第二十話「紅玉と緑柱石」
鵺は見里に向かって走る。
見里の能力がどんなものか、まだはっきりとは分かっていない。
真打ちの存在は分家が里から出た後に判明したからだ。
その一方で、鵺の能力は分家側に全て把握されていた。
それならば先手で致命傷を与えるのが最善である。
鵺と見里は実際に手合わせした事が無い。
だから相手の予想を遥かに超える技で、対応する間なく殺す。
「死ね」
鵺は短く別れの言葉を告げると、右手に全ての力を集中させた。
細身である鵺の剣は斬る事より突く事に長けている。
神速の突きに炎の力を乗せる事により、爆発的に威力を高めるのだ。
あんな不格好な剣だか槍だか分からないもので防げる一撃ではない。
鵺は渾身の力を込めて突きを放った。
見里は完全に間合いの外。しかし距離は炎が解決してくれる。
不可視の熱線が突きと同じ軌道で放たれる。
この神速の突きから放たれる不可視の何千度にもなる熱線こそが鵺の奥義であった。
先手として、奇襲技として、さらに即死技として、鵺も自信を持てる会心の一撃。
――だが、その一撃を見里は避けた。
正確には避けきれていない。
だが見里の剣を僅かに溶かしただけだった。
「――っ!?」
鵺は会心の一撃をあっさりと避けられ、思わず動揺する。
だが鵺は気を持ち直し、見里に接近する。
必殺の一撃は避けられたが、戦いは始まったばかりだ。
見里の剣は巨大である。
接近してしまえば圧倒的に鵺の方が有利だ。
なのに見里は鵺をけん制する事も無く、鵺を至近距離まで招き入れた。
「凄い一撃。当たっていたら死んでいたかも」
それどころか喋る余裕すらある。
「舐めるな!!」
鵺は見里の心臓めがけて突きを放った。
「見里さん!」
後ろで赤錆が叫んだが、もう遅い。
突きは確実に相手の心臓に届く。
巨大な剣での防御も間に合うまい。
この一撃で見里は死なないだろうが、しばらく動けなくなる。
動けなくさせれば、後はどうにでも――。
「相手の能力を見極めずに戦うのは危険よ、鵺」
そう言った途端、鵺の剣が何かに弾かれる。
当然、剣先は逸れ見里の服を掠めただけに留まった。
突然、現れた黒いモノ。
それを理解するのに鵺は僅かに時間がかかった。
その時間が命取りだった。
鵺の体を無数の黒いモノが貫く。
「ぎッ!?」
全身を走った激痛に思わず膝をつく。
「鵺さん!」
赤錆がまた叫んだ。
一体、あいつはどっちの味方なのか――。
鵺は苛立ちながらも見里の剣を見る。
複雑に絡み合った木の枝は『解けて』枯れ木のように広がっていた。
いや――恐らくは、これこそがこの剣の、本来の姿なのだ。
鵺の剣は枝の一本に弾かれ、そして広がった枝に体を貫かれたらしい。
枝が針のように細く、刺さりが浅かったのが幸いだった。
もしまともに刺さっていれば戦闘不能になっていたのは自分だっただろう。
それでも痛みは全身を襲っていた。
動きを妨げるには十分だ。
「最初の一撃は予想していました。鵺なら間違いなく一撃目に奥義を放ってくるって。その後、真っ直ぐ突っ込んで来たのも予想通りです。まあ予想してたのに、それでも避けれなかったのは驚きでしたけど」
見里はそう言ってから、指をぱちんと鳴らした。
その瞬間、鵺の足元から植物が伸び出る。
植物はまるで意志を持っているかのように、鵺の足に絡みついた。
「な……!?」
こんな事態など予想できる筈もない。
逃げる暇なく爆発的に成長した植物は鵺の全身を絡め取る。
「動かないで下さいね。植物だからって甘く見てると死にますよ」
鵺に絡みついたのはイバラだった。
だが薔薇の花に生えているような半端なトゲではない。
長さ十センチ近い鋭い木の針が無数に生えたものだった。
柔らかな人肌であれば有刺鉄線より遥かに凶悪な代物である。
「一応、刺さらないよう生やしていますから。動いたら知らないですが」
見里は鵺に一言告げると、赤錆に向かって近づく。
赤錆は見里を見て恐怖しているのか動かない。
「み、見里さん、どうして?」
「新しい真打ちの力を調べてこいと言われてしまったんです。実は今日の本命は鵺さんより、赤錆さんなのですよ」
「――!!」
その言葉を聞いた鵺は頭にカッと血が昇るのを感じた。
自分を差し置いて、赤錆が本命?
