3話 闘争龍・リヴァイアサン
沈黙の中、フォークとナイフが動く音だけが響いていた。
食事を始めてから、俺も、もう一人の男――セマニエルも一言も発していなかった。
ある部屋の中だ。確か、どこかの要塞。円卓に座り、ステーキを頬張っていた。
『老いたりとはいえ、先代剣聖を勝るとは、ねぇ……』
悩ましげなため息と共に吐き出されたその言葉。随分と滅入っているようだった。
少し顔を上げ、表情を伺う。疲れた顔をしているセマニエルのステーキは、ほとんど減っていなかった。
『……強いな。魔王は』
『ボンヤリとした感想だねぇ』
親しくしていたんだろう? と、フォークを俺に向けてセマニエルはそう言った。
互いに龍刀の使い手。セマニエルは闘争龍リヴァイアサンの試練を突破し、その龍刀を使っている。確か、ヴァーさんなどと呼んで仲が良さそうだった。
『……先代公は仰っていた。戦場で死ねるのならば、本望、と。俺もそう思う。……それに今は悲しんでいる暇はない』
『ふぅん』
先代公は出立の時、俺に全てを託した。おそらく察していたのだ。己の命運を。
そして、骨は拾えよ、11代目剣聖、と。俺はまだ、それを果たしていない。
『薄情ね。ちょっと失望した、かも』
『そうか』
彼は突き放すようにそう言った後、ハッと息を飲んだ。
『……ごめんなさい。間違ってた』
セマニエルは気の毒そうにどこかを見ていた。俺の手元だ。
俺も手元へ視線を落とすと、激情を抑えるため、強く握りしめすぎたのか、ナイフが真っ二つに折れていた。
……今は、悲しんでいる暇は、ない。
★
――現場に着いた。
場所はトーキョー郊外。少し前の道までちょっとした田園風景が広がっていたそこだが、今は薄暗い霧の中、巨大な湖が存在していた。
ショージから貰った地図を見ても、この辺りに湖は存在しない。出現した魔物によるものだろう。
「先着していた清村準特級は殉職、か……」
現場に着き、車から降りたショージは、戦慄したようにそう言った。準特級は確か、階級最上位である特級の一つ下の位だったか。
恐怖の表情を貼り付け、下半身が完全に無くなっている死体を茂みに隠し、ショージと一緒に手を合わせた。
「増援まで……いや、足止め用か……? クソ、『機関』は『死殺』並の魔物が出たと認知しているのか……?」
暗い表情でブツブツと呟きながら、ショージは車のバックドアを開け、アタッシュケースを取り出した。
俺の分のアタッシュケースも取り出してくれた。受け取る。
そして、ショージは自分の武器である『鬼猿』を、アタッシュケースから出した。
ちなみに『鬼猿』は過去にショージが討伐したA級の魔物を素材にしたものらしい。見た目は鍔に金の水蓮花の装飾が施された大剣だ。
「……この任務は僕たち金剛衆に任された仕事。『機関』は対象を確殺したいらしい」
ショージが目を細めて言った。
金剛衆。東京十二衆の一つ。武に長けている者が集う、鎮圧・駆逐専門の武闘派集団。
ショージはその中の若きホープと言ったところだろうか。階級は準特級の一つ下である上級。
準特級が殉職したレベルを相手取るには力不足。まあ、要は捨て駒だろう。
湖の中心が、少し、ほんの少し渦巻くのが見えた。
対象が動いたのだ。それに追従するかのように豊潤な魔力が動く。
すんすん、と魔力の匂いを嗅いだ。懐かしい匂いだった。
「……セマニエル、か?」
ショージに聞こえない程度でごつ。
鼻腔を満たすその香りが、俺の脳みそを叩き起す。ああ、そうだ。これはセマニエルの魔力だ。
ふらふらと、湖に歩いていってしまう。
「ッ! 近づくなッ!」
ショージの声が聞こえたが、今は何となく従いたくない。
グラグラと地面が揺れた。だと言うのに、湖の水は全てが静謐。
水を全て支配下に置いた。ああ、セマニエルだ。
次の瞬間、滝の音のような轟音が耳を襲う。
湖の中心で、何かが飛び出したのだ。巨大な影。
鯉の滝登りのようだった。天空までその何かが跳んでゆく。跳ぶだけ跳んで、重力に従い地へ下る。
そして再び湖へ。
跳んだ時に吹き上がった水に拒まれてほとんどその姿を見ることは出来なかったが、チラリと見えたそれは、俺に驚愕を与えるには十分過ぎた。
鹿のような二対の角。ナマズのような巨大な白髭。蛇のような胴体。四本の足に五本の爪。
やつこそが青龍。闘争龍。
闘争龍、
「リヴァイアサン……」
ショージが、ハッと息を飲んだ。
セマニエルが使っていた龍刀、その真の姿。しかし、なぜ?
