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第十五章:嘆きの海

「早く!!早くガル!!!」

「分かってる!!」

全力でかっ飛ばされる馬の上で、ガルクの背中にしがみつき舌を噛みそうになりながらミランは声を張り上げる。

そうでなければ風にかき消されて声が届かない。

ガルクの胴に回された両腕が痛いほどの強さで抱きしめてきたが、ガルクはその苦しさにわずかに顔をしかめただけで何も言わずにひたすら駆け続ける。


――――ガル!!どう・・どうしようっ!!

――――は?なに・・・

――――村・・・村が!!大量の水が動いたって・・・精霊の声・・・みんなが!!


昨夜、いつものように休もうと手頃な地面に寝転がっていたら、何かを感じ取ったらしいミランが蒼白な顔でガルクに詰め寄ってきた。

その尋常ならざる動揺ぶりに、本来ならありえない異変が起きたのだと悟ったガルクは、すぐさま馬に乗り夜通し森の中を走り続けた。

空が明るんで景色がはっきりしてきても、木々に囲まれ見通しの悪い森の中では今自分がどこを走っているのか見当がつかない。手綱を握り締め続けた手は、緊張と疲労で既に限界が近かった。

「・・・くそっ、まだか?!」

フスク村は山を背にした湖のほとりにあると聞いていたが、その湖が大きすぎて位置の特定が出来ない。湖からつかず離れず、山を見上げて走り続けてきたが、それらしい村の姿どころか人の気配すら感じ取れてはいなかった。

「止まって!降ろしてっ!!」

震える声が聞こえて、ハッとしてガルクは馬を止める。

その動きが完全に止まる前に、ミランは青い髪を振り乱し転がるように馬上から降りると、ガルクを振り返ることなく一心不乱に木々の間を走り抜けていく。

「おいっ!」

焦ったガルクは急いで馬を近くの木に繋ぐと、慌ててその後を追いかけた。

だがあっと言う間に小さな身体を見失ったガルクは、ちっと舌打ちして頭を乱暴に掻く。

「あのバカ・・・一人で勝手に行きやがって!」

一息に吐き出すと、足を止め周囲をきょろきょろと見回す。

草を踏むガサっという音が静か過ぎる森の中に響く。

音もなければ熱もない。人の気配どころか生物の気配そのものがここにはなかった。

この場に立っているだけで、異常な事態が起こったということが分かる。

胸の奥に湧き上がった嫌な気持ちに顔をしかめた時、高く細い悲鳴が耳の奥を劈いた。

「・・・・・っミラン・・・?!」

その声が少年のものだと認識する前に、ガルクは猛然と声の方向へと走り出した。

虚ろな空間に響く胸を裂くような甲高い声は、前から後ろから空から地面から、どの方向から聞こえてくるのかも分からぬ程に木霊している。

がさがさと草を掻き分けて走った先に、木々の隙間から巨大な湖が見えた。

湖面に反射する朝日の眩しさに目を瞑る。速度を緩め近くの木の幹に寄り掛かるように左手を添えた。

瞼を貫く光が一層強くなったと感じた瞬間、慟哭の声がさっきよりもはっきりと聞こえた。

「・・・・ミラン?」

右手を目の前に翳して目を開けると、開けた空間に一面の湖が広がっていた。

そして青く輝く水の中に同化するように、ぽつんと小さな身体が水に両手両膝を浸して顔を伏せていた。

ミランの姿を見つけるとガルクはひとまず安堵の息を吐いた。そして足元まで侵食している水に入らぬように気を払いながら、周囲の状況を確認しようとぐるりと首を廻らす。

左手に見える山は、中腹あたりから地滑りでも起きたかのようにごっそりと土ごと斜面が削られている。

「・・・・・・・・!?」

瞬時に何かを悟って、ガルクは山から視線をはずす。

足元を良く見てみれば、浅い水の中にたくさんの木片が浮いていた。

20メートル程先にいるミランも、水の中で四つん這いになっている。

それはつまり彼は湖の中にいるのではなく、広く浅い水溜りのような場所にいるということだ。削れた斜面、水の中を漂う木片の数々、広がる浅瀬、ここに何かがあったことを示すようにぽっかりと空いた空間。

これだけ見れば、ここで何が起きたか推測するのは簡単だった。

泣き続けるミランに声をかけるのを躊躇って、傍に行こうとガルクが一歩水の中に足を踏み入れたその瞬間周りの状況が一変した。


『行け――!一人も逃すな』

地を這うような低く太い声が轟くと同時に、号令に呼応して甲冑の集団が一斉に駆け出した。地を揺るがすほどの足音に、その小さな村はあっと言う間に呑み込まれ、防御の役目を持たぬ家々はなす術も無く蹂躙される。

