此岸黒華を愛してる
少し肌寒い、裏庭の泉の前。春の裏庭には、真っ黒い彼岸桜と、真っ白な菫が咲いていた。
私は死に仕えている。
そう言うと、アンジェロは優しく笑って頬を撫でた。
「俺と違うって、言いてぇのか」
「うん。お父様とは同じだけど、アンジェロとは違う。私は、本物だから」
「俺は、偽物か?」
「そうだよ。本物の吸血鬼じゃない」
「俺にも本物になってほしい?」
「どうかな。アンジェロの温かい手が好きだから、偽物でいて欲しい」
アンジェロが頬を撫でる手の上から触れる。温かい手は、いっそ熱くすら感じる。大きくて、温度のある手に撫でられるのが好き。
―――――本物。私は死に仕えている。
純血種は、本物の吸血鬼。特に織姫は純血種の中でも特殊な存在だ。真祖と純血種の間に生まれた、その存在は奇跡どころか道化と言っても良かった。
魔法によって力は抑え込まれている。
変身は出来ない。力も強くはなく、人間の成人男性程度。日光を浴びる事は出来ない。血液しか飲めない。十字架や神聖なものが恐ろしい。鈴の音や鐘の音ですら恐怖の対象だし、焼香や儀式の香が苦手だ。
怪我をしたらすぐに修復するものの、血液以外の一切を体が受け付けない。だから、呼吸もしていない。脈もない。だから体温は、ない。
―――――結婚しても、もうアンジェロの赤ちゃん産んであげられないんだ。
酸素すらも受け付けないのだから、精液を受け付けるはずがない。アルカードがミラーカとの間に作った子供でなかったなら、例えばアミンだったならそれも可能だったかもしれないのに。
織姫に残された繁殖の道は、吸血して同族を残すことだけ。そもそもそれが吸血鬼としての真の繁殖方法だ。
精神と魂を持ち、死体の体を持つ存在、それが吸血鬼としての真の姿なのだろうと、マーリンが言った。
死を選択したことで得た新たな人生は、死に仕え、死体の体で生きる人生。
そもそも真祖も、それ以外の吸血鬼も、本来は童貞処女関係なしに、死後復活して墓地から這い上がり、死体の体を引きずって夜を跋扈するのが、本当の姿。
アルカードも、ミラーカも、ボニーも、クライドも、ミケランジェロも、翼も、アミンも。みんな体温はなく、発声の為の呼吸以外、酸素吸入を目的とした呼吸はしない。
体温もあって、心臓も動いて、脈があって呼吸をしているのは、シュヴァリエ達だけ。彼らは、生に仕える吸血鬼。偽物の、吸血鬼。
「アンジェロと私は、違う生き物になったの」
「・・・・・淋しい事、言うなよ」
アンジェロは本当に淋しそうに、そう言った。
「私の体は、冷たい?」
「冷たい」
「気持ち悪いでしょ?」
「全然」
「ウソ」
「ホント。お前が何になっても俺は変わらないって、言ってるだろ」
アンジェロはそう言って優しく口付けてくれて、織姫の目尻に僅かに滲んだ涙を舐める。体温を失った体から、冷たい瞳から零れる涙もまた、温度のない冷たいもので。
「生理食塩水」
「――――もうっ!!」
「ハハハ」
「ホンット、アンジェロってデリカシーないんだから! バカ!」
「ハハハ」
アンジェロがしんみりした雰囲気をブチ壊して、そんな事を言う物だから、思わずキレる。だけど、相変わらず織姫は単純で、気が楽になった。
多分アンジェロもわかっている。そうやって織姫の気を紛らわそうとしてくれたのだ。
だからと言って、ここで
「アンジェロは優しいね」
だの
「気を遣わせたね」
などと言ったら余計に気を遣わせてしまうから、黙って怒ったふりをする。
