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嫁探し

作者: ここのすけ

 桑谷村の上郷集落と下郷集落は列車もバスも通らぬ山里の集落である。この二つの集落は御多分に漏れず過疎の波に押し流されている。

 今ここ上郷集落の公会堂で下郷集落の代表者と桑谷村農協の役員による会合が開かれていた。

 農業用水路は上郷集落の谷川から細い水路で下郷集落まで流れ水田に水を供給している。しかし高齢化により農地を放棄する家が増え、この水路の清掃に出る人夫割が話し合いの一つでもう一つは嫁不足の問題である。

 下郷集落は十五世帯内八世帯が高齢者世帯で田圃を放棄した世帯である。この下郷集落からは毎年十人が上郷の水路掃除に人夫割として出ていたが、その人夫割が不可能となり又農作地の放棄地問題も喫緊の課題であった。

「このまま二十年後三十年後にはこの土地に住む人間は誰も居なくなってしまうのではないか」

 上郷集落の長老岩谷耕造が集まった十人程を前に力ない声で語り掛けた。

 「毎年農業人口は減り続けているが、集約型農業で農業放棄地を防いでいるのが現実だ。いずれ上郷下郷も誰かに頼らなくてはならなくまる。その時放棄地や休耕地をその者に預ける事が出来るか・・それは甚だ疑問だ・・先祖伝来の土地を他人には預けられないと言う者が必ず現れるだろう・・」

 下郷出身の農協役員水川史郎が農協的な考えを述べた。

「こんな田舎の僅かな米でも出荷できなければ農協も困るからな。先ずはこの高齢化する農家の担い手をどうするか。過疎をどう止めるか村を上げて考えなくてはなるまい」

 下郷の長老矢部民造が考えを述べた。

「過疎を止めるには人を増やさねばならないがここ二十年以上嫁取りの話は一つもない。年頃の娘は都会や町に出て行ったきり帰ってはこない。都会で嫁いだ娘はいるが、この村に嫁いで来る娘は皆無だ。今現在上郷と下郷の独身者は五十代が四人、四十代が五人三十代が三人、戸数二十五戸の内半数に嫁がいない。如何に晩婚化が進んでいるとは言え異常事態だ。子供も中学生が一人小学生が二人、それも親が病気で介護のために子ずれで帰って来た娘家族が居るだけで旦那は単身赴任で農業は出来ないときた。三年前上郷では家の分家の石見信夫が五十歳にして、やっと遠い親戚の子供の居ない出戻りを嫁に迎えたがこれは運が良かったとしか言えぬ。何か手を打たないと廃集落が冗談では済まなくなってくる」

 上郷の村会議員石見源三が皆を見回して力説した。

「そうは言っても山奥のこんな田舎に誰が好き好んで嫁になど来るものか。本村だって小さな店が一軒だけ。コンビニもないド田舎に来てくれる女がいるなら皆独身者で居る訳がないよ」

 下郷の壮年部の坂下一郎が独身者を代表して代弁した。

「食糧難にでもなれば戦後の様に田舎にでも嫁に来る者も居るかも知れないが今はそれも望めぬか・・誰か一人でも嫁を探して来たなら、結婚式の費用は村役場から出す位の対策を立てねば皆本気にはならないだろう」

上郷の第二長老山辺徳治が村会議員の石見源三に言った。

「それは村会議会に図ってみる価値はありそうだ。村長に話して見るよ。もしその案が議会で通れば一番可能性のある若い衆は誰だ」

 石見源三が身を乗り出して皆を見た。

「一番若いと言っても、もう三十八歳だが奥谷にワサビ田を持っている椎茸栽培の奥田孫作の息子健作だな」

「奥田の孫さんも道楽息子には手を焼いているらしい。田舎には場違いな高級車を乗り回して遊び回っているらしいからな」

 下郷の者から次々声が上がった。

「上郷にも四十前の男は二人いるぞ。一人は知恵遅れでこの話に加える事は出来ないが、もう一人林田真吉は確か三十七歳か八歳のはずだ。この二人を競わして見てはどうだ」

「林田の真吉は嫁を養える器の男ではなかろう。親父は飲ん兵でお袋は病弱ときた。家の中はゴミだらけ、家の周りは草ぼうぼう見るに堪えない」

「そうだな。あれでは例え嫁が来ても逃げてしまうぞ」

 上郷の者からも声が上がったが全てが打ち消され、笑い声が公会堂に渦巻いた。

「下郷の長老矢部民造さん、この話が議会で通れば乗ってくれるか孫さんに聞いてくれるか」

 村会議員の石見源三が矢部民造に声を掛けた。

「議会で本格的に決議されれば話をする事くらいやぶさかではない」

 上郷と下郷の人夫欠員の話が嫁どりのあらぬ方向に進み、本題の水路掃除人夫の人員は出来るだけ多くの人を出す事で決着した。


 一月後、上郷下郷の棚田の田植えが終わり、下郷の奥田孫作の家に集落の世話役長老矢部民造が訪れた。孫作と対話する事一時。矢部民造は満足気に笑みを浮かべて帰って行った。