羅刹の真打ちである事に誇りを持っていた鵺は、プライドにヒビが入った気がした。
「ふざけるんじゃないわよ」
膝をついていた鵺は立ち上がる。
イバラが体中に突き刺さった。
「痛いわね鬱陶しい!」
鵺はイバラが突き刺さるのも無視して右手を動かし、イバラを切り払う。
鵺の剣に触れたイバラは燃え上がり、全て消し炭となった。
体のあちこちから血が流れ出たが、今は痛みより怒りの方が勝っていた。
「何て無茶を……」
それを見た見里が思わず顔をしかめる。
真打ちだからといって痛みは減少しない。
確かに核さえ無事ならば無限の再生能力があるが、瞬時に再生する訳ではない。
あのくらいの怪我だと何分かは痛みに耐えねばならないのだ。
だが鵺はそんな事を気にしてもいなかった。
謀反を起こした分家への憤りと、赤錆が真打ちになってからのストレスが一緒になって、鵺の怒りを増幅させていた。
「お前は焼き殺す。塵も残さない」
ただでさえ自分の居場所を部外者に踏み荒らされているのだ。
しかも部外者は、自分がどれだけ大きな存在になっているかも知らずに、人前で能力を使いかけ、羅刹には従属しようともせず、役にも立たない。
そんな奴が自分より重要と言われればいい加減、堪忍袋の緒も切れる。
羅刹の決定に従わない分家など皆殺しだ。
塵も残さない。
大事な羅刹と自分を遠ざけるような者は――何よりも大事な羅刹を軽んじる者は、全てこの世から消えてしまえばいい。
鵺は煮え滾る怒りを剣に乗せ、力を開放した。
鵺の剣が高熱で赤く染まる。
さらに赤から、白い色へと炎の色が変化する。
「鵺、本気ですか? それを使えばしばらく動けませんよ」
見里は鵺を見ながら話しかける。
だが鵺の目は殺気に溢れていて、話など届く様子でもなかった。
「ふぅ……赤錆さん、もう少しだけ待って下さいね」
見里は赤錆に話しかけると、鵺に向き直った。
「――私がどうなろうと知った事か。お前は殺す」
鵺の言葉と共に剣が白から青へと、さらに変色する。
剣を持つ右手から白煙が上がっていた。
「……鵺さん!?」
異常に気付いた赤錆が叫んだ。
辺りに漂う肉の焦げる臭い。
剣が使用者をも焼きつくそうとしているのだ。
鵺の剣は使用者の限界を突破して、その温度をさらに高めようとしていた。
「鵺らしい技ですよね。人刀の限界を超えた熱量を携えて放つ神速の突進突き。相手を倒すには飽き足らず、技を使った本人も大怪我を負うような諸刃の技。それゆえにあらゆる防御も回避も不可能――でしたっけ」
一度、使用して動けなくなるような技は武器としてマイナスである。
では、なぜそんな技があるのか。
コレは対人刀用にのみ編み出された決戦奥義だ。
見里は事前に手に入れていたデータで、その奥義を知っていた。
「見里さん、逃げて……逃げてください!」
「大丈夫ですよ。死にはしません」
「う、嘘です……あんなの、無理です」
赤錆は鵺を見ながら震えていた。
鵺の姿は、まるで地上に現れた太陽の様だった。
「ふふ、まともにぶつかれば一溜りもないでしょうけど――」
見里は公園を見る。
あそこならば十分な成長が期待できるはずだ。
見里は赤錆を巻き込まないように公園の方へと跳んだ。
「逃げられないわよ。この突きの射程は数キロにも及ぶから」
「逃げませんよ。場所を変えただけです」
見里はポケットから植物の種を取りだし地面にばら蒔く。
鵺の奥義が炸裂するまでに、まだ少しの猶予がある。
それまでに見里の迎撃準備は整うだろう。
「それは良かったわ。それで最後に言い遺したい事は?」
「そうですね……」
見里は一瞬、地面に視線を走らせる。
地面からは小さな芽が数本生えていた。
準備は万全。
後は実際に通じるかどうか。
見里は少し考えてから、こう言った。
「突っ込んでくるのはまだですか? おまけさん」
その瞬間、鵺の姿が消えた。
赤錆には見えなかった。
鵺は熱で起きる爆発力を利用し跳んでいた。
その衝撃で両足の骨が粉々になり、足の肉は焼け焦げる。
だが恐るべきはその突進力だけではない。
極限まで高めた熱により、近づいただけで鉄が蒸発する程の高温をまとった剣の一撃は、幾ら人刀でも一溜りもない。
使用者の体すら焼く、人刀の能力を限界まで酷使した奥義。
技を理解していたとしても対処など出来ない。
鵺はそう信じていたし、それだけの威力がこの技にはあった。
見里は鵺が消えた瞬間に、後ろへと跳ぶ。
ただ跳んだだけでは瞬時に距離を詰められて終わる。
