ストロベリー・キッス
この物語は実在する街を舞台にしていますがフィクションで、実際の人物や企業、店などとは関係はありません。ただし、一部にはモデルとなった人物や店舗はあります。しかし、物語の中での事件などは、あくまで空想です。
『すすきの』で呑むは珍しかった。
札幌で飲屋街、歓楽街と言うとまず『すすきの』が挙げられる。全国的にも有名だ。観光客向けの店も、ホテルも、風俗も多い。だからといって、札幌には『すすきの』しかないわけではない。
北に行けば『北二十四条』。地元の人間には『ニーヨン』と言われるあたりも飲屋街で『裏ススキノ』と呼ぶ人たちもいる。北海道大学のやたらと広いキャンパスから近いこともあり、学生向けの店も多い。
西に行けば『琴似』がある。長らく、『ニーヨン』と『琴似』は『札幌第二の歓楽街』を争ってきた。好みもあろうが、『ニーヨン』は風俗店の看板などが目立ち、治安があまり良くない。『琴似』は風俗店が当局の取り締まりで全滅し、元々住宅地が近いのもあって、比較的綺麗な街になっていた。もっとも、琴似にしても以前は風俗店がいくつも存在していたわけで、ここ数年程度の話でしかない。
とにかく、私が普段出歩くのは琴似。なにせズバリその場所に住んでいるのだから当然で、呼出しでもない限りすすきのにまで足を延ばすことはない。
私は竹内洋介。二十九歳独身。仕事はフリーのウェブデザイナーをしている。いわゆるウェブサイト(『ホームページ』とは言わなくなったか・・・)を作るのが仕事だ。
最近はデザイナーというよりもディレクターの仕事が多い。何が違うかというと、大きなサイトを作るときに、全体の取りまとめ役をやることが増えたということだ。
今回の仕事もそうだった。いつも世話になっている株式会社ノーザンクリエティブの薄田社長からの依頼で、フリーランスを集めてチームを編成し、地元企業のコーポレートサイトを創り上げた。単に会社を紹介するサイトであればたいしたことはないのだが、新商品のPRのための仕掛けや、固定ユーザのための機能などが要件に入っていて、結構面倒な案件だったのである。
私は知人の腕利きのプログラマーとイラストレータを呼び、プロジェクトチームを編成してどうにか制作を終えた。苦労の分だけ身入りが良かったのは言うまでもない。そして、薄田社長は上機嫌で我々を打ち上げに誘ってくれたというわけだ。
「いやあ、今回も竹内君のおかげで高い評価をいただけたよ。今後もいろいろ引き合いがありあそうだ」
薄田社長が私のコップにビールを注ぐ。お返しに注ごうとすると遠慮する。この人の癖だった。相手に飲ませるの大好きなのだ。社長と呑みに出ると、だいたいは朝まで飲み続けることになる。
薄田勇。会社は小さいながらも札幌のウェブ業界では一目置かれる人物だ。フリーランスを使ってウェブ制作を行う会社は、単に案件を右から左に流して中間搾取をするだけという会社が多い。薄田社長はそれとは違い、クライアントへの要望調査を綿密行い、要件を整理した形でフリーランスに発注を掛けてくれる。極めこちらにとっては仕事がやりやすく、クライアントにとっても信頼できる人物だった。
たまに傷なのは酒か。酒癖が悪いわけではないのだが、酔いつぶれるまで呑ませる癖がある。私は付き合いの長い方だが、どうも、他のフリーランスが長く関係を続けられないのは、この酒が原因なのではないかと思われた。
「桜田と杉浦が頑張ってくれたおかげですよ。見た目も綺麗にできたし、CMSの出来も良かったと思います」
「うんうん。お客様もその点大変満足していただけたよ。それも、二人を紹介してくれて、取りまとめてくれた君がいればこそだ」