なぜ彼ほどの男が、龍に飲まれた?
龍が本来の姿を取り戻している。それ即ち――。
今は龍刀になった吉祥丸の言葉を思い出す。
――龍刀に力を飲まれた者は、体を龍に貪られ、龍は刀より開放される。
つまるところ、寄生蜂に卵を産み付けられた昆虫の様な末路を辿るということだ。
★
「リヴァイアサン……」
目を大きく開き、震わせながら、京楓が、そう言った。
未だに半信半疑だった僕の考えが、完全に確信へと変わった瞬間だった。
今、確かに彼女は、口に出すのもはばかられる組織、『リヴァイアサン』の名を言った。
なぜ、今このタイミングで。
その疑問は、この状況が、点と点を線で結んだ。
『リヴァイアサン』の魔物研究。今までの魔物とは一線を画す、中華風の青龍。魔物は、全てが黒色のはずだと言うのに。
彼女に以前、名を尋ねた時、11、と小さく答えて、何かを誤魔化すようにそっぽをむいた。
そう、彼女は、名前では無く、数字で管理されていたということだ。
それで、だ。明らかに『やつら』と関係のある彼女が、『やつら』が関わっていそうな魔物を前に、『やつら』の名を言った。
『やつら』は真の外道だ。僕には彼女は受けた仕打ちは想像できない。ただ、惨いことをされたのだろう。それだけはわかる。
……少し前の話だ。暑くもなってきたから、彼女にコンビニでアイスを買ってあげた。
そうしたら、そもそも、アイスという存在すら知らなかったのだ。アイスを知ることすらできないほど、管理された生活。
そして、それを食べた時のキラキラと輝いた目。
食べ終わった後の、少し寂しそうに空のカップを見る彼女の表情。
……ハッキリ言おう。
彼女は、僕より強い。ただ、それ以上に彼女は無垢過ぎる。
だから。
「……だから」
僕は。
「僕は」
す、と息を吸い込み、顔を上げる。同時に、青き龍が水面より半身を出した。片手に宝玉でも持っていたら、もっとそれっぽくなっていたと思う。
「京楓を……」
鷹羅天さんの到着までどうにか生き抜こうだなんて、なんて臆病な考えをしていたんだ。
僕は、金剛衆序列五位、千羽崎 正司だぞ。
「彼女を、守らなければならない!」
今、僕が、殺す。
ギョロリと目が動き、龍が僕を見た。
『良き血だ……燃える……満ちる……』
言葉を、発した。
『試練を始めようではないか……! 敗北の対価は、貴様の生命。勝利の報酬は我が力。我こそは十二番目の王。その名を闘争龍。受諾せよ、アリンコ』
何を言っているんだ。なぜ魔物の言語を理解できるのだ。……いや、なぜ魔物が僕たちの言葉を発しているんだ?
僕は、龍を見上げたまま、少し硬直してしまった。
心の底から湧き出てくるは恐怖。『やつら』はどうやってこれほどの存在を作り出した?
もしこれが、簡単に生成できるものだとしたら。
息が上がる。獣のように荒い呼吸を繰り返す。
意味の無い言葉を発しながら、僕は、闘争龍に斬りかかった――
「やめろ、ヴァーさん」
聞きなれた、鈴のような声。その声を知覚すると共に、僕は天を見ていた。地面に仰向けになっていた。
予想していた闘争龍による一撃は無い、僕の力任せな一撃を、彼女は体術で転がしたのだろう。頭上には『鬼猿』が。あの一瞬で剣も奪うか。
僕は自嘲した。
『貴様……いや、そうか。友か』
龍の気配が変わった。闘志に満ち溢れていた気配から、過去を懐かしむような、穏やかな気配に。
『やつら』の元で何らかの親交があったのだろうか。
しかし、彼女は龍の雰囲気とは相反する感情を持っているようだった。拳を握りしめ、傍から見てもわかるほどの怒気を抱えていた。
「セマニエルはお前程度に飲み込まれるような人間じゃない。どんな策略だ。どうやって、どうやってあいつを嵌めた!?」
僕は驚いた。彼女はあまり感情を露わにすることが少ない。記憶にある限り、入院中の、点滴を何かと勘違いした一件のみだ。
きっと、『やつら』に抑圧されて育ってきたからだろう。
セマニエル、とは『やつら』の元にいた時の友人だろうか?
