入部
結局、一度も攻撃できず一方的にやられ体中が痛い。特に胴は竹刀ではなく木刀を使ってやったんじゃないかと錯覚するほどの痛みだ。
現在、屋上のフェンスに二人で寄りかかり休憩している。もう動けない。
「いや、悪かった。ここまでやるつもりはなかったんだ」
「もっと手加減してくださいよ。骨が砕けるかと思いました。」
「大袈裟な、そんなに私は強くないし」
「ご謙遜を、それだけの強さがあれば十分でしょ」
「そういえば、今までで初めて強いって言われたな」
俺は首を傾げた。さっきの試合では俺が剣道未経験者だから先輩が勝ったというわけではないと思う。正直俺は、剣道は未経験でも一回くらいは先輩に竹刀が当たるだろうと思っていた。しかし実際にはまったくと言って当てることができず敗北した。
「もしかして先輩って……あの……死んでから剣道やり始めましたか」
これならありえる。生きているうちは剣道をせず死んでから剣道をやり始めれば幽霊を見ることができる人など極わずかなので強いと言われることはないだろう。
「別に大丈夫だぞ、言い淀まなくても私は自分が死んでいるともう自覚している」
悪いと思い若干言い淀んでしまった部分を不快に感じたのか、返答するよりも先にため息混じりで先輩は言う。
「私は生きている時でも剣道をやっていたぞ、高三の総体までだけど」
「退部してからは何をしていたんで……」
まずい発言をしてしまった。先輩はもう死んでいるのだから総体まで部活やっていたということは総体までは死んでいなかったことになる。それなのに総体が終わってからのことを訊くなんてどうして死んだんですか、と尋ねるようなものだ。
「過去の話を聞きたいのか」
「いえ、そういうわけでは」
「別に構わん、減るものではないしな」
先輩は伸ばしていた足を折りたたみ三角座りの姿勢をとり夜空を見上げる。口元には若干の笑を含んでいるものの横顔はどこか悲しそうに見えてしまう。まるで俯いたときに無理やり顔を上げたような感じだ。
「じゃあ、私のヒステリーでも話そうかな」
言葉の間違えは、今から始まる暗い話を少しでも滑稽に話そうとする些細な冗談のように聞こえた。
私は小三のとき父親の勧めで剣道をやることになってな、半ば強制的に入門させられたが苦痛ではなかった。むしろ好きだと言っていい。そのとき同じ道場にちょうど同級生がいてその子がかなり強くて私はその子に憧れた。惚れたと言ってもいいかもしれない。
家が近かったみたいで中学校でその子と一緒になった。私はもちろん剣道部に入部して、彼女も剣道部に入部した。でも彼女は真面目に剣道をやらない、剣道場に来ては部活をせず複数の友達と談笑していたよ。でも試合ではやっぱり強くて余裕で関東大会に行っていたな。
英一、さっきから聞いているのか私の話、まぶたが重そうだぞ。
で、私は功績を特に残さないままここの高校へ入学した。なにか縁があったようで彼女もここに入学した。そのときの私は未だに彼女を目指していたんだ。もちろん高校でも私は剣道部に入部した。彼女も剣道部に入部していたが部活には来なかった。俗に言う幽霊部員だな。私は今までと同じく剣道に励み、努力した。でもやっぱり私はどの大会でも勝ってなかった。努力は人一倍していたし勝ちたいという信念も人一倍強かったと思う。でも私は強くなかった。それで、なんだかんだやっているうちに最後の総体前日。私は剣道場で練習をしていたときに言われたよ、彼女に。
「何で無意味な努力してるの?」
ってね、あれほど悔しかったことはないしあれほど自分を惨めだと思った瞬間はない。いくら練習をサボっていたとはいえ彼女は実際に強かった。まだ憧れていたんだ。ほんと間抜けだよな私って。
そしてとぼとぼと家に帰る途中でバン、私はトラックにぶつかった大型のだ、前方不注意、あのときの私には判断力がなかった。
話の余韻が夜風に溶け込む前に先輩は口を開いた。
「私の努力は無駄だったと思うか」
……なんて言葉を返せばいいのか分からない。何も思いつかない。返す言葉が頭の中に存在しない。黙っていてはいけないと思いつつ、返答しない俺のせいで沈黙が続いてしまう。
夜の静寂が深さを増した。
「努力は……かなりリスキーな行為だと思います。挫折すれば傷つくし挫折を乗り越えられなければただ傷ついただけで終わってしまう。そしたら努力したということは無駄はおろかトラウマになってしまうかもしれません。でも……先輩の努力は無駄ではなかったと思います。努力が結果として見えなくても努力したと自覚することができるのならそれで十分ではないでしょうか……」
空気の質量が増した気がした。
失言だっただろうか。咄嗟に口から出た言葉に失礼がなかったか何度も言った言葉を脳内で繰り返してみる。
さっきまで早く帰りたいと思っていたのにそれすらも忘れさせるほど重く沈んだ空気が夜風にも流されず、そのままここにとどまっている。
独り言のような小さな声で先輩は呟いた。
「私がもし妥協して、君が言った、努力したと自覚できるのなら十分と思えていたら、要するに自己満足で目標をとどめておけてたのなら私は死なずに済んでいたのかもしれない。もっと冷静に考えるべきだったな、あのときの私は。……このままの空気では気分が悪い、何か話を変えよう」
俯くのをやめ普段の表情に無理やり戻したせいか、どこか自然ではない。でもここで話が変わるのはありがたい。さて、何か話題があるだろうか。
「あ、そうだ……夜直し部には入部するのか?」
「まあ、一応は入部届けだしましたから」
俺がそう言うと先輩は鼻で笑いはっきりと言い放った。
「幽霊部員になるな」
ぎくり……なぜ知っている、それを目指していたことを。事実なので反駁することはおろか否定もできない。
「少しぐらいは遊来に負い目を感じているんだろ、まさか忘恩したなんてことは……」
なんで先輩は俺に何があったか知ってんだ! クライアントの秘密は厳守するって言ってたのに……。
「私も強制的に入部させることはできない、が、恩は返しておいたほうがいいんじゃないか」
「恩ですか、そうですね、返しておかなければならないですね」
ここでふと腕時計を確認する。約二時二十分。意外と時間が経っていた。時間を把握すると急に眠くなりまぶたが引力に負けそうになる。
「さて、そろそろ帰ります」
「そうか、元気でな」
俺が立つと同時に先輩も立ち上がった。見送ってくれるのかと思いきや寄りかかっていたフェンスの方の点々と灯る弱々しい夜景を眺めた。
帰ろうとドアに近づき、開ける。先輩を一瞥したがこっちは見ておらずただ呆然と夜景を見ているようだった。
悄然とした少しなで肩の後ろ姿に何も声をかけられなかったことを、俺は後で後悔した。
投稿するのが遅くなりすみません。
気づけばもう八月、カレンダーの前でよくにらめっこをしています。全然笑えませんが(泣)
気が向いたらで構いませんのでなんでも感想、お待ちしております。