惑わせる時間
わらしはどうやって着物を着るのだろう。いつもしっかりと整った状態で着こなしているが。俺は何度か遥が夏祭りの浴衣で、苦戦しているのを見たことがあるので簡単に着用することができないのを知っている。どうしているのか、ただ熟練者なだけなのか、まったくもって謎である。訊こうとも思ったがやめておいた。俺がそう考えているのにわらしが話題にしないのは、何か言わない理由があるのだろう。
喜々としたわらしに急かされ、結構なスピードを出して自転車を走らせたので息が上がってしょうがない。そしてわらしは電気屋に入るなりすぐさま、エスカレーターを小さな歩幅でちょこちょこと駆け上がって、マッサージチェアの方へと行ってしまった。
さて、どうしたものか。俺はここに来ても特にやることがない。暇だ。閑暇極まりない。入口の端に設置されてあった硬い木製の長椅子に座り数分思案する。寝るという選択肢も浮かんだが、やはりここでしかできない、スマホを弄ることにした。
エスカレーターに運んでもらい二階へと進む。
スマートフォン売り場を一通り眺めてから使えるスマートフォンに手を伸ばしたとき、タイミングが悪かったのか、隣にいた女性も手を伸ばし、相手の指に一瞬触れて、一瞬で手を戻した。……意外に気まずい。戻した手は隣と同様もう伸ばさず、無言で止まってしまった。止まったといえど一瞬であり、彼女はもう走り去っていった。感覚的には少し長かったように感じたが振り返って考えてみれば一瞬だった気もする。不思議な人だ。というかロマンチックな展開だった。しかしだからといって後ろ姿をお追いかけるようなことはしなかった。後ろ姿からして同級生か一つ上くらいだ。俺の好みではない。
そこからは、ただまあ、スマホを普通に弄った。使い方のわからない機能に頭を少々捻る事もあったが基本的な機能は堪能できた。
俺はスマホを持っていない。それどころかケータイすら所持したことがない。ラインなどが一般通話機能化した今、俺は時代に、完全に、完膚無きまでに、取り残されてしまった。現代人として生きていない俺はいつの日か棒の先に矢尻をつけてウホウホしているかもしれない。
スマホに飽きればテレビを視聴したりカメラを物色したり、とにかく暇を潰し結構な時間が過ぎた。
腕時計に目をやると腕時計をつけていないことに気づいた。おそらくわらしに急かされながら、焦って出てきたので机の上に置いてきてしまったのだろう。
起きたの十時だからおそらく、そろそろ十二時だ。わらしを呼びに行って帰るとするか。
行ったとき、わらしは寝ていた。ぐっすりとすやすやと、ブルブルと小刻みに揺れるマッサージチェアに揺られていた。口からはよだれも垂れている。寝ているだけなら本当に子供のようだ。
マッサージチェアのストップボタンを押したときにちょうどわらしは目を覚ました。よほど気持ちよかったようで少しの間ぼーっと横になったままだったが、むくりと体を起こした。
周りに変な目をされたくないのでさりげなくわらしに話しかける。
「わらし、そろそろ帰るぞ」
数秒間無言でとろけたような顔をしていたが「はぁぇ」となんとも間抜けで可愛い声を上げた。
「すみません英一様、帰りますか」
「もうそろそろ十二時だろうからな」
帰り、エスカレーターを降り目を疑った。……外が、暗い……。
わらしも目を白黒させていたがわらしの目が白でも黒でも外は黒く、暗い、暗闇である。
「外が暗く見えるのは俺だけか」
「いえ、私の目は白目の部分と黒目の部分があります」
「外は何色だ」
「白と黒です」
「それは目の色だ。今何時だ」
「私のスマートフォンでは二十二時十三分です」
落ち着こうと必死に状況分析をしようとしたが考えを巡らせば巡らすほど頭が停止しそうになる。そんな状況の俺にわらしは俺の手を優しく握り、引っ張りながら長イスへ座るよう促した。
座ってから少し経ち、やっと落ち着いてきたとき、わらしが話し始めた。
「私はこの現象を知っています。これは妖怪によるものです。こんなにも時間を操ることが出来る妖怪は限られてきます。おそらくは『猫』でしょう」
「猫?」
「当然ながら普通の猫ではないです。あくまでも人からして妖怪の類、私から見れば獣です。見た目は愛くるしいですが」
「そいつは簡単に見つかるのか」
「時間を操れる範囲には限界があります。おそらく店内のどこかでしょう」
「当てはないと」
「はい。この獣を捕獲できればこの現象は終熄するでしょう。しかし、この獣はとても素早いです。見つけ次第速やかに捕獲しなければなりません。正直、出来るかどうかは微妙です」
「やるしかない」
俺が立ち上がるとわらしは座ったまま呟いた。
「普通ではおかしいのです。本来あの獣は、妖怪ならまだしも人には決して近づかない。この現象はその猫に触れた者だけにしか起こりません。心当たりはありますか」
「その猫ってもしかして化けたりなんか……」
「多少は出来るようです」
心当たり、ありすぎだ。
「そうですか、手を伸ばした時に……」
「わらしは触ったのか」
「マッサージチェアに揺られている時に頬を連打された気がします。おそらくそれでしょう」
「連打されたなら起きろよ」
「心地よい16ビートだったので、つい」
「いや、なおさら起きろよ!」
「あの時起きていれば捕まえることも可能だったのですが。……とにかく探しましょう、急がなければ」
俺はひとつため息を吐き出し、わらしとともに、再びエスカレーターを上った。
読んでくださってありがとうございます。
今年中にこの『惑わせる時間』を終わらせようと思っているのですがなかなか先に進まないものでして。
次回もよろしくお願いします、とは思いませんが暇の閑の極地にたどり着いた時にはどうかよろしくお願いします。