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琴似物語  作者: 松 勇
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杏ちゃん来琴

 今日もガッツ亭に来ていた。基本的に人と会う時以外は殆どの場合、夕食はここでとっている。あまり自慢できることではないのだが、自宅で仕事をするようになってからは、ほとんど自炊をしていない。一日中一人でいるのはどうも精神衛生上良くないので、大将や他の常連と話せるガッツ亭に行くのだ。


 今日は大将おすすめのメロカマの塩焼きを食べていた。


「よっすっ!ありゃ、竹内さん。やっぱりほとんどいるんだねぇ」

「大将の料理で生きているって感じですね」


 入ってきたのは近所で特殊清掃の会社を営んでいる春川夫婦。会社は数名の小さいが、やっている仕事はけっこう特殊だ。最近は、孤独死などで部屋で人ばなくなった後の清掃を引き受けているらしい。旦那さんは四十過ぎだが、奥さんは私とそれほど変わらない。


「お久しぶりですね」

「ちょっと最近忙しかったからなぁ。お、メロカマかぁ・・・大将っ!これまだあるの?」

「残念っ!竹内ちゃんで最後っ!ブリカマならあるよっ!」

「そっか。じゃあ、ブリカマで」




「カンパーイッ!」


 二杯のビールと一杯の温かい烏龍茶で乾杯する。春川さんの奥さんはあまり酒は呑まないので、いつも温かい烏龍茶だ。旦那さんはビールから始めて、ワインやウィスキーなどなんでも呑む。


「で・・・竹内ちゃん・・・あの話はどうなったの?」

「あの話?」


 大将の言葉に怪訝そうな声を上げたのは春川さんの旦那さんだ。


「春ちゃん・・・竹内ちゃんね・・・ちょっといい話があるのさ・・・」

「竹内さんでいい話ったら、相変わらず聞かない色っぽい話?」

「そうそう。キッちゃん。竹内ちゃんに珍しく色っぽい話がね・・・」


 『キッちゃん』というのは春川さんの奥さんのこと。本名の『季実子』から取っている。


「ほうほう・・・何かね・・・」


 春川夫婦は大将から、とりあえず、先日の始めてストロベリーキッスに行ったときのエピソードを聞いた。こっぱずかしいのだが、下手に騒ぐと余計に冷やかされるので黙っていた。


