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1000年の時をかける「予言者」と、1000年後に名を残さなかった「詐欺師」。二人がついた、世界で一番優しい嘘について

作者: 六角
掲載日:2025/12/03


証言者:王立歴史アカデミー ルイス・ヴァン・ハーゲン教授 (現在より1000年後の記録)


「……ええ、もちろん知っていますよ。伝説の勇者アレス。彼が魔王を討伐し、この世界に『千年平和ミレニアム・パックス』をもたらした。歴史の教科書における最初の1ページです。


しかし、奇妙だと思いませんか?


当時の文献、特に民間のゴシップ誌や商人の帳簿の端にだけ、頻繁に現れる奇妙な男の記述があるのです。


常に勇者アレスの影にいて、黒いコートを羽織り、不敵に笑う男。


ある者は彼を『悪魔の参謀』と呼び、ある者は『堕落した賢者』と呼んだ。


名前は残っていません。歴史の表舞台には決して立たなかった。


ですが、私が発掘した当時の吟遊詩人のメモには、走り書きでこう記されていたのです。


『世界を救ったのは剣ではない。あの男の、黄金のような嘘だ』とね。


ハハッ、歴史家としてのジョークですよ。まさか詐欺師が世界を救うなんて、そんな馬鹿げた話があるわけがない」


♢♢死にたがりの予言者と、強欲な詐欺師♢♢


雨の匂いが充満する、王都の路地裏。 そこは、光り輝く大通りとは無縁の、ネズミと汚泥の掃き溜めだ。


俺の革靴が、泥水を踏んで不快な音を立てる。 まったく、ついてない。


昨晩のカモは羽振りが良かったが、逃げ足も速かった。おかげで俺の懐は、この路地裏と同じくらい寒々しい。


「……はぁ」


ため息をつきながら、腐った木箱の陰を通り過ぎようとした時だ。


そこに、異物があった。


ゴミの山に、純白のドレス。 泥にまみれているが、その生地が最高級のシルクであることは、俺の鑑定眼(詐欺師の目)が一瞬で見抜いた。


そして、その中心にうずくまる少女。


透き通るような銀髪。 折れそうなほど細い手足。


だが何より俺の目を引いたのは、彼女が震える手で握りしめている小瓶だった。


毒だ。 それも、即効性の猛毒『ベラドンナの涙』。 闇市でも金貨十枚は下らない代物だ。


(金持ちの令嬢が、心中ごっこか? 世も末だな)


関わるだけ損だ。俺はそう判断し、足を速めようとした。 だが、ふと顔を上げた彼女と、目が合った瞬間。


俺の足は、泥に縫い付けられたように動かなくなった。


その瞳。 深い、深い、アメジストの瞳。 そこには、十代の少女が抱えるべきではない、絶望の深淵があった。


まるで、この世の終わりのすべてを見てきたかのような、老成し、諦観し、摩耗しきった瞳。


彼女は俺を見ても、助けを求めなかった。 ただ、静かに小瓶の蓋を開け、唇へと運ぶ。


「――おい」


気付けば、俺の声が出ていた。


「いい酒を持ってるな。一人で飲むにはもったいないんじゃないか?」


少女の手が止まる。 彼女は虚ろな目で俺を見つめ、掠れた声で言った。


「……邪魔を、しないで」


「邪魔? とんでもない。俺はただの通りすがりの商売人だ。だがな、商売人として見過ごせない損失ロスがある」


俺は一歩踏み出し、彼女の手首を掴んだ。 華奢だ。少し力を入れれば折れてしまいそうなほどに。


「その毒、一口で楽になれる代物じゃない。内臓が焼けただれる激痛を味わって、七転八倒した挙句に死ぬ。綺麗な顔が台無しになるぜ?」


「……知ってるわ」


彼女は抵抗しなかった。ただ、涙も流さずに呟く。


「痛みなんて、もうどうでもいい。……また、繰り返すだけだから」


「繰り返す?」


「私が死んでも、また戻るの。魔王が復活する、3年前に。……もう、100回は死んだかしら」


うわごとのような言葉。 普通の人間なら、頭のおかしい娘だと切り捨てるだろう。


だが、俺は詐欺師だ。 嘘を見抜くことに関しては、王宮の尋問官より優れている自信がある。


この娘は、嘘をついていない。 狂ってさえいない。 ただ、事実を事実として述べている。


(ループ……だと?)


俺の脳内で、計算機が高速で弾かれる音がした。 もし、こいつの言葉が本当なら。 未来を知っている人間が、目の前にいるとしたら。


それは金貨の山なんて目じゃない。 世界そのものを買えるほどの情報ネタだ。


俺は唇の端を吊り上げ、ニヤリと笑った。 彼女の手から毒瓶を強引に取り上げ、路地の壁に投げつける。


パリーンッ!


