊する音はかなり大きかった。なら、その音を聞きつけて掃除屋や狩人、賞金稼ぎ達が来るのは時間の問題だ。だが、その僅かな時間さえ生きていられる自信が今のティティスにもモニカにもない。

 少し体重をかけるだけでモニカを押しつぶすことができる合成獣。だが、それをしようとしない。それどころか、モニカを押し潰そうとした前足をあげ、彼女を苦しみから解放した。そして、ありえないものをモニカとティティスは耳にする。

「………モ………ニ………カ……………」

 モニカもティティスもわが耳を疑った。合成獣は押し潰そうとしていた少女を殺すのをやめたばかりでなく、その少女の名を呼んだのだ。はっきりとではなく微かではある。しかし確かに少女の名を合成獣が呼んだ。

「な…なに? いったいどういうこと?」

 わけがわからない二人はその場を動けない。そもそもこの合成獣を前に逃げることはほぼ不可能で、ただ相対していることしかできない事実がある。

「………モ………ニ………カ……………」

 そして合成獣はもう一度、少女の名を微かに呼ぶ。本来なら獲物を狙うだけの鋭い目をしているはずの目にはどこか慈愛に満ちた雰囲気がある。

 だが、その目も瞬く間に鋭く変わる。スイッチが切り替わるかのように目の様子が一変した。その次の瞬間、周囲のガラスや建造物を破壊するほどの大音量で吠える。そして小さく口を開いたかと思うと、狙いをティティスに変え、彼女を素早く口に銜えた。

「きゃっ! なにっ! 放して!」

 暴れるティティス。しかし巨大な合成獣の口に銜えられた彼女の全力の抵抗に何の意味もない。巨大な獣に銜えられた獲物はただその牙をその身に甘んじて受けるしかないのだ。

「いやぁ………やめて………」

 恐怖から涙を流すティティス。彼女の生殺与奪は合成獣が握っており、少し顎に力を入れるだけで彼女の絶命は確定する。しかし、彼女の最悪の想像とは別に、合成獣は牙で彼女をかみ殺すことはなかった。最後にもう一度、モニカをその目に焼き付けるように強く凝視すると、合成獣はティティスを口に銜えたまま家から離れ、そのまま奈落の外へと駆けだしていった。

「………」

 目の前で起こった現実をモニカは受け入れることがなかなかできないでいた。合成獣が襲ってきたにもかかわらず自分の名前を呼んで殺すことを躊躇い、ティティスを食べるのかと思えば口に銜えてそのまま立ち去った。まるで人さらいのために強襲したかのようなのだ。それは彼女の知る合成獣とは全くかけ離れた行動であった。


 合成獣が立ち去ってから数分後、騒ぎを聞きつけて駆けつけたベルリオは壊れた家の一角を見て愕然とする。

「モニカ! ティティス!」

 集まっていた野次馬達を押し退けて家に駆けこんだベルリオ。玄関近くに座り込んで動く気配がないモニカに駆け寄り、体の外傷がないかを確かめる。

「大丈夫か? 何があった?」

「ティティス………合成獣にさらわれた………」

「…なに?」

 合成獣が人さらいをしたという事実はベルリオにはにわかに信じられない出来事だ。だが実際にこの家の中で起こった出来事であり、モニカは一切の嘘を言っていない。

「ちっ、先手を打たれたか?」

「先手………?」

 どうやらこの惨状にベルリオは何か心当たりがあるようだ。

「さっき報告のついでに仲間との情報交換をした。今日行った研究所にいた研究員は思った通りまともな研究員じゃないらしい」

「まともじゃない………?」

「身寄りのない死体や殺した合成獣を引き取る。それだけじゃなく、他にも怪しい動きは随分前からあったらしい。噂では合成獣を意のままに操れるようにする研究まで行っていたらしいが、あまりにも異常な研究ばかりするんで地上の研究所を追い出されたそうだ」

 地上にも情報網を持つ仲間からの情報。もしこれが今日、研究所へ向かう前に知っていることができたなら、この結果は無かったかもしれない。

「とにかくとことんえげつない研究ばかりしている野郎だ。今までは死体で色々研究していたみたいだが、今度は生きた人間を研究のためにさらったという可能性も否定できない」

 そう言われてモニカは思い出した。研究所に訪れた時、帰り際に合成獣と一瞬だけ目が合った。そしてたった今、家を襲ってティティスをさらった合成獣は研究所で目が合った合成獣と似ていた。

「ベルリオ………」

「わかってる。ティティスを助けに行く。その研究所は明日の朝一番に仲間と一緒に大勢で向かう予定だったが、こうなったら朝まで待てやしない」

 帰って来たばかりだが、疲れなど一切感じていない。それどころか鬼気迫る勢いで今すぐに戦いを行いたいくらいの気分だった。

「私も行く………」

「おいおい、重傷じゃないとはいえ、お前も合成獣にやられたんだろ?」

「行く………行かないといけない………」

「…なぜだ?」

 モニカの表情が少しだけ変わった気がした。大きな変化ではない。だが、彼女は少しも自分の意見を強く言うことは今までなかった。それが今、彼女に訪れた小さな変化だ。

「あの合成獣………私の名前を呼んだ………」

「それは本当なのか?」

「うん………だから………何故か確かめる………」

 無感情な彼女が少し、感情を取り戻したようだ。その目には今までなかった力のようなものが宿っているようにベルリオは感じられた。

「それに………ティティスも………」

「わかった。じゃあ、朝飯は三人前ってことだな」

 立ち上がったベルリオが玄関の方を向く。そこには騒ぎを聞きつけてやって来ていたステナの姿がある。

「あのねぇ、組織を組んでいく必要があるからそういう決断が下されたのよ?」

「わかってる。けど事情が事情だ。このまま放っておけないだろ」

 連れ去られたティティスの身の安全を考えるなら、事を起こすのは一秒でも早い方がいいのは当たり前のことだ。相手は頭のおかしい研究員。何が行われるかわからない。

「この家と仲間への連絡は頼む」

「はぁ、わかったわ」

 呆れるように深くため息を漏らすステナ。何を言っても無駄だと察したのだ。

「まぁ、あなたなら死なないだろうしね」

 そしてベルリオの実力を高く評価しているからこそ、彼を送り出すのだった。

「モニカ、準備ができたらすぐ行くぞ」

「うん………」

 モニカは瓦礫の山と化した自室からガンブレードと弾丸を掘り起こせるだけ掘り起こす。ベルリオも自室へと戻り、弾丸を持てるだけ持って玄関でモニカと合流する。

「行くぞ」

「うん………」

 ベルリオとモニカが家を出て行く。普段なら見送る役目はティティスだが、今回は代役であるかのようのステナが二人を無言で見送った。


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