「むむっ・・・それはそれは・・・」

「はい。で、竹内ちゃん!それから進展は?」


 私は思わずギクリとした。どこまで話して良いものか・・・。


「ええと・・・、まあ、先日すすきのに出たついでに寄ってきましたよ」

「ほう・・・で?で?で?」


 三人の視線が私に突き刺さる。


「ハンナちゃんはお休みだったんで、アンナちゃんの方を指名しました」

「あちゃ・・・残念だね・・・」


 よし、ここで話が終わればいい。だが・・・


「ふむ・・・でも、その言いよどむ感じ・・・なんかあるね?」


 うっ・・・、大将はこういう話はやたらと鋭い。隠し事をすることが一番難しい相手なのだ。


「え、まあ・・・、その、アンナちゃんの客で質の悪い奴に絡まれまして、大将直伝の間接技で抑えつけました。それで、お店からお礼にウィスキーもらったりとか・・・」

「ほほう・・・で・・・とか?」


 逃げ道はないらしい・・・


「ええと、そいつに襟首掴まれたときにワイシャツのボタンが飛んだんで、アンナちゃんが付けてくれたりしましたけど・・・」

「まだあるね」

「まだありますよね」

「うん、あるある」


 三人の視線は私にごまかすことを許さない。だが、隠すところだけはちゃんと隠そう・・・。小さな犠牲に目を瞑ることで、大惨事を免れるしかない。


「そのあと閉店後に、いきつけのバーに行ったら、そのアンナちゃんがやってきて、メアド交換したり、ああ、今度琴似で呑もうと・・・」

「っ!来たっ!来たねっ!これはっ!」

「竹内さんすごいっ!それはもう・・・」

「あの、あの、竹内さんについにモテ期がっ!」


 えらい盛り上がってしまった・・・。まあ、お陰でキスの下りには触れずに済みそうだ。


「で、で、で、どこ行く気?いつ行く気?どこまでイク気?」


 おいおい・・・。大将はすっかり興奮した様子だ。包丁は置いてくれんか・・・


「いや、まあ、彼女がこっちに遊びに来たついでなんで。いつになるかは・・・」

「じゃあ、どこに?」

「どうしましょうかねぇ・・・ここでいいような・・・」

「そう言ってくれるのは嬉しいが・・・まあ、相手がそんだけ乗り気ならどこでも同じかっ!自宅も近いしねっ!部屋は片付けてあるんだろうね?」


 ドラキーのこーちゃんと同じこと言うんだなぁ・・・。


「まあ、体裁を繕う程度には・・・」

「竹内ちゃん・・・これだけは言っておく・・・」

「は?」

「据え膳食わぬは男の恥」


 大将の目は極めて真剣だった。困ったものだ。これもこーちゃんと同じセリフだし。


 突然、携帯がなった。電話である。発信元は・・・アンナちゃんだ。


「はい、竹内です」

「杏です。今大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫だけど・・・」


 ゴクリ・・・と言う喉がなる音が電話の向こうから聞こえてきた。


「あの・・・今、琴似にいるんですけど、良かったらこれから会えませんか?」

「え、ああ・・・いいけど・・・」


 私が電話している周りの雰囲気が一変する。どうやら気づかれたようだ・・・。言い知れぬ緊張感が漂っている。


「今、いきつけの居酒屋にいるんだよね」

「あ、じゃあ、私もそこに行っていいですか?」


 どこかに移動するにも適当な店は思い浮かばない。冷やかされるのを覚悟でここに呼んだほうが、後日、経緯をしつこく聞かれて説明するよりは楽だろう。


「ああ、いいよ。場所は・・・」


 ガッツ亭の位置を説明して切ると、大騒ぎになっていた。


「こ、これから来るんだねッ!じゃあ、竹内さんの隣はあけて・・・あ、小上がりに移動したほうがいいかな?」

「いや、小上がりよりもカウンターの方が接近戦になるっ!竹内ちゃんっ!多分、ご飯はまだだろうから、必殺のパスタをだしちゃうよっ!」

「どんな娘か楽しみぃ~!」





「えへっ、来ちゃった」


 お店にたどり着いた開口一番、彼女はこう言った。

 大将が愛想よく接客する。商売だから当たり前だが、いつにも増してテンションが高い。


「いらっしゃいっ!ええと、アンナちゃんって呼んでもいいのかな?」

「あ、竹内さんから聞いてるんですね。でも、今はプライベートだから、杏って読んでください」

「じゃ、杏ちゃん。ご注文は?」

「走ってきちゃったんで喉がカラカラなんですよ。ビールもらえますか?」

「お、イケル口っぽいね」

「へへ・・・」


 杏ちゃんは上機嫌だが、しらふのようだった。大将が出した中ジョッキを一気に半分ぐらいまで喉に流し込む。相当お酒はイケる口ではないだろうか。


「えっと、ご飯は食べた?」

「食べてないですぅ。お腹空きました」

「ようっしっ!今日はいい日だから、初来店の杏ちゃんに美味しいパスタを作ってあげようぅ!」

「えっ?パスタなんてできるんですか?大好きなんですよ」


 たしか、いかにも普通の居酒屋ってところで、本格的なパスタを出すって言うのは意表を付いているかもしれない。だが、大将はイタリア料理屋でも働いていたことがあるから、決して居酒屋店主の余技ではないのだ。


