第8話 最強格
「………」
ケインは空を見つめていた。
どこまでも澄み渡る青の中を、真っ白な雲がゆっくりと流れていく。
頬を撫でる風は穏やかで、草の匂いが心地よく鼻をくすぐる。
その下で、ケインは緑に染まる芝生の上に仰向けになり、まるで昼寝から目覚めたように穏やかな表情を浮かべていた。
隣では、イリスとダリウスが並ぶように眠っている。二人の寝息が静かに重なり、どこか懐かしい安堵が胸を包む。
「ここは……」
ケインが小さく呟き、上体を起こす。
その気配に気づいたイリスが目を擦り、眠たげにこちらを見た。
「ケイン?どうした、」
そう言ったイリスは、ケインの顔を見て、ふと目を見開く。二度見するほどの驚きだった。
イリスが言葉を続けるよりも早く、ダリウスが不思議気に首を傾げて問いかける。
「リーダー……なんで、泣いてるんすか?」
「え、?」
ケインは自分の頬を伝う温かいものにようやく気づいた。
いつの間にか、涙が零れていたのだ。
彼は慌てて袖で目を拭い、息を整える。
「すまん、、今まで……ありがとな。」
ぽつりと、一滴の涙が芝生の上に落ちる。
次の瞬間、ケインの視線の先、
そこに、病魔が立っていた。
地面には一滴の血がポタポタと垂れていく。
病魔が微笑を浮かべる。
「あっぱれだ。
よくやったよ、中々楽しめた。じゃあな、」
その言葉と同時に、病魔はゆっくりとケインの頭に手を置いた。
氷のように冷たい指先が、額に触れる。
ケインの瞳が震え、言葉にならない呟きが喉から漏れる。
「………クソが、」
最後の悪態を吐きながら、ケインは力なく目を閉じた。
風が止まり、空の青が少しずつ黒で埋めつくされていく。
彼の身体は急速に痩せ細り、肌には黒ずんだ斑点が浮かび上がっていく。
それは、病魔に蝕まれた確かな証だった。
――――――――――――――――――――――
「ねぇ、どうするの?」
エレーナの声が、かすかに震えていた。
崩れかけた城の回廊。
冷たい石壁の隙間から吹き込む風が、血と焦げた匂いを運んでくる。
その中で、レゼとエレーナは背中合わせに立っていた。
数メートル先では、エリシアとレヴィンが段々とと距離を詰めてくる。
耳の奥で、レゼの鼓膜が軋む。――あの耳鳴りだ。
(まさか、、)
警鐘のような音に、レゼは迷いなく走り出した。
崩れた通路の奥へ、瓦礫を踏み越えて駆け抜ける。
後ろからエレーナの足音が続き、そのさらに後方でエリシアが走ってくる。
エレーナが咄嗟に振り向き、氷魔法を放つ。
冷気が走り、通路一面が一瞬で凍りつく。
エリシアの足が止まり、氷壁がその行く手を遮った。
レゼは奥の扉を蹴破り、中へ飛び込む。
部屋の隅、崩れた机の影で、小さな影が震えていた。
「セラ!」
レゼが駆け寄り、腕を広げて抱きしめる。
セラは泣きながらレゼの胸に顔を埋め、しがみついた。
背後では、エレーナが素早くドアに氷の結界を張る。
だが、その直後――
天井から鈍い音とともに、何かが落下してきた。
轟音とともに床がひび割れ、粉塵が舞う。
そこに横たわっていたのは、ケインの死体だった。
そのそばに、病魔の不気味な影が立っている。
「逃がさないよ、皆殺しにする。」
その声は低く、愉快そうに歪んでいた。
病魔が手を伸ばす。
その瞬間、レゼは反射的に横に避ける。
空気が裂け、黒い霧の指が髪を掠めて通り過ぎる。
「……避けられた、」
病魔の目が僅かに見開かれる。
ケインでさえ追えなかった一撃――それを、レゼは見切ったのだ。
「避けれた、。」
レゼはが、興奮気味に言うと、エレーナが
「私の訓練のおかげ?」
「なわけ、」
珍しく、エレーナがジョークを飛ばす。
