第十九章:過ぎし日の夢
『どうして?どうして貴方が行かなければならないの?』
『私以外の誰が行くと言うんですか』
わざと冷淡に突き放しても、なおもすがりついてきた人。
『でも、約束があるでしょう?なのに貴方は王都に行くの?』
愚かではなかった。見識も広く、己の任をしっかりと全うしていた。
ただ情に弱かった。
それだけが、あの人の欠点と言えば欠点だった。
『勿論。約束は守りますよ。というか、約束を果たす為に私は王都へ行かねばならない』
『それが皆を裏切る形だとしても?』
『そうです。例え裏切り者と他の誰に罵られようと、私にしか出来ないことがある』
やんわりと、だが決して翻らぬ意思の込められた言葉に、あの人は溜息をついた。
『それは私では出来ないことなのね?』
『他の誰にも』
微笑んで返せば、目の前の端正な顔が悔しさに歪んだ。
『勘違いしないで下さい。義務感だけで言ってるんじゃありません。王都へ行くことは、私の望みを叶える為でもあるのですから』
遠くで誰かが自分の名を呼ぶのが聞こえた。良く知っているその声に我ながら過剰な反応を示して、少しだけ動きを止めた。
喧騒と共に徐々に近付いてくるその声は、やけに必死だ。
『あの子も貴方を止めるつもりよ』
『・・・・知っています。だから、話を妨害されないように見張りを頼んだんですが』
想像以上の速さで迫ってくる声に、少し侮っていたかなと思う。
このままここにいれば、そう簡単には行かせてもらえなくなるだろう。
『もう行きます。名残は尽きませんが、どうかお元気で』
二度と見れなくなるかもしれないその姿をしっかりと記憶に焼き付けて、喧騒の迫る扉とは反対側にある窓枠に手をかける。
『・・・・・貴方の、願いは何なの?』
震える細い声。振り返らなくても、その声だけで泣いているのだと分かった。
泣き顔を見れば旅立ちにくくなるから、振り返りたい衝動を抑えてまっすぐ外の野原を見つめる。薫りたつ緑の敷布に、望む未来の幻を重ねて目を細めた。
『見たいものがあるんです』
ひとつは、物心ついて己の役目を知ってからずっと見たいと思っていたもの。
もうひとつは、裏切る形になってでも王の傍らに行くと決めてから、見たいと願ったもの。
これから先、自分がたったひとつ支えと出来るのは、胸に抱くこの願いだけ―――。
「―――殿。タブシー殿?大丈夫ですか?」
呼ぶ声にはっと気付けば、金色の髪の騎士が木の幹に腰を落ち着けていた自分を覗き込んでいた。
「お加減でも悪いのですか?」
実直な白の騎士は至極真面目に問いかける。フードの下から、心配そうなクリスの表情を見て取って苦笑した。
「いえ。いつの間にか眠っていたようです」
腰を上げて周囲を見渡せば、騎士たちの多くが自分と同じように木の幹に寄り掛かっていた。そういえば昼餉の後の小休止をとっていたのだと思い出して、再び腰を下ろす。
道からわずかに逸れた森の中で休憩を取ると決めたのは、他ならぬ自分だ。
「・・・・・貴方も座ったらどうですか?」
律儀に傍らに佇むクリスを見上げて座るよう勧めてみるが、ゆるく首を横に振って断られた。
「休める時に休んでおくのは大切ですよ」
「もう休みましたから。それに、結構長く休んでいますよ?急がなくても構わないのですか?」
予想外の言葉に一瞬タブシーの動きが止まる。それを察してクリスは慌てて言い足した。
「あ、いえ。別に急かしているつもりはありません。ただ昨日に比べて長い時間休んでいるなと思ったものですから」
「・・・・・・・・・気を抜きすぎましたか・・・・」
「え?」
「いえ。独り言です。気にしないで下さい」
声を聞き取ろうと腰を屈めてくるクリスにそう言うと、タブシーは座ったまま空を仰いだ。
気候上の問題か、雲が切れることはめったにない王都ではまずお目にかかれない青空を頭上に認め、その眩しさに目を細める。