小気味よい音と共に、ガラス片と毒液が散らばった。


「あ……」


「もったいない。実に、もったいないな」


俺は彼女の前にしゃがみ込み、視線を合わせる。 雨に濡れた彼女の頬に、俺の指先が触れた。


「お嬢さん。名前は?」


「……エルヴィラ」


「いい名だ。なあ、エルヴィラ。あんたのその『予言』の能力。死んで無駄にするくらいなら、俺に売れよ」


エルヴィラが、初めて感情の色を見せた。 驚愕。そして、呆れ。


「……あなた、正気? 私の話、信じるの?」


「信じるさ。俺は嘘つきだが、他人の真実は疑わない主義でね」


俺は立ち上がり、黒いコートの裾を払う。 そして、演劇の役者のように大げさに手を広げてみせた。


「あんたが絶望している理由はなんだ? 魔王に殺されるからか? それとも、世界が滅ぶからか?」


「……どっちも違うわ」


エルヴィラは膝を抱え、震える声で告げた。


「勇者が……必ず、死ぬの」


「勇者?」


「魔王を封印するには、代償が必要なのよ。世界というシステムが、『最も勇者らしい者』の命を生贄として要求する。……誰が勇者になっても、私がどんな助言をして歴史を変えても、最後は必ず勇者が死んで、私が一人残される」


なるほど。 ハッピーエンドが存在しないクソゲーってわけか。 そりゃあ、100回もやれば死にたくもなる。


世界を救えば、愛する者が死ぬ。 愛する者を救えば、世界が滅びる。


「システム、ねぇ……」


俺は顎をさすり、思考を巡らせる。 相手が人間なら騙せる。 相手が魔物でも騙せる。 だが、相手が『世界のルール』だとしたら?


(……ゾクゾクするじゃねえか)


俺の胸の奥で、どす黒い野心が鎌首をもたげた。 神様が決めたルール? 運命? そんなもん、俺たち詐欺師が一番嫌いな言葉だ。


俺はエルヴィラの手を取り、強引に立たせた。


「契約しようぜ、予言者様」


「……契約?」


「ああ。俺があんたの望みを叶えてやる。勇者も死なせず、世界も救う。その代わり、あんたの持ってる未来の知識、全部俺によこせ」


エルヴィラは力なく首を振る。


「無理よ。そんなこと、できるわけがない。神様が決めたルールなのよ……?」


「神様がなんだ。俺はクロウ。天下の大嘘つき(詐欺師)だ」


俺は彼女の耳元に顔を寄せ、悪魔のように囁く。


「正面から戦うから負けるんだ。勇者がダメなら、世界システムごと騙してやればいい」


「え……?」


「ルールってのはな、破るためにあるんじゃない。抜けバグを探すためにあるんだよ」


雨が激しさを増していく。 雷鳴が轟き、一瞬だけ路地裏を白く照らし出した。


その光の中で、俺は最高に邪悪で、最高に頼もしい笑みを浮かべていたはずだ。


エルヴィラの瞳が揺れる。 諦めに塗りつぶされていたアメジストの中に、小さな、本当に小さな『期待』という名の光が灯るのを、俺は見逃さなかった。


「……詐欺師」


「ああ、そうだ」


「もし、本当にそんなことができたら……私の命、全部あげるわ」


商談成立ディールだ」


俺はその冷たい手を、強く握り返した。


これが、世界を敵に回す共犯関係の始まり。 1000年の時をかける予言者と、その日暮らしの詐欺師が手を組んだ瞬間だった。


さあ、始めようか。 神様も腰を抜かすような、史上最大の大博打コンゲームを。



♢♢奇妙な勇者育成♢♢



証言者:宿屋『金色のガチョウ亭』主人 ハンス

(現在より997年前の記録)




「ああ、覚えてるよ。あの奇妙な三人組だろう?

魔王討伐の旅に出るって言ってたから、俺も応援するつもりだったんだ。

だけど、やってることがおかしいんだよ。


普通、出発前っていったら、剣の手入れをしたり、地図を確認したりするもんだろ?