まだ半分も飲み終わってない私のコップに注ごうとして、『もっと減らせ』と催促する。私は仕方なく、コップのビールを一気にあおった。再びコップ一杯にビールが注ぎ込まれる。返杯は受けてもらえない。
ちなみに、CMSとは『コンテンツ・マネージメント・システム』の略で、Webサイトに記事を追加したり、編集したりということを、管理サイト上から行えるようにする仕組みの総称だ。通常は、パッケージソフトやオープンソースと言われる無料のプログラムを使うことが多いが、今回は私と杉浦で以前開発した物を流用して改造したものを使った。私たちの用意する『カスタムメイドのCMS』は、ノーザンクリエティブの売りになっていた。
「そうですよ。竹内さんとのお仕事はちゃんと明確な指示をいただけるんで大変やりやすいんです」
「私も彼と仕事できるのが一番いいですね。ちゃんとプログラムのことも考えて、仕様を作ってくれるので」
二人の仲間が私が恐縮するのを尻目にさらに褒め殺しをする。先に声をあげたのが杉浦綾音。以前いた会社で同期入社したイラストレータの女性だ。二十七歳。二人目が桜田秀太。綾音と同い年のプログラマーで、私とは大学の同期だった。
「私も長いことフリーランスと組んで仕事をしてきたけどね。竹内君みたいにフリーランスのチームを編成して、ちゃんとリーダーとして引っ張っていける人は本当に珍しいんだ。それぞれが独立した事業主だから、どうしても我が強く出てしまって・・・すぐに内部崩壊を起こす。そこは竹内君の人望ってやつかね。これだけ腕利きの二人がちゃんと付いてきてくれるんだから・・・」
長話の隙を見て、社長のコップにビールを注ぐ。一方的に呑まされていては太刀打ち出来ない。薄田社長と呑むときはいつもこういう駆け引きがあるのだ。
「恐れいります・・・」
恐縮しながらとりあえず答えて、次いで、他の二人にもビールを注ぐ。
すでに料理も一通り片付き、そろそろお開きと言う感じだった。
「さて、この後はどうする?」
薄田社長は何故か上目遣いで私の方を見る。毎度のことなので、梯子酒は覚悟の上だった。ある意味では私は人身御供。残りの二人にまでは付き合わせることはできない。
「あ、すみません。明日は早くから別件の打ち合わせがありまして・・・。まあ、すすきのの夜に女性は余計ですよね。男性だけのお楽しみもあるでしょうし・・・」
意味ありげな一言を口にしながら、綾音は何故か秀太を睨む。
「あ、あの、わ、私も綾音を送って・・・それから、明日は早朝からメンテナンスしないといけないシステムが・・・」
多少しどろもどろなのは酒が入っているからではない。この二人は、半年ほど前から付き合い始めていた。紹介したのは私。仕事のためでもあったのだが、なんとなく気が合いそうだったので引きあわせてみたのだ。思惑はどんぴしゃり、すでに二人は婚約していて、来年には式を挙げて入籍する予定だ。
「そうかそうか。無理は言えないね。竹内君は大丈夫だよね?」
「あ、はい。予定もないですし」
実際、それほど私は嫌ではない。酒は嫌いでないし、社長との付き合いも長くなって、悪い酒のいなし方も覚えていた。
「しゃ、社長?こ、ここは・・・」
「ふむ、竹内君の事だから知ってそうだと思ったのだけど・・・」
「いえ、ウェブの仕事をしているからと言って、かたっぱしからアキバ系というわけではないですよ・・・」
半眼でやや足元の怪しい社長を見やりながら苦情を言ってみた。
噂には聞いたことがある。すすきのには様々なお店があり、飲食店にも特色あるものが多い。その中で異色を解き放つバーが一軒ある。
『メイドバー・ストロベリー・キッス』
