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第三章:水の賢者

祭りの当日は稀に見ない人の多さだった。

やはり水の豊かなリベル半島でも水が枯れ始めている所があるのだ。いつもはほんとに近所の村を交えて催される祭りなのに、半島の端の村や大陸内部の人たちが集まってきている。

たかが小さな村の祭礼に何故と思うが、どうやら過去に力あるスウォール直系が舞った際、半島だけでなく大陸内部でも雨が降ったり、泉が湧き出したりと、水に関連した奇跡と呼ぶしかない事象が起こったという記録があるからその為だろう。

だが実際にその記録を信じて祭りにやってきた人というのは、おそらくほとんどいないのではないだろうか。すがれるものがあるのなら藁でもすがる。要は自己満足の為の行動だ。

それはともかくとして、例年にない祭りの盛り上がりに村人はおおいに浮かれていた。



「店主、申し訳ない。伺いたいことがあるんだが」

広場で酒を売っていた酒場の亭主が声を掛けられ振り向くと、人懐こそうな笑顔の青年がハニーブロンドの髪を風に揺らしながら舞台を背に立っていた。

「見ない顔だね。大陸の方から来た人かい?」

「ああ、私がいる所も旱魃が多くてね。今年は久々にスウォール直系男子が舞うらしいと聞いてやって来たんだ」

「そうかい。あんた、そりゃ幸運だ。今年舞うのは族長のとこの一人息子で、容姿からして『精霊の愛し子』と呼ばれる程水の精に近いんだ。特別な力なんて期待してないが、あいつが舞えばもしかすると精霊も喜んで雨を降らせてくれるかもしれねえとみんな思ってるよ」

まるで自分の子供を自慢するかのような口振りに、青年は口元を緩めた。

「『精霊の愛し子』か。それは凄い。いつ舞うのかな?それを聞きたかったんだが」

「もうすぐ始まるだろ・・・お!来た来た!あんた後ろ見てみな、舞手が舞台に上ったぞ」

店主の嬉しそうな声につられて振り向くと、いつの間にか舞台の上には深い泉のような色の髪の少年が、ひらひらした舞手特有の祭礼衣装を纏って立っていた。

舞台上には屋根があって、これは祭礼の途中で雨が降った際舞を妨げないようにと作られているものであるが、それによりわずかに陽の光が遮られて、少年の髪は底の見えない泉のように真っ青に見えた。

その青さたるや、本当に精霊が間違って人間の子供として生まれてきたのではないかと思うほど、現実離れした美しさだった。

「成る程・・・これが、スウォール直系。確かに数百年来見ることのなかった青さのようだ。文献の記述とも合致するな・・・・」

舞手の登場に盛り上がる広場の喧騒の中、青年はぽつりと呟いた。

まだ更に何かを考えようと俯きかけていたが、次の瞬間聞こえてきた音色に思わず顔を上げる。

この舞には楽器による音楽の演奏はついてないはずだった。けれど聞こえてきたのは、なんと美しい天上の調かと思うほど、繊細で美しく澄んだ旋律。

これに驚いているのは青年だけではないようで、周囲を見渡せばフスク村の村人でさえ、呆けたように口を開けたまま舞台上を凝視している。

もう一度舞台を仰ぎ見れば、何かを口ずさみながら軽やかに舞う少年の姿。

そう、その音色は歌声。

セイレーンのような、人を魅了し離さない力ある歌声だ。

皆がその歌声に呆然と聞き惚れる。が、やがてぽつりぽつりと頬を打ちだした冷たい雫にはっと我に返る。

「み・・・水・・・?」

「雨だ!雨が降り出した!!」

誰が叫んだのかは分からないが、その声につられて皆が天を仰げば、その瞬間を待っていたというかのように、一斉に雨が降り出した。

空に雨雲はなく、太陽がのぞく晴天なのに、雨が降っている。

日の光が雫に反射し、無数の小さな虹が天にかかる。

それはまさに奇跡としか言いようがない光景。

「あ!精霊??!」

一人の声にまたも広場に集まる全員が声の指す方向を振り向いた。舞台を見れば、舞っている少年の周囲を、青く透き通った人の形をしたものが少年を祝福するかのようにくるくると舞っている。ただその精霊は見える人と見えない人がいて、見えている人はそのほとんどが少なくともスウォールの血を継いでいた村人であった。