でも、あの黒コートの男……クロウって言ったか。あいつがリーダーだったんだが、やる指示が全部めちゃくちゃなんだ。


『おいアレス、今日は肌のツヤが悪いぞ。エステに行ってこい』だの、『剣のタコができるから素振りは禁止だ』だの。

挙句の果てには、毎晩のようにアレス様を酒場に送り出して、朝帰りさせてたんだ。


俺は聞いたんだよ。『そんなことで魔王に勝てるのか?』って。

そしたらクロウの野郎、ニヤニヤしながらこう言いやがった。

『旦那、あんたは伝説に残る英雄を見ているんだぜ。英雄に必要なのは筋肉じゃない。愛嬌と、スキャンダルさ』


……結局、あいつらが宿を出る時、アレス様は剣の使い方は忘れてたが、ウインクのキレだけは抜群になってたな」


♢♢♢




予言者エルヴィラとの契約から三日後。

俺たちは、王都の下町にある場末の酒場にいた。


目的は一つ。

この世界を欺くための、最高の『役者』を見つけることだ。


「……クロウ。本当にあんな男にする気?」


隣で安酒をちびちびと飲んでいたエルヴィラが、心底嫌そうな顔で舞台を指差した。


そこでは、一人の男が大げさな身振り手振りで、三流の悲劇を演じていた。


輝くような金髪。

海のように青い瞳。

神々が手慰みに彫刻したかのような、完璧な美貌。


名は、アレス。

顔だけはいいが、演技力は絶望的。性格は軽薄で、金と女にだらしない。

王都の劇団をクビになり、今はこうして酔っ払いの前で大根役者をやっている男だ。


客席からは「引っ込め!」「もっとマシなのを出しやがれ!」と罵声が飛び交い、腐ったトマトが投げつけられている。


アレスは顔面にトマトを食らいながらも、キザなポーズを崩さない。


「ああ、最高だ」


俺はグラスを傾けながら、満足げに頷いた。


「顔がいい。声が通る。そして何より、中身が空っぽだ。これ以上の逸材はいない」


「……あのね、私たちは魔王を倒すふりをするのよ? あんな、トマトを投げられて喜んでる変態に何ができるの?」


「ふりをするからこそ、あいつがいいんだよ」


俺は席を立ち、舞台袖へと向かった。

ちょうど舞台を降りてきたアレスが、タオルで顔のトマトを拭っているところだった。


「クソッ、どいつもこいつも芸術を解さない野蛮人どもめ……!」


「いい演技だったぜ、名優さん」


俺が声をかけると、アレスはパッと顔を輝かせた。


「おっ、わかるか? あんた、見る目があるな!」


「ああ、あんたの才能に惚れ込んだ。だから、スカウトに来たんだ」


俺は懐から、金貨が詰まった革袋を取り出し、彼の目の前でジャラつかせた。


アレスの目が、金貨に釘付けになる。

わかりやすい男だ。欲望に忠実な人間は、扱いやすくて助かる。


「単刀直入に言おう。あんた、俺たちの劇団に入らないか? 演目は『世界を救う勇者』。主演はもちろん、あんたしかいない」


「……勇者? 俺がか?」


「そうだ。報酬はこの袋の中身だけじゃない。名声、地位、そして世界中の美女があんたのものになる。どうだ?」


アレスはゴクリと喉を鳴らし、震える手で革袋を受け取った。


「……やってやるよ。俺も、こんな狭い舞台には飽き飽きしてたんだ」


「契約成立だな」


俺はニヤリと笑い、背後で頭を抱えているエルヴィラにウインクを送った。


これで、駒は揃った。








翌日からの光景は、エルヴィラにとって悪夢そのものだったに違いない。


アジトとして借りた宿屋の一室。

エルヴィラは張り切って、未来の知識を使った効率的なトレーニングメニューを作成していた。


「いい? 魔王軍の幹部は魔法攻撃が主体だから、まずは魔力抵抗を上げる訓練を……」


「ストップ」


俺はそのメニュー表を横からひったくり、暖炉の火にくべた。


「ああっ!? 何するのよ!」


「そんなもん、必要ない」


俺は呆気にとられる二人を前に、新しい『日課表』を貼り出した。


1.朝:高級サロンで肌と髪の手入れ

2.昼:街を練り歩き、民衆に手を振る(笑顔の練習)

3.夜:酒場で高い酒を飲み、女性客を口説く

4.就寝:たっぷり10時間寝る


「……は?」


エルヴィラが絶句した。

アレスも目を丸くしている。


「おいおいマネージャー。俺は遊んでていいのか?」


「遊びじゃない。仕事だ」


俺は真顔で答えた。


「いいかアレス。勇者にとってもっとも重要な能力とは何だ?」


「そりゃあ……剣の腕とか、強い魔法とか……」


「不正解だ」


俺はビシッと指を立てる。


「『人気』だ」


「人気?」


「そうだ。民衆は強い奴が好きなんじゃない。好きになれる奴が勝つのが好きなんだ。お前がどれだけ強くても、むさ苦しい顔でストイックに修行してたら、誰も応援しねえ」


俺はアレスの肩に手を置き、鏡の前に立たせた。


「お前の武器はその顔だ。剣なんて振って手にマメを作るな。日焼けも厳禁だ。常に涼しい顔で、民衆のアイドルであれ。それがお前の戦い方だ」


アレスは鏡の中の自分を見つめ、まんざらでもない表情で髪をかき上げた。


「なるほど……確かに、俺の美貌を汗と泥で汚すのは罪だからな。わかった、その方針で行こう!」


「よし、行け。今日のノルマは『街の娘10人に黄色い悲鳴を上げさせる』だ」


「任せとけ!」


アレスは意気揚々と部屋を出て行った。

残されたのは、頭痛をこらえるように額を押さえるエルヴィラだけ。


「……ねえ、クロウ」


「なんだ?」


「私たち、本当に世界を救う気あるの? あんなチャラ男、魔王どころかスライムにも負けるわよ」


エルヴィラが詰め寄ってくる。

俺は彼女を落ち着かせるように、椅子を勧めた。


「エルヴィラ、思い出せ。敵は魔王じゃない。『システム』だ」


「ええ。だからこそ、勇者が強くないと……」


「逆だ」


俺は声を潜めた。


「システムは『最も勇者らしい者』を生贄に選ぶ。その基準はなんだと思う?」


「それは……清廉潔白で、強くて、みんなに愛されて……」


「そう。『聖なる力(強さ)』と『高潔な精神(清らかさ)』。この二つが揃った奴が、勇者としてロックオンされる」


俺はニヤリと笑う。


「だから、分けるんだ」


「分ける?」


「アレスには『名声』と『支持』だけを集めさせる。だが、中身は徹底的に腐らせる。酒を飲ませ、女遊びをさせ、訓練をサボらせる。システムから見て、こいつはただの『人気者の道化』に見えるようにな」