業態はあくまでバーである。ただ、店員が全員若い女性でメイド服を来ている。ニュークラブではないので、メイドさんが隣に座ったりすることはない。が、バーと言っても、昨今増えてきた『ガールズ・バー」と言う業態だ。ボトルの酒をメイドが注いだりするのは過剰接客だが、カウンターの向こう側に一人一人女の子が立つ。
ちなみにすすきので『ニュークラブ』と言えば東京などで言う『キャバクラ』を指す。すすきので『キャバクラ』と言った場合には、東京で言う『セクシーキャバクラ』、関西で言う『おっぱいパブ』にあたる業態の事を言う。つまり、おさわりサービスありの半風俗になってしまうので、注意が必要だ。
社長とはニュークラブやスナックは何度か行ったことがある。別に苦手なわけではないのだが、ドレスを来たお姉様方に包囲されるのは気後れしてしまうところがあった。
「こういうのなら、竹内君ももっと楽しめるのではないかと思ってね?」
「は、はあ」
「興味ないの?メイド・・・」
社長は興味津々のご様子。ここは正直に答えよう。
「嫌いなわけじゃないですけど、ノリについていけるかどうかは不安です」
「ふむ。正直でよろしい。実は私も始めてだ。気にせず突撃と行こう!」
どうやら、一人や他の人間とは入りづらかったので、私を道連れに選んだらしい。
「おかえりなさいませ。ご主人様っ!」
お店のドアを空けた瞬間、小走りでメイド服の女の子が近づいてきた。身長は百六十センチ程度。それほど幼い印象はないが、紺色に白いエプロンのシックなメイド服がよく似合っていた。
ここまでは予想通り。世に流布された『メイド喫茶』のイメージとさして変わりない。
「始めてのご主人様ですね?それでは簡単に当店のシステムをご説明させていただきます」
「はあ・・・」
まあ、一般的な業態ではないので、説明があるのはわかる。だが、次に発せられた言葉は驚愕に値した。
「当店では最初に『侠気』として、五百円をいただくこととなっております。伝票に記載いたしますので、お出かけの際にお支払いください」
侠気・・・要するにチャームチャージのことだろう。バーとしては安い。だが、さらに開いた口が塞がらなくなるのはこの次の一言であった。
「当店では、ご主人様の事を『ご主人様』『お兄様』『王子様』などとお呼びすることとなっております。なんとお呼びしたらよろしいでしょうか?」
な、なんだそれ・・・。
さすがに薄田社長も一瞬言葉につまる。それを見たメイドさんは、さらに混乱を呼ぶ一言を発した。
「あ、『ア○ロ』と『シャ○』とかでも大丈夫ですよ」
もうすでに理解不能である。
「ああ、ええと、私は『ご主人様』で。こっちは『お兄様』でいいんじゃないかな?ね?竹内君」
「え、あ、はぁ、それで・・・」
あっけに取られていても、反応を返すことができるのは人生経験の差だろうか。
社長と私の歳の差は十二歳。しかし、見た目には二十以上違うように見える。社長は嫌味にならない程度におしゃれなスーツ、ノーネクタイでも見栄えのする柄物のワイシャツ、カフスがさり気無く手首に光る。
上背はないが肩幅があってがっしりとした体形。そして、形の良い口ひげと、短く切りそろえた銀髪が目に付く。社長曰く、昔、会社が倒産しかけた時の心労でそうなったのだとか。おかげで、年齢が十以上は上に見られる。一説には、その風貌が業績回復に一役買ったらしい。
「それでは、ご主人様、お兄様、お席にご案内いたします」
やたらと丁寧なおじぎをしてから、カウンター席に案内された。と言っても、この店にはボックス席は存在しない。大きくコの字型のカンターがあり、客はその内側に座るのだ。
「ご主人様とお兄様はどう言ったご関係ですか?親子とか・・・」
私の正面に立っている、小柄で妙に物慣れない印象のメイドさんが訊いてくる。先程の娘とは違う、ピンク色のメイド服を着ていて、いかにもメイド喫茶のメイドという感じだった。が・・・何処の世界に親子でメイドバーに来る人がいるのだろう・・・。
