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第十六章:迫る影

そこで幻影は消えた。

目を瞬かせて辺りを見ても、やはり何もないまま、喧騒も無くミランの泣き声だけがむなしく響いている。

「・・・っく・・ひ・・っ―――さま・・じ・・さま・・・み・・な・・・っ」

傍らで俯いて嘆き続けるミランを見て、ガルクはなんとなく、さっきの幻影はミランが見せたものだろうと思った。

ミランは水を通して過去の記憶を見て、その時に同じ水の中に足を踏み入れた自分も同じ記憶を共有したのだ。

「ミラン・・・」

何を言ったらいいかなんて分からなかったが、不意に名前を呼ぶ声が自分の口から洩れた。

その後に続く言葉を持たぬまま、口を開いては閉じ開いては又閉じる。

「っ・・・く・・ふ・・・うえっ・・・さま・・・てかな・・で・・」

身を切るような悲痛な泣き声が胸の奥を突き刺す。

泣くなとは言えなかった。

いくら公然と王に歯向かったとしても、ミランにはこの結果を受け入れる覚悟など出来てはいなかったはずだ。人の命を背負う覚悟も。

「じいさま・・・かあさま・・・・うっ・・ふう・・・くっ・・・ひっ・・・」

伏せた顔の両の目から零れる涙が、朝日に照らされて輝きながら水の中に消える。

しばらくただ佇んでいたガルクは、やがて何も言わずに静かに踵を返し森の中へと足を向けた。泣き続けるミランはガルクの動きになど気付きもしない。

今は押し寄せる感情の波に浸ることに一杯で、何を言おうが何をしようがミランに届くことはない。ガルクはそれを知っていたから、せめて今日は何も言わずに好きなようにさせることにした。

溢れる涙を止める術を彼は持たない。ミラン自身で乗り越えるしかないのだ。

だからガルクはその場を離れた。

乗り越えるだけの時間を与える為と、残された者としての義務を果たす為に。

さしあたり今の彼に出来ることは、軍の痕跡を調べることとこの先自分たちはどう動くべきかを考えることだった。



*            *



「帝国軍の前線が上がってきている?」

普段であれば穏やかで聡明な光を宿す青年の薄茶色の瞳が、予期せぬ驚きに焦りの色をたたえ大きく見開かれた。上半期の村の予算を計算し直していたのだが、それも忘れ、思わず書類に埋もれる机に身を乗り出す。瞳よりは濃い茶色の髪がさらりと揺れた。

机の目の前に立ち、青年の視線をしかと受け止める体格の良い壮年の男が、重々しく頷いた。

「はい。ダーナ国軍の斥候隊からの情報ですが、つい最近五キロ程進軍してきたそうです」

「・・・五キロ?」

「はい。こちらからの動きがないので、おそらくは軍をおびき寄せる挑発の為の行動だと思われます。まだ国境城砦との距離はありますので、今すぐ戦禍が広がるという恐れはありません」

はっきりと言い切った男は、目の前で表情を曇らせた年若い村長を無言で眺めた。

王都の南に位置する治安も気候も穏やかなこのフリディス村で、常ならばこの若い青年も十分に長の務めを全うできただろう。けれど南方のネヴァン帝国が侵略の動きを見せる今、南方国境に近いこの村でのその仕事はかなり荷が勝ちすぎていると思えた。

「王都に連絡はいっていますか?」

「既に早馬を飛ばしたと守備隊長殿から伺っております」

明快な答えを聞いて、青年は顎に手をやり思考の淵に沈んだ。

沈黙がその場を支配するが、男はその静寂をやぶることはせず黙って青年の言葉を待った。

「・・・・・・・では、村の備蓄食糧をいつでも出せるように手配しておいて下さい。足が速くて体力のある馬を五十頭程集めるのもお願いします。それと街道沿いの民家に一時撤退の告知を」

言いながら、同内容の書類を作成するため、青年はペンを取る。

「は・・・・。あの、キリクス殿は王が軍を動かすとお思いですか?」

「さあ、どうでしょうか。でも恐らく前線を押し戻す為に軍の一部は派遣されて来ます」

断言するキリクスに、男の方が困った顔をした。

「我ら『地の民』を脅かさない。そういう約束ですから。その約束を守る為に軍の部隊はやってきます。でなくば、僕がこの椅子に座っている意味がない」

最後の方の言葉は気のせいではなく苦いものを含んでいたが、窓から差し込む光に照らされたキリクスの表情は普段と変わらない穏やかなものであった。

「一週間程で騎士団がやってくるはずですから、そのように心得ていて下さい」

「承知しました」

「あ、それと・・・・母の容態はどうですか?変わりありませんか?」

「はい。特にお変わりなく、一日中臥せっておいでです。それでも熱はひきましたから、少しは楽になったのではないかと思います」

「そう。ありがとう」

ほっと微笑んだ顔はあどけなく、青年本来の優しさが滲み出ていた。

その笑顔を見て男はわずかに表情をゆるめ、一礼すると、己の仕事を全うすべく足早に部屋を出て行った。

遠ざかる足音を聞きつつ、キリクスは無意識に机の一番上の引き出しに手を当てる。

すぐに自分のその動作に気付いて、苦笑した。

何十冊もの本に囲まれた執務室を改めて見回す。そして今自分が向かっている重厚なつくりの机を見下ろして、溜息をついた。

この椅子に座って見る景色に自分はいまだ慣れない。

それはこの地位に長く留まる気がないからなのかもしれないが、自分よりもこの椅子に相応しい人を知っているからこそ、余計に居心地が悪くてしょうがない。

己の不甲斐なさに再度溜息をついて、鍵のかかっている引き出しをそっと開いた。

小さいけれど、派手すぎず洗練された装飾の施された綺麗な深緑色の箱を取り出す。

中から覗くのは、たっぷりの綿に大事そうにくるまれた黄金色の石。博愛・思いやりの象徴たるチューリップの花を中央に刻み込み、友情・希望を表すインペリアルトパーズを模した深い黄金色のその石は、淡く光り輝いていた。

青年がそれを手に取ると、石は更に輝きを増す。

「・・・・何で、僕がここにいるんだろうな・・・」

誰も聞きとがめる人がいないから、ぽつりと呟きを洩らす。

「族長なんて荷が勝ちすぎてるのに・・・」

先程男が思っていたことを、キリクスも考えていたらしい。

元々補佐としての勉強はしてきたから、いきなり族長の座に据えられても特に問題はなかったが、自分自身にあまり自信のないキリクスにしてみれば、「何で僕なんだ。勘弁してくれ」と言いたいところだ。

それでも母が倒れ、父が亡くなった以上、自分が役目を引き継ぐしかない。

ぼんやりと地の印章を眺めた後、キリクスは首を横に振ってそれを元の場所に戻した。

深呼吸をして気分を落ち着けると、やりかけの仕事を片付ける為にペンをとり、すさまじい集中力で次々と書類の必要事項を埋めていった。


久しぶりの更新です。投稿のペースが遅くなってますが、頑張ってコツコツ書いていきたいと思います。

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