第五十一話「蒸発死」
斬り飛ばされた両腕が、その勢いのまま遥か遠くへと飛ばされた。
真打ちを手放した主は普通の人間へと戻る。
制御を失った竹は徹を受けようとしなかった。
高速で地面に叩きつけられた徹は骨が粉砕され、地面に体を削られながら、十数メートル先で止まっていた。
羅刹は左手に持っていた人刀を、血振るいしてから納刀する。
「ぐ……あ……」
徹は倒れたままうめき声を上げる。
すでに雌雄は決していた。
両腕を失った徹に反撃の方法は無い。
逃げようにもボロボロの体では羅刹から逃れる事は不可能。
そして見里がどうやって羅刹を阻止しようとしても徹が殺される方が早いだろう。
羅刹は徹に止めを刺すために近づいていく。
「ど、どうして」
人刀から人間へと戻った見里は、羅刹に呼びかけた。
見里も無傷ではなかった。
人刀状態で刀身が受けた傷は、人間状態に戻っても維持される。
先ほどの一合で、見里は鵺に体を焼かれ抉られている。
傷口が焼かれた為に出血は少ないが、立っているのもやっとの怪我だった。
「どうして――分かったんですか、私達の位置が」
羅刹は徹に近づきながら見里に答える。
「お前が賢いからだ」
「わたしが……賢いから?」
見里は傷口を抑えながら呟く。
「音で、お前達の跳んでくる位置は分かりつつあった。だが音では確実な位置は判明しない。確実にお前達を殺すには不十分だ」
「なのに、どうして?」
全ての力を傷の回復に向けた。
少しでも時間を稼ぎ、活路を見いださなければならない。
「お前の方が鵺よりリーチが長い。分の悪い賭けはしたくはなかった。だから罠を張ったのだ」
「罠……」
そこで見里の脳裏に羅刹の動きがフラッシュバックした。
反撃するには中途半端な反撃回数。
そして反撃するのが不利と分かっているのにも関わらず、行った反撃。
「まさか私に、あなたが音を判別して反撃している、と気づかせたと言うのですか」
「そうだ。パターンを見切り始めたなら全ての攻撃に反撃を合わせようとし始めるのが普通だ。だが私ははっきりと音が聞こえた時にのみ、射出点が見えているような動きを、お前にあえて見せた」
「あの私の攻撃が掠った時は……」
「無理に反撃して『音での判断』を明確に印象付け、さらに『回避を捨てた不利な賭け』をしようとしているという印象付けだ」
見里は羅刹の言葉を聞きながら、傷を癒す。
羅刹はすでに地面に倒れ伏した徹の前に立っていた。
いつ殺されてもおかしくない。
「でも、それは自分を追い込むだけじゃないですか」
「そうだな。私が音で判断している事に気付いたお前は、自らが立てる音を消し、さらに自分達が立てていた音を作った」
羅刹は鵺を、徹に向かって振り上げる。
「だ、だったら! あなたは見つけようがないはず!」
見里は叫ぶ。
見里の声で羅刹の動きが止まった。
「逆だ。だからこそ、見付けられたのだ」
「……」
「あの連続攻撃が不自然に止まった次の攻撃だけは、お前達がどこから突っ込んで来るか、完璧に確定していたのだ」
その言葉で見里は全てを理解した。
あの反撃の後。
見里と徹は連続攻撃を止めてしまった。
それは見里が、羅刹が音で反応している事に気付いてしまったからだ。
猛攻が急に止まった事で羅刹は『見里が音で反撃している事に気付いた』と分かった。
そして二人は対策を練り、音を立てない方法を見つけ出した。
見里は常に数手先を見ている。
だから音を出す場所を複製するだけでなく、さらに自らの音も消した。
そうする事で、完璧に羅刹は反撃不可能になる。
だが見里は一つだけ見逃していた。
二人が音に気付いた次の突進だけは、羅刹の言う通り完全に向かって来る場所が確定してしまっていたのだ。
――それは、音の無い場所。
殆どの人間が対策を考えついた時点で、その対策を使おうとするのが普通なのだ。
音に対する対策を考えた最初の一撃は、絶対に音が無い場所から。
対策を考え付いているのに、あえて使おうとしない人間など僅かしかいないだろう。
羅刹にしてみれば、音がしない場所に向かって剣を振るだけで良かった。
だからここまで正確に、後の先が取れたのであった。
「今回は――」
すでに答えは出ている。
それでも言葉を終えてしまえば、徹が死ぬのが分かっていた。
だから見里は無理矢理、言葉を続ける。
「今回は、私が音を出した後に攻撃したから反撃が出来ました。でも私が音を出す前や、音を出した瞬間に攻撃したならば反撃は出来なかったはずです。そこは博打だったという事なのですか」
「いいや。お前は必ず音を出した後に、確認してから突っ込んでくると分かっていた」
「それは何故?」
傷はまったく癒えない。
この距離では見里が徹に向かって走っても、その前に徹は殺されるだろう。
そして真打ちから離れた見里では、今の羅刹を止めるような大きな能力は使えない。
主がいたからこそ、ここまで植物を意のままに操れたのだ。
枝の驚異的な再生力も主がいたからこそ、なのだ。
「お前は無謀ではない。私が音で判断しているというのは『恐らく』『多分』という仮定でしかなかった。本当にパターンを読まれ始めているのかもしれないという疑念があった。事前に私がお前の繰り出す枝を見切っていたからな」
「……つまり『間違いなく』音で判断していると分かるまで、音より早く攻撃したり、音と同時に突進してはこないという事ですか」
「そうだ。私が音で判断している事に気付いた次の攻撃だけは、お前が音の無い場所から、確実性を確かめるために、音の後に攻撃するのは確定事項だった」
羅刹の言う通りなら、見里達は音で反応した事に気づかされ、茂みを鳴らしてから、羅刹が音の方向へ顔を向けたのを確認し、それから突っ込むように誘導された事になる。
それをあの戦いの中で考え付いたというのか。
「お前が賢くなければ、こうは行かなかっただろうな。もう少しお前が愚かであれば、この戦いはもう少し続いていたかも知れん」
「……っ、それはっ……」
言葉が出ない。
羅刹に聞きたい事が、もう無かった。
目の前で徹が死のうとしているのに、何もできない。
もはや自分では羅刹を止められない。
話し始めた時点で分かっていた事だったが認めたくなかった。
「みさ――と」
地面に倒れていた徹が見里を見る。
両腕を落とされ、ボロボロの体だったが。
確かに徹は生きていて、何か呟こうとしている。
「俺は……お前に……あ」
「だがどちらにしても、結果は同じだ」
鵺が徹の胸を貫いた。
同時に強力な熱により、徹が燃え上がる。
悲鳴すら上げる間なく。
最後の言葉を見里に伝える事なく。
徹は焼き尽くされる。
そして数秒の後には、もはや真っ白な灰しか残っていなかった。
その灰ですら、風に吹き流され。
後には何も残らなかった。