エルヴィラがハッとした顔をする。


「じゃあ、勇者としての『力』と『清らかさ』は……?」


「それはこれから調達する。……敵である魔王軍からな」


俺の言葉に、エルヴィラは理解が追いつかないようだった。

だが、それでいい。

詐欺師のネタばらしは、最後にとっておくものだ。


「安心しろ。俺のシナリオに狂いはない。お前はただ、アレスが調子に乗ってボロを出さないように、監視だけしていてくれ」


俺は窓の外を見下ろした。

通りでは、アレスが早速、花売りの娘にキザなセリフを吐いて、キャーキャー言われているのが見える。


順調だ。

このまま、史上最高に顔が良くて、史上最低に性根が腐った『偽勇者』を作り上げる。


それが、神殺しのための第一手だ。




「さて、次は敵さんへの挨拶回りといこうか」


俺は手紙を取り出した。

宛先は、『魔王軍 西方将軍閣下』。

中身は宣戦布告ではない。


極上の媚薬と、裏金ワイロの目録だ。



♢♢敵への塩対応♢♢



証言者:魔王軍第三師団 百人隊長ガガガの従卒の手記

(現在より996年前の記録)




「侵攻作戦、中止。まただ。

人間軍の前線基地から、また『贈り物』が届いたからだ。


最初は罠だと思った。箱を開ければ爆発するとか、毒ガスが出るとか。

だが、中身は最高級のワインと、純金で装飾されたロザリオ、それに見たこともないほど輝く聖剣だった。


将軍閣下はそれを見て、よだれを垂らして喜んだ。

『見ろ、この輝き! これこそ支配者にふさわしい!』

……いや、閣下。それ、聖属性の武器ですよ。

触るたびに『ジュッ』って音がして煙が出てますよ。

痛くないんですか?