 ネオンが光る都会の繁華街の裏道理。奥田健作は行く当てもなくぶらぶらと歩いていた。

 今日も一日何の収穫もなく無駄な時を過ごしている。都会に足を踏み入れた当初は人の多さ女の多さに驚きながらも「よしやるぞ」と覚悟を決めて、年頃の女と見ると片っ端から声を掛けた。「俺の嫁になってくれ」と。誰も相手をしてくれるはずもなく健作は何故かと考えた。

 声を掛けた女の一人が「田舎者ね」と笑って通り過ぎた。

―俺の何処が田舎者に見える。着ている物だってわざわざ隣町の衣料品店まで行って買った高いスーツじゃあないか。頭だって隣町の理髪店でパンチパーマをあてて来たー

 それならばと健作は有名なデパートの衣料品コーナーで黄色のテーシャツオレンジ色のブレザーコート白色ズボンを買い、履物コーナーでアメリカンブーツを買ってド派手な格好に変身した。鏡に映る自分の姿に満足し、又声掛けを始めた。

 女達に声を掛けると皆クスクスと笑って逃げて行く。―これ程多くの女がいるのだ。一人位は嫁に来てくれる女が居ても良さそうなものだーあちらの街角此方の街角声を掛け続けたが路頭に終わった。

 あちらの町此方の町あちらの都市此方の都市、ひと月は瞬く間に過ぎた。

 父親の孫作が百万円の束を目の前に投げ出し、この金で今年の秋までに嫁を連れて帰れ。もしも連れて帰らなかった場合は勘当するので帰って来なくてもよいと三下り半を突き付けられての旅立ちだった。


 桑谷村の中心地本村にある、たった一軒の商店俵屋は民営バスが折り返す唯一のバス停でもある。夕刻その俵屋にオンボロの軽四輪トラックが止まって上郷の林田真吉が降りて来た。真吉は晩飯の食材を買いに来たのだ。母は病弱親父は飲ん兵、食事の準備は全て真吉が行っている。「真ちゃん今日は何が必要だい。何時も大変だね。百姓だけでも大変なのに食事の面倒まで見なくてはならないとは・・嫁でもいれば・・これは御免。要らぬ事を言ってしまったよ」

 姉さん被りの店の茂婆さんが出迎えて言った。

「茂婆さん。ベンチに座っている女の人はバスを待っている様だけれど地元の人ではないね」

 真吉が顔を向けたのは店の軒先にあるバス待ちのベンチの事だった。そこには年の頃三十歳前後の女性が腰かけていた。ショートカットの黒髪、薄いピンクのテーシャツその上に薄手の白い綿シャツを羽織り、ズボンは紺色のジーンズを履いている。日焼けしていない色白の顔は田舎娘の顔には見えなかった。側には赤いキャリーバックが置かれている。

「ああ。あの娘さんは北里の山岸さんの家を訪ねて来たらしいけれど、その山岸さんの家が見つからなかったから、これからバスに乗って帰るそうだよ」

「ちょっと待ってよ。その北里の山岸と言う家だけど三年前の大雨で崩れた山に埋もれた空き家のことだろう。あの山岸は跡取り娘が若い頃駆け落ち家出して残された夫婦は五年前には二人共亡くなって空き家になっていた」

「あっそうだった。あの山崩れで流された家が山岸さんの空き家だったよ。歳を取るとそんな事迄忘れてしまうなんて・・。ところで真吉さん、何であんたが山岸の家の事に詳しいのだい」

「山岸と我が家は遠い親類だったからだよ。詳しく言えば我が家の死んだ祖母と山岸の婆さんは従姉妹同士だったって事だよ」

 真吉と茂婆さんの話が終わるのを待ちかねたように、ベンチに腰かけていた女が立ち上がり真吉に声を掛けて来た。

「あの失礼ですが、私は野田由紀と申します。山岸は私の母の実家だったのです。先月身罷った母の願いでその実家を訪ねて見ようとこの地に来たのですが、その家が見つからず帰ろうとしていたのです。先程のお話では山岸とは遠い親類とか、後日お宅にお伺いしても良いでしょうか。今日はもうバスがきます。失礼ですが、お家の電話番号をお教え願いませんか」

「ああそれは構いませんが・・」

「真吉さん。何を考えているの。もうバスが来るよ。早くこれに名前と電話番号を書いて渡しなさいよ」茂婆さんだメモ用紙と鉛筆を真吉に渡した。

 バスが店の前に止まった。真吉は大急ぎで名前と電話番号を書いて女に渡した。女は紙片を受け取ると急いでバスに乗った。

「真吉さんよ。いい女じゃないかい。親類なら嫁にしなよ」

茂婆さんの訳あり笑顔に真吉はいい年をして顔を赤らめた。

最終バスが日暮れてゆく桑谷村を出て行った。


盛り場の裏通りを当てもなく歩いている奥田健作の顔に雨粒が当たった。―雨かーと暗い空を見上げた顔に雨は止めどなく落ちて来た。慌てて一軒のスナックに飛び込んだ。スナック小春と明かりの灯った看板に記されていた。

