第10話 落ちこぼれ、、から
「ハハハ!待ってよ……!」
「ほら、早くこいよ〜!」
幼い二人の兄弟は、枯れ枝を剣に見立てて振り回しながら、薄暗い森の奥を駆け抜ける。弟は口を大きく開けて笑い、短い息を白く吐きながら兄の後ろを追う。その笑い声が木々の間を跳ね返り、小鳥がそれに気づいて羽ばたいていく。
兄は一歩先で立ち止まり、肩の力を抜いて弟を見守る。夕暮れの光が木の隙間から落ち、兄の輪郭をやわらかく縁取る。目は細く、どこか遠くを見つめているようだが、唇の端には優しい影があった。
だが、その時急に兄が足を止める。
それを見て、慌てて弟も足を止めてなんとかぶつからないように回避すると、兄の方を見つめる。
「……どうしたの?」
弟の声はまだ好奇心で震えている。兄は指を一本ゆっくりと伸ばし、その先を示した。空気がぐっと冷たくなるような静けさが、枝葉のざわめきの中に差し込む。
その方向には、大きな洞窟。そしてその奥に光る何かがあった。
洞口は古い牙のように地面から開き、内側は湿った空気と冷たい闇で満たされている。洞窟の奥、波打つ闇の裂け目の中で、白い光が揺れている。光は水銀のように滑らかに、だが確実にそこに在ると主張していた。
「行ってみよ!」
弟は躊躇を知らない。足元の落ち葉を蹴散らし、顔にかかった髪をはねのけるとそのまま洞窟の方へ飛び込むように走り去った。兄は一瞬だけためらう。風が木の葉を鳴らし、洞窟の入口からは冷たい吐息が漏れ出す。兄は弟の背中に向かって声を張る。
「、おい待て、、」と言いかけて追いかけ始めるのだった。
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「なんで、、今あの時の……」
戦場のように荒れた酒場の中、レゼはヴァルヴィスの攻撃をかわした直後、剣を振り下ろそうとする。しかし右腕はない。切断された断面からは血とのたうつ筋繊維が覗き、布の袖は虚しくはためいている。右利きであるレゼにとって、腕を失った今、振ろうとした剣は空しく軌跡を描くのみで、ヴァルヴィスへ届く気配は微塵もない。
酒場は椅子がひっくり返り、食べ物や食器が散乱している。木の床板は足跡と血で濡れ、煙と酒の匂いが混じって喉を刺激する。客の叫び声と金切り声、飛び散る破片の金属音が一塊になって耳を埋める。周囲で暴れる二人を見て、店の中央に立つマスターが声を張る。
「おい!お前ら……」
その声は力を込めているが、乱れた群衆にかき消されかけている。マスターの顔には疲労と諦めが現れており目は必死に状況を収めようと動く。だが状況は止まらない。
マスターは、ケインに頼まれていたことがあった。それを、今日レゼ達が食べ終わった後に話そうとしていたのだが、、
(これじゃあ、無理か……)
思考は瞬時に諦めと後悔へと傾く。マスターはその様子を悲しそうに見つめるエレーナを見て、渋々口を開く決意を固めた。
「後ででいい、、だから今から言うことを伝えておいてくれ、レゼに……」
エレーナは掌を固く握りしめ、唇を噛む。彼女の目には恐怖と決意が交錯している。だが言葉が尽きる間もなく、混乱の波に割り込まれるように事態は更に悪化した。
そうこうしている間に、レゼはヴァルヴィスに投げ飛ばされ外に追い出された。
木製の扉が激しく開き、冷たい風が中に流れ込む。レゼは泥だらけの地面に叩きつけられ、痛みが全身に走る。
「くっ、、!ゔぁぁ!!」
喉から搾り出る声は病が悪化している証拠。静かにしている間など許されない痛みと具合の悪さが混ざり合い、彼の視界は赤く滲む。
レゼの理性が今にも飛びそうだった。周囲の景色は回転し、重なった記憶と現在が断片化される。胸の奥が締め付けられる。
「よく、1日でももったな、すごい精神力だ。
バケモノに変わる前に、、人間のうちに殺してやる……」
ヴァルヴィスの声は冷たく、刃のように研ぎ澄まされている。息遣いは荒くないが言葉の一本一本に慈悲が宿っている。彼の剣は光を反射して冷たく黒く輝き、今にも振り下ろされそうな重みが周囲に張り付いている。その目は人間を見失いかけた獣の狩りを思わせる。
だが、間にセラが入る。彼女はすっと体を差し出し、ヴァルヴィスの剣先の前に立つことで、一瞬だけ時間を奪う。剣はセラの前で止まり、鉄と空気がこすれる音だけが響いた。その隙をみて、直ぐにエレーナは氷魔法を使い、ヴァルヴィスの足を凍らせる。冷気が地面から渦巻き、足元に白い霜が広がると、ヴァルヴィスはぎくりと体勢を崩す。