閣下は言った。

『痛みなど、高貴なる者の嗜みだ。これを身につけているだけで、他の将軍どもに差をつけられる』

結局、閣下はその聖遺物をコレクションルームに飾るのに忙しくて、進軍命令を出すのを忘れてしまった。


人間どもは、戦う気がないらしい。

でも、こんな高価なものを貢ぐなんて、あいつら一体何を考えているんだ?」



♢♢♢


国境沿いの荒野。

魔王軍との最前線に、俺たちはいた。


普通なら、ここは血と鉄の匂いが漂う死地だ。

だが、俺たちのテント周辺だけは、まるで繁盛している商店の裏口のような活気に満ちていた。


「おい、その箱は丁重に扱え! 中身は教会本部から盗ん……借りてきた一級品の聖水だぞ!」


俺は荷馬車に積み込み作業をする運び屋たちに檄を飛ばした。

荷台には、山のような木箱が積まれている。


中身はすべて、人間界における至高の宝。

聖剣、聖鎧、高僧が祝福したアミュレット、そして最高純度の聖水。

総額にすれば、小国が三つは買えるだろう。


「……クロウ」


背後から、地の底から響くような低い声がした。

振り返ると、エルヴィラが幽鬼のような顔で立っていた。


「どうした、予言者様。顔色が悪いぞ。アレスの追っかけファンクラブの対応で疲れたか?」


「ふざけないで」


エルヴィラが俺の胸倉を掴む。力はないが、怒りは本物だ。


「あなた、何を考えているの? あれは全部、対魔族用の決戦兵器よ。それを……あろうことか、敵に送りつけるなんて!」


そう。

俺がやっているのは、ただの輸送ではない。

敵である魔王軍の幹部への『お歳暮』だ。


「落ち着けよ。これは必要経費だ」


「必要経費!? 敵を強化してどうするのよ! 聖剣を持った魔族なんて、手がつけられないわ!」


「逆だ、エルヴィラ。奴らは魔族だぞ?」


俺はエルヴィラの手を優しく外し、荷台から一本の短剣を取り出した。

柄に聖なる宝石が埋め込まれた、美しい儀礼用の短剣だ。


「魔族にとって、聖なる波動は毒だ。これを持ってるだけで、奴らのステータスはガタ落ちする。肌は焼けるし、魔力効率も悪くなる」


「だ、だったら、なおさら受け取るわけがないじゃない!」


「そこが、お前の知らない『男の虚栄心』ってやつさ」


俺は短剣を空に放り投げ、空中で見事にキャッチしてみせた。


「魔王軍の幹部連中は、力こそ正義の世界で生きてる。奴らにとって、人間界の聖遺物は『戦利品トロフィー』なんだ。

『俺はこんなに痛い聖剣を持っても平気なくらい強いんだぞ』と誇示したい。

『人間どもが俺を恐れて、こんな高価な貢物をよこした』と自慢したい。

そういう生き物なんだよ」


エルヴィラは口をポカンと開けている。

まだ納得していない顔だ。


「でも……もし、奴らが我慢してそれを使いこなしたら……」


「使いこなせばいいさ」


俺はニヤリと笑った。

ここからが、詐欺師の真骨頂だ。


「いいか、エルヴィラ。システムは『勇者』を探している。

勇者の条件の一つは、強力な『聖なる武具』を装備していることだ」


エルヴィラが息を飲む。


「……まさか」


「そのまさかだ。

アレスには、見た目重視の軽いアルミ製の剣を持たせてある。聖なる力なんて1ミリもない、ただのピカピカした棒だ。

一方で、魔王軍の将軍たちは、本物の聖剣や聖鎧で全身を固めていく」


俺は魔王城の方角を指差した。


「想像してみろ。

片や、酒と女に溺れ、偽物の剣を腰に下げたチャラ男。

片や、痛みに耐えながら聖なる光を放つ武具をまとい、厳格に軍を統率する魔族。

システム様は、どちらを『勇者らしい』と判断するかな?」


エルヴィラは戦慄していた。

恐怖と、そして呆れが入り混じった表情で、俺を見つめる。


「……あなた、本当に悪魔ね」


「褒め言葉として受け取っておくよ」


その時、前線から伝令兵が駆け込んできた。


「ほ、報告! 魔王軍西方将軍より、書状が届きました!」


俺は手紙を受け取り、封を切る。

中には、汚い字でこう書かれていた。


『貴殿の忠誠心、しかと受け取った。特にあの聖なる壺は素晴らしい。早速、寝室に飾ったぞ。我々の友好の証として、当面の間、進軍を見合わせる』


俺は手紙をエルヴィラに見せびらかした。


「ほらな? チョロいもんだ」


「……戦わずして、敵を止めた……」


「ああ。しかも、向こうは『貢物をもらった』と思って満足し、こっちの兵士は『アレス様の威光に恐れをなして敵が止まった』と勘違いする。

アレスの人気はさらに上がり、敵の『勇者度(聖なる装備率)』も上がる。

一石二鳥だろ?」


俺は荷運びのリーダーに合図を送る。

馬車がゆっくりと動き出した。


「さあ、次はもっとデカい荷物を送るぞ。

目指すは魔王城。魔王本人へのプレゼントだ」


俺の懐には、まだ切り札がある。

ただの武具じゃない。

民衆の『信仰』そのものを、魔王になすりつけるための準備が。


「行くぞ、エルヴィラ。次は吟遊詩人の手配だ」


「……もう、どこへでも連れて行って。驚くのにも疲れたわ」


エルヴィラは深い深いため息をついたが、その足取りは、出会った頃よりも少しだけ軽くなっているように見えた。


俺たちの嘘は、順調に世界を浸食している。



♢♢吟遊詩人のプロパガンダ♢♢



証言者:宮廷吟遊詩人 アントニオ

(現在より996年前の記録)




「私の喉は、王家のためにある。そう誓っていた。

だが、あの男……クロウが積み上げた金貨の塔を見て、私の誓いはあっけなく崩れたよ。芸術家とは、パトロンには逆らえない生き物だからね。


彼が依頼してきた新曲のテーマは、狂っていた。

『魔王を讃えよ』だ。


いや、誤解しないでくれ。

『魔王軍に入ろう』とか『人間を殺せ』なんて野蛮な歌じゃない。

もっとこう、荘厳で、宗教的な歌だ。


『魔王は、神が人間に与えた試練である』

『その厳しさは、父の愛のごとし』

『耐え忍ぶ者に、魔王は祝福を与えるだろう』


そんな歌詞を書かされた。

最初は民衆も戸惑っていたが、私の美声にかかれば、どんな歌詞も真実のように聞こえるものさ。

やがて、教会で祈る老婆たちが、神への祈りの言葉に『魔王様』と混ぜるようになった時、私は背筋が凍ったよ。


あの男は、歌で世界を洗脳したんだ」



♢♢




王都の中央広場。

そこは今、異様な熱気に包まれていた。


噴水の周りには幾重もの人垣ができ、中央でリュートを弾く吟遊詩人の歌声に、民衆が聴き入っている。


「――おお、深淵の王よ。

汝の怒りは大地を震わせ、我らの惰眠を打ち砕く。

その厳しき眼差しは、罪深き我らを正すがため。

畏れよ、敬えよ。大いなる試練の主を――」


朗々とした歌声が終わると、広場は割れんばかりの拍手と、敬虔な祈りの声に満たされた。


「魔王様……どうか、我らをお守りください……」

「この不作も、魔王様が与えた試練なのだわ……」


その光景を、広場の隅にあるカフェのテラス席から眺めながら、俺は満足げに紅茶をすすった。


「素晴らしい。流行歌ヒットチャートの力は偉大だな」


対面の席に座るエルヴィラは、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえている。


「……ねえ、クロウ。状況、わかってる?」


「ああ。至って順調だ」


「どこがよ! 魔王崇拝が始まってるじゃない! これじゃあ、魔王の力が強まるだけよ!」


エルヴィラが小声で叫ぶ。

無理もない。

常識的に考えれば、敵を崇めるなど自殺行為だ。


だが、俺は涼しい顔でクッキーをかじった。


「エルヴィラ。お前、勇者の力の源は何だと思う?」


「え? それは……レベルとか、装備とか……」


「違うな」


俺は指を一本立てる。


「『信仰プレイヤー』の数だ」


俺は広場の民衆を顎でしゃくった。


「システムって奴は、民主主義的なところがあってな。

多くの人間が『こいつこそが救世主だ』『こいつこそが世界の中心だ』と意識を向けた奴を、物語の主人公(勇者)として認識する傾向がある」


「……それで?」


「今、民衆の意識はどこに向いている?

