第十一章:迷走
「見事にしてやられましたね」
落胆しているでもなく、淡々とした声がフードの下から洩れる。
極端に狭い視界の先にあるのは、分厚い氷で閉ざされたこの部屋唯一の出入り口。
先程から騎士たちが氷を破ろうと必死に剣を振り回しているが、その努力は結局徒労に終わっている。小気味良い音をたてて剣を弾かれている様は、いっそ愉快だ。
「刃向かってくるのは火の賢者だけだと思っていた」
「同感です」
あれだけ生意気な青年の隣にいれば、女と見紛うばかりの美少年がこれだけ大胆な行動に出るとは誰も思わないだろう。
「貴方相手に啖呵きりましたしねぇ」
相当怖かったでしょうに、と笑いながらゆったりと感想を述べる。
そんなマイペースな相手にちらっと視線を送って、王はふんっと鼻を鳴らした。
「みすみす見逃したな?」
「何のことですか」
「白々しいな。おまえには霧の中でも見えていたはずだ」
「精霊だけなら。賢者二人は見えませんでしたよ、流石に」
肩をすくめて苦笑を洩らす。
まさかここから全速力で追い掛けるなんて離れ業出来ませんし、とどこまでも人をくったようなのんびりとした返答に、王は眉根を寄せた。
「水の精霊が見えましたよ。一人動いていたのが。多分あれが火の賢者を誘導していたんでしょう」
絶対的に精霊の数が少ないこの部屋では、少しの動きでも目に付く。
逆を言えば、これだけ従う要素の少ない場所であれだけの焔を操った火の賢者と、部屋中に特殊な霧を維持し続けた水の賢者は、非凡な才能の持ち主ということになる。
いや、彼らの場合は才能というより、存在そのものが精霊たちに愛されていることが大きく影響しているのだろうが。
「予想以上ですねー・・・彼らの能力。敵に回すと痛いですよ?」
「既に回した。だが、まあ、重要な駒はまだ我が手の内にあるからな」
心配はしていないということだろう。
目の前から二人の賢者が逃げ出したにも関わらず、確かにこの不敵な男は少しも焦ってはいないようだった。
フードの人物は、王から視線を離して、階段下で佇んでいるクリスを見つめた。
心ここにあらずといった様子が見て取れて、彼はフードの下で溜息をつく。
王の強気の理由は、自分と、そして『不敗の剣』が傍にいることにある。
特に『不敗の剣』の忠誠を手に入れた、ということに。
「・・・・・」
フードの人物はふと顔を上げて、再び扉を見つめた。
扉そのものではなく、その扉の向うに逃げていった彼らの影を求めて。
* *
「チッ、簡単には出られないとは思ったが、さすがにしつこいな」
何度撒いたと思っても、廊下の角を曲がる度に増えていく追跡者の数に、さすがのガルクもひたすら逃げることしか出来ない。
「・・・ガ・・・ガル・・・・僕たち、上に追い込まれてない?」
「・・・ああ」
ガルクに比べたら体力のないミランは、既に息をきらして、ガルクを追いかけるだけで精一杯の状態だ。
それでも、階段を下るよりも上る回数のほうが多いのは気付いていた。
「元々城ってのは、簡単に踏み込まれないようにするために、複雑な造りになってんだ。そこを初めて来たオレたちが、追いかけられながら正しい道を選べるはずがねぇよな」
時折追手の兵たちを火で威嚇しながら、なるべく距離を縮められないようにはしている。
謁見の間から逃げ出したものの、自分たち二人が逃げ出すことも計画に織り込まれていたのか、扉の周囲は既に兵で固められていた。
元来た道を戻るつもりだったが、それを読んでいたのか、全く逆方向へ追い立てられる形で逃げるしかなかった。二人の力を使えば強行突破も出来たのだが、力の使いにくいこの場所で、既に盛大に力を使った後だったため疲労が常より激しかったことと、予想より多い兵の数に咄嗟に逃げることしか思いつかなかった。
とはいえ、追い込まれてぐるぐる上に上っていては、状況は悪化するばかりだ。
何か方法はないかとガルクが視線を巡らせていると、風のうねりが顔の真横を駆け抜けた。
瞠目して風の去った方を見ると、階段の踊場の外に背の高い木が見えた。
さわさわと風に揺れる葉が、何かを語りかけているかのように感じた。
「――――!」
「ガル?」
ぴたりと足を止めたガルクに倣い、ミランもゆるゆると足を止めた。
苦しげに息をつきながら、ミランは訝しげにガルクを見上げる。
何かを思いついたかのように真剣な目で外を見つめるガルクの視線の先を、ミランも目で追った。
「・・・・いちかバチか・・・」
確証はないが、とぼそっとガルクが呟く。
と同時にミランは脇腹をつかまれ、ガルクの片腕に抱えられた。
「・・・・・え?」
荷物を持たれるように抱えられたミランは、唐突に変わった視界に驚き、声を洩らした。
「・・・え・・・ガル・・・・何・・・?」
「黙ってろ。舌噛むぞ」
不穏な気配を感じたミランが問いかけると、ガルクはにべもなく言い放ち、階段に向かって走り出した。
踊場に向かって全く速度を緩めようとしないガルクに、ミランも彼が何をするつもりなのか気付いた。
「と・・・・」
跳ぶ気?!という言葉は喉の奥で凍りついた。
宙に浮いた気がした次の瞬間、壁を飛び越えた二人の身体は重力に沿って真っ逆さまに落ちていった。