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指先の魔法

作者: オリベサト

俺は、それもくさいと思うんだけど。

たばこの煙を換気扇に吸い込ませながら、彼は不服そうに声をあげる。

失礼な、と身体をずらして彼に非難の視線を送ると、彼は素知らぬ顔で燃えるたばこの先を見つめていた。


ものが氾濫する彼の部屋の片隅に、丁寧に小瓶が並べられている。

左から一番大きな除光液、もう一つ小さな除光液、ネイルポリッシュが無数に。一時期興味がわいて買ったジェルネイルの簡単なキット。

すぐ隣には彼の大好きな香水がいくつも並んでいる。

ブルガリ、グッチ、シャネルにドルガバ。

趣味がすぐに変わる彼は、いつも香水を使い切らずに終わる。


「それ。」

いつの間にかたばこを吸い終わった彼が隅で埃をかぶった香水を指さす。特に種類もわからず、ネットで私が買ったブルガリブラック。

「取って。」

「嫌いなにおいじゃなかったの。」

彼は雑に埃をはらって、首筋に香水をかけ、派手にせき込んだ。



いつも彼は私の薬指にネイルを塗る。

なぜかその行為は私たちの間で神聖化されているようで、私はいつまでたっても緊張に指を震わせていたし、彼はいつまでたっても上手にネイルを塗れない。


「俺もいつか、ケッコンとかするのかな。」

彼がまるで小学生の夢のように”ケッコン”というので、私は少し驚いた。

「ゼクシィとか読んでさ。」

「あれって女の人が読むんじゃないの?」

「わかんね。結婚のこと書いてあるんじゃないの?」

「かもね。」


ふーっ、と彼は薬指に息をかけた。


「指輪とかも、給料三か月分でしょ。俺直前になってやっぱ出せねーとか言いそう。」

「あ、言いそう。一緒に買いに行くのかな。」

「んー。恥ずかしいな。俺、今まで彼女にも指輪とか送ってねえや。」


まだ、ネイルは乾かない。


「病める時も、健やかな時も・・・なんだっけ。」

「とにかく、ずっと愛しなさいってことでしょ。」

「うわ、冷めてる。」

「結婚とかしたくないもん。ずっとなんて、言えない。」

「うん。」


やがてネイルが乾いてトップコートを手にした彼は小さな声で言った。




「知ってる。」









彼と出会ったのは、近所のコンビニだった。

その日の朝に電車でおじさんが食べていたチョコレートがやけに印象的で、どうにもたまらなくなって出かけた深夜。

コンビニの周りはしんとしていて、信号が点滅していた。家から徒歩数分圏内だからと油断してジャージで出かけた私に後ろから声をかけたのは、ずいぶんと前に別れた元彼だった。


「久しぶり。」

相変わらずまぶしそうに笑う元彼のすぐそばで、息をひそめていたのが、彼だった。彼はまるで(僕はここに存在していません)というような顔をして、上とも下ともつかない場所に目を置いていた。


「どうしたの、こんなところで。」

名前、なんだっけ、そんなことを考えながら聞いた。確か、ゆう、と呼んでいた。


「こいつ、俺の友達なんだけど、近くに住んでんの。」


こいつ、という時にゆうは一瞬彼に目を向けた。彼はああ、とかうう、とかそんなかすかな声だけあげて、やはりまっすぐこちらを見ることはなかった。


「こいつん家で飲まない?」

「迷惑でしょ。」

「俺は、いい、すよ。」

いいという割に表情を変えない彼は続けた。

「とりあえず俺、タバコだけ買ってきていいすか。お姉さんも、なんか、買いにきたんでしょ。」


ぱっと私の腕をつかんで彼は一瞬先にコンビニに入り、小さな声で、あの人お姉さんのことストーカーしてるっすよ、と言った。たぶんですけど、と付け足して彼は手を離した。

すぐにゆうは私たちに追いついたので、私はそれ以降何も聞けなかった。



そのあと、結局彼、ゆうにはイチと呼ばれていた、ハジメの家で私たちは少しお酒を飲んで話をした。ゆうの名前は思い出せないままで、ゆうはたぶんそんな私の心情に気づいてか、途中から深く考え込んだ様子だった。