「あぁ、ハンナちゃん、ダメだよう・・・そんなこときいちゃあ・・・」
社長の正面に立っているさっきの背の高いメイドさんが慌てる。こちらは、『アンナ』と名乗った。
「え、あ・・・ご、ごめなさ・・・いえ、申し訳ございません。ご主人様、お兄様・・・」
時間も時間だし、バーなので高校生ということもないのだろうが、ハンナちゃんはずいぶんと子供に見えた。
「ふふ・・・親子だったら私は十二歳で子供を作ったことになるなぁ・・・」
助け舟を出すように、笑いながら社長が言った。
「えっ?」
「見えないでしょ?私は四十一、彼は二十九なんだ」
「も、申し訳ございません!」
「いいっていいって。気にしないでよ」
泣きそうになりながら謝るハンナちゃんに、私は思わず声をかけた。
「アンナちゃんしっかりしてるねぇ。お姉さんって感じだ」
親しげに社長が話す。どんな店に行っても社長はいつもこうだ。なかなかこういうふうには私はなれない。
「あら、それじゃ、これでおあいこですね」
「?」
「本当は年齢は内緒なんですけど・・・」
アンナちゃんは声をひそめた。
「私は二十歳。ハンナちゃんは二十四なんですよ・・・」
「えっ!?」
「ああ、ほら、大きな声あげちゃ・・・めっ!」
「は、はあ、すみません」
アンナちゃんとの比較以前に、ハンナちゃんは十代にしか見えない。呑み屋でなければ中学生だと思うかもしれないぐらいだ。
「あははっ!なるほど。それじゃ、おあいこってことで。ハンナちゃんもほら、気にしないで」
社長は大笑いして雰囲気を仕切りなおした。何処の店に行っても、いわゆる女性店では、いつの間にか薄田社長が場を取り仕切ってしまう。こういう所が社長の器ってやつなのだろうか。私にはなかなかできそうもない。
とにかく場は盛り上がった。タイムチャージ制の店なので、長く居るほど料金がかかる。と言っても、ニュークラなどよりはずっと安い。足りなければ社長がおごってくれるというのもあるが、今日は十分資金も準備していた。クレジットカードはあまり持ち歩かないようにしている。うっかりひどい目にあったことがあるからだ。
そのうち、私は寝てしまったらしい。普段はめったにないことだが、薄田社長と呑んだ時には、無傷で済むことは少ない。目が覚めたら、漫画喫茶にいて、ゴミ箱に吐いたあとがあったことや、泣き上戸になって、呑み屋でわんわん声をあげて泣いたこともある。普通に寝てしまったのならいい方だった。
記憶はもちろんないが、やたらと気持ちよく寝息を立てていたらしい。もちろん社長は起きていたのだろう。どうやら私が寝てしまったあとは、ハンナちゃんとアンナちゃんの二人で社長を接客していたらしい。
夢うつつという感じで、現実なのか夢なのか判別がつかない記憶ではあるが、社長と二人の会話が僕の耳に入ってきていた。
「今日はもう二人と飲んでたんだけどね」
「あら、どんな集まりだったんですか?」
「仕事の打ち上げだよ。私の会社の仕事を竹内君が仲間を集めて引き受けてくれたんだ。こう見えてこの男はとても優秀でね。残りの二人は彼の元に集まる腕利きの連中なわけだ」
「お兄様はなんだか頭よさそうですものね」
主に話しているのは社長とアンナちゃんで、ハンナちゃんは遠慮気味に相槌を打つ程度。年上とは言え、まだ慣れてないのだろう。
「どうして帰っちゃったんですか?」
「うーん、一人はまあ、女性だからね。気を聞かせて男同士で行く店にどうぞと」
「もう一人は男性なんですよね?」
「その女性のフィアンセでね・・・。彼女は『どうぞ』と言いながら、ものすごい剣幕でアイコンタクトを送っていたな・・・」
「あ、あぁ・・・なるほど・・・すでにしっかり尻に敷かれてるってやつですね」
