13.今はまだ、平穏
「痛っつっ……。 あの野郎………!」
寝違えた際とは比べ物にならない痛みが、首をしばらく襲う。
「なにが痛みなどはほぼ感じない。だ!結局ローズルと同じく痛みで戻ってんじゃねぇか!」
まぁこれについては明日こっぴどく説教してやるとして……。
「帰るか…」
時刻は既に7時を回っていた。高校生が1人でぶらぶら出歩く時間でもないだろう。まだ季節は春先な訳で、未だ肌寒い風が容赦なく全身に刺さる。
宛先のない怒りと、途方もない虚無感が襲い来る中、明日の説教の内容を考えつつ、亮は自宅へと足を進めるのであった。
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時々、私は正気ではなくなる事がある。
と言っても、急に狂いだしたりとか、そういう類のものではなく、ただ、その正気ではない時間の意識がないのだ。そしてその時間の記憶もない。
何故そんな事が起きてしまうのか……。
それは当人である私にも分からない。
ただ分かる事は、一度視界に他人が映ると、意識が途切れてしまうのだ。
そして気づいた時は、毎回自分がボロボロになって寝転がっているか、目の前に遺体があるかのどちらかである。
自分が殺めたとは思いたくない。
「私って、怒りっぽいのかなぁ……?」
と、間の抜けた独り言を、優美の天使は赤く紅い空を見上げ漏らすのだった。
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「なんでお前は家に来てるんですかね?」
寒い中トボトボと家に帰り着いた亮を待ち構えていたのは、いつも通りの暗い台所ではなく、明るく、暖房で部屋が暖まっている上、テーブルには手間が掛かりそうな料理がずらりと並んでおり、極めつけにエプロン姿の幼馴染みであった。
「あ、亮!おかえり〜。今までどこ行ってたん?」
「何してんだ………美星」
さも自分がいるのは普通であると言った口調の同級生、飴 美星に亮が言及する。
「何してるって。ここ最近亮が学校休みがちだから、心配して来てあげたのですよ!」
ふんす! と誇らしげに腕を組む美星。
そして、亮が前世に行き帰りした日は、その日の存在が無くなる為、現世に帰った時、学校は休み。という形になる。
「余計な心配だ。お前は昔から過保護すぎるんだよ」
というのも、この美星は亮の両親が他界してから頻繁に亮の家に来るようになり、こうして料理を勝手に振舞ってくれることも珍しくはない。
これはありがたい。ありがたいのだが、
「俺もお前も高校生だぞ。一人で色々とこなさないといけない時期だし、それ以前に、その、年頃もいいとこだ」
すると美星はあからさまに顔を赤くし、目を伏せ、
「そ、それは、私が亮の事を信用してるし……間違っても、へ、変な事は起きないと思うけど…多分」
などと臭いセリフを抜かすのだった。
「と、ともかく!ご飯が冷めないうちに早くたべちゃって!」
「はぁ……明美おばさんには断ってきたのか?」
ちなみに明美おばさんと言うのは、美星の母親である。亮の両親は、生きていた頃金所である飴家と非常に仲が良く、なにかイベントがあると、どちらかの家に集まり、よく宴会をしていた。
「もちろん!あと、今度うちにもいらっしゃいって言ってたよ」
「いや、遠慮しておくよ。どうもお前の家は居心地が悪い」
「なんで!?私の家は一応綺麗にしてるつもりだよ?それともご飯が美味しくないとか?」
いや、そういう問題ではなく、問題は美星の両親である。まず美星母、明美おばさんは事あるごとに縁談の話を持ち掛けるわ、美星のどこが好きか?などと毎度毎度話にならない。
そして父親、正峰のおっちゃんは、普段は至って平常である。しかし、一度酒が入りだすと、大人しかった口が急に饒舌になり、亮に酒を勧めてきたり、泣き出すこともある。
などなどと、考え出したらとまらないのだが、このように飴家にはお呼ばれされたくない事情があったりする。
「そんな事はない。そんな大きな問題ではないんだ……。多分」
まぁ、それは置いといて、と亮は手で`落ちつけ`というジャスチャーをとる。
「折角こんなにも作ってくれたんだ、早く食べるぞ」
「むぅ〜」
美星は不機嫌を簡単に直してくれない。だが、こいつは単純であり、上機嫌にさせる言葉など、幾つも持ち合わせているつもりである。
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「うむ。さすがは手馴れてるだけあるな。美味しかったよ、ありがとな。」
「いや〜、それほどでもないよぅ〜」
案の定褒め言葉一つで美星は先程まで不機嫌だった事を忘れてくれているようである。
並んでいた沢山の料理を一通り平らげた亮はもう8時を回っている時計を見て、
「家まで送るから暖かい格好ししろよ」
言うと美星はわざとらしく外と時計をちらちら見つつ、
「も、もうこんな時間……。こんな事もあろうかとお泊まりセット一式を持っ───」
「帰れ!!」
いそいそとパジャマを広げだした美星を連れ、夜道を歩く。
高校を卒業したら、こんな事もなくなってしまうのだろうか?と一人亮が感情的になっていると、不意に美星が「ふぁ〜」と間抜けな声を発してきた。
横を見ると、美星は真上を見上げ、口をぽかんと開けていた。
何事かと亮も美星に習い上を見上げると、「うぉぉ……」と美星に負けぬくらいこ間抜け声が出てしまった。
この日の夜空はきっと、ずっと鮮明に残るだろうと亮は確信した。
それほど美しかった。
数多の星々はそれぞれが強力な光を発し、青白く輝いている。
自分はロマンチストではないと自負していた亮も、さすがにこれには目を奪われた。
「亮!あの場所にいこうよっ!
「明美おばさんに怒られるぞ。帰るのが遅いって」
「後でちゃんと説得しとくから!さ、行こ行こ!」
「お、おい待てって!」
走り出した体育会系少女美星を追うべく、亮もついて行つ。
長いようで短い数分の果て、先に辿り着いたらしい美星は、その場所で仰向けになり寝転がっていた。
そこの周りは辺りの風景に反するように木が一本も生えていない。だが、殺風景と言うよりは、どこか幻想的な感じだった。
美星が言った「あの場所」とは亮が前世から現世に帰った時にいる場所と全く同じ所である。
「遅いよ!早く早く!」
と言い、美星は自分の寝そべっている右隣を手でポンポンと叩いた。
抗ってもどうせ無駄なので、大人しく従うように、亮も美星の横で仰向けになり寝そべった。
昔は六道家と飴家の2家揃ってここによく来たものである。
「昔は、よくここに来てたよね〜」
まるで人の心を読んだかのように、美星が話しかけてきた。
「そういえばここ最近来れてなかったな」
「うん…」
時が止まったように、会話とピタリと止む。
きっと、この綺麗な空は前世とは繋がっていないのだろう。と亮は思う。今はなんとか生きているが、今日のような偶然はそう起きるものではない。その時は、恐らく美星は亮の事を忘れるだろうし、この景色も二度と見れない。
死と隣り合わせだった今日の1件を改めて痛感した。
「おい、美星。寝たりするなよ?」
亮が空を見上げながら先程から静かな美星に聞くも、返答は無い。
すぅ…すぅ……
代わりに小さな寝息が聞こえた。
「………冗談だろ」
美星はこうなると昔から中々起きない。無理に起こせばなんとかなるかもしれないだろうが、これが非常に気持ち良さそうに眠りこけているので、どうにも起こせない。
「はぁ………」
結局この夜は、亮がぐっすり眠った美星をおぶって飴家まで送り届けるはめになったのだった。