古びた木製ドアを開けて店内に入ると「いらっしゃい」と明るく大きな声で年増女の声が迎えてくれた。和服姿の五十代の女が一人笑顔でカウンターの中に立っていた。店内には演歌の歌が流れ、カウンター席の一番奥の席で白髪頭の老人が一人グラスを傾けていた。

健作はカウンター席の一番手前に腰を下ろした。直ぐに御絞りが出て「何にしますか・・」とと化粧の濃い年増のママが尋ねてきた。健作がビールを注文すると小皿に乗せた枝豆の摘みとコップがカウンターに置かれ年増ママがビールを注いでくれた。

健作が皿の枝豆をパクパクと口に運び全て食べてしまってからビールを口にした。それを見ていた年増ママはクスクスを笑って奥の席に腰かけれ居る老人の顔を窺った。

「お兄さん何処から来たの。芸能界の人では無いしお笑いの人でもない。田舎は何処なの・・」

 健作は飲みかけたビールを吹き出しそうになった。

「ママさん何故俺が田舎者だと分かるのだ」

「それは貴方、その服装は普段着にしては派手過ぎるよ。普通の人はそんな服装はしないもの。

それに枝豆の食べっぷりを見ただけで田舎の人だと思ったの。間違えていたらごめんなさいね」

「そうか。この服装では駄目なのか。枝豆は食べるために出してあったのではないのか」

「枝豆は食べるために出したのよ。でも摘みだから・・少しずつ・・」

「そんなものか。家ではドンぶり一杯の枝豆をペロリと平らげるけどな。もう少しくれないか」「ハイハイさしあげますよ・・」ママは皿一杯の枝豆を健作の前に置いた。

 店の入り口ドアが開いて三十縺れの長い金髪長身細身の女が入って来た。胸元の開いた超ミニの銀色のワンピース。靴は踵の高い銀色のハイヒールを履いている。

「ママ寝坊して遅れちゃった」真っ赤な唇に白い歯が光った。

「エミリー遅かったわね・・」ママは笑顔で女を迎えた。

「ママさん、この女の人何処の国の人。きっと外国の田舎育ちだね」

 カウンター内に入り健作に向かい合った派手な女の顔を見つめて健作が言った。

「ママこのお客さんの言っている意味が分からないわ」女は着けまつ毛と青いアイラインの目をママに向けて助けを求めた。

「エミリーその意味をお客さんに聞いて見なさいよ」ママは笑って言った。

「お客さん私が外国人で田舎者ってどういう事ですか」エミリーが健作に尋ねた。

「エミリーさんは芸能界の人ですか。その派手な衣装は営業用ですよね。普段着では無いでしょう。俺はさっきママさんに俺の派手な服装は田舎者だと言われたから言ってみただけだよ」

「あらそんな事は当然でしょう。こんな格好で日中に出歩けないでしよう」

「そうですよね。でもエミリーさん日本語がお上手ですね」

「お客さん冗談はよしてくださいよ。私は日本人です」「へー日本人ですか・・」

 健作は女をなめる様に眺めた。

「エミリーお代わりを頼む・・」カウンターの奥の席で黙っていた老人が声を掛けた。

「ハーイ会長・・」エミリーは後ろの陳列棚に並んだウイスキーの中から高価そうな洋酒のボトルを取り、氷が一杯入ったグラスにほんの少しウイスキーを注ぎ入れて老人の前に置いた。

「エミリーさん。それではウイスキーが少なすぎだろう」見ていた健作が口を出した。

「あれでいいのよ。高い高い高価なウイスキーだからね」

「そんなに高い酒なのか。俺にも少し飲ませて貰えないか・・」

「馬鹿な事を言わないでよ。これは会長の大事なウイスキーなんだから・・」

「エミリーそこの若い衆に一杯飲ませてやってくれ」笑いながら会長と呼ばれている老人がエミリーに言った。

「仕方がないわね。一杯だけよ・・」老人のグラスと同じ様に一グラス一杯の氷にウイスキーをほんの少し注ぎ入れ健作の前に置いた。「頂きます・・」とグラスを口に運んだ健作は「美味い」と一口飲んで満足気に笑った。

 老人も笑顔になったがママとエミリーが顔を見つめ合い意味ありげにほほ笑んだ事に健作は気ずいていなかった。

「ところで若い衆。こんな場末の繁華街に何用があってやってきた」

 氷が解けて薄くなったウイスキーをちびりちびりと舐めながら老人が尋ねた。

「会長さん話せば長くなるよ。それでも聞いてくれますか・・」

「おお聞かせてもらおう。この場所にやって来た訳を・・」

 健作は薄いウイスキーを飲み干し、ビールも飲み干しコップを突き出した。エミリーがすぐにコップにビールをついだ。そのコップを置くと健作は旅に出た経緯を話始めた。

 ママが流れる演歌を止めると遠くで雨音が聞こえた。

 まず健作が話始めたのは故郷の山里の二つの集落の現状からだった。


 上郷の林田真吉は自宅周りの草取りから始め庭の茂りに茂った庭木の剪定に掛かっていた。

近所の村人は興味深そうにその姿を見つめていた。

―真吉はどう言う風の吹き回しだ。嵐がきそうだなー

 縁側には病弱な母親が顔を出して一心不乱に庭木の剪定に励む息子の姿を目を細めて見ていた。庭木の剪定が終わると家の中のごみのかたずけや掃除に掛かった。破れた障子の張替えを終えたのは一週間後の事だった。見違えるほどに綺麗になった林田の家を見つめて村人は