『女子供とて容赦はするな!陛下の勅命ぞ!!』

心無き声に忠実な騎士たちは、武器も持たぬ幼き命をためらう事無くその手に屠る。

争いなど遠い世界のことであった平和な村は、今断末魔の悲鳴で満たされていた。

『戦えるヤツは、何でもいいから武器を持って、やつらをここで食い止めろ!!』

『長老たちが準備を終えるまでだ!通すなよ!!』

丘の上の長老の家に続く坂道を、村の若者や男たちがその身を盾に必死で塞ぐ。

騎士と村人ではその力は歴然、次々と兇刃の前に血を流し倒れていく仲間を見ながら、それでも彼らはその命が尽きるまで立ちはだかり続ける。

勝てるとも、この殺戮から逃れられるとも思ってはいなかったが、彼らはただ倒れるわけにはいかなかった。

「・・・・な・・・なん・・だ、これは?!」

目の前で繰り広げられる壮絶な光景を見て、ガルクは息を呑んだ。

突然の出来事に頭がうまく働かなくて呆然と佇むガルクの真横から、一人の騎士が剣を振り上げ襲ってくる。視界の右端でその動きを捉えたガルクは動転のあまり反応が遅れ、振り下ろされる剣を右腕に受けた。

「――――っ・・・・・あ?」

だが痛みを覚悟したその右腕を、剣は易々と通り抜けた。

それどころか斬りかかって来た騎士が、ガルクの身体を通り抜けて行く。

「はっ?!え?どういうこと・・・」

思わずガルクは自分の身体の彼方此方に触れる。きちんと感触があるので、自分の身体が消えかかっているとかそういうことではないらしい。

そうこうしている間にガルクの身体を他の騎士や村人たちが通り抜けて行く。

「・・・幻影か、こいつらは・・・」

触れることは出来ないが、実際に目前に広がる光景。

おそらくこれは、自分たちが辿り着く前に村で起きた実際の光景だ。

ようやく今の状況が理解出来たガルクは、遠く離れた村の中央あたりに座り込むミランの姿を見つけた。

「ミランっ!!」

名を呼んで走り寄る。

俯き嘆くミランの傍らに寄り添うと、再び光景は一転した。

「・・・今度は何だ!?」

呻くガルクの視線の先に、幾人もの子供や女性、男性に囲まれた一人の老人がいた。

広い部屋の中で静かに集まり寄り添う人々。

この建物の外では相変わらず悲鳴が聞こえており、窓から外を覗けば坂の下で攻防を繰り広げる村人と騎士の姿があった。ここが彼らが必死に守ろうとしている場所だ。

『長老様、騎士たちは全員村の中央付近に集まってます』

全身に怪我を負いながら部屋に飛び込んできた青年が、人々に囲まれている老人に向かって言った。部屋の中全体に緊張が走る。

『そうか・・・もう、時が来たようじゃの』

全てを悟ったかのような落ち着いた表情で、老人はゆっくりと部屋の中を見渡した。

『では、すまぬが皆儂と共に来てくれるか』

問いかけに、その場の全員が静かに頷いた。

『どのみちこのままでは私たちは生き残れないでしょう。もし生き残れたとしても、ミランの足枷になるのは目に見えてます』

『戦う術を知らない私たちは、あの子の重荷にしかなれません』

その通りですと口々に呟く声が広がる。

不安と恐怖を打ち消すために、言葉にすることで覚悟を決めようとしたのかもしれない。

怖くないわけがなかった。

死にたいはずがなかった。

出来得るなら逃げて逃げて、どこまででも逃げて生き延びたかった。

けれどそれは出来ないのだ。逃げる力も無い、逃げても戦う力がない。

ただ少年を脅す為の道具として、いつ殺されるかもしれない恐怖と共に少年の枷となることしかできない。

『あの子のお荷物になるのは御免ですよ・・・・私達の半分も生きていない子に、そんな辛いことさせるわけにいかないじゃないですか・・・・』

どう足掻いても望む道を選べないのなら、最善の道をとるのだ。

『・・・・ありがとう。これほど皆に想われて、あの子は幸せじゃのう』

老人は心底嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。

それにあわせて全員が目を瞑る。

最期の最後に力を合わせて、水を動かす。遠く山の中腹で、塞き止められた水がその堰を切って流れ出す音を聞いた。

『無残な姿をあの子に晒すわけにもいくまい。全てを水に流し、我らもまた水へと還ろう。・・・・・・・ミラン、どうか―――』

どどどど、と迫り来る轟音に最後の呟きは掻き消された。

そして村はあっと言う間に激流に呑み込まれた。


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