そうして、止めてあった馬車を盗み、エレーナはレゼを連れて逃げてしまった。
馬車は重たい車輪をきしらせながら急発進する。エレーナは額に浮かぶ汗をぬぐい、必死に手綱を握る。レゼはまだ意識が朦朧としているが、エレーナの腕にしがみついて外の風景が流れていくのを見ている。馬車は風を裂いて走り去る。
「……ったく、、これは追わないと不味いだろ……
街の方か、」
ヴァルヴィスは、吐き捨てるように小言を呟く。その声には気怠さと計算が混ざっている。足首に広がる氷の冷たさを感じながら、厳しい表情で静かに立ち上がる。
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中に入ると、そこは洞窟の中なのにも関わらず、空気が澄んでいた。
ひんやりとした風が肌を撫で、岩壁には淡く光る鉱石がびっしりと散りばめられている。
天井から垂れる雫が、ぽたりと音を立てて落ちるたびに、光の粒がきらめきながら弾けた。
まるで夜空を閉じ込めたような幻想的な空間だった。
だが、その中心にひとつの小さな光が、二人を照らしていた。
「……妖精、?」
弟が目を丸くし、両手をそっと前に伸ばして覗き込む。
そこには、掌ほどの大きさの少女が、光の中に包まれるようにして倒れていた。
髪は透き通る金糸のようで、羽根は淡い虹色に揺れている。
その体はかすかに震え、弱い息を吐き出していた。
二人は顔を見合わせ、すぐに持っていた水袋を取り出す。
兄が慎重に口元へ水を垂らすと、妖精はかすかな声を漏らして目を開けた。
「あなた達?助けてくれたのは、、ありがとう!
お詫びに能力をあげるわ!」
小さな声だが、不思議と洞窟全体に響くように広がる。
その瞬間、妖精の身体が柔らかな光を放ち、二人の周囲を軽やかに飛び回った。
風が輪のように舞い、鉱石の光が共鳴するかのように明滅する。
「いや、、いいけど、、」
兄は戸惑いながらも、妖精の動きを見つめる。
その瞳には慎重さと優しさが入り混じっていた。
「ほんと!?ありがと!」
弟は目を輝かせて笑い、無邪気に手を伸ばす。
その明るさに、妖精は嬉しそうに微笑むと、指先から光の粒を散らした。
兄には二つの能力、弟には一つの能力が授けられた。
兄には、弟の傷を癒やすための治癒魔法。
そして、弟を守るために己を犠牲にできる爆発魔法。
弟には一つ。兄や自分、大切な人の命の危険を直感的に察知し、回避する力。
光が二人の身体に染み込むように吸い込まれ、肌の下で熱が脈動する。
足元の砂が浮かび、洞窟全体が微かに震えた。
その瞬間、二人の力が確かに覚醒した。
だが、、
「ありがとね!じゃ!」
妖精は、まるで風と共に消えるように笑い、光の粒となって消えた。
光が途切れると同時に、二人の体を包んでいた熱はすっと静まり、空気は元の冷たさを取り戻す。
高まった力は消え、まるで夢の中の出来事のように儚く残滓だけを残した。
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「……!、ここは、、」
レゼが目を覚ます。
視界がぼやけ、木造の天井の揺れが見えた。
馬車の中。
体を起こそうとすると、全身に重い痛みが走る。
横を見ると、セラが額の汗を拭いながら、水袋と包帯を手にしていた。
彼女の手には小さな震えがあるが、懸命に看病していたことが伝わってくる。
セラはレゼが目を開けたのを確認し、息を呑んだように振り返る。
「レゼ、起きたよ!よかった……」
その声には涙が混じっていた。
エレーナは前方で手綱を握りながらも、振り返らずに小さく呟く。
「よかった……」
馬の吐息と車輪の軋みだけが響く。だが、その静寂は長くは続かなかった。
次の瞬間――
レゼの耳に、甲高い耳鳴りが鳴り響く。
脳の奥を焼くような不快な音。
それは、死と直結する危険信号だった。
同時に、エレーナが上を見上げる。
そこには、ヴァルヴィスがいた。
鋭い目で馬車を見下ろし、口角をわずかに歪める。
「悪いな、止めるぞ。」
着地と同時に、凄まじい衝撃音が響く。
土煙が舞い、馬が悲鳴を上げる。木製の馬車は一瞬で粉砕され、破片が宙に散った。
「…!、、エレーナ! セラを連れて逃げろ!」
レゼが血を吐きながら叫ぶ。
その声は怒号ではなく、願いだった。
エレーナは唇を震わせ、首を横に振る。
「だめ!置いてけない、」
涙が頬を伝う。
「……早く!」
その言葉に込められた焦りが、空気を震わせた。
「……辛いな、、すまん。
お嬢さん、もうコイツは直ぐに人間じゃなくなる、