―遂に真吉は嫁を貰うのかーと想像を逞しくして話し会っていた。それにも増してアル中の父親が酒を止めていると噂した。事実父親は酒を辞めていた。それは酒を止めたのではなく飲めなくなった事を村人は知らなかった。父親は末期の癌に犯されていたのだ。其ことが伝わると今度は葬式の用意をしていたと噂になった。当の真吉にとってそんな噂はどうでも良いことだった。要は何時電話が掛かって来るかに掛かっていた。其日は何時くるのか。


 スナック小春のママと女給のエミリーが、客の老人が健作の話に耳を傾けていた。

「俺の故郷は山に囲まれた村で時代に取り残された地域振興等縁のない所だ。村には中心地に本村があり村役場の建物と農協の建物があるが他には食品雑貨屋が一軒あるだけで他には店などはない。ただ日に三往復のバスが隣町からやって来る。これが唯一の公共機関だ。この本村を中心に周囲に小さな集落が点在している。

俺の家がある集落は上郷と下郷の二つの集落からなっており下郷十五戸の内の一軒が俺の家だ。ちなみに上郷には十戸がある。この二つの集落には十代二十代いや三十代の年頃の女は一人もいない。若い娘は皆都会へと出て行き二度と戻っては来ない。これは俺の暮らす集落だけではなく村全体がこの若い女子不在の状況にある。ここまで話せば何かを感じた筈だよな会長」

 健作は一息いれてビールを一気に飲み干した。

「随分と山奥の田舎から出て来たものだ。それでは余りにも殺風景な・・目の保養・・ではなかった・・枯れ木も山の賑わいとは言うもののお婆ばかりの村では白黒映画の世界に思えるな」

 「会長その通りだ。華やいだ景色はまるでない世界なんだよ」

 健作はカウンター内の二人に顔を向けた。何か言いたそうな二人だったが何も答えなかった。

 エミリーが健作の空いたコップにビールを注ぎ入れた。健作はそのビールを一口飲むと又話始めた。

「二つの集落二十五戸と言ったけれど独居老人二人が施設に入っているので実質二十三戸でしかない。ここからが本題の話だよ。三十代から五十代まで嫁が居ない男が十二名いる。男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲くと言うけれど男も女もそんな境遇の者は一人もいない。男は皆正真正銘結婚したことのない独身者だ。このままだと何年か先には集落が消えてなくなると村役や長老達が危機感を持った。そこで村長の尻を叩き議会である決議が通された」

 そこまで話すと健作は又ビールを口にして喉を潤した。

「どんな事が決議されたのよ。こんな難しい問題に妙案が有るとは思えないわ」

 スナックのママがやっと話に乗って来た。老人会長は氷だけになったグラスをカラカラと振っている。「会長飲み過ぎると又奥様にお叱りを受けるわよ。もう一杯だけですよ」

ママが言うとエミリーが新しいグラスに氷とほんの少しウイスキーを垂らして入れた。

「若い衆話の続きだ・・」会長は健作に催促してグラスを舐めた。

「村議会では、コンビニも美容院もない、何の魅力もないこの村に嫁を迎えるには如何すれば良いかと対策が練られた。他国の田舎では転職者の営農希望者を全国から募り住む家から一時金までありとあらゆる、至れり尽せりの待遇を示して過疎化を防ごうとしている。あまり裕福ではない我が村ではそんな大掛かりな背策は打ち出せない。そこで誰か一人一番若い三十代の男に嫁になる女を探して来させる。上手く女を見つけて来た暁には、結婚式の費用は村が出し結納金や衣装代等諸々の諸経費も村が拠出し独身男性の結婚への意欲を掻き立てる。その若い男即ち俺に白羽の矢が立った訳で・・」

「それでは嫁探しでこんな所まで来たと言うの・・」

 信じられないと言う顔でエミリーが言うと「それでその嫁探しの期間は決められているのか」

 と会長は興味深げに尋ねた。

「期間と言うか親父は秋までに連れて来い。それまでに探し出す事が出来ない時にはもう帰って来るな。勘当するとけんもほろろに言い渡されたよ」

「それはちょっと酷いんじゃない。相思相愛の相手がそう簡単に見つかるはずが無いのに・・」

 今度はママが眉を潜めていった。

「嫁にする女を探せないからと言って勘当はないだろう。それは全て若い衆の将来を考えての親心と言うものだろう。それでその親父さんは女の条件を何か言ったのか。例えば学歴とか職歴とか・・」

 会長がグラスを片手に尋ねた。

「いや親父は・・ただ気立ての良い優しい女とだけ言った」

「そうだろうな。可愛い息子が一生独身で過ごすなど親としては見過ごすことの出来ない事だろう。それで此れからも旅を続けるのだな。ここで出会ったのは何かの縁だ。今夜は飲み明かそう。ママウイスキーをこの若い衆に飲ませてくれ。空になったら新たにボトルキープするから・・」

