第八話「蒸発死」
「羅刹殿、さすがですな」
男は眼の端に紅く燃え上がる炎を映しながら呟く。
一瞬でも目を離せば殺される。
男は羅刹との間合いを計りながら少しずつ距離を詰めていく。
「真打ちがおらぬ今こそが好機と思いましたが――」
甘かった。
予想を遥かに超える速度で、真打ちが現れてしまった。
それもこれも、羅刹の人ならざる強さのため。
真打ちがない羅刹ならば人刀使い三人でかかれば勝てるつもりだった。
「甘すぎる算段でした」
羅刹が持っているのは、ただの人刀ではある。
だが木の枝ですら羅刹が持てば恐怖の対象へと変貌するのだ。
そんな相手にどんな状況であれ、たった三人で立ち向かう事自体が、間違いであった。
「羅刹殿。我らはこの時を待ち望んでいたのです」
男は羅刹に問いかける。
もはや真打ちが来た時点で勝負は決まっていた。
三人が全力をかけて張り巡らせた人払いの結界も、一秒も持たず通り抜けられてしまったのだ。
つまり三人の全力が、使い手のいない人刀一本の足元にも及ばないという事を表していた。
もはや死を覚悟した男は、どうしても羅刹に伝えておきたい事があった。
「宗家には分からぬ感情かもしれませぬ。だが我々、分家の者は、ただ分家であるという理由で虐げられてきたのです」
羅刹は何も答えない。
男の言葉を聞いているのかすら分からない。
「分家の末席には人刀を持つことすら許されない。真打ちに至っては分家の当主でも所有を許されない」
それでも男は黒守家第二十代目当主へ呼びかける。
「三百年、四百年、いやもっとかもしれません。長きに渡って分家は力の制限を強いられてきたのです」
男の目に紅い炎が再度、映る。
一度、二度。
「だがこの現代において、宗家、分家などという古臭い考えは、もはや通用しません。人刀術は富と栄光をもたらす。あんな片田舎で細々と続けるような技術ではないのです!」
羅刹は無言だった。
「あの技術を伝えれば、この世界のパワーバランスは確実に崩れるでしょう。上手くやれば途方もない富が手に入ります。何故それが分からないのですか! 羅刹殿さえ頷けば、この長い負の連鎖は断ち切れたのです!」
「愚かな」
羅刹が初めて口を開いた。
「人刀術は最強の殺人術。それがもたらすは死屍累々のみ。富や栄光など雲霞も同じよ」
羅刹は刀を納める。
何故なら代わりの刀が来たからだ。
「申し訳ありません、お兄様。遅くなりました」
右手に剣を持った少女が言う。
「早いくらいだ。本当ならばお前が来る前に皆殺しにする予定であった」
「お心遣い感謝します」
少女はそう言って、羅刹に寄り添った。
その瞬間、少女が消滅する。
一瞬の出来事で常人には何が起きたか分からないだろう。
だが男には見えていた。
少女が砕け、微粒子のようになったのを。
そしてその微粒子は羅刹の右手に収束し、形を取る。
「――真打ち」
男は羅刹の右手に現れた、美しい剣を見ていた。
あれこそが人刀の最終到達地点。
あれに比べれば男が持つ唯の人刀など楊枝に等しい。
分家の者がどれほど夢焦がれたとしても触れる事すらできない、最強の殺戮兵器。
「我々は真打ちを手にし」
最後まで話す前に、男は真っ二つに分断されていた。
分断された男は瞬時に燃え上がり蒸発する。
後には塵すら残らなかった。
羅刹にとって男の話に意味など無い。
羅刹が待っていたのは少女の到着のみ。
掟を破った罪人の言葉を聞いている時間など、ありはしない。
「もう戻って良い」
羅刹の言葉で右手に持っていた刀が砕け散る。
その破片は粒子となり、まるで意志を持っているかのように人の形を取った。
「なんかあっという間でしたね」
何事もなかったかのように、そこには黒守鵺が立っていた。
鵺は長い髪を詰まらなさそうに指でもてあそびながら呟く。
「分家の捨て駒だ。恐らく、こちらの力を測る為だろう。人刀しか持たされていなかった」
「でしょうね」
鵺は地面に転がる主を失った人刀を見る。
真打ちである鵺にとっては、ただの鉄屑でしかない。
「それよりも何故、赤錆を連れてきた」
「えっ」
鵺は刀から視線を外し、羅刹を見る。
羅刹は僅かに怒ったような表情をしていた。
「私が呼んだのは鵺だけだ。赤錆は呼んでおらん」
「そ、それは……赤錆もお兄様の人刀。呼ばれて参上するのは当然かと」
「呼んでいない」
鵺は羅刹の言葉に、さっと顔色を変える。
「も、申し訳ありません!!」
鵺は腰が折れるのではないかという程の角度で頭を下げた。
羅刹はそんな鵺を一瞥し、辺りを見渡す。
「それで――赤錆はどうした」
「あそこで固まっているはずですわ」
赤錆は路上で呆然としていた。
「ここまで呼んで来い。路上では邪魔になる」
「は、はい!」
鵺は急いで赤錆の元へと戻った。