「・・・まさ・・・か・・。本当に奇跡が起こった・・・」

呟いた声は誰のものか。

分からなかったけれど、きっとその場にいた皆が同じことを思っていただろう。



やさし流れ緑なす 岸辺に立ち歌いしは

尽きぬ恵みを願う歌

清き流れすべりゆく 風に散りてきらめきぬ

白き花の囁く調

流れゆく 水の音の静けしや

君が夢路やすかれと 流れに寄せ祈る身は



ざあざあと降る雨の中で、消されることなく響く歌はどこまでも優しい。

軽やかな舞はまるで水の精霊が戯れているかのよう。

踏み鳴らすステップと共に、水の恵みに喜ぶ緑が揺れる。

まるでダイヤモンドのように光を乱反射させて煌きながら降る雨を、ミランの祖父も丘の上の家の中から見ていた。目を閉じ意識を集中すれば、今この村にどれだけの精霊が集まっているか分かる。彼らがどれほどの祝福と愛情を、愛しい孫に向けてくれているのかが。

出来れば孫の晴れ舞台を、最初で最後のこの機会に是非目に焼き付けておきたかったけれど、どうやらそれも出来そうにない。

「秒針が時間を刻み始めたようだの・・・」

ためらっている暇はない。懐かしんでいる暇も、感傷に浸っている場合でもない。

できることをやらなくては。

窓の外に向けていた視線を後ろ髪引かれる思いで無理矢理戻し、手前の水盆を覗き込む。

そこには広場で酒屋の店主に話しかけていた青年がはっきりと映っていた。

水鏡の中の彼は今とは違う、上等な衣装を纏ってミランの前に立っていたけれども。

それはもう少し先の未来。

今広場にいる彼は、誰もが感嘆の声をあげる中一人微笑んでいた。

「見つけた。『水の賢者』」

そしてひっそりと天を仰ぐ。

この日、大陸全土に奇跡の雨が降った。



*          *



自分が記憶する限り、こんなことは何十代も前の祖先以来だと思う。

何かの間違いだと思いながら、ミランは祖父の部屋で見知らぬ青年と向かい合っているこの状況に激しく動揺していた。祭りもなんとか終わってゆっくりしていたかったのに、村人たちにやっと解放されて家に戻ってみれば彼がいたのだ。

「え、と・・・。すみません、よく分からなかっ・・た、んですが」

というより脳が理解するのを拒否した感じだ。ミランは困ったように笑って目の前の金髪の青年に聞き返す。

「長く定まらなかった王位が先頃定まりました。つきましては、我が王は伝説に名高い四賢者のお力をお借りしたいと望んでおられます。是非私と共に王都に来て頂きたいのです」

渋い顔もせず青年は同じことを繰り返す。

「でも、あの・・・ソラス卿?」

「クラウ・ソラス。どうぞクリスとお呼び下さい、ミラン殿」

にっこり笑う彼は広場にいたときとは違って白い軍服に身を包み、ミランの前で片膝をついている。明らかに身分も実力も高そうなクリスに傅かれて、ミランとしては胃の腑がひっくり返りそうなほど居心地が悪い。

「じゃあクリスさん。王様が呼んでいらっしゃるのは、賢者に値する方なんでしょう?それじゃあ、僕ではありませんよ。僕は賢者なんて凄いものじゃないですから」

「いえ、貴方は間違いなくかの水の賢者の再来です。貴方こそ我が王が捜し求めていた方に相違ありません」

「僕は―――」

「フラッド・スウォールの血を最も濃く受け継ぎ、すでに失われて久しい精霊術を行使出来る唯一の水の民じゃよ」

反論しかけたミランよりも早く、祖父がきっぱりと言い切った。

「おぬしも見たとおり、その力は始祖フラッドと同じじゃ。そして精霊に誰よりも愛されておる。印章もミランを持ち主と認めた」

「じいさま!!何のことですか?!印章なんて僕知らな・・・」

てっきり自分の援護をしてくれると思っていた祖父が予想外のことを言い出したので、慌てて後ろにいる祖父を振り返る。そして、えっ?!と声を詰まらす。

祖父の掌の上には代々スウォール家に受け継がれてきた青い印章が、箱に収められたまま仄かに光っていた。

かつて王から四賢者に与えられたという印章は、特別な鉱石で作られたこの世に二つとないもの。スウォール家に継がれてきた印章は、清らかな心を意味するユーチャリスの花が刻まれ、誠実・慈愛の象徴たるサファイアを模した美しい青い石で出来ている。