 雨の繁華街の裏通り。この夜スナック小春に客が訪れる様子はなかった。


 健作は窓のカーテンの隙間から差し込む日差しに目覚めて薄目を開けた。鼻孔に甘い香水でもない匂いが吸い込まれて来る。身体の上に乗る掛布団を顔に引き寄せ匂いを嗅いだ。

―何処か懐かしい匂い・・昔何処かで嗅いだ匂いだー掛布団を除けると今度は甘く香ばしいコーヒーの匂いがしてきた。

「目が覚めたの。二日酔いになってはいない・・」女の声に飛び起き部屋の中を見回した。

壁にハンガーに吊るされたオレンジ色のブレザーコートと白ズボンがその横に銀色のミニのワンピースが掛かっている。白い鏡台の上には金髪のカツラがおかれている。―まさかこの部屋はエミリーさんの部屋か・・ではあの布団の匂いは女の匂いだったのかー隣のキッチンに立つ女を見た。ショートカットの黒髪、白色のテーシャツに紺色ジーンズ姿の、細身で色白小顔の三十代の女が珈琲を立てている。一度も会った事の無い清楚な感じのする女だ。

「あの・・昨夜は酔っていて何も覚えていないのですが、もし他人様の自宅に勝手に上がり込んでしまったなら、どうか通報だけは勘弁してください。もしこの部屋がエミリーさんの部屋ならエミリーさんにお会いしたいのですが・・お出かけですか・・」

 頭を下げて女に尋ねた。

「何を寝ぼけた事を言っているのよ。エミリーは目の前にいるじゃない。このイナケンが・・」

「貴女がエミリーさん・・本当にエミリー・・」信じられないと言う目で見つめる健作にエミリーは「イナケンさんは、どちらのエミリーが好みですか」と笑った。

「はあどちらのエミリーも素敵ですが・・しいて言えば今のエミリーさんの方が・・」

 それだけ言って健作は急いでハンガーの白ズボンをはいた。

「起きたら顔を洗って此方にいらっしゃい。何も無いけれどサンドイッチを作って置いたわ」エミリーに促され立ち上がった健作は鏡台の上の金髪カツラに目を止め鏡台横の白い整理ダンスの上に目を移した。小さな写真立てがある。その写真に写っているのは笑顔のエミリーと三四歳位の可愛い女の子だ。二人共指でブイサインを突き出している。どう見ても親子写真にしか見えない。―エミリーは子連れなのか・・その子供は何処に居るー健作は流しで顔を洗い食卓にエミリーと向かい合って腰かけた。

白い皿の上に卵サンドとハムサンドそれに野菜サンドが乗っている。エミリーがコーヒーを入れたマグカップを健作の前に置いて「どうぞ・・」と進めてくれた。

 健作はサンドイッチをほう張りながらエミリーに尋ねた。

「エミリーさん。さっき俺の事をイナケンと呼んだけど何故そう呼んだの・・」

「覚えてないのね。俺は田舎者の健作、イナケンだと何度も言っていたじゃない。此れからは

イナケンと呼べってママにも会長さんにも言ってたよ」

「そうか自分でイナケンと言ったのか。それは間違いではない。事実俺は田舎者だから・・俺の本名は奥田健作三十八歳ご迷惑をお掛けしました」

「いいのよ。昨夜は貴方の御蔭で楽しい時を過ごせたわ。私の本名は戸沢恵美三十五歳よ。名前が恵美だから皆エミリーと呼ぶのよ。外人さんみたいでしょう」

 エミリーが笑うと口元に白い歯が零れた。

「エミリーさん失礼だけどご主人は何処に・・」健作は後ろめたさを隠して尋ねてみた。

「主人・・そんな者は元から居ないわよ。三年前まではこのアパートで同棲していたのよ。でも私が妊娠したと告げると直ぐに居なくなってしまったわ。どうせろくでもない、紐の様な男だったから居なくなってせいせいしたよ」

「それで子供は・・生んで育てた・・」「だよね・・でも身内の居ないシングルマザーの私には1人で育てる事は出来なかったの・・。子供は乳児院に預け今は児童養護施設に預かってもらっているの」

「そうか・・あの写真の女の子がそうなのか。可哀そうだね・・親と一緒に暮らせないなんて」

「そうね。子供には済まないと思っているわ。でも今の生活ではそれは無理なの・・」

 エミリーは珈琲とサンドイッチを交互に口に運ぶ健作を見つめて言った。

「エミリーさんの故郷は何処なの・・」少し話題が湿っぽくなって健作は話題を変えた。

「私の故郷はこの町よ。スナックの近くの古い木造アパートで生まれて育ったの。母一人子一人の貧困家庭だった。それでも母は私を女子校にまで通わしてくれた。朝から晩まで働き詰めで私が学校を卒業するとポックリと死んでしまった・・私お母さんに申し訳なくて・・」