アレスか? 違うな。あいつはただの『抱かれたい男ナンバーワン』だ。アイドルとしての人気はあるが、誰もあいつに『救い』なんて求めてない」


俺はカップを置き、声を潜めた。


「民衆が今、畏敬の念を持って、祈りを捧げている対象は誰だ?」


エルヴィラはハッとして、広場の中央へ視線を向けた。

そこでは、老婆が魔王の方角に向かって手を合わせている。


「……魔王……」


「正解だ。

俺たちは、魔王を『ただの怪物』から『厳格な神の代行者』へと格上げしたんだ。

民衆は魔王を恐れながらも、そこに神聖な意味を見出している。

つまり、世界中で一番『信仰』を集めているのは、今や教会でも勇者でもなく、魔王なんだよ」


エルヴィラの顔から血の気が引いていく。


「聖なる武具を持ち……民衆からの信仰を集め……」


「そう。外堀は埋まった」


俺はポケットから懐中時計を取り出した。

針は、運命の刻限へと確実に近づいている。


「さて、そろそろ仕上げといこうか」


その時、王都の鐘が鳴り響いた。

ゴーン、ゴーンと、重苦しい音が空気を震わせる。


エルヴィラがビクリと肩を震わせた。

彼女の瞳が、恐怖で見開かれる。


「……来たわ」


「ああ」


「予言の……時間よ。明日、魔王城の結界が消える。そして、魔王が完全復活する」


エルヴィラの手が震えている。

過去100回、彼女が絶望と共に迎えた、世界の終わりの始まり。

どんなに足掻いても、愛する勇者が死ぬ運命の日。


「怖いか?」


俺が尋ねると、彼女は唇を噛み締め、それでも気丈に頷いた。


「怖いわ。……でも、今回はあなたが居る」


彼女はすがるような目で俺を見た。


「ねえ、クロウ。本当に、誰も死なないの? アレスも、私も、あなたも」


「約束したろ。俺は欲張りな詐欺師だ。欲しいものは全部いただく」


俺は席を立ち、伝票をテーブルに置いた。

そして、ニヤリと笑って見せる。


「準備はいいか、予言者様。

いよいよ、このクソったれな世界システムに、種明かしをしてやる時間だ」


俺たちは広場を後にする。

アレスは既に、王都の門で待機させているはずだ。

『ファンとの握手会がある』と騙して呼び出してある。


役者は揃った。

舞台装置も完璧だ。

あとは、主演男優がスポットライトを浴びて、劇的に退場するだけ。


ただし、そのスポットライトを浴びるのは、勇者ではない。




「行くぞ。魔王城へ。

世界で一番豪華で、残酷な『戴冠式』の始まりだ」




♢♢定義の書き換え♢♢



証言者:元・王宮騎士団長 ガウェイン

(現在より996年前の記録)




「あの日、我々は魔王城の扉が開くのを固唾を飲んで見守っていた。

中から現れるのは、凱旋する勇者アレスか、それとも世界を滅ぼす魔王か。


だが、起きたことは……そのどちらでもなかった。

突如、魔王城の最上階から、目が潰れるほどの神聖な光が溢れ出したのだ。


それは『勇者の印』と呼ばれる、魔王封印の聖なる光だった。

我々は歓喜した。『アレス様がやったんだ!』と。


しかし、崩れ落ちた玉座の間で私が見たのは、呆然と立ち尽くすアレス様と、腹を抱えて笑い転げるあの黒コートの男だけ。

魔王の姿はどこにもなかった。

ただ、玉座の上に、魔王が身につけていた聖剣と、聖なる鎧だけが、主を失って転がっていた。


あの時、現場にいた誰もが理解できなかった。

なぜ、魔王を封印するはずの光が、魔王自身から発せられたのかを」




♢♢




魔王城、最奥。

漆黒の闇に包まれているはずの『玉座の間』は、皮肉なことに、王都の大聖堂よりも神々しい光に満ちていた。


「よくぞ来た、人間どもよ!」


玉座から立ち上がったのは、魔王だ。

3メートルの巨躯。ねじれた角。

だが、その体には最高級のミスリル銀の聖鎧が輝き、手には教皇が祝福した聖剣『エクスカリバー(真)』が握られている。

首にはロザリオ、指には聖遺物の指輪がジャラジャラとつき、歩くたびに「シャラン、シャラン」と清らかな音が鳴る。


対するこちらはどうだ。


「うわっ、眩しっ! おいクロウ、鏡ないか? 髪型が崩れてないか心配だ」


偽勇者アレスは、アルミ箔を貼っただけの模造刀を腰に下げ、緊張感のかけらもなくあくびをしている。

昨晩も「決戦前夜祭」と称して朝まで飲んでいたため、顔はむくみ、酒臭い。


「……クロウ」


エルヴィラが俺の袖を掴む。

彼女は震えていた。

目の前にいるのは、1000年間、彼女を絶望の底に突き落としてきた元凶だ。


「大丈夫だ」


俺は短く告げ、前に出た。


「魔王閣下。贈り物は気に入っていただけたかな?」


「ククク……素晴らしいぞ、人間! この聖なる輝き、身を焦がすような痛み! これこそが王の威厳よ! 我が軍門に下れば、貴様を参謀にしてやってもよいぞ?」


魔王は聖剣を掲げた。

その瞬間、バチバチと皮膚が焼ける音がするが、魔王は痩せ我慢をして表情を崩さない。

見上げた虚栄心だ。


「お断りだ。俺は詐欺師でね。他人の下につくのは性分じゃない」


俺は懐中時計を取り出した。

秒針が、正午を刻もうとしている。


「それに……時間切れ(タイムアップ)だ」


ゴオオオオオオオッ……!