「そういうことっ!はっはっは・・・」
社長が豪快に笑っているのが聞こえてくる。実に気持ちが良さそうだ。
「二人共、竹内君の知り合いでね。二人を引き合わせたのも彼だ」
「あら、キューピット役なんですね。お兄様は・・・」
「そう。ところが、もう三十も近いのに竹内君は相変わらずの独り者。他人のこと世話焼く前に自分をどうにかしろと・・・」
「あらぁ・・・いい人過ぎますね・・・お兄様は・・・」
「他人になんかに紹介してないで、自分でモノしてしまえばよかったのにな・・・」
笑いながら、社長が本気で気遣ってくれていることはよくわかる。が、そんなこと言われてもなぁ・・・。
私は夢うつつのままだった。とても気持よくなってきた。このまま一眠りしてしまっても、社長はまだまだ帰りそうにないから大丈夫だと思った矢先に事件は起こった。
「たまに甘いカクテルが呑みたいな・・・」
社長は血糖値が高いので、珍しい注文だ。
「あ、それでは、当店オススメのカクテル、ストロベリー・キッスはいかがですか?」
「ほう、店の名前がついてるんだ」
「あの、ご主人様、もしよろしければ、ハンナちゃんが作ってもいいでしょうか?練習を兼ねて・・・」
「ああ、結構結構。私もずいぶん酒を飲んできたからね。批評してあげるよ」
「そ、そう言われると緊張してしまいます・・・」
このへんの会話はほとんど私には聞こえていなかった。あとから思い出せばそんなこと言っていたかもしれないという程度。社長が教えてくれなかったら、記憶が蘇ることはなかっただろう。
次に記憶がある音声は自分の叫び声だった。
「つ、冷たっ!!!」
思わず叫んで、飛び起きた。頭から首筋に駆けて乗っかっていた氷と水が後ろにハネ落ちる。
「も、申し訳ありませんっ!」
見るとハンナちゃんはシェーカーを持っていた。目の前に大きめのカクテルグラスが置いてある。社長のためにストロベリーキッスとやらを作っていたのだろう。だが、よく見るとシェーカーには蓋がなかった。振り返ってみると、氷に混じって後に落ちている。
頭を下げるアンナちゃんと、ハンナちゃん。程なくして血相をかいた黒服とおぼしき男性が駆けつけた。
「ご、ご主人様・・・(私はお兄様のはずだが)・・・申し訳ありません・・・まずこちらで拭いて・・・奥に洗面台がありますから・・・ハンナちゃん・・・いや、アンナちゃん、ご案内してっ!」
渡されたタオルで頭を拭いて、ようやく意識がはっきりした。見るとカウンターの向こう側でハンナちゃんが泣いている。
「お兄様、大変申し訳ありませんでした。洗面所にご案内いたします。シャンプーもありますから。服の方は大丈夫ですか?」
上着は脱いでいたので、少しワイシャツにかかった程度だった。あとでシミになるかもしれないが、それぐらいは気にならない。サイズが合わなくなってきたので、捨てようと思っていたし・・・。
気になったのは、ハンナちゃんの表情だった。これは、下手するとクビになるかもしれない。
「ああ、気にしないで。大声出してごめんね。びっくりしただけだから」
次いで床を吹いている黒服に向かって言う。
「気になさらないでください。たいしたことないので」
「本当に申し訳ありません」
とりあえず、騒ぎが収束しかけたところで、社長が豪快に笑った。
「ふむっ!酒も滴るいい男だねッ!こりゃいいやっ!」
「はは、そうですねっ!」
私と社長の豪快な笑いで、半ベソのハンナちゃんは泣き笑い、杏奈ちゃんと黒服はほっとした表情を浮かべた。確かに客によっては酔いに任せてキレる奴もいるかもしれない。
「本当に申し訳ありませんでした。ハンナちゃんはちょっとドジっ子で・・・あれでも、ずいぶん真面目で一生懸命なんですよ・・・」
