第十章:逃走
「・・・・・どうやら、おまえの訴えを聞いている暇はないようだぞ、クリス。丁重に迎えようと思ったが、仕方なかろう。水の賢者は無傷で捕えろ!火の賢者の方は殺して構わん」
号令と共に二人の周りは完全に騎士たちに囲まれる。
「そう簡単にいくかよ。誰を相手にしてると思ってるんだ!」
ガルクの紅い瞳が煌く。
ゴオッという激しい音が聞こえた時には、二人を囲む焔の渦が出来ていた。渦の中は外からは一切見えない。
「逃げるぞ。走れるな?」
「うん!」
「この部屋からオレ達が出たら、入口を凍らせるぞ」
城下で氷柱を作ったときの要領と同じだ。確認するように目配せするガルクに、同じく視線で答え、扉に走るべく方向転換をした。
「走れ!!」
声と同時に焔が消える。
扉の方にいた騎士たちは、次の瞬間に立ち昇った天井まで届く勢いの焔の壁に弾かれ、扉までの道は二枚の焔の壁によって確保される。
ミランはその道を扉に向かって駆け出すが、追いかけてくるはずの気配を感じなくて顔だけ後ろを振り返る。
「ガルッ!!」
追いかけてこなかった彼は、騎士から奪ったと思われる剣を両手に握りクリスと剣を交えていた。
思わぬ光景に足を止め、来た道を戻ろうとすると。
「バカ!来るんじゃねえよ!!」
気配を察して、ガルクが怒ったように叫ぶ。ミランを振り返ることはしなかった。
否、振り返っている暇などない。
上段から振り下ろされる剣を、力の方向を変えていなす。空いたクリスの右脇腹を目掛け剣を振れば、素早い返しで阻止される。休む暇なく打ち込めば、相手も同等の力で反撃してきた。
「先に行け!」
大声で叫ぶと、ミランが戻ってこないようにする為と他の騎士がミランを追えないようにする為に、ミランの目前にもう一枚焔の壁をつくった。
「ガルッ!!」
叫び声は新たに出来た焔の壁に飲み込まれる。後ろを見れば、扉までの道は完全に焔の壁に囲まれた個室と化しており、誰もミランの後を追うことは出来そうもない。
水を操る自分ならばこの壁を越えることは出来るだろうが、そうした所で彼の足手まといになるのは目に見えている。彼の意思に応えるには、早くこの場から逃げればいいのだが。
「ガルッ!!」
もう一度叫ぶ。こちらに何の音も聞こえないように、向うにもきっと聞こえていない。
これだけの焔を操るにはかなりの力を消耗するはずだ。
けれどここには、精霊の数が少ない。殊に火の精霊は。
力を借りるにしても、普段の倍以上の負担がかかっているのは間違いなかった。
「・・・・・・・少しだけ、みんな力を貸してね」
迷った末、いつも自分を守ってくれている水の精霊と、この部屋にいるごく少数の水の精霊に呼びかけた。
キインッと刃のぶつかり合う甲高い音が響き、交差された剣は進むことも退くことも出来ずせり合っていた。真正面からぶつかってくる、射殺さんばかりの鋭い青い視線に冷や汗をかく。
「なんつー殺気だよ。命令聞いてるだけってカンジじゃねーよなー?」
わずかの隙もつくれない状況に苦しい顔をしつつも、悪態をつくことはやめない。
「ま、最初っから敵意むき出しだったけど。そんなにあのチビが大事か?」
「王命だ。貴様を殺し、ミラン殿を連れ戻す」
「バカか、おまえ。命令だけでこんな真剣になる奴がいるかっての。気付いてねーのかよ?」
至近距離でクリスの片眉がぴくりとあがるのが見えた。
「何を言っている?」
「何も知らねーってか?」
挑発するように言えば、剣にかかる力が増した。拮抗していた剣が、徐々に押され始める。
ガルクはちっと舌打ちして、力を込めてその場に踏ん張る。
「いくらオレでも『不敗の剣』と剣での勝負は御免蒙りたかったぜ」
ボソッと呟いた言葉が聞こえたのか、クリスが微かに力をゆるめた。
妙に思って見れば、青い瞳が探るようにこちらを覗き込んでいる。
「『不敗の剣』?」
「・・・・・・・知らねーらしいな。だけど、素直に教えるほどオレはアンタに好意的じゃあない。昔っから、そうだけどな。オレたちの関係は」
「?」
そのまま黙って二、三秒睨み合っていたら、突然周囲を濃い霧が覆った。
「?!」
「霧っ!!?」
驚いて視線だけ廻らせるが、目の前で剣を交えているクリス以外は一切何も見えない。
音さえも聞こえぬ深い霧。
それはどうやらクリスも同じのようで、困惑して辺りを見回している。
その時ガルクの視界の端に水の精霊が見えた。
「――――――――なるほど。やってくれる」
にっと嬉しそうにガルクは笑った。
この霧はミランがつくった迷いの霧だ。視界も聴覚も奪う。今は至近距離にいるから見えるクリスだが、少しでも離れればあっと言う間に姿も見えなくなるだろう。
どこにいるかも誰がいるかも分からなくなる。
追っ手を撒いて逃げるには最も有効な手だ。
「アンタの相手はまた今度だ」
「待っ・・」
剣を弾いたガルクが一歩退く。クリスはそれを追おうとするが、瞬時に何も見えなくなってしまった。呆然と前を見つめ、やがて剣を下ろしてゆっくり頭を振った。
「・・・・・何だ、一体。『不敗の剣』・・・?」
愁いを帯びた呟きは、深い霧に吸い込まれて消えた。