空間が唸りを上げた。

魔王城の天井に、巨大な魔法陣が出現する。

『システム』の起動だ。


「な、なんだ!? この光は……!?」


魔王がうろたえる。

エルヴィラが叫んだ。


「始まるわ! 封印の儀式が……誰かを生贄にする気よ!」


天井から無数の光の鎖が垂れ下がり、蛇のように鎌首をもたげて『適格者』を探し始めた。


システムの声なき声が、場に響き渡るような圧力を生む。


――対象ヲ検索中。

――条件:『最も勇者ラシキ者』ヲ選定セヨ。


光の鎖が、まずアレスに向かう。


アレスは「うわっ、なんだこれ!」と腰を抜かし、尻餅をついた。

その拍子に、懐からエロ本と酒瓶が転がり落ちる。


――解析結果:勇者アレス。

――神聖値:ゼロ。武力:Eランク。品性:下劣。

――判定:対象外エラー


鎖は興味を失ったように、アレスから離れた。


「なっ……!?」


エルヴィラが目を見開く。

本来なら、ここでアレスが捕まり、命を吸われるはずだった。

だが、今のあいつは、どう見てもただの『酒好きのチンピラ』だ。世界を救う器じゃない。


次に、鎖は俺とエルヴィラに向いた。


――解析結果:詐欺師クロウ。予言者エルヴィラ。

――神聖値:マイナス。

――判定:論外。


当然だ。俺たちはこの世界を騙そうとする反逆者だ。


「き、貴様ら、何をした……!?」


魔王が後ずさる。

行き場を失った光の鎖は、最後に、もっとも強い光を放つ存在へと向いた。


玉座に立つ、魔王へ。


――解析結果:魔王。

――装備:SSランク聖遺物(フル装備)。

――支持率:全人類ノ30%ガ信仰中。

――属性:試練ヲ与エル者(厳格ナル父)。


システムが、カチリと音を立てて『認識』を確定させた。


――判定:適合マッチ

――個体名『魔王』ヲ、『真ノ勇者』ト認定。

――世界ノ平和ノタメ、ソノ命ヲ徴収スル。


「は……?」


魔王が間の抜けた声を上げた瞬間。

すべての光の鎖が、魔王の体に殺到した。


「グオオオオオッ!? な、なんだこれは!? 貴様ら、魔王であるこの私になにを……!」


「魔王?」


俺は鼻で笑い、両手を広げて告げた。


「鏡を見てみろよ。聖剣を持ち、聖鎧を着て、民衆の祈りを一身に浴びるその姿。

お前はもう魔王じゃない。

システムが認めた、**世界で一番立派な勇者様**だ」


「バ、バカな……! 私は魔族の王だぞ! 人間どもを支配する……」


「いいや、お前は『試練を与える神の代行者』だ。吟遊詩人がそう歌い、民衆がそう信じた。

多数決が正義の世界じゃ、お前が勇者なんだよ!」


ズズズズズ……!


魔王の体が、光の中に溶け始めていく。

封印の代償。

勇者の命をエネルギーにして、魔王(という概念)を封印するシステムが、バグを起こして自己完結ショートしているのだ。


魔王=勇者。

ならば、魔王が消えれば、平和が訪れる。

矛盾はない。


「おのれェェェェ! 謀ったな! 謀ったな詐欺師ィィィィ!」


「光栄だね。地獄で自慢していいぜ。お前は伝説の詐欺師に騙されたんだってな!」


カッッッ!!!!


視界が真っ白に染まる。

魔王の断末魔は、聖なる光にかき消され、やがて静寂だけが残った。






光が収まった後。

玉座の間には、誰もいなかった。

ただ、空っぽになった聖鎧と、床に落ちた聖剣が、寂しげな音を立てて転がっていた。


「……終わった……?」


エルヴィラが、呆然と呟く。

彼女は自分の手を見た。消えていない。

隣を見た。アレスが「あー、びっくりした。酒こぼしちまった」と文句を言っている。生きてる。


そして、俺を見た。


「……クロウ」


「ほらな」


俺は空になった玉座に、どかっと腰を下ろして足を組んだ。


「勝ったぜ。俺たちの、完全勝利だ」


エルヴィラの目から、大粒の涙が溢れ出した。

1000年分の絶望が、100回分の死が、ようやく報われたのだ。


彼女は泣きながら俺に飛びつき、その胸に顔を埋めた。


「うわあああああん! バカ! 詐欺師! 信じられない! 本当に……本当にやっちゃうなんて……!」


「痛い痛い。泣くなよ、服が高かったんだぞ」


俺は苦笑しながら、彼女の震える背中を撫でた。

アレスが空気も読まずに近づいてくる。


「なあクロウ、魔王はいなくなったし、帰っていいか? 王都のねーちゃんと約束があるんだ」


「ああ、帰れ帰れ。お前は今日から、世界を救った大英雄だ。モテまくるぞ」


「マジか! 最高だな!」


アレスはスキップしながら去っていった。

あいつは一生、自分が何をしたのか理解しないだろう。

それでいい。


俺は天井を見上げた。

システムは沈黙している。

バグを利用されたことに気づいているのか、それとも満足したのか。


どちらにせよ、世界は騙された。

1000年のループは、これにて閉幕だ。





♢♢名を残さなかった理由♢♢



証言者:南方の孤島に住む、詳細不明の老人

(現在より950年前の記録)