二人の距離が縮まった証拠だろう。
氷壁が砕け散る音。
扉を突き破って、エレシアが飛び込んできた。
その目が、一瞬で凍りつく。
床に横たわるケインの亡骸を見て、彼女は息を呑む。
だが、その感情は一瞬。
次の瞬間には、冷徹な表情へと戻り、腰のナイフを抜いた。
その瞬間、後ろからレヴィンが駆け込む。
「エレシア、下がれ。」
レヴィンの命令を聞かず、彼女の体はもう動いていた。
音もなく、ナイフの刃が弧を描き、レヴィンの頬を裂く。
「、、!何をする!」
悲鳴と同時に、レヴィンが顔を押さえる。
その隙を逃さず、エレシアは地を蹴った。
彼の膝を的確に蹴り砕き、折れる音が響く。
レヴィンの体が崩れ落ちると同時に、
エレシアの刃がその喉を貫いた。
「見てられん、逃げろ!お前ら!」
血飛沫を浴びながら叫ぶ。
その瞳には、覚悟と哀しみ、そして怒りが入り混じっていた。
叫びと同時に、エレシアは病魔へと飛びかかる。
刃が交錯し、城の一室が地獄と化す。
「もう!何が起こってんの!?」
セラがレゼの手を強く握りしめ、荒い息を吐きながら叫んだ。
焦りで潤んだ瞳が、崩れゆく城の方を何度も振り返る。空気は灰と土埃で白く霞み、焼けた石の匂いが鼻を突いた。
三人は瓦礫を飛び越え、崩壊する音を背に街へと駆け出す。
外へ出ると、通りは混乱の渦中にあった。怒号、悲鳴、金属音。
鎧をまとった兵士たちが次々と駆けつけ、その中でもひときわ目立つ、歳を重ねた男が前に立った。
厚手の黒いコートを羽織り、腰には長剣。眼光は鋭く、戦場慣れした者の静かな威圧を放っていた。
「お前ら、関係者か? 中で何が起こっている、」
男の声は低く、しかし通る。
それに対し、レゼは眉をひそめ、苛立ったように叫ぶ。
「は? しるか!」
その言葉を聞いたエレーナの目がわずかに見開かれる。
この男、知っている。
彼は国直属の精鋭――聖騎士団の隊長だった。
王が不在のこの混乱下で、城の護衛は壊滅。
その報を受け、聖騎士団が総出で動くのも当然のことだった。
「レゼ!」
エレーナが鋭い声で呼ぶ。
その瞬間、風が止まり、空気が濁る。
どこからともなく、黒い霧が地面から滲み出し、レゼの目の前にそれが現れた。
「……っ!」
病魔。
異様な気配と共に姿を現したその存在は、右手にエレシアの首を掴んでいた。
まだ温もりの残る髪が揺れ、血が滴り落ちる。
その狂気じみた光景に、兵士たちは息を呑んだ。
「えー、階級……SS、以上……
魔王級に匹敵する強さ、おそらく死相だ。駆除する。」
男は冷静にそう呟きながら、懐から透明な通信水晶を取り出し、短く報告を入れる。
直後、彼の周囲の空気が一変した。
兵士たちは緊張の面持ちで後退し、戦闘のために円を描くように道を開ける。
レゼはその様子に目を細め、肩をすくめた。
「……ったく、やる気あるのか?このおっさん、」
男は静かに太刀を抜いた。
鞘から放たれる音は、金属ではなく光そのものが鳴るように澄んでいる。
風が巻き、外套が翻る。
その太刀の刃は真っ黒に光すら反射しない禍々しい色味を放っている。
「……戦闘開始、」
彼は短く告げ、まっすぐ病魔へと歩む。
対する病魔は、口角をゆっくりと吊り上げながら、エレシアの首を足元へ放り捨てる。
「最強格、聖騎士の隊長が、こんな所に……いいよ。やってやるよ、」
その声は低く、口角を上げどこか楽しげだった。
空気が震え、地面が軋む。
レゼとエレーナはすぐにセラの手を取り、逃げる体勢を取る。
だがその目は、どうしても目の前の戦いから離せなかった。
人間と“死相”、生と死が交錯する瞬間を、息を詰めて見守るしかなかったのだった……