洗面台はいわゆるシャンプードレッサーだった。何故かちゃんとシャンプーまである。ひょっとしたら、ここでメイドさんのヘアメイクなんかもするのかもしれない。
「本当に気にしないで。というか、ハンナちゃんがすごいショックを受けてたみたいだから、返って申し訳ないよ。心配ないって言ってあげてよ」
「お兄様は本当にお優しいのですね」
「・・・照れるじゃないか・・・」
アンナちゃんは少し茶化すような口調になった。実際、大して気にしてはいない。楽しい酒の場が気まずくなる方が嫌だった。そういうところが、薄田社長と気が合う理由なんだと思う。
バスタオルで頭を拭き、ドライヤーを借りて髪を乾かす。思ったよりワイシャツも濡れていない。十月とは言え、札幌の十月は年によっては雪も降る。しっかり乾かさないと風邪をひいてしまうかもしれない。
「ここだけの話なんですけど・・・ハンナちゃんは結構いろいろ苦労しているらしくて・・・。普通はこういう店ってせいぜい二十歳ぐらいの娘しか、未経験者は取らないんですよね。うちの店長が彼女の知り合いらしくって、事情を組んで入店させたんですけど・・・」
「そうか・・・まあ、今回は大丈夫じゃないかな?」
「はい。お兄様がお優しかったおかげです。あれで騒ぎになっていたら・・・」
そういうものだろう。ガールズバーとは言え、夜の世界には変わらない。人情で動くことはあっても、そうそう甘いものではないはずだ。
「時々、顔を出すようにするよ。出勤しているときはハンナちゃんを指名してね」
「あら、ありがとうございます。ハンナちゃんは不定期で週三ぐらいだから、居ないときは私を指名してくださいね」
「ああ、そうさせてもらうよ」
上を乾かし終わった私は席に戻った。社長がどうやら会計を済ませてしまったらしい。だが、ずいぶんと上機嫌だった。
「竹内君っ!ここもおごりだっ!でも、近ううちにまた顔出せよ。いいオチをつけてくれたハンナちゃんを指名でなっ!」
「はい。ご主人様。今、お兄様とそう話していたところですよ。良かったね。ハンナちゃんっ!」
アンナちゃんはわざと黒服にも聞こえるように、大きな声で言った。私も地声よりも大きな声で続ける。
「そうさせてもらうよ。今度は、私がちゃんとストロベリーキッスを呑ませてもらおうかな。頭じゃなくて、ちゃんと口にね」
「あら、お兄様・・・ちょっと意地悪ですよ・・・」
「竹内君は隠れドエスだな・・・」
再び社長が大声で笑う。和気藹々とした雰囲気に沈みっぱなしのハンナちゃんも少し明るい表情になった。
「お・・・お兄様の・・・イジワルぅ・・・」
素なのか演技なのか判別しがたい萌えボイス・・・一瞬顔が赤くなった気がする・・・。
いや、気のせいではなかった。
「竹内君、顔が真っ赤だぞ」
「『イジワルぅ』で興奮するなんて・・・やっぱりドエスなんですね・・・お兄様」
「ち、ちがっ!」
社長とアンナちゃんの一言にムキになって反論しようとすると、余計に社長は大笑いした。こうして、事件は穏便に済まされ、お店にとっては、怪我の功名という雰囲気になったのである。もっとも、実際に近いうちに私がお店に顔を出さねば、結果としてハンナちゃんの立場は厳しいものになる。
『これはもう義務だな・・・』
声に出さずにそう思った。が、別にそれほど悪い気はしない。すすきのに出てくるのは面倒なはずだが、この店に来ることについては、そうは思わなかった。
『ラブコメ』を書こうと思ってますが、あんまりコメディしないかも。
書いてて自分が恥ずかしくなるんですが、まあ、学園モノよりは書きやすいのかなと。
恋愛にこだわるつもりもなく、洋介の仕事話や、すすきの/琴似の街で起こること、
呑み屋でのいろんなエピソードなんかを書いていきたいですね。