覚悟は決めていたはずだが、王都から離れたことで少し油断していたのかもしれない。
だからあんな夢を見たのだと、タブシーは心の中で嘆息した。
* *
青空の下、細い道を土煙をあげながら、二人をのせた馬が駆け抜けていた。
ふいに腰に回された腕が力を失ったことに気付き、ガルクは馬の足を緩めた。
お世辞にも綺麗に整備されているとは言えない旧い街道の、更に一本道を外れた人気のない道の脇で完全に馬の足を止める。
「・・・・・ガル、どうしたの?」
背中からミランの不思議そうな声が聞こえた。
「休憩だ。降りるぞ」
憮然と言い放ち、腰に回した腕を解かせる。ミランがよたよたと馬の背から降りるのを気配で感じると、ガルクもさっと地面に降り立った。
「さっき休んでから、まだそんなに来てないよ?」
「・・・・・無理して落馬されるよかマシだ」
ガルクはミランの首根っこをひっつかむと、問答無用で木陰に座らせた。
「・・・・・・・・そんなに運動神経悪くないよ」
「そういう問題じゃない。物を食えなくなって、体力が激減してるんだ。その状態で今迄と同じことをしようとしても出来るわけねーだろうが」
「大丈夫だよ。それより早くガルの村に行かないと・・・・」
自分で気付いていないのか、真っ青な顔をして立ち上がろうとするミランをガルクは上から押しとどめる。
「休め」
「だからそんな場合じゃないでしょ!やらなきゃならないことがあるんだか・・」
「・・・チッ、このバカが」
苦虫を噛み潰した顔をして、ガルクが右手に力を込める。再度立ち上がろうとしたミランの首筋を、次の瞬間ガルクの手刀が突いた。何が起きたのかをミランが理解する前に、彼の意識は闇に沈み、ぐらりと傾いだ身体は地面に倒れた。
ガルクは溜息をついてから、昏倒したミランの身体を抱え、再び馬上に腰を落ち着けた。
本当ならきちんと地面で休ませてやるつもりだったのだが、こうなった以上地面であろうが馬上であろうが一定時間経つまで目覚めないので、少しでも早く村に着く為にこのまま抱えて走ることにする。急がなければならないのは事実なのだ。
「・・・・軽い」
苦々しげにガルクは呟いた。いくら元々華奢だとは言え、完全に気を失った人間の身体がこんなに軽いわけがない。
ガルクはミランを落とさないように注意しながら、速度を抑えて馬を走らせた。
「・・・・」
今回で何回目か。もう数えるのも面倒になってしまった。
泣くよりもすることがあるのだと言い切ったミランは、確かにその後ガルクの前では泣かなくなった。むしろ表情豊かによく笑う。
こんな子供のどこにそれだけの強さがあるのかと感心したが、すぐに異変に気が付いた。
まず物を食べなくなった。少量であれば無理矢理飲み込んでいるが、それでも成長期の少年が食べる量としてはあまりに少なすぎる。
一度強引に食べさせようとしたが、すぐに吐いた。
完全に身体が拒絶してしまっているのだ。
精神的ストレスによるものだということは分かったが、かといってどうすることも出来なかった。食事を摂る回数を増やして、少量ずつ食べさせるくらいしか方法はない。
だが問題はそれだけではなかった。フスク村跡を出発して最初の晩から、ミランはほとんど寝てなかった。眠ろうとして、途中で魘されて起きるのだ。
『ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・』
夢現の状態で苦しそうに呟くと、次の瞬間には汗だくになって飛び起きる。
息を乱して怯えるミランは、その度に横に眠るガルクの姿を確認してほっと息をつく。自分はまだ一人じゃないのだと、何度も何度も確かめる。
そしてそのまま眠れぬ夜を明かす。勿論ガルクは最初の晩からそれに気付いていたが、自分も一緒に起きていようとするとミランが痛々しい顔をするので、気付かぬ振りで眠っているしかなかった。