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桜の記憶

作者: 中邑わくぞ

 男は一人で山に登っていました。

 早春の山はまだ寒く、吐く息も時々白むほどです。

 それでも、男は登っていきます。

 

 山頂近くになると、あるものが見えてきました。

 何本もの桜の木に囲まれた、小さな社です。

 ここにある桜の木は、寄付されたものばかりですので、時々見回りの当番が回ってくるのです。男の祖父はいつも見回りに行っていたのですが、寄る年波に勝てず、『今回だけ』の条件で男に変わってもらったのでした。

 

 見回りと言っても、何をするわけではありません。桜の木が無事にあることを確認すればいいのです。

 男は社を囲むように植えられている桜の木を観察します。

 どれも立派な幹をしていて、何十年もたっているのがわかりました。

 

 ですが、一か所だけ桜がありません。

 行列の途中で誰かが抜け出したかのように、あるべきはずのものがないのです。

 不思議に思った男は、近寄ってみます。

 

 山の中ですから大分薄暗くよく見えませんが、足取りはしっかりとしたもので、確かです。

 その歩みが止まります。

 

 一人の女性が、何かを持って佇んでいるのでした。

 山の中にうら若き女性が一人……怪訝に思いながらも遭難者ならば大変だと、男は話しかけてみます。

 ですが、女性は見向きもせずに持っていた何かを地面に置きました。

 

 それは苗木です。おそらくは桜の。

 

 男は困惑しました。あるべき桜の木はなく、その場所には苗木を持った女性がいる。なんだか奇妙なことです。

 女性は、何かを懐から取り出しじっと見つめだしました。

 悪いとは思いつつも、男はそれをのぞき込みます。

 

 白黒の写真の中央には、軍服を着た若い男性が写っていました。男は、その男性に見覚えがあります。この見回りを頼んだ祖父の若かりし頃の姿です。

 男は動くことができません。もしや、この女性は幽霊か何かではないのでしょうか。祖母はすでに他界しています。その幽霊に会うために、祖父は見回りを続けていたのでしょうか。

 疑問は浮かびますが、答えは出そうにありません。

 

 そのうちに、女性は地面に掘ってあった穴に、そっと苗木を置き、土をかぶせて立ち上がります。その横顔は、聞くにある祖母の面影が感じられます。

 

 男は呼び止めようと声を掛けますが、女性はどこかに歩き去ろうとします。

 とっさに後を追い、肩に手をかけようとした瞬間、女性の姿はかき消えてしまいました。

 

 いままでそこには誰もいなかったかのように。

 

 呆然としながらも、男は振り返ります。

 

 その先には、見事な桜の木が整然と並んでいました。

 

 もしかしたら、あれは桜の回想だったのかもしれません。

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