第五話「向けられる敵意」
「赤錆さん」「ふえっ」
それは昼休みに起こった。
私がお弁当の包みを広げようとした時。
クラスメイトの包囲網を突っ切って、私の席に鵺さんがやってきたのだ。
「ちょっといいかしら?」
「は、は、はい」
私は鵺さんの顔を見ないように頷く。
「この辺りで、ゆっくり食事が出来るような場所は無いかしら。二人で」
ゆっくり食事が出来るような場所……。
いつもは友達とご飯を食べるから思いもよらなかったけど一つだけ心当たりがあった。
「え、ええと。屋上……かな?」
「よっし。行きましょう」
「え、でも」
「はいはい、さくさくついてくる」
私は鵺さんに広げかけていたお弁当を片づけられる。
「ちょっと何やってんの?」
それを見ていた美耶子が声を上げる。
美耶子は私の机でご飯を食べようと来た所だった。
美耶子の目がいつもより鋭くなっている。
これはちょっとマズい。美耶子が怒る前触れだ。
「何って――」「無理やりは――」
「美耶子、大丈夫。今日は黒守さんと食べる事にするから」
鵺さんと美耶子が何か言いかけた所で私ははっきり、そう言った。
「ほら、黒守さんって海外住まいで色々と分からなかったんでしょ。だから食べる場所を教えてあげるのも大事だよ」
「だけど何で加奈子に……」
「赤錆さんなら優しそうでしょ? 色々と親身になって教えてくれそうですもの」
納得いかない美耶子の言葉を鵺さんが遮る。
「……いいの? 加奈子」
美耶子は私に視線を戻し、聞いてきた。
「うん。大丈夫」
心配してくれる美耶子に、私はしっかりと頷いた。
「じゃあ行きましょう、赤錆さん」
「うん。いこっか」
私はお弁当を持つと教室を出る。
鵺さんが弁当を持ってくるのを待ってから、二人で屋上へと向かった。
それにしても二人でどんな話をするのだろうか。
羅刹って人がいないから、まだ危険度は低いんだろうけど。
いざとなったら大声を出すしかない。
「こほん。こほん」
「何? 風邪?」
鵺さんは嫌そうな顔をして私を見る。
「あ、ううん。ちょっと喉がいがらっぽくって」
「風邪だったら移さないでよね。いざという時にお兄様の役に立てなかったら、あなたのせいだから」
クラスでの姿と、私の前での姿、そして羅刹の前での姿。
全部、性格が違う気がする。
「ん、何ジロジロ見てんのよ」
鵺さんが私を睨む。
その目は――羅刹に少しだけ、似ていた。
「あー、屋上はいいわね。誰もいなくって!」
屋上に出た鵺さんは背伸びしながら叫ぶ。
私は無言で鵺さんの後についていく。
「高校生ってあんな感じなの? 本気でウザいんだけど。男は視線も気にせず胸ばっかり見て、女は嬉しそうにキャーキャー騒いでうるさいったらないわ」
「……」
「黙ってないで何か言いなさいよ」
「どうして学校に来たんですか」
「決まってんじゃない。あんたの監視」
鵺さんは私を指差しながら言う。
「お兄様の命令じゃなかったら、こんな場所に絶対こなかったけどね」
鵺さんから明らかな敵意を感じる。
でも嫌われる理由が全然、分からなかった。
そもそも私は黒守さん達に危害を加えていたりしていないはずなんだけど……。
「……」
黒守さんは無言で私を見る。
足先から頭のてっぺんまで、まるで品定めをするように。
しばらくしてから溜息をつく。
「何でこんな娘を人刀にしたのでしょう。お兄様は慈悲深すぎますわ」
「あの、人刀ってそもそも何なの?」
「年上には敬語を使えよ糞ガキ」
鵺さんはそう言って、私を睨む。
思わず体が竦むような視線。
「ご、ごめんなさい。あの、ぬ、鵺さんって何歳なんですか」
「私? 私は永遠の十八歳よ!」
そう言って鵺さんは私にウィンクした。
という事は十八歳より上なんだ……。
それにしても鵺さんって、機嫌がコロコロ変わるので扱いにくい。
今まで周りにはいなかったタイプだった。
「で、何だっけ。人刀の話?」
「そうです」
鵺さんは顎に手を当てて考える。
しばらく考える。
そしてこう言った。
「何で、私が、あんたに、説明しなきゃなんないの?」
どうやら鵺さんは、何故か私の事が凄い嫌いらしい。
私の十七年間で、ここまではっきりと敵意をぶつけられた事はなかった。
「そもそもあなたが私に質問する事自体、あり得ないんだけど。私から聞く事があっても、あなたの質問に答える義務は全く無い訳。お分かり?」
私は鵺さんの敵意をビリビリと感じながら考える。
よく考えたら私は訳も分からず病院送りにされてるのだ。
少しくらい質問してもバチは当たらないはずだと思う。
「鵺さんは私の監視で来てるんですよね」
「そうよ」
「じゃあ監視される方は何で監視されているのか理由を知るべきだと思うんです」
「いいから黙ってろムカつく糞女が」
鵺さんは私を睨んだ。
私は思わず口をつぐんでしまう。
何故なら今度の鵺さんの睨みは、本気だった。
羅刹と同じ目。
間違いなく――人殺しの目だった。
「あんたみたいな奴がお兄様の人刀になったのが私は許せないんだよ。生ぬるい世界で生きてきた唯のガキが黒守家当主の人刀に成りやがった。それがどれだけ私にとって屈辱か分かってんのか?」
口調すら変わっていた。
私の足が勝手に一歩、下がる。
「お兄様の人刀じゃなかったら殺してる」
本当に今頃、殺されてると思った。
鵺さんの目は私の首と心臓と頭を交互に見ている。
全部、人間の急所だ。
鵺さんの想像の中で私は何度も、何度も殺されていると思った。
「赤錆、お兄様の奴隷になれ。全てを捧げろ。あんたにはそうする義務があるんだ」
「い、意味が分かりません……」
私は震える声で答える。
大声の準備なんか何の意味もない事が今更、分かった。
「分かれ。いや、そのうち分かる。誰に人刀にされたのか、自分が何に成ってしまったのか」
私は逃げだしそうになる足を押し留めるのに必死で返事できなかった。
「何も分からないお前に、一つだけ分かるように言ってやる」
「な、何ですか」
「――私はお前が大嫌いだ」
それだけは分かってます。
頭の中でだけ私は言っておいた。
「ふー」
それを言い終えると、鵺さんはため息をつく。
そして、こう言った。
「じゃあ、ご飯食べよっか」
「……」
鵺さんは笑顔だった。
さっきまでの空気は全然、残っていない。
まるで突然、夢から覚めたような感覚だった。
「ほら、固まってないでさっさと座る。赤錆さんってお弁当?」
「……」
「いやー、それにしても朝から溜まってたストレスがスキッと取れたわ。やっぱり思ってる事を口に出さないと駄目ね」
「……」
「っていうか、ここって売店あるの? コンビニでパン買って来たんだけど、朝の時間ギリギリでさ。休み時間に買いに行きたいのよ」
「い、一階に……」
私は何とか、それだけ絞り出すように答える事ができた。