 エミリーが涙ぐんだ。

「それではエミリーさんはこの町以外は知らないと言う事なのか・・」健作はエミリーの顔を見ない様に話を続けた。

「そうよね。そう言われて見れば私は何処にも言った事がないわ。一度でいいから田舎の生活を見て見たいわ」涙を指先で拭いエミリーはほほ笑んで見せた。

「それじゃあ、俺の田舎に来て見ないか。山の中の村だけれど空気だけは美味いよ」

「行って見たいな。イナケンさんの田舎に。でもイナケンさんのお家は何をして暮らしているの」エミリーの表情が明るくなった。

「おれの家は親父とお袋、お俺の三人暮らしで田圃の他に沢でワサビの栽培他に椎茸栽培をしているよ」健作の話にエミリーが天井を仰いだ。その脳裏には見たこともない風景が浮かんだことだろう。

「イナケンさんの家には何に乗って行けばいいの・・」

 尋ねられて健作は懇切丁寧に道順を紙に書いてを教えた。それはエミリーが家を訪ねて来る事が決まっている様な説明だった。

「ではバス停からは歩きなのね。二キロも歩くのね・・」

「あっいや。バス停までは車で送り迎えするのさ。歩くなんてバス停近くの本村の人達だってやらないよ」

「ではどこの家にも車が必要なのね。車と言えば免許証が必要なのでは・・」

「そうだな。年寄りでも皆免許証を持っているよ。免許証は生活の必需品なのさ」

「そうか・・自動車の運転免許証か・・」エミリーが何か考えこんだ。

「エミリーさん。もし俺の田舎を尋ねてくれるなら電話番号を交換してくれますか・・」

 ボンヤリと考え込むエミリーに健作が頼んだ。「えっ何・・」エミリーは聞いていなかった。

「電話番号を交換してもらえますか・・」「ええいいわよ。電話番号を教えるわ。貴方の電話番号を教えてよ」二人は電話番号を交換した。健作は携帯電話に戸沢エミリーと、エミリーは自分の携帯電話に奥田イナケンを名前を打ち込んだ。

「エミリーさん俺は秋までには、嫁が見つかろうと見つからなかろうと家に帰るつもりだよ。

電話が掛かったら田舎に帰っていると思ってくれ。その時は子供も連れて来てくれるかい」

「えっ子供も一緒に来いと言うの。それではお邪魔なのでは・・」

「子供も田舎の生活がして見たいと思はないか。きっと喜ぶと思うよ」

「ありがとう。子供もきっと喜ぶわ。でもお父さんやお母さんにどう思われるか心配よ」

「そんな心配はいらないよ。きっと喜んでくれるはずだよ。では約束したよ。それから一つ気がかりな事が残っていた。昨夜のスナックの飲み代のことだよ。俺は支払いをした覚えがない。

幾ら支払えばよかったのか教えてくれ。エミリーさんに預けておくからママさんに渡してくれ。

それから、あの会長さんはどんな会社の会長さんですか。もしかしてあの界隈で顔を聞かせるヤバい人ではなかったの・・」

 エミリーが笑い出した。

「エミリーさん俺が何か可笑しい話をしたかい・・」

「スナックの飲み代は会長の娘さんが迎えに来て全額支払って帰ったわ。あの会長さんはあの地区の万年町内会長なの。自宅は古くからの質屋さん。今は会長の娘さんが仕切っているの。

娘さんはママの友達で女傑なの。飲み代は何も言わずに支払ってた。それからあの会長の飲んでいた高級洋酒はビンだけが本物で中身の洋酒は安い日本の洋酒が入っていたのよ。会長は底なしの酒飲みなのよ。それを心配した会長の奥さんがママに氷一杯に安物ウイスキーをほんの少し入れて飲ませてとお願いしていたのよ。それを誰かさんは美味いとおっしゃって・・」

「そうだったのか。どうりで水っぽいウイスキーだと思ったよ。でも善意のおごりだから、ああでも言わなければ場が白けるだろう」

 健作は笑い顔のエミリーの顔に言った。

「じゃあ俺は行くよ。小春ママと会長にお世話になったと伝えてくれ。秋の約束を忘れないでくれよエミリー」

 食卓の椅子から立ち上がり別れを告げる健作にエミリーが尋ねた。

「イナケンさん。荷物はどうしたの。まさか手ぶらで旅をして来た訳では無いでしょう」

「ああカバンは駅のコインロッカーに置いているよ。じゃあ・・じゃあ・・」

健作の足が前に進まない。「どうしたのよ。何か忘れ物・・」

エミリーが首を傾げた。「行くよ・・」健作はアパートの部屋を飛び出した。駅に着いた健作はコインロッカーからカバンを取り出すと、今来た道を引き返した。


林田真吉は野田由紀から電話が掛かって来るのを今か今かと待っていた。バス停で出会った遠い親類の女の顔が片時も脳裏から消えない。―これが恋と言うものなのかー一人胸を焦がし待ち続ける真吉の家に電話が掛かって来たのは梅雨明けした七月の事だった。癌の進行が進んだ父親は病院に入院させている。野田由紀は日時とバス停到着の時間を告げて来た。

