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羅刹 -夕闇を歩く少女-  作者: 猫村慎之介
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第四十一話「第二次シュークリーム攻防戦」


 私は部屋に戻ってきていた。


 羅刹さんが話したかった事はそれが全部みたいで、あの後はすぐに帰っていいと言われた。

 それにしても羅刹さんが鵺さんの事をあんな風に思っていたなんて意外だ。

 もっと血も涙も無い人だと思っていた。

 何だか羅刹さんに対する見方が少し変わってしまう。


「鵺さーん、大丈夫ですか?」

 私は洗面所の方に向かって声をかけた。


「大丈夫よ」

 寝室の方から鵺さんが顔を出した。

 私が羅刹さんの部屋に行っていた間に着替えたみたいで浴衣を着ていた。

 髪もしっとりしてるし、お風呂に入ったんだろう。


「良かった。もう気分悪いのは治ったんですか?」

「真打ちを舐めないで欲しいわね。あの程度の酒、しばらく休んでればすぐに抜けるわ」

「ほんとに便利ですね……」

「兵器だからこれくらい当然なのよ」

 鵺さんはそう言って手に持っていたグラスに水を注いだ。


「それよりお兄様に呼ばれてたんでしょ。何をしてたの?」

 鵺さんが私を睨む。

 私は思わず黙ってしまった。


「私に言えないような事なのかしら」

「実は怒られてました。鵺の邪魔をするなって」

「それは可哀そうにね! ざまぁみろ!」

 鵺さんは実に嬉しそうに笑う。


 ほんのついさっき頼まれた事が、いきなりどうでもよくなりそうな気分だった。


「テストも近いし勉強します」

 私は片付きかかっていた勉強道具を広げ直す。


「ふーん、暇でいいわね」

「暇じゃないです」

「勉強なんて趣味もないような暇人じゃないとやってられないでしょ」

「趣味くらいあります」

「何が趣味なのよ」


「……お、お菓子の食べ歩き?」

 鵺さんが爆笑した。

「何よそれ! そりゃ太るわ! もっとマシな趣味持ちなさいよ!」

「ぬ、鵺さんだって趣味ないですよね!?」


「私は鍛錬が趣味よ。日々、お兄様の役に立てるよう訓練しているの」

「鍛錬が趣味って女の子としてどうなんですか」

「私はそれが仕事だから当然でしょ」

「仕事なら趣味じゃないじゃないですか」

「この糞ガキ、言わせておけば……!」

 鵺さんは高速で間合いを詰めて来て、私の頬を指で抓った。


「あいったたたたたた」

「減らず口をたたくのはこの口か。悪いのはこの口か。このまま引きちぎってやろうか」

「ごめんなひゃい」

「ったく。口に気をつけろ。ほんと学習しない奴よね、あんたは」

 謝ると鵺さんは愚痴りながらも、開放してくれた。


 鵺さんと友達になるのは果てしなく難しそうだ。

 気分がコロコロ変わるので、もの凄く絡み辛い。


「いけない、あんたなんかと話してる暇なんかないんだったわ。ここ数日、まともに鍛錬してなかったのよね」

 鵺さんはそう言うと、羽織っていた浴衣を脱ぐ。

 浴衣の下はスポーツブラとショーツだった。


 お風呂入ったのに運動したら意味ないような……。


 そんな私を無視して鵺さんは腕立て伏せを始めた。

 軽々と十回、腕立て伏せをこなす。

 すでに私の記録の五倍だ。


 良く見ると鵺さんの体は、とても筋肉質だった。

 無駄なぜい肉は全然無いし、腹筋も綺麗に割れている。


「なのに胸おおきいとか反則だよね……」

「あん、何か言った?」

「独り言です」

 私は机に向いながら言った。


 単語帳を開くとさっきの続きを始める。

 テスト範囲の英熟語はあらかた覚え終わっているので、今は復習している。

 テスト一週間前は今までやっていた勉強のおさらいが主だ。

 美耶子の場合はテスト一週間前から勉強だけど。


 私は横目で鵺さんを見る。

 片手で腕立て伏せをしていた。

 やっぱり、すごい身体能力だ。


 女の人が真打ちになるのは大変だと言っていた。

 男の人に勝てるくらい訓練をするのは大変だっただろう。

 遺伝的に男の人は女の人より力仕事をしやすい体になっている。

 それなのにハンデのある世界に飛び込むのは、並大抵の覚悟で出来るような事ではない。


 でもそれを跳ね返すほど、鵺さんは羅刹さんの事が大好きなのだ。


 鵺さんは腕立て伏せを止め、腹筋をしている。

 何だかその姿が可愛く見えた。


「鵺さん」

「何よ」

 鵺さんは腹筋をしながら答える。


「一緒にシュークリーム食べませんか」

