第二話「作り変えられた体」
意味が分からなかった。
奴隷制度は随分前に廃止になった、と授業で習ったのだけど……。
「君は見てはならない場面を見てしまった」
私の脳裏に人殺しの瞬間がフラッシュバックする。
シーツをぎゅっと掴む手が、勝手に震え始めたのを感じた。
「普通なら殺すしかない場面だったのだが、少しばかり同情を感じてしまったのだ。君が排水溝に詰まっている姿を見て」
今度は恥ずかしさで手が震え始めた。
「あれは傑作だったわー。どうして走って逃げずに排水溝何かに入ってたの? しかも浅いから背中丸見えだったし!」
鵺さんはそう言って笑う。
「パニック状態だったんだ。仕方ないだろう」
羅刹はフォローしてくれた。
「確かにお兄様の言う通り、いきなりバラバラ人肉が落ちてくる場面を見たら焦っちゃうかも知れませんわ。でもフツー排水溝選びませんよねぇ?」
「平和ボケしているただの女子高生だ。仕方あるまい。我々とは育った環境が違うのだ」
何だか色々酷い事を言われている気がするけど、私は黙って震えている事にした。
「とにかく同情を感じた私は君を、人刀にした」
「じ……?」
聞きなれない言葉に私は首を傾げる。
「じ・ん・と・う。人の刀って書いてジントウって呼ぶのよ」
「人刀というのは人を刀にしたものだ」
説明が簡単すぎて、意味が分からなかった。
私を刀にしたと言っていたけど、別に体のどこかが刃物みたいになっている事はない。
「あの、意味が分からないんですけど……」
「あ、そっかー。わかんないよねぇ。ただの女子高生だもんねぇ」
鵺さんはまるで私の事を馬鹿にしたような口調で言う。
というか多分、馬鹿にしていた。
「人刀というのはだな――」
「任せてください、お兄様。説明は私にさせて下さい」
羅刹が口を開いたのを鵺さんが遮った。
しかし鵺さんって羅刹と会話する時だけ、露骨に口調が違うような……。
他にも色々な疑問が浮かぶけど、余り質問できそうな雰囲気ではなかった。
「じゃあ、あなたにも分かるように説明するわよ」
「は、はい……」
「人刀術って技術があってね。それを使えば人間を刀に出来るのよ。その術で刀にした人間は術者の僕――まあ奴隷みたいなもんね。奴隷になって術者が死ぬまで一生、尽くす事になるの」
「……」
意味が分からない。
「一応、自由意思はあるけどお兄様の言う事には基本的に逆らえないから。後は追々、分かってくるとは思うけど」
私は羅刹を見る。
羅刹は口元を歪めて微かに笑った。
その笑顔がとてつもなく怖い。
「あの、何かの冗談ですよね?」
「本気だ」
「う、嘘、ですよね?」
「本当だ。赤錆、服を脱げ」
「え?」
と口だけは動かせた。
でも体は勝手に動いている。
「――え! ええ!?」
私の右手は勝手に動いて、シャツのボタンを外していく。
止まらない。
全然、止まらない。
止めたいのに、右手は一瞬の躊躇もなく、一切の遠慮もなく、私の意思に反して勝手にボタンを外していく。
すぐに胸元が露わになった。
「どうだ、分かったか?」
「わ、分かりました! 分かりましたから止めて下さい!」
私は顔を真っ赤にしながら懇願した。
右手はさらにボタンを外そうとしている。
このままでは胸をさらけ出すのも時間の問題だ。
「よし、止めろ」
羅刹がそう言った途端に、私の右手に自由が戻った。
「お兄様、ちょっとデリカシーが無いですわよ」
「ふむ、これが女性にとって一番、嫌な行為だろうからな。それを無理矢理させるのが一番だと思ったのだ」
「確かに一番かもしれませんけど……」
鵺さんが私を見る。
私は勝手に溢れる涙を止める事も出来ず、ボタンを留め直していた。
恥ずかしいのや、悲しいのや、怖いのや、その他の色々な感情がごっちゃになっていた。
何より自分の思い通りに動かない右手がショックだった。
嘘だと信じたかったけど、右手は本当に動かなかった。
羅刹が私に死ねと命じたら、私の右手は本当にそうするかもしれない。
そう思った。
「済まなかったな。もしかして肌を他人に晒すのは初めてか?」
「うっ……うっ」
「最近の女子高生って遊んでる子が多いって聞くけど、そうでもないのね。まあ赤錆さん地味だし、遊んでなさそうだもんね」
「うっ……うぇええん」
地味は余計だと思った。
気にしていたのに。
「とにかくこれからは私の命令に従ってもらう。まず見た事を話そうとすれば、死ぬ事になるからな。それから人刀の事を話せば死ぬ。とにかく我々に関する事を話せば死ぬ」
死ぬばっかりで救いがない。
「後は赤錆の自由にしていい」
羅刹の意外な言葉に私は目を丸くした。
奴隷と言っていたから、家事とか、いやらしい事を色々とさせられるのかと思っていた。
でもそんな事はないみたい。
「え、それでいいのですか!? お兄様!」
「構わん。元々は唯の女子高生だ。役に立つとは思っていない」
そう言われると何とも言えない気分になった。
中学生の時から一人でずっと寮に住んでいたから、それなりに家事は出来る自信がある。
でも、それを言ってしまうと本当に何かさせられてしまいそうだったから黙っていた。
「私もお前を人刀として使おうとは思わん。運動神経も鈍そうだしな」
「確かに鈍そう」
「……」
運動神経が鈍いのは本当なので、やっぱり私は黙っていた。
「だが、忘れるな」
急に羅刹の目が鋭くなった。
それだけで私の心臓はギュッと縮みあがる。
あの時の目――人を殺していた時にしていた目だ。
「お前は常に監視されている」
羅刹の指が、私の額に伸びた。
そして――。
「う――!?」
私の額に羅刹の指が、ずぶり……と潜り込んだ。
痛みは、なかった。
でも額に指が突き刺さっているというのだけは分かる。
逃げたかったけど、逃げられない。
体が言う事を聞かなかった。
「いつも見ているぞ」
羅刹は潜り込ませた指を動かす。
指が私の中にある何かをコツコツと叩いた。
頭の中には脳があるはず。
でも私の頭の中に、何か固い物があった。
骨――じゃない。
骨なんかきっと貫通してる。
だって人差し指が根元まで、額に潜り込んでるんだから。
という事は何かが、私の頭の中に、入っている?
「――では、我々は帰る。これからよろしく頼む」
「お大事に、赤錆さん」
羅刹が私の額から指を引き抜いた。
その瞬間、意識がふっと遠くなる。
私は遠くなる意識をつなぎとめられず、そのままベッドに倒れ込んだ。