谷間に敷かれた緑のじゅたんの上を燕が飛んでいる。真吉は流行る気持ちを押さえて古い軽四輪トラックのハンドルを握っつていた。バス到着までには早すぎる時間に真吉はバス停の俵屋の前に着いた。真新しい白の半そでスポーツシャツにジーンズを履いている

「おや真吉さん。何処かお出かけかい。それとも誰かバスで帰って来るのかい」

 何時もの様に姉さん被りの茂婆さんが声を掛けて来た。

「やあ茂婆さん。今日は例の山岸の孫が埋もれた家と墓を見に来ると言うので迎えに来た」

「ああ、あの時の遠い親類の娘かい。綺麗な娘さんだったな。嫁にすればいいのに・・」

「いや茂婆さん。相手にも選ぶ権利ってものがあるよ。俺なんか駄目だよ・・」

「そんなものかね。昔は親の決めた相手と結婚したものだ。今は結婚もままならない時代になってしまった。困った世の中だ」

 なんだかんだと話している内にバスはやって来た。俵屋の前で止まったバスから夏用喪服の例の女性が菊の花束を抱いて降りて来た。真吉が側に寄ろうとした時、もう一人夏用黒喪服に黒ネクタイの背の高い美男の男が紙包みを持ってバスから降りて来た。

野田由紀は真吉の前に歩み寄ると後ろに立った男を「主人です」と紹介した。

その様子を見ていた茂婆さんがそそくさと店の奥に消えた。

「ああ遠い親戚の林田です。ご苦労様です。早速ですがこのトラックに乗ってください。一人は荷台に・・」

二人は示し合わせた様に後ろの荷台に乗った。真吉は直ぐに車を走らせた。ただ灰色の道路だけ見つめて。間なしに北里地区の山崩れ現場に到着した。山が幅約百メートル高さ五十メールに渡って崩れ、三年経った今でも草木も生えず赤土の地肌をむき出しにしている。

車から降りた真吉はその赤土の斜面を指さして、空き家のあった位置と墓があったと思われる場所を二人に伝えた。荷台から降りて真吉の説明を聞いた二人は頭を下げて男が持っていた紙包みを真吉に差し出した。

「お世話になりました。私達は歩いてバス停まで帰ります。ここでお別れいたします。これは詰まらない物ですがお納め下さい」

この場から一刻も早く逃げ出してしまいたかった真吉にとって、この言葉は渡りに船と有難かった。その紙包みを受け取ると真吉は挨拶もそこそこに車に乗った。

こうして林田真吉の嫁どりの話は露と消えた。男の思い込みは悲しい結末で終わる。


エミリーの住むアパートの部屋のチャイムが鳴った。男が立ち去ってまだ一時間程しか経っていない。エミリーはドアを開けた。健作が旅行鞄を下げて立っていた。

「イナケンさんどうしたのよ。忘れ物・・」エミリーは目を見開いて尋ねた。

「そうだよ。一つ大きな忘れ物をするところだった」健作はエミリーの目を見つめている。

「その忘れ物って・・」エミリーが部屋の中を振り返って見た。

「そんな忘れ物ではないよ。俺の嫁になって子供を連れて田舎にきて欲しい。それを言い忘れた忘れ物だよ」

「えっそれは冗談でしょう。私達昨夜出会ったばかりなのよ」

「そして一晩同じ部屋で眠った。それで十分じゃないか。今すぐにとは言わないよ。店の事子供の事いろいろかたずける事があるはずだ。全てかたず居たら電話してくれ。俺は直ぐに家に帰り親父に報告する。嫁が見つかったとね」

「それは本気で言っているの。私の気持ちも聞かないで・・」

「聞かなくても分かるよ。子供と三人田舎という新天地で暮らそうよ・・」

「そうは言われても、何をもって貴方を信じろと言うの。貴方の事貴方の家族の事貴方の家の事何も知らないでその話を受けろと言うの・・」

「じゃあ一度俺の田舎に来て俺の家族に会ってくれ。そうすれば俺を信じてくれる筈だ」

「でもそれは何時の事になるか即答はできないわ。それでもいいの・・」

「ああそれでもいいよ。俺は何時までも待っているから。俺が死ぬまでには会いに来てくれよ」「死ぬなんて縁起でもない。必ず会いには行くわよ。それでいいの・・」

「ああエミリーを信じてまっているから。俺は帰るよ。サヨナラは言わないよ」

健作は家に戻った。父親との約束の秋には程遠い七月初旬の事だった。


「もう帰って来たのか。金を使い果たしたのか。それとも嫁を見つけて来たとでも言うのか。それなら許せるがな」

父親に嫌味を言われても今は耐えるしかない健作だった。ただ待つ日々が続いていく。其ころ林田真吉も電話を待つ日々が続いていた。そんな中で林田は女性を見誤りあえなく離脱した。