「要らないわ」

「一緒に食べましょうよー。フロマージュのシュークリーム本当に美味しいんですから」

「要らないって」

 鵺さんは腹筋を止めて答えた。

 私はその言葉を無視して冷蔵庫からシュークリームの箱を取り出す。

 箱を開くとシュークリームの甘い香りがふんわり広がった。


「太るんじゃなかったの」

「明日、沢山運動するから大丈夫ですよ。そういう事にします」

「あんた自分に甘いわよね」

「甘いものに関しては甘くなっちゃいます。甘いだけに」

「オヤジか貴様」

 私に突っ込んだ鵺さんは筋トレを止め、冷蔵庫から水を取り出して口に含んだ。


「鵺さんは甘いもの嫌いですか?」

「あんまり好きじゃないわね、特に洋菓子は。しつこくて、これでもかってくらい甘いから」

「そんな鵺さんにこそお勧めしたい、このシュークリーム!」

 私は箱から出したシュークリームを、ズバッと鵺さんに突き付ける。


「ここのはその辺にあるシュークリームとはレベルが違います。中のカスタードクリームは甘さ控えめでしつこくなくって、外のシューはパン屋で修行したパティシエさんがシュークリームの為に開発した特別なもので、外はサクサク中はふんわり、さらに小麦の香りとバニラの」

「め、目がマジよあんた」


「とにかく食べてください。ね? ね? ね?」

 鵺さんは冷たい目で私を見る。

「おいしいですよー?」

 私は笑顔でシュークリームを勧める。


「……」

 鵺さんは無言でシュークリームを受け取り、一口食べた。


「どうですか?」

「――ま、まあまあね」


 まあまあ……。


 私にとって最強のシュークリームを『まあまあ』と言われるのは結構ショックだった。

 ダージリンティーの件もあるし、鵺さんって実は凄いグルメなんだろうか。


「まあまあですか……」

 私はショックを受けたままシュークリームを頬張る。


 カリッとした食感の後にふんわりとした食感。

 鼻孔を刺激するバニラと小麦の香り。

 そして適度な甘さでしつこくないカスタードクリーム。


「最強だと思ったのになぁ」

 鵺さんを見ると、指を舐めていた。

 シュークリームはもうない。


「あれ? 鵺さん、もう全部食べちゃったんですか?」

「あ? え? えーと、その、あんたが食べるのが遅いのよ! ちまちま一口ずつなんて」


 いや、明らかに鵺さんの食べるスピードは異常だった。

 鵺さんは一口ずつとか言ってるけど、私はまだ一口しか食べていない。

 私は鵺さんをじーっと見つめてみる。


「ずっと戦いに身を置いてる私達はね、食事に時間なんて割いてられないのよ。食事をしている時は一番、無防備だと言われてるんだから」

「じゃあ鵺さん、もう一ついかがですか?」

 私は鵺さんの言葉を遮り、箱からシュークリームを、もう一つ取り出して突き付ける。


「い――要らないわ。そんなの……」

「鵺さんは運動するからちょっとくらい食べても太りませんよ。今度は味わって食べたらどうですか」


「……」

「どうですか?」

「仕方ないわね。食べてあげるわよ!」

 鵺さんはシュークリームを私から奪い取るように掴むと一口、頬張った。


「美味しいですか?」

「――まあまあよ」


「なるほどー。まあまあ、ですか」

 私は含み笑いをしながらシュークリームをもう一口、食べる。

 鵺さんは本当に天邪鬼な人だ。


「あ、お茶いれよっと」

 この部屋には備品でお茶の葉が置いてあったはずだ。

 お湯を沸かす小さな電熱器もちゃんと備え付けてある。

 本当なら紅茶とかがいいんだろうけど、わざわざ買いに行くのも面倒だから日本茶で我慢しよう。


「鵺さんもお茶、要りますよね」

「もちろん」

 私は水道で備品の急須に水を入れ、電熱器の上に置いた。


「お湯が沸くまで待ってて下さいね、鵺さん」

 振り向くと鵺さんは指を舐めていた。


 シュークリームが無くなっている。


 私は鵺さんをじっとりとした目で見る。

 鵺さんは無言で私の視線を受け流した。

 私はあえて何も言わずに鵺さんの前に座る。

 部屋にお湯が沸く音だけが響く。


 私はシュークリームを持つと一口ずつ、ゆっくり味わって食べ始める。

 見せつけるように、じっくりと。

 鵺さんは、そんな私をじーっと――いや、私じゃなくてシュークリームをじーっと見ていた。


「……」

「……」

「……」

「……」



「……鵺さん、よだれ出てますよ」

「なっ!? え!? 嘘!?」

「嘘です」


 殴られた。


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