「英雄アレス? ああ、知ってるとも。教科書に載ってる偉人だろ。

だがな、あんた。歴史ってのは、勝者が書くもんだ。

本当に賢い奴は、歴史書になんて載らないのさ。


昔、この島に変わった夫婦が越してきてな。

旦那の方は口が達者で、遊び人のように見えて、妙に目つきが鋭い男だった。

奥さんの方は、それはもう美人で、いつも幸せそうに笑っていたよ。


ある日、酒場でその旦那に聞いたんだ。

『あんた、都じゃ随分と顔が利いたらしいが、なんでこんな辺鄙な島に来たんだ?』って。


男はグラスの氷をカランと鳴らして、こう言ったよ。

『世界を救うなんて大仕事は、一度やれば十分だ。それに、英雄なんてのは不自由な商売でね。俺はただ、愛する女と長生きがしたいだけさ』


……ハハッ。ただの酔っ払いの戯言さ。

でもな、俺は時々思うんだ。

あの男の笑顔は、世界中の誰よりも勝ち誇った顔だったってな」




♢♢




魔王消滅から数日後。

王都は、かつてない祝祭の熱狂に包まれていた。


空には花火が上がり、大通りは紙吹雪で埋め尽くされている。

その中心を行くのは、白馬にまたがったアレスだ。


「ありがとう! みんなありがとう! 僕の美しさが世界を救ったんだね!」


アレスが投げキッスをするたびに、黄色い歓声が上がり、数人の女性が気絶している。

彼はこれから王城に招かれ、国王から爵位と領地を授与される予定だ。

まさに、栄光の頂点。


そのパレードを、路地裏の影から見つめる二つの人影があった。


「……本当に、これでよかったの?」


旅装束に着替えたエルヴィラが、少しだけ不満げに問いかける。


「あいつ、自分が何をしたかも分かってないわよ。本当の英雄はあなたなのに」


「よせよ」


俺はハンチング帽を目深にかぶり直し、アレスの背中を見送った。


「英雄なんて、なるもんじゃない。

見てみろ。あいつはこれから一生、清廉潔白な『勇者アレス』を演じ続けなきゃならない。

立ち小便もできないし、安酒場で管を巻くことも許されない。

システム監視下の鳥かごの住人だ」


俺は肩をすくめる。


「それに、俺が英雄になったらどうなる?

システムはまだ生きてる。次の危機が来たら、また『勇者らしい奴』が生贄に選ばれる。

目立つのはリスクだ。

一番賢いのは、手柄を全部あのバカに押し付けて、ドロンすることさ」


俺は懐から、一枚の切符を取り出した。

南の大陸へ向かう、豪華客船のチケットだ。

もちろん、魔王城の宝物庫からくすねた宝石を換金して手に入れた、特等室スイートだ。


「行こうぜ、エルヴィラ。

ここからは、勇者も魔王もいない。予言も運命もない。

ただの俺たちの人生だ」


エルヴィラは、輝く大通りと、アレスの姿をもう一度だけ振り返った。

そして、未練を断ち切るように俺の方を向き、悪戯っぽく微笑んだ。


「ええ。……責任、取ってよね?」


「責任?」


「私の命、全部あげるって言ったでしょ。

これからの長い長い人生、私を退屈させないでよ? 大嘘つきの詐欺師さん」


「任せとけ。

お前が一生飽きないような、極上の『嘘』で楽しませてやる」


俺は彼女の手を取り、エスコートした。

喧騒を背に、俺たちは港へと歩き出す。


歴史書には一行も残らない。

誰からも称賛されない。

だが、俺の掌には、世界のどんな財宝よりも温かい、彼女の手のぬくもりがあった。








それから、月日は流れ――。


南の海の、小さな島。

エメラルドグリーンの海と、白い砂浜。

どこまでも青い空の下で、俺はハンモックに揺られていた。


「あら、また昼寝?」


涼やかな声と共に、冷えたトロピカルジュースが頬に押し当てられる。

目を開けると、日焼けした肌が健康的な、とびきりの美女が覗き込んでいた。


かつて路地裏で死にかけていた、あの絶望の予言者の面影はもうない。

今の彼女は、ただの幸せな妻だ。


「人聞きが悪いな。明日の釣りのプランを練っていたんだ」


「ふふっ、嘘ばっかり」


エルヴィラはクスクスと笑い、俺の隣のハンモックに腰掛けた。

彼女の指には、泥で作った指輪ではなく、貝殻で作った指輪が光っている。

俺が贈った、世界に一つだけの指輪だ。


「ねえ、クロウ」


「ん?」


「私、今……すごく幸せ」


「そりゃよかった」


「予言が見えなくなったの。未来のことなんて、明日のお天気すら分からない。

……でも、それがこんなに心地いいなんて知らなかった」


彼女は海を見つめ、目を細めた。

1000年のループを抜け出し、ようやく手に入れた『分からない未来』。

それが、俺たちが勝ち取った戦利品だ。


「なあ、エルヴィラ」


「なに?」


「愛してるぜ」


エルヴィラは驚いたように目を丸くし、それから顔を真っ赤にした。

そして、今までで一番、美しい笑顔を見せた。


「……もう。詐欺師の言葉なんて、信じないんだから」


そう言いながら、彼女は俺の唇にキスをした。


嘘か本当か。

そんなことは、どうでもいい。

二人が笑っていられるなら、それが俺たちにとっての真実だ。


1000年の時をかけた予言者と、名を残さなかった詐欺師。




(完)

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