無論ミランも何度となくその印章を目にしてきた。けれどこんな風に淡く輝いているのは見たことがない。驚いて凝視していると、祖父がその印章を取れという仕草をした。

何だろうと思いながらミランが両手を差し出し、その掌に印章を受け取った瞬間、印章が更に強い輝きを発した。

「わっ?!!な、何!?」

一瞬ビリっと印章が振動した気がした。

「この通り。儂が知る限りこの印章が輝いたのは、ミランが生まれた時以来じゃ」

印章はもとは一つの特別な鉱石を四分したもの。四賢者の持っていた印章は常に仄かに輝いていたと言われている。

「精霊の力に反応するのです。ですから力が強ければ強いほど輝きは増し、光は失われません。そしてその印章は、かつての四賢者の為だけに作られた特別品。彼らと同等の力を持っていると認められたものにしか輝きを与えることは不可能。・・・ミラン殿、少々その印章をお貸し願えますか?」

差し出される手になんのためらいもなく印章を置く。するとその瞬間に青い輝きが消滅してしまった。光がなくなってしまえばただの青い石だ。自分が今まで見てきたのも、このように何の変哲もない石だったはずだ。

「このように力を持たぬ者が持てば、ただの石でしかない」

ありがとうございました、と言ってクリスが印章をミランの手に戻す。すると再び印章は青く輝きだした。

「貴方が水の賢者であることの動かぬ証拠です。他の者ではこの輝きは出せない」

「でも今まで僕が見たときは光ってなんかいなかった」

「その時は誰かが印章を手に持っていませんでしたか?」

「え?」

「貴方が生まれた時から輝きだしたと言うのなら、その瞬間に印章は持ち主を貴方に定めたはずです。でしたら他の水の民で如何に力があろうとも、持ち主以外が持てば光は消えます。思い出してください、誰が印章を持っていましたか?」

問いかけられて必死で記憶を探り出す。

印章は一族の大切なものだ。めったに見ることはない。常の管理は一族の長、この場合は祖父がしているはずだ。

そういえば、見せてもらう時はいつも祖父が手に持っていた。

「じいさま・・・」

確認するように視線だけで問えば、かすかに頷かれた。

「まだ幼かった貴方が余計な重圧を抱えないようとの族長殿のご配慮なのでしょう。ですがこれで、確実となりました。ミラン殿、私と一緒にどうか王都へおいで下さい」

深々と頭を下げられて困惑した。

どうしようかとおろおろしていると、ぽんと肩をたたかれる。

「じいさま」

「明日の昼には出立させましょう。今夜はもう遅い。こちらでも用意がありますので、ソラス卿には一度宿に戻って頂いて、明日またいらして頂けますかな?」

王都へ発つことには承諾してもらえたようだと心の中で安堵し、クリスは腰をあげた。

「はい、勿論です。では明日の昼にまたこちらに伺います」

微笑んで一礼してから部屋から出るクリスを二人は黙って見送る。

何もかもよく分からない。賢者の再来?王都へ行く?