夏が過ぎ稲穂に花が咲いてもエミリーからの電話は掛かってこなかった。

健作は耐えられなくなりエミリーの携帯に電話した。電話は音もなく通じなかった。

―俺は騙されたのかー何度もエミリーの携帯電話に信号を送った。着信不能だった。

それでも健作はエミリーを信じて耐えていた。ついに父親から課せられた秋までの期間が目前に迫った。

「お前ならわしの面子を潰さずに嫁を連れて来ると信じていた。だがそれは親の欲目でしかなかった。明日この家を出て行け。勘当する」

父親からの血も涙もない三行半だった。

茶の間の公衆電話が鳴っている。どうやら母の民が電話口に出た様だ。健作は気まずい時を父親と向かい合っていた。

「健作。戸沢さんと言う女の人から電話だよ・・」母の民が電話の子機を持ってきた。慌てて健作は子機を受け取り受話器を耳に当てた。

「エミリー・・恵美さんか俺だよ。イナケン・・健作だよ。携帯電話で掛けて来るのじゃなかったのか」―ごめんなさい。遅くなって・・私、携帯電話を失くしてしまって連絡が取れなくなっていたのー「それでどうした」―いくら探しても携帯見つからなくてー「それでどうしたの」

―私は貴方にもう会えないと落ち込んで諦めていたのー「よく俺の家の電話番号がわかったな。どう調べたんだよ」―私はどうすれば貴方に連絡を取れるか頭が混乱して思いつかなかったのー「それで・・」―スナックのママに相談したの。そうしたらママが会長に話してくれてー

「うんうん・・会長さんはどうした・・」―私に貴方の住所を尋ねたわー「住所なんて言ってなかった筈だよ・・」―そうよ住所なんて聞いてなかったわ。でも貴方が残した道順を書いた紙があったのを思い出して会長さんに伝えたのー「「それで会長さんはどうした・・」―紙に書かれていたバスの終点桑谷村の俵屋さんの電話番号を調べて掛けてくれたのー「成程それはいい考えだ。俵屋は俺の事を知っていただろう」―そうね。貴方の名前を俵屋さんに伝えると、電話口に出た年寄りの女の人が貴方の家の電話番号を調べて教えてくれたらしいの。それを会長さんが私に教えてくれてー「そうか・・それで携帯電話はまだ見つからないのか・・」―見つからないのよ。でもスナックのママが選別にと言って新しい携帯スマホを買ってくれたのー「ではそのスマホを今持っているのか・・」―今もっているわよー「じゃあ、今すぐに俺の携帯番号を登録しろよ・・いいね。番号を言うね・・」―登録したわ・・―「じゃあ掛けて来て・・」

健作の携帯電話が数か月振りに鳴った。「恵美さん繋がったよ。公衆もう切っていいよ。携帯電話で話そう・・」茶の間の公衆電話が切られた。「それで何時来てくれる・・」

健作が子機を母親に渡し部屋を移動すると父親と母親はぞろぞろと後を着いて来た。

―遅くなったから早い方がいいのでしょうー「それはそうだよ。直ぐに来てくれ。俺は勘当されそうなんだから・・」―勘当・・そんな状況で私が行っていいの・・それに子供も・・―

「何を言っているんだ。子供は俺と恵美さん二人の子供だろう。もし親が変な事を言ったなら三人でこの家を出て行けばいいのさ・・心配はいらないよ」

側に立っている母親が口をパクパク動かしてー馬鹿な事を言うなーと手まで上下に振っている。父親は黙って二人の会話に耳を欹て聞いている。

「健作お父さんと電話を替わってくれ恵美さんと話したい・・」

父親の孫作が健作の手から携帯電話をもぎ取り耳に当てた。

「恵美さんかい・・健作の父親です。何も心配せずに来てください。子供は私達夫婦に取っては初孫です。早く会いたいと思っていますよ。こんな頼りない息子ですがよろしくお願いします。お母さんと変わりますね」孫作は携帯電話を母親の民に渡した。

「恵美さんと言うのね。私、健作の母親民です。宜しくお願いしますね」

―ハイお母さん私が恵美です。宜しくお願いします。健作さんから嫁に来てくれと誘われ随分悩みました。私にはもうすぐ四歳になる女の子がいます。産まれた時から父親を知らない子供です。でも健作さんは自分の子供だと言ってくれて・・すいません・・―

母の民は電話の向こうの泣き顔が見えた。

「恵美さん大丈夫よ。健作と貴女の子供なら私達夫婦の孫よ。きっと可愛がり大事に育てるわ。何も心配せずに何も持たずに子供と二人身一つできてちょうだい。待っていますよ」

―お母さん。お母さんにそう言って頂けると嬉しくて‥早くお母さんにも会いたくなりましたー電話の向こうの顔が明るくなったのが民には分かった。

「それでは健作に変わるわね・・」民は携帯電話を健作に返した。

「恵美さん聞いての通りだ。親父もお袋も待っている。早く来てくれ。そこは小春の店だろうママと会長に世話になったと健作が礼を言っていたと伝えてくれ」

―ママと会長さんに伝えておくわ。明日の午後には話に聞いた俵屋さんに着くように出発するわ。迎えにきてね・・-

電話は切られた。

良く晴れた秋空の下。稲刈りの終わった桑谷村の俵屋バス停に向かって車を走らす健作の姿があった。俵屋商店の店先に空を仰ぐ茂婆さんがいた。



              完

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