朝方私たちはハジメの家から出て、ゆうにじゃ、さよならと言った。

ゆうはしばらくうつむいた後に、うん、とつぶやいた。





数日たって、私は行きつけの喫茶店でハジメがアルバイトをしていることを知った。彼が私の席にアイスティーを置きながら、ども、と小さく言って、私たちは再会したのだ。

その後、その喫茶店はつぶれてしまって、ハジメは無職になった。一応定職にはついていた私が彼に声をかけてごはんに連れて行ってから、私たちは付き合うようになった。

当然のことながら、周りからは大反対された交際だった。

しかし実際に私が彼にごちそうをしたのは、交際前の数回だけで、それ以降は彼は私に財布すら出させてくれなかった。一体どこで何をして稼いでいるのか、と聞くと彼はにやりと笑い、悪い事、と楽し気に言った。











私は「永遠」が嫌いだった。

そんなものは大嘘だと思っていたし、実際今までの彼氏とは別れたのだからそれこそが事実で真実だと信じていた。

ハジメは少なくとも私ほど「永遠」に拒否は示していなかった。

彼は私よりもよく恋愛映画を見て泣いていたし、友情であろうが愛情であろうが、とにかく人との関わりを尊重しているように感じられた。

ただ彼は自分自身を愛さず、それが理由で多くの友情と愛情を捨てているようだった。彼にとっては、自分という絶対的悪以外はすべてが善のようで、だからこそ彼が結婚の話をし始めたのは意外だった。







「俺、実は呪い使えるんだよね。」

ある日同じように私の爪にネイルをぬる彼は唐突にそんなことを言いだした。


「・・・どういう?」

「釘うつやつじゃなくてさ、なんかもっとこう、呪いっぽいやつ。」


返事に困っていると、彼はたとえば、と顔をあげた。


「一週間に数回は絶対、そいつの指を握って、腐り落ちろ、って呪うようなやつ。」


彼の指にはほとんど力が入っておらず、私はきっといつでも彼の手から指を引き抜けるはずなのに、なぜか動かせなかった。これも呪いの一種かしら、とバカげたことを考えた。


「そしたら、腐り落ちるの?」

「・・・どうかな、腐り落ちそう?」

「・・・私の薬指の話なら、まだまだ元気みたいだけど。」


不発の場合もあるかも、と彼は言った。

のんきな声だった。


「今まで成功したことは?」

「うーん、小学校の時、隣の席のやつがうるさくてさ、毎日毎日どっか行けって念じてたら、転校したことがあったかな。」

「・・・転校の理由は?」

「父親が海外に転勤になったとかだった気がする。」

「そういうの、栄転っていうんじゃないの。幸せになってるじゃん。」


おかしいな、俺、絶対俺の呪いのおかげだと思ってたんだけど、と彼は首をひねる。


「ていうか、やめてよ、私の指呪うの。」

「じゃあ魔法かける。」

「どんなやつ。」

「腐りおちるやつ。」

「一緒じゃん、それが嫌なの。」

「・・・次までに考えとく。リンが良いよっていう呪いか魔法。」


彼はなぜか真剣な顔をしてそういうので、呪いは基本的には嫌かな、とだけ返しておいた。













大体ですね!


テレビの中で評論家らしき禿げ頭の大人がつばを飛ばしている。


説明不足なのです!


彼にとっては議員の言葉が人生であるかのように必死で声をあげている。


彼が一度でも市民のために行動しましたか!?


司会者が苦笑いをする。


彼の行動は理にかなっていない!


それこそがすべてであるという風に彼はそうしめくくって両手をあげた。あがった息を整えながら、両手で髪を撫でつけている。

慌てたように押し上げた銀縁の丸眼鏡はまだ少し歪んでいたが、彼には髪の方が大問題で、さらに言えば何とかという議員のした失言によって世界が破滅でもするような態度だった。


チャンネルを変えれば、芸人が脱いでいたり、過去最高のフードプロセッサーが登場していたり、病気の母のそばで息子が泣いていたりしたが、どうにもピンとこなくてテレビを消した。

つけていればうるさいのに、消せば今度はどうにも沈黙が苦しい。





やがて思考は自然と昨日のハジメとの会話につながっていた。

彼はどうも私の指を腐り落とさせたいらしく、その点において彼はひどくまっすぐに努力をしているようだった。呪いという変わった方法ではあったけれど。

さっきの禿げたおじさんは呪いを信じているだろうか。彼も妻の指を腐らせたいときがあっただろうか。


そういえば、さっきのフードプロセッサーって人の肉も砕けるのかな。



私はノートパソコンを開いて、呪いについて調べ始める。

黒魔術、白魔術、丑の刻参り、陰陽師・・・

要は、小学生のおまじないも似たようなものよね、と私は少し納得した。

彼らは強く願う。願って願って、さらに願う。自らの何かを引き換えに、誰かを、何かを得るために。


ハジメは何を引き換えにするんだろう。


おまじないなら、消しゴムにシャープペンシルの芯、きれいな紙とか、たまに人の爪、髪。

呪いなら自分の命?


