第八章:選ぶ道
「・・・・水の賢者はまだ戸惑っているようだな。では、先に火の賢者から答えを聞こうか」
過酷な選択を課しているというのに、まったく変化のない声がやけに頭に響く。
何とも思っていないのだ、人の命をその手に握るということを。それが王というものなのかもしれない、そう在らなければ王ではいられないのかもしれない。
考えれば考えるほど混乱する頭を抱え、ミランはただ俯くことしか出来なかった。
「私に協力するか?」
「否」
実にあっさりとガルクの返事は一言だった。
「死にたいのか?」
「イエスと言ったところで、全員戦場送りで遅かれ早かれこの世とおさらばなのは目に見えてる。だったら、オレたちは自らの誇りを賭けて戦って死ぬ方がマシだ」
ガルクの手がミランの頭をぽんと叩いた。
聴けということなのだろうか。注意を促されてミランは目の前の青年を見つめる。
自分のようには震えていない、堂々とした背中。
「笑って死ねと言えるヤツにオレたちは頭を垂れる気はない。人の命を屑のように扱えるヤツが、人の上に立てるとは思えないからな」
「・・・ほう、言うな」
「一時でも命永らえる為に、アンタに頭を垂れること。自分たちが助かる為に、多くの力なき人々の命を奪わなければならないこと。そんなこと、オレの治める民は決して喜ばない」
迷いのない背中が、何よりも強く見える。
ふと、村を出る前に祖父に言われたことを思い出した。
『おまえと同じ精霊に愛されし者たち。彼らを信じることを恐れてはならん』
「罪なき人の血で汚れた手を、オレの民はきっと誇りはしない。オレはオレを長と認めた民の為にも、火の民としての意思と尊厳を汚すことは許されない」
『いつか儂ら水の民と何かを秤にかけねばならぬ時は、儂らを選んではならんよ。民を守る為に、その手を汚すことはおまえには出来ん』
祖父の声と目の前の青年の声が重なる。
震えぬ声。迷いも恐れもない、力強い声。
彼は知っているのだ、上に立つものとして。その手に守るべきものを持つものとして。
どうあるべきかを。
――――何を信じるのかを。
「・・・では、火の民は反逆者ということになるな」
「・・・・さてね。・・・だからと言って大人しくやられる気は毛頭ないが」
冷たく響く王の声に返すのは、挑戦的なまでに強気な言葉。
射るような鋭い紅い瞳に睨まれても、王は余裕の態度を崩さずゆったりと頬杖をついた。
「・・・・・・ふむ・・・。どうやらそこの火の賢者は死ぬ気らしいが、見たところ水の賢者は火の賢者に懐いているようだからな・・・」
突然話の中に自分の名称が含まれて、ミランは知らずびくっと身を震わす。
「どうだ、水の賢者。このままではそこの火の賢者は死罪ということになるが、お前が私に力を貸すというなら、火の賢者だけは助けてやるぞ?」
にっと至極楽しそうに微笑みかけられ、ミランは全身を凍らせた。ガルクもこの時になって初めて動揺で身を揺らす。縋るように見上げれば、ひどく真っ直ぐな紅い瞳とぶつかった。上半身だけを捩ってミランを見つめるガルクの目は、「余計なことはするな」とはっきり語っていた。
「・・・・・・っ・・・」
どうしよう。どうしよう。
何か言わなければいけないのに、震えて声が出ない。
死にたくない、死なせたくない。だけど・・・・誰かを傷つける為に力を使うことはしたくない。
ミランはガルクの胴に両手を回し、ぎゅっと抱きついた。ガルクは驚いて瞠目するが、背中に縋りつく小さな身体が哀れなほどに震えているのを直に感じ、そっと溜息をついた。
今ここで頼れるものは、おそらく同じ賢者という立場の自分だけなのだろう。
まだ幼いと言ってもいいほど、何も知らず無垢な子供が命に関わる決断を迫られているのだ。恐怖し、混乱するのも当たり前。まして彼はおそらく真綿にくるむように大切に大切に育てられてきたに違いない。とてもこのような状況に対応できるはずもなかった。
けれど決めなければならない。酷だと分かっていても。
「・・・・ミラン、決めろ。おまえにしか決められないんだ」
可哀想だとは思ったけれど、わざときつい声で促す。背中で小さく首が振られる動きが感じられた。
「決めろ!逃げ場はねえ」
「・・・・・・・・だ・・・・」
「ん?」
「・・・・・死・・・・じゃ・・・やだ・・・・」
ガルクの耳に届いたのがおかしいと思う程、消え入りそうな小さな泣き声。
けれど泣き声云々の前に、その言葉の意味に気付きガルクは一瞬動きを止めた。混乱して何を言っているのか本人でも分かっていないのかもしれないが、だからこそその言葉は彼の本心を伝えていると思った。死なないでほしいということは、心ではもう王の命令に従わないと決めているのではないか。
「・・・・・おまえ、答えは出てるんじゃないか?」
「・・・・っ・・み、な・・・・死ん・・・じゃ・・・・」
やっぱり。ガルクは確信して、ひそかに心の中で笑った。
遠い昔の約束があるからガルクはミランに注意もしたし、出来得る範囲で守ろうともした。だけど信じていなかったのは確かだ。自分と同格の存在であるとは正直思っていなかった。
けれど今どうすべきか、何を選ぶべきかを無意識でこの子供は知っている。それは水の賢者だからこそ、何かを直感として感じ取っているのかもしれないが、それでもこの一言でガルクはミランを信頼するに足る相手と定めた。
ガルクは自分の胸の辺りでしっかり握られている手を優しく叩いた。
「大丈夫だ。おまえはちゃんと分かってるだろ?どうすべきか」
「・・・・・・っ・・・」
「どの道を選んだって後悔はあるんだ。なら、お前が正しいと思う道を選べ。オレはおまえの答えを信じる」
重ねられた手の温かさと、かけられる声の穏やかさに、混乱していた心が凪いだ。
背中に押し付けていた顔をゆっくりと離す。まだ顔は俯いたままだ。
『儂らはおまえを信じておる』
信じると言ってくれた。
遠き故郷で別れを告げた大好きな祖父。
『皆おまえを愛しておるよ。だから迷わずに選びなさい、進むその道を』
きっとこうなることを知っていた。知っていて、それでも自分の意思に任せてくれた。
背中を押してくれた。
「ミラン」
そしてここには、自分を信じてくれるという同士がいる。
ガルクの胸に回していた腕をするりとほどく。前を遮っていたガルクは、拘束がなくなったことでミランの隣に移動した。
「・・・・・僕・・・は・・」
何が正しいのかなんて分からない。決めるだけの権利を持っているのかも。
何故自分が、とも思う。
だけど重要なのは何故自分がなのではなくて、今ここで自分がしなければいけないという事実。
声を出す為にぎゅっと強く拳を握る。俯いていた顔を上げて、今度はしっかり玉座の王を見上げた。