鵺の突進速度は人の足で回避しきれるようなものではない。
しかし見里が飛んだのは、鵺の攻撃を避ける為ではなかった。
「伸びよ」
見里は短く呟く。
見里の意志に従い、蒔いた種が芽を出し、瞬時に成長する。
だが植物などで鉄を溶かす一撃を止められるはずもない。
鵺は伸びた植物を無視して、その奥にいる見里へと突進する。
その瞬間だった。
爆音と強烈な衝撃波が鵺を襲った。
植物に触れた瞬間に、何故か植物が爆発を起こしたのである。
その威力に鵺は吹き飛ばされ、悲鳴を上げる暇なく地面を転がる。
突きは外れ、地面を抉り溶かし、蒸発させた。
鵺は地面を熱で削りながら、見里の遥か後方で、やっと止まった。
「げほっ……ごほっ」
鵺は仰向けに倒れたまま血を吐いた。
体が動かない。
視界がグルグルと歪みながら回る。
耳は聞こえていなかった。
だが意識は何とか保っていた。
何が起こったのか分からない。
植物に爆発物を仕掛けていた様子なんかなかったし、そんな暇など無かったはずだ。
それなのに……。
「ごめんなさいね」
仰向けに倒れる鵺の横に、見里が立った。
見里自身も爆発のせいか、全身に傷を負っていた。
「水蒸気爆発、知っていますか?」
鵺は言葉を発しようとしたが声が出なかった。
「さっき伸ばしたのはウツボカズラ科のオオウツボカズラです。多肉植物のサボテンやアロエでも良かったのですが、含まれている水分で十分な爆発が起きるか不安だったので、しっかりと水を貯め込んでいる植物にしました」
見里は焼け焦げた植物の破片を鵺に見せながら言う。
「要するに熱すぎるのですよ。対物にはいいんでしょう。だけど強力すぎて生物に使うには適していません。これでは突進技ではなく特攻技ですね」
鵺は体を起こそうとするが、まったく動かなかった。
鵺は目だけを動かして自分の体がどうなっているのか見てみる。
「……っ」
見なければ良かった。
自分でもどこがどうなっているのか、良く分からない事になっている。
痛みを感じていないのが唯一の救いだった。
「私自身、上手く行くとは思っていませんでした。失敗すれば間違いなく核ごと蒸発してたでしょうし。とりあえず経験と運、ちょっとの知識差があれば、分家の真打ちでも宗家の真打ちを破る事ができる事が証明された――私の主人も、きっと喜ぶ事でしょうね」
「――っ!」
身を震わせる程の屈辱に鵺は奥歯を噛む。
「鵺は真打ちになって、二年ほどですよね。私、実は五年ほど前から真打ちなのです。年の功ってやつですね」
「――ゴボッ」
そんな前から――と喋ろうとしたが、口から零れたのは言葉ではなく血だけだった。
何という無様な姿だろうか。
これでは羅刹に合わせる顔が無い。
こんな恥を晒すなら、このまま死にたい程だった。
「幸い核は傷ついていないようですし、何日かすれば治るでしょう。殺すつもりは無かったので良かったですよ」
つまり自分が本気で殺す気だったというのに、見里は殺さないように手加減していた――という事なのだ。
その事実は、さらに鵺を深く抉った。
「さてと、しばらくそこで寝ていてください。私は赤錆さんと話して来ます」
見里は鵺の視界から消える。
見里の目的は鵺ではなく、赤錆の能力を見極めるのが任務だった。
鵺との交戦は覚悟していたが、データでしか見られなかった鵺の能力を実際に確認できた上に、理論上でだけの奥義対策が実際に有効であるという成果も出せた。
さらには、あの宗家の真打ちを倒してしまったのである。
虐げられてきた分家にとっては、何百年も願い続けた夢――悲願が達成した瞬間だろう。
「――っと、そんな事はどうでもいいですね。とにかく赤錆さんの能力を調べないと」
だが見里はその事を気にもしていなかった。
分家の悲願など見里にはどうでもいい事だった。
赤錆は地面に、まだ伏せている。
水蒸気爆発にびっくりしたのだろう。
頭を抱えてぶるぶると震えている。
「――本当に可愛い子ですね」
いつの間にか見里は優しい表情を取り戻している自分に気付いた。
こんな表情は真打ちになった時から、恐らく死ぬまでしないのだろうと思っていた。
見里は地面で蹲っている赤錆に近づく。
この子は余りに、自分達の世界から遠い。
出来る事なら普通の世界に戻してあげたい、と見里は思った。
見里は地面で震えている女の子に、自分に出来る限り優しい声で、こう言った。
「――お待たせしました、赤錆さん。また少しだけ、お話をしましょうか」




