ガッツ亭
「で、竹内ちゃんは、結局そのお店に行ったの?」
大将は桑園の市場で仕入れてきたフクラギをさばきながら話している。
「いや、だって、今の話は昨日のことだから」
「おいおい・・・そういう時はすぐに翌日にでも顔をだすのっ!単純接触効果ってやつだよ!」
大将は妙に興奮しながらいつもの講釈を始めた。大将のお店『ガッツ亭』は私の家の近所にある居酒屋だ。すすきのよりも数割安いと言われる琴似でも、居酒屋としてはだいぶ安い方の店だが、『安かろうまずかろう』ではない。焼き鳥、揚げ物、刺身などを中心に、お店が空いている時なら、パスタやちょっとしたおしゃれなイタリア風(?)料理なども出してくれる。
だが、何よりもこの店の名物はみんなに『大将』と呼ばれる店主だ。楠木勝二。今年で四十三歳だが、見た目にはせいぜい三十代半ばにしか見えない。若い頃から独立してお店を出していて、移転を繰り返して現在は三店舗目。昔は結構繁盛していた時代もあったものの、奥さんと離婚してからはあんまりぱっとしないらしい。
しかし、大将の周りにはいつもいろんな人々が集まっていて、今は自分もその一人だ。実を言えばここ一、二年の間は私が一番の常連だろう。なにせ、すぐ向いのマンションに住んでいて、ほぼ毎晩夕食はこの店で済ませているのだから。
「え、いや、そんなんじゃないですよ。まあ、あんまり時間が経つと、彼女の立場が悪くなるかもしれないから、早めに顔は出しますけど」
「これだから竹内ちゃんは・・・」
大将は呆れたように大きくため息をつく。とにかく大将は私がいつまでも独り身でいるのが、見ていてもどかしいらしい。
「トラブルだって何かの縁っ!いいきかっけなんだから、別にすぐに結婚とかじゃないんだよ?とりあえず、仲良くなって、呑みに誘えるぐらいの仲にならないと発展しようもないし。そもそも気が合うかどうかもわからないんだから」
いつものお説教が始まってしまう。大将とも歳の差はあるし、私は敬語も使うが、気持ちの上では上下関係を感じない。大将の人柄がそうさせるのだろう。
「はいっ!フクラギの刺身っ!」
皿に盛られた刺身にわさびと醤油をつけて食べる。大将は魚の目利きには自信があり、メニューにも載せていないので、良いものが出た時だけしか刺身は出さない。『刺身ある?』と聞いて『あるよっ』と答えたときには確実にうまい刺身が食えるのだ。しかも、かなり安い。
だが、これだけうまい料理が食べられるのに、今日も客は私しかいない。大将の人柄もいいし、安いし、料理も悪くないのに、客足が伸びないのはどうしたことなのか。だが、忙しくない故に常連がより楽しめるという面は否定出来ない。
「大将っ!できるならパスタお願いします」
「ペペロンチーノでいい?」
「よろしく」
居酒屋の店主であり、魚の目利きだけでなく、秘伝のタレと炭火焼の焼き鳥や、オリジナルレシピの揚げ物も美味しい。ちなみに北海道で『焼き鳥』といった場合は、鶏肉の串焼きだけを指すわけではない。関東で言う焼きとんなど、とにかく串にさして焼いたものはかたっぱしから『焼き鳥』と呼ぶ習慣がある。
話はそれたが、この大将、料理は何でもできる。一時期、イタメシブームの頃にはその人気を探るために、わざわざアルバイト待遇でイタリア料理店に務めたこともあり、パスタは本格的で得意だった。私は大将以外には同じ食感、完全なるアルデンテのパスタをだしてくれる料理人を知らない。
だが、パスタは常連しか頼まない。やはりメニューには書いていないからだ。さらには、店には店員は大将しかおらず、設備もパスタ屋用ではないため、注文していいのは暇な時だけになっていた。毎日通っている私だからこそ、注文するチャンスにめぐり合えるとも言える。
「はい。今日はエビと貝柱のペロンペロンチ○ポ」
「わざわざ食欲がなくなるジョークを言わんでも・・・」
大将の下品なジョークもこのお店の売出だ。ただし、カウンターに女性がいる時は決して出てこない。
ガラガラと言う音を立てて引き戸が開くと若い女性客が入ってきた。
「いらっしゃい。おおっ、紫苑!」
「はいお父さん。いつものやつ買ってきたよ。適当に食べさせてね。あと、ビール」
入ってきたのは大将の娘さん。離婚後、母親の方に引き取られたので名字は違う。柊木紫苑。二十三歳。アルバイトをしながら美大で研究生をしている。離婚後、しばらくはほとんど会うこともできなかったらしいが、最近、偶然この店に来て再会してからは、よく顔を出すようになった。結構親子関係は良好だ。
紫苑さんは、一人で来たときは料金は払わずに半額ぐらいに値する分のタバコを買ってくる。娘相手に商売するのは気が引けるし、と言って成人した娘に無料で飲み食いさせるのもよろしくないと考えて、そういうルールにしたらしい。
「あ、竹内さん。こんばんわ。相変わらず毎晩来ているんですね」
「夕飯はたいてい大将の料理だから、これで体壊したらこの店の責任かなぁ」
「なんかいったかな?」
きらりと、大将の手元でよく研がれた包丁が光った。
「いえ、私が健やかに過ごせるのも大将の行き届いた料理のおかげでございます」
「よろしい」
「クスッ!なんか夫婦みたい」
「「夫婦はないだろう・・・」」
最初は親子の会話にはできるだけ邪魔にならないようにしていたのだが、私もすっかりこの二人になじんでしまったようで、一緒にこうして話をすることが多くなった。