安らかに眠らせてもらうぞ」
ヴァルヴィスの声は低く、哀しみを含んでいた。
彼は剣を静かに抜き、空気を裂く音が響く。
その刃は迷いなく構えられた。
「、、ぐっ、がぁ!!」
レゼの体が痙攣し、皮膚が青白く変色していく。
血管が浮き上がり、眼球が震える。
エレーナは悲鳴を堪え、セラの目を両手で塞ぐ。
「……アンタの兄は、魔性石を取りに行くために洞窟に行ったの、皆んなで……でも、思ったより奥に入っちゃって、そこで強いモンスターと戦って、この子を庇った、」
その声は震えながらも、優しさを含んでいた。
これは、エレーナがマスターから渡された話。
レゼは痛みの中でその言葉を聞き取り、わずかに口角を上げた。
そうして、エレーナがセラの耳を塞ぎながら話す。
「……ケインが言ってた、この子は多分妖精の生まれ変わりだって、、二人に懐いてたのはなんかあったのかもなって、、ケインの予想だけどね……」
エレーナは唇を噛み、涙を堪えた。
その時、ヴァルヴィスは太刀を構え、静かに一歩踏み出す。
空気が張り詰め、時間が止まったかのようだった。
「エレーナ、、、あと頼んだ……ごめんな、ありがと」
(セラ、立派になったな、
ずっと子供扱いで……ごめんな、大切だから……)
レゼは静かに仰向けに倒れる。
その瞳に映るのは、かつての森、そして兄レイジの笑顔。
「レイジ!、お兄ちゃん、、遊ぼ!」
懐かしい声が風のように響く。
レゼは笑い、手を伸ばす。
「ああ、よく頑張ったな……」
白い光の中で、レイジが優しくその手を取った。
その瞬間、痛みは消え、温もりだけが残った。
レゼは微笑みながら、ゆっくりと目を閉じる。
そして、静寂。
その光景を見て、ヴァルヴィスは小さく息を吐いた。
彼の足元には、壊れた馬車と静かに横たわるレゼ。
「俺は何も見ていない。お前らは逃げた。
と言う事にする。面倒ごとは嫌いだからな〜。
仕事が目の前にあるとやらないといけない。
俺の目の届かないところまで行け。
兵士が来るぞ。俺以上に真面目で優秀な奴らだ、早くしろ」
ヴァルヴィスは少しだけ微笑む。
その笑みはどこか優しく、戦士ではなく、人としての温度を帯びていた。
エレーナとセラはその言葉を信じ、王国の外へと走り去る。
「……隊長!!到着しました!」
土煙を上げながら、兵士たちが次々と現場に駆けつけてくる。
一人の兵士がヴァルヴィスに問いかける。
「どういうことですか?隊長、あなたが見逃すなんて……」
ヴァルヴィスは空を見上げた。太陽の光が太刀を淡く照らす。
「久しぶりに、根性のあるやつを見た。
語り継ぎたいよ、それくらいのお気に入りだ。
自分の死ぬのをわかっていて尚且つ、仲間を逃すために時間を無理でも稼ぐ……一つ前の世代に生まれてたら時代を変えてたようなやつ、久しぶりに見た。」
彼は太刀を静かに鞘に収め、指を立てて振り返る。
「報告書、変えといてくれ」
「え?なんて変えるんですか?」
兵士の問いに、ヴァルヴィスは口元を緩める。
「……対象者のとこに書いてあった落ちこぼれ、、
変えといてくれ……そうだな、、先駆者……とかなら似合うだろ、」
夜風が吹き抜け、木々がざわめく。
太陽の光が地面に降り注ぎ、レゼの静かな顔を照らしていた。
その瞳の奥に宿っていた光はもう消えていたが
確かに、彼は“先駆者”だった。
小さな木造の小屋の中。
湿った木の匂いと、外の雨音がかすかに壁を震わせていた。
セラは、古びた机の上に置かれた一本のナイフをじっと見つめている。
刃先には、戦いの名残のように細かい傷がいくつも刻まれており、光が当たるたびに淡く瞬いた。
それは、レゼからもらったものだった。
冷たい金属の感触を確かめるように、セラはゆっくりと手で柄を撫でる。
握るたび、あの時の声が頭の中で蘇る。
「……自分の身は自分で守れるようになれ、
セラを捨てるとか言ったか? レイジが命を捨ててまで守った子だ。捨てる訳ないだろ……、」
その言葉が、まるで今この場所で聞こえたかのように鮮明に響いた。
セラははっとして顔を上げる。
灯りの揺れる薄暗い室内に、確かにレゼの姿が立っていたような気がした。
長い影が壁に伸び、その面影をかたどっていたが、
瞬きをした瞬間、そこにはもう誰もいない。
セラの喉が小さく鳴る。
静寂が再び小屋を包み込もうとしたその時、
「セラ!」
外から、エレーナの声が風を切って響いた。
セラは我に返り、ナイフを素早く腰に差し込むと、
戸を押し開け、冷たい空気の中へ駆け抜けた。
第Ⅳ部 先駆者
完結