織姫がポカポカ殴り掛かっても、アンジェロには痛くもかゆくもないらしく、余裕といった風情でそれを受け止めて、受け流して織姫をぎゅっと抱きしめる。
「偽物かぁ。じゃぁなんだ?」
織姫と彼らの違い。ミナと織姫の違い。
死者と生者。死んだ者と、一度も死んだ事がない者。
生物学で表そうと思えば、きっとこうなる。
霊長目
ヒト科
ヒト属
吸血鬼種
・純血種
・純血亜種
・屍鬼
「これは私やお父様たち。そしてアンジェロ達生ける吸血鬼は―――――」
マーリンが名付けた。生きた体を持ち、生命活動を維持する吸血鬼を、こう名付けた。
「此岸黒華」
「此岸?」
生者は黒い服を纏うもので、死者は白い服を纏う。
生者は死者に華を手向ける。彼岸の華を。死者は生者に華を手向けたりはしない。死者は常に華を受け取る側であり、生者は常に華を手向ける側。
こちらの世界は此岸と呼び、あの世、あちらの世界は彼岸と呼ぶ。川のあちらの岸とこちらの岸。隔てる川を、吸血鬼は渡れない。
「彼岸花の花言葉、知ってる?」
「いや」
「「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」だよ」
「お前がお前として転生しなきゃ、俺はそう言う思いでお前の棺に、彼岸の華を手向けたんだろうな」
「そうかもね」
「けど」
アンジェロは少しだけ語気を強めて、織姫の頬を温かい手で包んで視線を真っ直ぐに合せた。
「今、お前は俺と同じ、此岸にいるだろ。生者でも死者でも、此岸にいるなら何だっていい。もう俺を置いて、一人で彼岸へ行くな。行くなら、俺も一緒に渡るから」
三途の川を。
アンジェロの言葉が嬉しくて、まるで心臓が高鳴ったような、絞めつけられたような気がして―――――勿論それも、自分が此岸黒華であった頃の錯覚だけど。
アンジェロはフイと上を向いて立ち上がり、満開に咲き誇る黒い桜の枝を手折る。そのはずみで花が散り、織姫に降り注ぐ。手折った彼岸桜を、差し出してきた。
「葬式じゃなくても、華くらい贈ってやる」
受け取って、笑った。だから織姫は白い菫を手折り、差し出した。
「死者でも、華を贈っていいのかな?」
「相手が俺ならな」
そう言ってアンジェロは笑って、白い菫を受け取った。
「彼岸桜の花言葉、知ってる?」
「いや」
「“心の平安”“精神美”“優れた美人”」
「じゃぁ、菫は?」
「白い菫は、“誠実”“あどけない恋”」
アンジェロは笑う。
「俺、誠実だと思う?」
「思うよ。じゃぁ私は優れた美人だと思う?」
「ハハハ、思う」
死者から生者へ贈る華。生者から死者へ贈る華。彼岸でも此岸でも、贈る相手がいるのなら。
アンジェロはそう言ってくれるし、きっと実際にそうなのだろう。
アンジェロがミナに向ける愛を込めた言葉は、誠実だと思う。
「死んでからも、愛してる」
その言葉に、本当にウソはなかったから。
アンジェロにとって織姫は心の平安で誰よりも美しく、織姫にとってアンジェロは誠実で、今度は間違いなく初恋なのだから、死者から生者へ華を贈ることが許される。
そう考えたら隔てる川も干上がったような気すらしてきて、黒い彼岸桜に、冷たい花びらに、冷たい唇を寄せた。
【登場人物紹介】
《マーリン・アンブロジウス》
第3次元において世界最強の魔術師。織姫が再会したときには、既に世界は何度か生まれ変わっていて、さすがのマーリンも年齢を数えるのは煩わしくなったらしく、年齢不詳。
彼の施す魔力の恩恵で悪魔退治にも大きな役割を果たし、ミケランジェロと翼の師匠でもある。