「ここのパスタは常連が、お店が忙しくない時だけに注文できる裏メニューなんだ」

「竹内ちゃんぐらいしかしょっちゅう食べている人はいないね。よし、今日は久々に・・・究極のカルボナーラといこうかっ!」

「やった。うれしいな。カルボナーラ大好きなんです」


 春川さん夫妻は、わざわざカウンターの逆端まで移動してこちらの様子を伺っている。


 どうしたものか・・・



 そもそもが、たいして話題なんてない。そろそろこの年頃の娘と話すのも噛み合わなくなって来ているんじゃないかと思えてきたのだけど、杏ちゃんは逆でお店で年上の男性といつも話しているからか、私だけでなく、対象や春川夫妻ともいろいろな話題で盛り上がっていた。


「本当にパスタ美味しいですっ!これが本当のアルデンテってやつなんですねっ!」

「僕もパスタは好きで、いろいろ食べに行ったけど、間違いなく大将のパスタが一番うまいよ」

「ふ・・・」


 大将は渋く笑ってタバコに火をつけた。


「こんなもんでよけりゃあまた作ってやるぜ」


 ニヤリ、と男らしい笑を浮かべながら、伝法な口調で言う。大将なりの照れ隠しなのだが、それがまたよくハマる。




 パスタを食べきったアンちゃんは少し大人しくなった。それも当然で、大将のパスタは相手を選ばず、200グラムを茹でる。元気に食べるアンちゃんでも女の子にはかなり多い。おまけにすでにビールを三杯ほどと、グレープフルーツチュウハイを二杯ほど呑んでいる。かなりのペースだ。だが、お腹は膨れたようだが、酔を印象づけるものはない。これは相当な呑助のようだ。


「杏ちゃんはお酒強いねぇ。ほら、竹内さんも呑んで呑んでっ!」


 春川さんはもうすでにへべれけのようだ。元々相当あちこちで呑み歩いていたようだが、結婚してからは仕事以外では奥さんと一緒でしか呑みに出ない。しっかり管理されているらしい。二人が出てくるのはほとんどガッツ亭だけのようだった。


 春川さんは私のグラスに白ワインを注いできた。ワインが好きだが一人では気が引けるよう、私はよくご相伴に預っている。すでにボトル一本が空いていた。


「ほらっ!もう、酔っ払っちゃって・・・帰るよっ!」


 奥さんはそう言いながらも嫌な顔一つしない。こういう奥さんなら結婚してもいいなとよく思う。


「あぅぐぅ・・・じゃあ、竹内さん・・・頑張って・・・でゅわ・・・」


 よくわからないセリフを残して春川夫妻は帰っていった。


「さて、じゃあ、そろそろお開きにしようか・・・」


 すでに十一時を過ぎていた。琴似から札幌方面への終電は十二時過ぎ。そろそろいい時間だろう。と思って声を掛けたのだが、大将が大きな口をあけて声に出さずにツッコミをいれていた。


『終電なんか気にせずどっか誘えっ!』


 なんてこと言われてもなぁ・・・


「そうですね・・・もうお腹一杯ですっ!大将さんっ!ごちそうさまでした。本当においしかったっ!」

「そりゃ良かった。また来てよ。まあ、どうせ竹内ちゃんはいつもいるからさ」


 そう言いながら、私と杏ちゃんの分の伝票をレジに入力した大将は、私が二人分を支払ってお釣りをもらう瞬間にそっと耳打ちしてきた。


『まだ三十分ほどはある・・・喫茶店にでも誘って、うっかり装って終電を逃させるっ!そして、しょうがないからと部屋に誘うっ!多少なら散らかっていても大丈夫だからっ!GOっ!』


 杏ちゃんには聞こえていないだろうけど、本人の目の前でなんて算段立てているのやら・・・





 大将に見送られてお店を出た後、地下鉄駅まで送ろうとした私の顔を、杏ちゃんは真剣な表情でじっと見つめてきた。なにか、言いたいことがあるようだが・・・

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