今まで力を隠してそれなりに穏やかに過ごせていたのに、何故今になってこうも事態が一気に進むのだろうか。

「何で・・・何で行くと言ってしまったんですか?僕王都へなんか行くつもりないのに」

駄々をこねてる子供みたいだと思いながら、それでも出てくる言葉を止める気はなかった。

しばらく黙って外を眺めていた祖父がふと視線を部屋の中へ戻す。

窓の外にはクリスが村の中心へ坂を下っていく後ろ姿が見えた。

「仕方ないんじゃよ。行くと答えても行かぬと答えても同じこと」

ならばせめて何の心配もなく旅立って欲しいと思うのは、孫を思う祖父の心というもの。

己の口から真実を告げる気はないのに、そんなことを思うのは少し心が痛んだけれど。

ミランの目の前まで歩み寄って、見上げるその額に優しく手を置く。

「簡略ではあるがな。今この時をもって、我の継ぎし古の約定を、正統なる血の主へと継ぎ渡す。汝名をミラン・フラッド・スウォール。印章に認められし者よ」

手の押し当てられた部分が熱いと思った。同時に手の中の印章が一瞬発光する。

そして光が収まった時、祖父が額から手をどけた。

「今のは・・・」

「これで今からおまえがスウォールの族長じゃ」

「えっ!?何でですか!」

「王都へ赴く者がただの水の民だというのもおかしいじゃろうが。ましてあの卿に水の賢者などと呼ばれる者が」

儂も年をとったしのう、と軽い調子で続ける祖父の様子に呆気にとられる。

つまりは体裁を整える為か。そんなことのために族長権限を移してしまっていいのだろうかと悩むが、なんとなくそれだけではないような気がした。

「ミラン」

訳の分からない焦燥感に戸惑っていると、先程とは打って変わった声音で名を呼ばれた。

あまり見たことのない厳しい表情に思わず息を詰める。

「王都へ行けばおまえは一人じゃ。これから先、儂らはおまえを助けてやることは出来ん」

「・・・・・」

「すべての判断もおまえ一人で下さなくてはならん。どんなに厳しい選択肢でも、選ぶのはおまえしかいないということを覚えておきなさい」

「・・・・・はい・・・」

族長となる為の心構えだろうかと思った。

「・・・・だが、おまえを支えられる者も必ず近くにおる。おまえと同じ運命を背負った者と出会うじゃろう。彼らを大切にしなさい」

「・・・・・誰ですか、彼らって?」

「おまえと同じ精霊に愛されし者たち。彼らを信じることを恐れてはならん」

言っている意味がさっぱり分からなかったが、多分これは水占で見た未来への忠告なのだろう。直接的に未来を語ることは許されないから、あくまで遠回りにしか言うことができないのだ。とりあえずミランは祖父の言葉に素直に頷く。

「・・・そして・・・・。いつか儂ら水の民と何かを秤にかけねばならぬ時は、儂らを選んではならんよ。民を守る為に、その手を汚すことはおまえには出来んじゃろうて」

そして自分たちの為にこの孫が苦しむ姿も見たくない。

まだ言われることを理解できていない表情のミランを見て微笑み、その手を両手で包み込むように握る。

まだ成長途中の未熟な手。

この手は何かを傷つける為にあるのではなく、慈しみ守る為にあるのだと信じている。

「儂らは、自分の身は自分で守る。だからおまえは、おまえの信じることをやりなさい」

未熟で幼いこの掌に守られるだけの枷ではありたくない。

残せるのは言葉だけ。

だからどうかこの言葉を、胸に留めておいてくれることを切に願う。

「儂らはおまえを信じておる」

「じいさま・・・・?」

手を離し、もう一度見上げるミランの頭に手を載せる。

「皆おまえを愛しておるよ。だから迷わずに選びなさい、進むその道を」

大切な大切な、未来と言う名の愛し子よ。

進むその先に辛いことばかりじゃないことを、ただひたすら祈っている。

「さあ、もう寝なさい」

ぽんとミランの頭をたたいて部屋の入口へと促す。

いつもと違う様子の祖父を気にしてためらうミランだったが、優しいが有無をいわせぬ強さで背を押され大人しく部屋を出る。

「おやすみ、ミラン。良い夢を」

一言一言をかみ締めるかのように言われる言葉に胸が詰まった。

「・・・・おやすみなさい」

何を返していいか分からなくて、迷った末にそれだけ言った。

何故だかとても悲しくて泣きそうになったから、慌てて祖父に背を向けて走り出した。



次の日の出発には村人総出で見送りがされた。

長旅になるかもしれないからと食糧や薬、衣類などをたくさん持たせてくれた。

みんなで見送ってくれるのは、族長になったからだろうかと微かに考えたが、それにしては何故かあまり活気のない様子だ。中には泣き出してしまう人もいた。

旅立ちの瞬間、いってきますと言ったら、皆それぞれ「いってらっしゃい」とか「気を付けて」とか「元気でね」と返された。

笑顔で手を振ったけれど、何故かみんなの笑顔が頭から離れなかった。

頭の中で響く警鐘が何かを告げていたけれど、そのまま馬車を飛び降りるわけにもいかず、何度も何度も村を振り返りながらいつしか村は見えなくなった。



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