もっと手軽なものがいいなあ、

たとえば・・・たとえばハジメの声。

軽快にしゃべる少し高い声。

視界。あとは、そう、同じ指とか。

でももしまた彼が喫茶店で働きたいと思ったとき、何かがなくなっているとずいぶん社会に出づらくなるな。

特に指なんて。もし間違って私の薬指と引き換えに彼の小指がなくなったりしたら・・・


「ふふ。」


可笑しいなあ。

細身で申し訳なさげに立つ店員が、そっと音をたてないようにアイスティーを運んでくる。しぐさはどこも丁寧なのになぜか私は違和感を覚える。

もしかするとその犯人がいるはずの小指であると気づかずに彼は私から離れるかもしれない。でもきっと、彼の片手が四本であることは、より彼をはかなく不安定にさせるだろう。



ハジメは、どうして私の指を呪うのだろう。



左薬指

と検索ワードに入れて、ふとそれが本来は愛を誓う場所であると気づいた。

なぜかすっぽりと頭から抜けていたその情報で私はすべてを理解した。



なるほど、彼は確かに私を愛しているらしかった。そしてそれは私にも理解できる形の「永遠」で深く深く私をしばりつけようという呪いであった。
















「ねえ。」


いつものようにネイルを熱心に塗る彼のつむじに話しかけた。


「良い呪いは浮かんだ?」

「全然。腐り落ちるの、どうしてもダメ?」

「ダメ。」


私の声のトーンで、彼は私が彼の思惑に気づいたことを理解したようだった。


「どうしようかなあ。」


彼はつぶやく。


「毎日ネイルを塗れば良いじゃない。」

「うーん。」

「前に読んだ小説で、自分を振った男の結婚式に行って、相手の女の薬指を切り落とすって話があったんだけど。」

「え、女の方?」

「そう、びっくりだよね。」

「なんでそっちだったんだろ。」

「男を奪ったから。二度と幸せになれないように、だって。」

「うーん。別にそれはいいんだけどさあ。」

「うん?」


彼は珍しくもごもごと口ごもる。


「いいんだよ、別に俺と別れた後、他の男と結婚するかもしんないし、もしかしたら本当にリンはしないかも。」

「うん。」


珍しく上手に塗れた薬指を私はハジメから取りかえす。ハジメはじっと私の薬指を見つめながら信じないと思うけど、と続けた。



「俺たぶんすごくリンの事が好きだよ。たぶんずっと好きだよ。俺にリンの薬指ちょうだいよ。」







「ダメ。」







ふっ、とハジメは笑った。



「だめかー。」











次の日、ハジメの部屋で目を覚ますと、彼の姿は横にはなくて、ベッドにはすっかりぬくもりもなかった。

嫌な予感がして、私は部屋をぐるりと見まわす。


机の上に、ブルガリブラックと紙が一枚見えて、そっと近づいた。


それはおそらく一番最初に私がハジメにあげた履歴書の残りで、枠も何も無視してハジメの変に角ばった字が右上がりにならんでいた。

名前の欄あたりに大きく、『魔法』、略歴の欄にずらりとネットで拾ったらしいでたらめな魔法の約束事が書かれていた。右ページの趣味や特技欄になってようやく、魔法の目的を見つけた。


君が、永遠に、僕への罪にさいなまれるように。


ブルガリブラックの中で泳ぐ、きれいなネイルの薬指が、一人、困惑気にこちらを見つめている。


「こういうのも、呪いっていうのよ。」


たばこを吸いながら、にやりと笑って見せるハジメを思い、少し笑ってから、瓶を持ち上げて、思い切り壁にたたきつける。


あたり一面に、強い香水の匂いがあふれて、気分が悪くなった。


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