「ふーん・・・竹内さんってほんとに生真面目というか・・・奥手過ぎ」
「今更否定する気にもならないけど・・・」
「顔はそれほどでもないし、多少メタボ気味だし、自分から積極的にいかずに女性が向こうから寄ってくるなんてことはないんだからさぁ」
いや、ほんとごもっともなんですがね。
「仕事はできるし、頭はいいし、自分以外の事については、観察力は鋭いと思うよ。こと、自分の色恋沙汰になっちゃうと、さっぱりなんだよなぁ・・・」
紫苑さんにまで先日を話をしてしまった。すっかりいいおもちゃになっている気がする。
「でもね。お父さん。たぶん、ちょっと好きだったんだけど、竹内さんがにぶすぎて諦めちゃった娘とかは絶対ると思うんだよね」
「ああ、ありえる。まったくだ」
「そんなことは・・・」
「「あるっ!あなたはにぶいっ!」」
「すんません」
親子そろって決めつけられると反論できない。
「いっそのこと・・・私がもらわれてあげようか?」
「紫苑っ!竹内ちゃんはだめっ!」
「なんでよ?」
「竹内ちゃんに義父さんと呼ばれるなんて考えたくもないっ!絶対ダメっ!」
「本気にしないでよ・・・私が竹内さんとどうにかなるわけないでしょう・・・」
「そりゃそうか・・・」
「そう言われるとさすがに私も寂しいんですが・・・」
「「細かいことは気にしないっ!」」
「細かいかなぁ・・・」
この二人にはいつもこの調子だ。まあ、これはこれで楽しいんだが。
「ところで、そのハンナちゃんって人、どんな感じのルックスだったんですか?」
ひとしきり大笑してから、紫苑さんが聞いてきた。
「ええと、小柄で黒髪のショートカット。見た目には十代で通るね。そういえば、左目の下に泣きぼくろがあったな。それほど目立たないけど、あれはあれでアクセサリーなのかも・・・」
「左目の下にほくろ・・・?」
「ああ。たしかちょうどこのあたりに」
私は自分の左目の目尻の少ししたを指さした。なぜか紫苑さんはびっくりした顔をしている。
「それ・・・私の知り合いかも・・・」
「えっ?」
「まあ、背格好と髪型とほくろの位置だけじゃ偶然かもしれないけど、その娘の本名は『葉菜』って言うんですよ・・・源氏名って本名を元につけたりするでしょ?」
私だけでなく、大将も驚いている。こんな偶然ってあるんだろうか・・・。
「今のアルバイトで一緒だった人でね。昼間も働いているのに、夜はアルバイトしていて、なんだかいろいろ事情があったらしいんだけど、要領が悪くてクビになっちゃったんだよね・・・」
どうもたしかに本人らしい気がする。特に『要領が悪い』というあたりが・・・
「で、紫苑・・・そのアルバイトってなんだ?」
「え?何を心配しているのお父さん?」
「いいから答えなさいっ!どんなアルバイトだっ!夜の仕事なんだなっ?!」
「そりゃ、昼間は学校に行くから仕事は夜だけど、ただのカフェだよ?深夜までやってはいるけど・・・」
「メイドの格好するのかっ!そんな・・・そんなバイトは許さないぞっ!」
大将はすごい剣幕だった。
「お、お父さんのバカっ!普通のカフェだよ。いかがわしいところなんてないんだから!」
「だからって夜遅くまでっ!」
「夕方からしか行けないんだから、夜遅くまで働かないとアルバイトなんてあるわけないでしょっ!」
なんだか、急に親子喧嘩が始まってしまった。ここは私がどうにかしないと話が終わりそうにない。
「まあまあ、大将・・・心配なのはわかるけど、紫苑さんももう大人なんだし・・・」
「大人になんてなってほしくなかったぁ・・・いつまでもかわいい女の子でいてくれればこんな心配は・・・」
酒も飲んでないのに泣き上戸になることがあるのが大将の悪いところだ・・・
「・・・バカ親父・・・」
「バカってなんだっ!実の父親に向かってっ!」
「夜、働いてるって言っても、家のすぐ近くだし、女性がターゲットのお店だから変なお客さんもいないよ。変な心配なんていらないんだから・・・」
「そ、そうか・・・ならいいんだけど・・・」
とりあえず、終結したようだ。
「で、話はもどるんだけど、葉菜さんの話」
突然、元の話に戻ってきた。そういうところも二人はよく似ている。
「なんだか結構苦労しているみたいでね・・・父親は生まれてすぐに亡くなって、母親はアルコール中毒で育児放棄、兄弟は三人もいるんだけど、バラバラになってあちこちの親戚とか施設をたらい回しにあってたんだって・・・」
「ぐっ・・・なんて・・・」
大将は涙もろい。こういう話はめっきり弱いのだ。すでに滝のように涙を流している。
「で、それで今はどうして昼も働いているのに夜まで?」
なんどもクビになっているのにアルバイトを探して続けているのは気になるところだ。
「彼女、昼間は看護師の仕事をしているらしいんだけど、正看護師の資格はもっていないんだって。進学する資金がなかったから。だから昼間は准看で働きながら、夜は別の仕事で資金を稼いで、さらに勉強もしているとか・・・」
「そうか・・・本当に苦労人なんだな・・・」
「でも・・・そのドジっ子が看護婦で・・・大丈夫なのか?」
言われてみれば大将の疑問はもっともだ・・・
「さあ・・・私は昼の彼女には会ったことないからなぁ・・・」
「向き不向きって言うのもあるよなぁ・・・」
まあ、確かに・・・。
とりあえず、できるだけ早いうちに、お店に顔をだそうとは思った。多少は同情する気持ちもあるかもしれない。