それが、なぜ龍と……?
『……否。己からだ』
「自分から……?」
『然り。それしか無かった。貴様がいなくなったからだ。我らは偉大なる存在。それが蘇るは、自殺の効果として絶大である、とやつは考えた』
「その後は」
クク、と闘争龍は笑った。
『それは貴様には関係のないことであるなァ』
「ッ……」
……少しだけ、話が読めてきた。
まず、『やつら』は龍を造る実験をしていた。京楓とセマニエルはその実験体だったのだろう。京楓が11、と番号で管理されていたところを考えると、他にも犠牲者はいる。
で、だ。京楓は何らかの隙をみつけ、逃走に成功したが、セマニエルはそうとはいかなかった。
結果、『やつら』は闘争龍を造ることに成功した、ということだろうか?
『そう睨むな。めんこい顔が台無しであろう』
「殺すぞ」
『イタズラがすぎたか。兄者に嫌われる訳にも行かん』
闘争龍が京楓を見ながらそう言った。
ガバッと体を起こす。今、恐ろしい可能性に気づいてしまった。
闘争龍は今、兄者と言った。今までの会話から、龍は何体かいることが考えられる。上下関係、兄弟関係もあるかもしれない。
闘争龍と京楓自体の関係は深い訳では無さそうで、そもそも京楓は女子だ。
闘争龍が兄者と呼ぶ理由が無い。
ならば、その兄者とは。
今言った兄者とは、京楓の体に、別の龍が存在していることを表しているということにならないか?
体を起こした僕を、闘争龍が見た。
そして、つまらなそうにため息をついた。
『イレギュラーで興が冷めた。今は引こう。しかし、ゆめゆめ忘れるな。龍が地球にいる異常を。何らかの存在による悪意を』
僕に伝えるような、彼女に伝えるような。
闘争龍の言葉は、神託のようだと、僕はそう思った。
龍による威圧が、ふと切れた。同時に、湖の水が引き始める。徐々に徐々に、水かさが減る。
『11代、災禍を探れ』
誰かへ向け、最後にそう言い、どこかへ行く。
――と、思っていた。
『――グッ!?』
闘争龍の胸元に槍が突き刺さる。
あの螺旋の槍は……
『我が結界を抜けるとはな……』
「ま、な。こちとらそう簡単に知性ある魔物を逃がすわけには行かねえ」
190ほどある巨躯に、鍛え上げられた筋肉。若干白髪も入り始めた、刈り上げの金髪。特徴的な紅色のハワイアンシャツ。それに、黒のサングラス。
彼はサングラスを少しずらし、右の目に刻まれた古傷をのぞかせながら、そう言った。
アメリカと日本のハーフのため、目の色は黒。
まるで、百獣の王ライオンのようだと、初めて会った時と同じ感想を抱いた。
金剛衆序列一位。『栄耀のヒーロー・鷹羅天』
東京のトップ『五本指』が一人。
覇気を纏い、殺す気だった。
「俺は派手が好きだ! 目立つのが好きだ! 他者による賞賛を愛している! 人は俺を俗物と呼んだ!」
頭に手を当て、オーマイガーとでも言いそうな顔で、続ける。
「だが、俺を罵った人間はみな等しく頭を下げた! なぜか? 俺の力が絶大だからだ! 権力が強大だからだ! 富を持つからだ!」
能力で、闘争龍に突き刺さる槍を手中へワープさせた。
槍を向ける。
「まだ満たされねえ! 渇き、渇望。妬み、嫉妬!」
『矮小なる人間が……偉大なる龍を越えられると心得違いするか!』
龍が吠えた。隊長の槍で傷をつけられたことで癪に障ったのか、隊長の言葉に対して傲慢だと言っているのか。
龍の大声に、隊長は冷静になった顔をした。
「偉大なる龍、か」
「――だったらよ」
「お前、俺様に殺されて、栄華の礎になれよ」